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53.家出(1)

「ゼウス様っ! ゼウス様っ!!」


 いつも穏やかで冷静なイリスが、血相を変えて部屋へと入ってきた。手には何故か、結婚式の時にヘラにあげた王笏が握られている。


「何だいイリス。君がそんなに取り乱すなんて珍しいね」


「へ……ヘラ様が……」


 イリスが震える手でパピルス紙を渡してきた。



『ゼウス様、さようなら。

ヘラ』



「ヘラは今どこに居る?」


「分かりません。昨晩いつもの様にお休みになられて今朝ヘラ様の部屋へと行ったところ、こちらの伝言がテーブルに置かれていたのです」


 慌てふためいているイリスの様子からして、ヘラから口止めされているのではなく本当に所在を知らないようだ。


 あそこまで僕にぞっこんだったからと、少々虐めすぎたか。

 最もアルクメネとの事は、ヘラには気付かせるつもりなど無かったのだが。



「堪忍袋の緒が切れた。ってやつですね」


 イリスの後ろからひょこっとヘルメスが顔を出した。いつもならそんな冗談くらいは笑って済ませられるが、今回は苛立ちが抑えきれない。

 バチンっと電流をヘルメスの顔スレスレに爆ぜさせると、イリスもヘルメスも固まった。


「分かっている事をわざわざ口にしている暇があったら、さっさと探しに行ってこい。ニンフ達にでも当たればだいたい見当はつくだろう」


「「かっ……かしこまりました」」



 多くいる神々の中でも最速を誇るこの2人が戻って来たのは、その日の夜更け。

 ニンフ達に聞き込みをして見つけ出したのは、オリュンポス山よりもずっと南東にあるキタイロン山。ここに住むニンフに匿ってもらっているようだ。


 2人はヘラに会おうとしたものの、面会謝絶。洞窟の中にこもって全く出て来ない。との事だった。


 イリスによると、

 

『ゼウス様はもう、わたくしの事なんて必要としていないのでしょう? それなら帰る必要なんてありませんわ。邪魔者は消えて、ゼウス様は好きな女と好きなようになされば良いのよ!』

 

 と言っていたらしいが……。



 その後も「帰ってきて欲しい」との旨を書いた手紙をヘルメスに届けさせたり、イリスが説得を試みたり……最後には母のレア様までもが説得に行ったが、全て失敗に終わった。



 直接会いに行くべきか否か。



 迷った末にキタイロン山までこうして来てみたが、会って貰えなかった。それどころか余計に意固地になってしまったようで、いくら呼びかけても返事すらしてくれなかった。

 

「さて、どうするかね……」


 山ごと(いかづち)で壊して、無理矢理にでも引っ張り出すか。

 ……いや、それもまた逆効果だろう。


 自分から別れようと言って来ないということは、まだ僕への愛が無くなったわけでは無い。離婚はしたくはないと言うこと。拗ねているだけだ。それならば……


「君の僕への愛を、利用させて貰おうかな」




***



 キタイロン山に引きこもってから半年。


 眠る場所に食べる物、洗濯や掃除。身の回りの事はニンフ達のお陰で困る事もなく、快適に過ごせているのですが……。


「はぁ……」


 次々とわたくしの元へ神々がやって来ましたが、みんな追い返してやりました。

 ついこの間はゼウス様も。


 ゼウス様に限っては、一言も喋りませんでした。


 だって少しでも話してしまえば恋しくなって、きっとこの決意だって崩れてしまう事は目に見えていますもの。


「あれで良かったのよ」


 もう一度重たい息を吐きボンヤリとしていると、外から騒ぎ声が聞こえてきます。


 また誰か来たのかしら?


 何事かと騒いでいる方へと行ってみれば、ニンフ達に混ざってヘパイストスがおります。


「ヘパイストス? 足の悪いあなたまでここへ来たの?」


 声を掛けるとびっこを引きながらヘパイストスが近づいて来ました。


「ヘラ様! ヘラ様のゼウス様への御気持ちはご最もなもの。説得して無理に連れて帰ろうなどとは思っておりません。ですが、少しだけ。少しだけ私の話しを聞いては頂けないでしょうか」


「……分かりましたわ。それで何かしら、話しと言うのは?」


「それが……」


 ヘパイストスは少しだけ目線をずらしてふぅ、と意を決した様に息をつくと、もう一度私を見つめてきました。


「ゼウス様が新たな花嫁を迎えると仰っているのです」


「え……? いま何て……?」


「3日後、オリュンポス山で結婚式を挙げるそうです。今ヘルメスが結婚式の宴に来るように、神々に触れ回っております」


「そんなっ……!!!」



 そんなはず……そんなはず有りません!

 だってゼウス様は今でもわたくしの事を愛してくれているはずですもの!!

 家出をしたのだって、居なくなって如何にわたくしの存在が大きく、大切なのか分かって欲しかっただけ。本当に離婚しよう等とは微塵も思っておりませんでしたわ。


 

「一体誰なのです、その花嫁と言うのは?!」


「私にも分かりません。ヘラ様が新しい花嫁に悪さをしないよう、結婚式当日までは誰にも教えないと仰っておりましたので……。ヘラ様、今ならまだ間に合います。これからオリュンポス山へ帰りゼウス様と話せば……」


「いいえ。絶対に帰りません。やはりゼウス様はわたくしに飽きてしまったのですね。そ……そういう事なら……ひっく……はっ……話しが早いですわ。ヘパイストスはもう……ひっく……お帰りなさい……」



 滝のように出てくる涙と鼻水。


 ニンフ達が優しく背中を擦りながら、中へ入りましょうと誘導してくれます。



 もうこれで、何もかもがお終いです。



 嫉妬に心を蝕まれ悩まされるのも、浮気していないかと不安な気持ちになるのも、やはりまだわたくしを愛してくれているのだと安堵するのも、肌を重ね愛を確かめ合うのも――全て、全部、終わり。



 さようなら。ゼウス様。

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