43. 狂って狂って狂っちゃえ!
「まあネペレ、そんな事があったの」
「はい、どうかあのアタマスに罰をお与え下さい」
ネペレが地上からわざわざわたくしの元へとやって来たと思ったら、オルコメノスの王アタマスに罰を与えて欲しいと言うのです。
イクシオンがタルタロスへ送られて暫くすると、ネペレは子どもを産みました。もちろんイクシオンの子ですわ。
ケンタウロスという男なのですが見事にイクシオンの血を引いたようで、これがもう酒好きで好色。あっちこっちで雌馬と交わって半人半馬の子を作っていますのよ。
まあ、あんな男達の話はどうでも良いとして、ネペレは子供を産んだ後に、先程出てきましたアタマスと言う男と結婚しました。もちろんわたくしと瓜二つの姿のまま人間の所へ嫁ぐなどゼウス様が許しませんでしたから、面影は残っていますが姿を変えられていましたわ。
ネペレの話によると、2人の間にはすぐに子供が出来たと思ったらさっさと捨てられて、後妻としてイノと言う女を娶ったというのです。イノと言うこの女、あのセメレの姉だと言うではありませんか!
それでそのイノは自分にもすぐに子供を授かると、前妻であるネペレとの間の子供をいびり始め、しまいには殺そうと画策していたそうです。
細かい説明は省きますが、ネペレの子供の命は助かったとは言え、イノとそれを黙認していたアタマスには頭にきますわ!
だってネペレはゼウス様がわたくしの分身として創った雲のニンフですもの。ネペレに対する仕打ちは、わたくしへの仕打ちも同然。
「あなたの気持ちは十分に理解できますわ」
「それからヘラ様のお耳に入れておきたい事があるのです」
「何かしら?」
「イノが嫁いで来た時に、あの女には連れ子が居たのです」
「連れ子? 主人にでも先立たれたの? 結婚歴のある女をアタマスはよくも娶ったわね」
「いいえ、未婚で処女だったにも関わらず連れ子が居たのです。一体誰の子なのか探りを入れましたら、妹のセメレとゼウス様の子どもという事が分かりました」
「なぁ……っ!!!?」
「どうやらヘルメス様が姉のイノに育てるよう預けた様です。そしてそれをどう言う伝手かは分かりませんが、事情を知ったアタマスは、更なる栄光を得る為にイノを妻として迎えた、と言う事かと」
ネペレが嘘を付いているようには見えませんし、その必要も無い。この話が全て事実だとすると……
アタマスはイノがゼウス様の子供を養育している事を知って、子供ごと呼び寄せ妻にした。
最高神であるゼウス様の子どもを大切に扱い養育したとなれば、鼻高々ですし、何かしらの恩恵を得られるとでも思ったのでしょう。
死んだと思っていたのに!!
それからセメレ。死んでもなおわたくしを苦しめるとは、なんて憎たらしい女なの!!
「ふっ……ふふっ……うふふふふ……」
「ヘラ様?」
「分かりましたわ、ネペレ。あなたの気持ちも、そしてわたくしの気持ちも晴らしてあげましょう。わたくしの分身とも言えるあなたの子どもを危険に晒し、不義の子を匿っていたイノも、それを全て知っていたアタマスも、みんな狂ってしまえば良いのよ。みんな、ね」
わたくしを怒らせるとどうなるのか。
それをとくと、ご覧にいれましょう。
***
気持ちのいい昼下がり。
わたくしは今ザクロの実をちびちびと食べながら、アムピトリテの訪問を受けているところです。
「イノとイノの子どもを神にしてあげたんですって?」
「ええ。ヘラ様の気に触るかとは思いましたが、可愛そうで見ていられなかったもので……」
アムピトリテはゲンナリとした顔をしていますが、わたくしの心は晴れやかです。
「それで?」
「あの2人は人間のうちに十分な罰を受けました。どうか怒りを鎮めて、2人のことは見逃してやって下さい」
「はぁ……アムピトリテはお人好しですわね。まあ今回はあなたの顔を立てて、イノとその子についてはこれ限でお終いということにしましょう。何せ海の女王がわざわざここまで頼みに来たんですもの」
アムピトリテは「ありがとうございます」と礼を言うと、ホッと安堵した顔になりました。
ネペレから話を聞いたあと、わたくしはアタマスにちょっとした狂気を吹き込みした。
うふふ、どうって事ないですわ。
ただアタマスが、自分の息子を鹿にしか見えないようにしただけ。
アタマスは目の前に鹿がいると思って、2人いる息子の内の一人を射殺しました。おまけに八つ裂きにまでしてしまったのですわ。
イノは夫の狂気を見て、もう1人の息子を抱いて逃げました。アタマスに追い詰められた2人は海に身を投げ、溺死しそうになった所をこのアムピトリテが助けたのです。
「さあアムピトリテも座って一緒にお茶でも飲みましょう」
アムピトリテが座るのを見計らうと、イリスがお茶を継ぎにやって来ました。カップからふわふわと湯気が立ち、そこへ蜂蜜とミントを入れて飲んでいるとイリスが口を開きました。
「ディオニュソスの事についてご報告があるのですが」
「どうしたの?」
「どうやらフリュギアまで彷徨い歩き、キュベレによって狂気を解かれたようです」
ディオニュソスはセメレとゼウス様の子供の名前。人間と神との間の子は半神半人ではあれど、決して神ではありません。それなのにこの者、どういう訳なのか神でした。ゼウス様が彼をこっそり神に昇格させたのかしら……?
とにかく殺す事は出来ませんので、アタマス同様に狂わせてやったのです。
ディオニュソスは各地を転々としていたのですが、ここよりもずっと東にあるフリュギアにたどり着き、どんな経緯があったのか、この地に住む高位の女神キュベレに会ったようです。
「キュベレ……! 余計なことをしてくれましたわね。それで、正気に戻ったディオニュソスはどうしているのです?」
「信者達と共にどんちゃん騒ぎをしながらインドの方へと向かっているみたいです」
「なんです? どんちゃん騒ぎ?」
「ええ、酩酊状態で笛や太鼓を打ち鳴らし踊り狂うのだそうですよ。なんでもこの祭りをしている女たちは獣を素手で捕まえて八つ裂きにして、生肉を食べて血をすするのだとか」
アムピトリテと互いに顔を見合わせて、もう一度イリスを見ます。
「…………狂気は解かれたと言いましたわよね?」
「はい。確かな情報です」
「そう言えばキュベレに仕える祭司達は妙な風体をしているそうでは無いですか。もしかしてキュベレが自分を崇める祭りを、ディオニュソスに伝授したのではないかしら」
アムピトリテの言う通り、そう言えばあの女神は妙ちくりんな祭りをさせる事で有名です。なんでも祭司は去勢をして女装をし、踊狂いながら自分の体を傷付けるのだとか。
「パンも面白がってディオニュソスに付き添っているみたいですよ」
「パンも? あぁ、あの子ならば喜んで騒ぎ立てる姿を想像できますわ」
パンはヘルメスとニンフとの間に出来た息子。
ある日ヘルメスが宴の席に「見て見てみんなー! ボクの息子、めちゃ凄いの生まれたから!!」と自信満々に連れて来た子供にみんなびっくり。
頭には山羊のような角が生え、下半身は毛むくじゃらで獣のような脚。あれには一同で腹を抱えて笑ってしまいました。父親がヘルメスならば納得です。
「はあぁ、とにかく東の方へと向かっているのなら良いですわ」
これ以上、狂わせる意味など無さそうです。
イリスに探りを入れさせるのはもうやめて、関わらないようにしておきましょう。




