47. 母と息子(3)
当然の報いだわ。
もう何日もこうして椅子に縛り付けられたまま動けないでいます。
それでもまだ、ヘパイストスが誰の子供かを皆には言っていません。
だってそれを言ったら……想像するだけでも怖いです。皆の嘲笑が、ゼウス様の落胆する顔が、ありありと目に浮かんできます。
「僕がしばらく外出している間に、何だかとんでもない事になっていた様だね」
耳慣れた声がしてきて顔を上げると、ゼウス様が困った顔をして立っておりました。
「ゼウス様……」
「ヘラ、知っているだろう。ヘパイストスが誰の子か。それとも僕の口から言おうか?」
「え……」
「僕が知らないとでも思うのかい?」
ゼウス様はご存知だった……?
どうしましょう。
ゼウス様を欺き続けているのをずっと、気が付かないふりをしていたという事よね。ゼウス様はそう言うお方だもの。一体どんな罰をわたくしに下すのかしら。むち打ちくらいなら良いけれど、夫を騙すような妻なんてきっと要らないと仰るはず……
……わたくし、こんな時に自分の事ばかり心配していますわね。
「彼の親は最低な親です。だって、自分の子供を産んですぐに下界へ投げ捨てたのですから。おまけに自分の保身ばかり。親と名乗る資格もありません」
「自分のことをそんなに責めないでくれ。いつか君が自分から言ってくれるだろうと思って、放っておいた僕にも責任がある」
「え、ちょっと待って。お二人の話からするとそれってもしかして……」
アフロディテと同様に、イリスを除いた広間に居る皆が「まさか」という顔で見てきました。
「そうですわ。ヘパイストスはわたくしと、そしてゼウス様のはじめての子ども」
「うそでしょぉ?!」
「……怖かったのです。あの子を見たら一体何と言われるのか。ゼウス様がこれまでもうけきた子供は皆、容姿端麗。ゼ、ゼウス様に、失望されて、りっ、離婚されでもしたらと思うと……ふっ……うぅ……」
ボタボタと流れ落ちる涙で視界が揺れて見えます。一体みんなどんな顔でわたくしを見ているのでしょうか。
呆れ顔? 馬鹿にする顔?
女王の威厳などもはや形無し。
「そんな事で僕が君を手放す分けないだろう? それにヘパイストスは今ではオリュンポス神に欠かせない神じゃないか。みんなもこれでよく分かったはずだ。ヘパイストスが居なければ便利な道具や武器を作って貰えずに困るという事が。もう少し彼に対する態度を改めてみたらどうだい」
話し方は「提案」という形ですが、ゼウス様が醸し出す雰囲気からは絶対的な命令であり警告です。ピリピリとした空気にみんなが青ざめ、顔にはいかにも「やってしまった」と書いてあります。
「さぁヘパイストス、ヘラは君が僕との子供だと認めたよ。そんな所で聞いていないで、此方に来て言いたいことを言ったらいい」
ヘパイストスがここに……?!
ドアの方を見れば、ディオニュソスに連れられてヘパイストスが入ってきました。
「…………」
「…………」
ヘパイストスが近くまで寄ってきたものの、何も言ってきません。わたくしもどうしていいのか、何を言ったらいいのか分からず、互いに床を見たままで固まってしまいました。
「おい、ヘパイストス。何か言いたいことあるんじゃなかったのかよ」
ディオニュソスに肘でつつかれて、ヘパイストスがモゴモゴと話し始めました。
「私を捨てた経緯は分かりました。ですが天界へ招き入れられたと思ったら、何故冷たく接するのです? 目障りならば私の事など放っておいて、あのままテティス様とエウリュノメ様の所へ置いといて下さればよかったものを」
「冷たく……?」
わたくしがいつ冷たくしたと言うのでしょう?
