46. 母と息子(2)
「おーい、ヘパイストス。いるか?」
また誰かが説得しにやって来たのか。
黙っているともう一度呼び掛けがあった。
「居るんだろ? 俺だ。ディオニュソスだ」
ディオニュソス。
ここ最近ヘラ様の許しも得て仲間入りをした新入りの神。
一風変わった儀式を行い、自身の神性を認めない物は容赦なく罰を下す。それでテーバイの王ペンテウスはディオニュソスの信者だった母親の指揮の元、信者達に生きたまま八つ裂きにされたと言うのだから恐ろしい。
「帰ってくれ。伝えた通り、ヘラ様が私が誰の子なのか言わない限りは、ここから出ない」
「その口ぶりからすると、ヘラ様が母親なんだろう? ……俺にも分かるさ、お前の気持ちは」
「何が分かるだ! 醜いからと生まれてすぐに捨てられて、呼ばれたと思えば嫌味ったらしく小言を言われて……!! なぜ、なぜ私は……」
「はっ! それじゃあどちらがより酷い目にあったか不幸合戦と行こうか。俺なんて母親の腹の中にいる時からあの女王様には目を付けられてたんだ。俺が何をしたってんだ? え? 母親は策にはまって一瞬で灰さ。そんでゼウス様の太腿から無事に生み出されたかと思ったら、バレて狂わされて。頭がイカれて放浪した事なんて、お前には無いだろ」
「それならあんたは、歩く姿が可笑しいと笑われた事なんてあるか? ないだろ?! そんな綺麗な顔をして生まれてきたんだ。姿を見せる度に笑われるのがどんな気持ちがするのかなんて分からないだろ!!」
ドア越しに互いに言い合いをしていると、ドアのすぐ側の窓からディオニュソスが顔をひょこっと出して、自分の足元を見ろと指を指した。
「ワインだ。ムカつくことがあった時には飲むのが一番。ずっと怒りを抑えて我慢してきたんだろう? 酒の力を借りて、もっと自我を解放してやれ」
ワインか。あのブドウというフルーツから作られた酒は、これまで味わったことの無い美味さだった。ワインの香りと味を思い出して思わずゴクリと喉が鳴る。
「入れ……」
ドアを開けて招き入れると、ディオニュソスは勝手に鍛冶場をゴソゴソとやって杯を見つけてきた。そこへトクトクとワインを注いでいく。
「愚痴ならたっぷりと聞いてやるし、なんなら俺のヘラ様の悪口も聞いてくれ」
にぃと悪戯げに笑いながら渡された杯を手に取ると、一気に中身を飲み干した。
体の芯がグワッと熱くなり、フワリと頭が軽くなった。
「くくっ、良い飲みっぷりだ。そうこなくちゃ」
注がれるワインを次々と飲み干し、饒舌になっていく。
これまでの思いを全てぶちまけた。それをディオニュソスはひたすらに相槌をうって聞いてくれ、彼もまた一緒になってヘラ様の悪口を言ってきた。
最初はそれを大人しく聞いていたが、だんだん腹正しくなってくる。なんて言うか、そう……だってあの人は……
「おいディオニュソス、どんな酷い目にあわされたとしてもヘラ様は私の母だ。だからそんなに口汚く罵らないでくれ」
「なんだよ、さっきまで一緒になって悪態をついていたじゃないか」
「そうだが……それでも私の母なんだ」
「はぁ、まあいいさ。それならその母に会いに行こうぜ。直接会って言ってやればいい。そんなんだから夫に浮気されるんだ!ってな」
「ディオニュソス! 確かにヘラ様がした仕打ちの数々は目に余るものもあるが、元はと言えば浮気をしたゼウス様が悪い! 何故ヘラ様がそうも悪く言われなければならないんだ!?」
ディオニュソスの言葉で酔いが一気に冷めた。
天界に出入り出来るような神なら誰もが知っている。ヘラ様はひたすらに一途なのだ。だからこそあんなにも夫の浮気に心を痛め、浮気相手とその子を妬む。
みんな分かってはいても、ゼウス様を責めることなど到底出来ない。ヘラ様とゼウス様、どちらの気分も害することの無いように、こっそりと手を貸してやるだけ。
「はいはい、分かったよ。そんな風に思っているのなら尚更会いに行こう。俺とこうして話しているよりもずっと、スッキリするだろうよ」
心は決まった。
こうなったら、言ってやる。私は貴女が一番愛する人との子供だろって。
そして認めさせたい。たとえ醜く不自由な体に生まれてこようとも、貴女の息子であると。