別にゼウス様の愛人やその子供達にしたような仕打ちなどしておりませんし、なんならヘパイストスの事を思って行動しておりましたわ。
覚えの無いことに困惑していると、イリスが話しに入って来ました。
「ヘパイストス様、それは誤解です。ヘラ様は冷たくしていたのではありません。目を合わせられなかったのは、御自身のした事に後ろめたさがあったから。言い方がキツくなってしまうのもそうです。それに小言が多く嫌味のように聞こえていたかもしれませんが、全てヘパイストス様の事を思っての事。ヘラ様としてはアドバイスをしていたのですよ」
「それにヘラはこっそりと鍛冶場へ行っては君の様子を見て、癒されていたんだよ」
「ーー!! ゼ、ゼウス様! 何故それを知って?!」
恥ずかしくて顔から火が出そうなのに、手で隠すことも出来ないなんて。
チラッとヘパイストスの方を見れば、同じく顔を真っ赤にしています。
てっ、照れてる?!
カワイイ!!
「それでは私の思い違いと言う事だったのですね」
「もちろんですわ! わたくしとした事が、とんだ勘違いをさせてしまったようですわね。捨てた事も、皆にずっと内緒にしていた事も全部謝ります。もしわたくしのことを許せないのだと言うのなら、あなたの親はゼウス様ただ一人という事で構いません。親子の縁は切りましょう」
許せないと思うのは当たり前。
それならばいっそうのこと親と子ではなく、ただ一人の男神として見た方が良いでしょう。
ドキドキしながら返事を待っていると、ヘパイストスが更に近寄ってきて私の前で屈みました。
手には鍵のような物が握られていて、椅子の肘掛け辺りで何かを外すかのように、鍵をくるりと回しました。
「あ……」
見えない鎖が外れて体の拘束が解けると、わたくしの手をヘパイストスが握ります。その手は太く先は黒ずみ、ゴツゴツとしてマメだらけ。お世辞にも綺麗とは言えませんが、職人としてこれまでやって来た誇りを感じます。
「これからはヘラ様を、母としてお慕いしても宜しいのでしょうか」
「こんな母を慕ってくれるなんて……わたくしは何て優しい子供に恵まれたのかしら!」
泣きながらヘパイストスを抱き締めれば、広間には拍手が沸き起こります。
こんな事なら最初から、皆に真実を話しておくべきでした。
「そうだわヘパイストス。和解の印として何か望みを言ってごらんなさい。何でも叶えてあげますわ」
「何でも、ですか」
「ええ、何でもいいわ。新しい鍛冶場を用意する? それとも召使いのニンフが良いかしら?」
ヘパイストスの鍛冶場には3人のキュクロプスが居るだけで、全く華がありません。ニンフを仕えさせるのは名案かもしれません。
「でしたら……でしたら私に伴侶を下さい。ヘラ様の様に美しい妻を」
「まあ、それはいいわね! 誰がいいかしら。わたくしに並ぶ美しさを持つ未婚の女神となると……」
わたくし、美しさにはそれなりに自信がありますわ。だってゼウス様に見初められるくらいですもの。そんなわたくしに勝るとも劣らない美しい女神。それでいて地位も高くなければ。
となると……アルテミスとアテナ、それからヘスティアお姉様は……処女を誓っている身だからダメですわね。
イリスにはゼピュロスがいますし、うーんと、えーと……
考え込んでいると、全員の目が一人の女神へと向けられました。
「え゛っ、わ、私?」
「アフロディテ、あなたならわたくしの息子の妻として申し分ありませんわ。どうかしら、ヘパイストス」
「もちろん私に異論などありません。あの様に美しい女神を妻に娶れるなど、これ以上にない提案です」
「だそうよ。ゼウス様も良いですわよね?」
「ああ、もちろんだよ」
「えっ……ちょっ……そんなっ……」
「お気の毒」と言った顔をしている女神達。
「羨ましい」と言った顔をしている男神達。
わたくしとゼウス様の決定に文句など言わせません。うふふ、と笑って無言の圧力をかければアフロディテが顔を真っ青にして押し黙りました。
ディオニュソスが何処から持ってきたのか、アンフォラを抱えて広間へと持って来ました。その隣ではヘルメスが杯を両手っぱいに持っています。
「それじゃあヘパイストスの親子の和解と結婚を祝して、たっぷりと飲みましょーや!」
アフロディテが杯に酒を注がれるや否や、ぐびぐびと一気飲みしております。良い飲みっぷりです。
ああ、こんなに美味しいお酒は何時ぶりかしら。
お酒を飲むのなら、美味しく楽しく。こうでなくてはね。




