39. 復讐の味は蜜の味?(3)
「ゼウス様と仰る方、お待ちしておりました」
いつも通りにセメレの部屋を訪れれば、意味深な言い方で出迎えられた。
やっとヘラが動いてくれたか。
そう思うと思わず、笑みがこぼれてしまいそうになる。
セメレとの浮気に気付いて貰えず、とうとう彼女は妊娠期間の中頃を過ぎてしまった。痺れを切らせてイリスを促してみたが上手くやってくれたようだ。
「どうしたんだいセメレ、そんな言い方をするなんて」
「いえ、失礼しました。愛しい貴方をお待ちしていたことは本当です。ですが私は今とても不安なのです。その不安に私も、そしてお腹の子も押し潰されそうです。どうかこの不安感を取り払うために私の願いを聞いては貰えないでしょうか」
「いいよ、何でも言うといい。どんな望みでも叶えてあげよう」
「それでは、ステュクス川に誓ってでも叶えてくれると約束してくれるでしょうか」
ステュクス川への誓い。ヘラの入れ知恵か。
「……もちろん。ステュクス川に誓おう。さあ、言ってごらん」
「それでは私に貴方様の真実の姿をお見せ下さい」
「真実の……姿?」
「そうです。お母様が以前ゼウス様の容姿を話した時には白銀の髪に黄金の瞳をしていると言っていたのを思い出しました。ですが貴方様は金髪にブルーの瞳。本当に私が身篭った子がゼウス様の子かどうか知りたいのです」
「本当に、その願いを叶えて欲しいのだね?」
「はい。妃のヘラ様に見せるその姿で、私にも愛を囁いて欲しいのです」
「そう、分かった。誓いを立てたからね。その望み、叶えてあげよう」
セメレは嬉しそうに顔を綻ばせると、早くとでも言いたそうに見つめてくる。
――ヘラは本当に悪い子だね。
堪らず笑いが込み上げてきそうになるのを押さえて、元の姿へと形を変えてやれば、先程までのセメレの表情は一転して叫び声をあげた。
「きゃあああああああああああ!!!」
セメレはきちんと僕の真実の姿を見れただろうか。もしかしたら見る事すら叶わずに終わってしまったかもしれない。
最も、苦しむこと無く死ねたということだから、この女にとってはその方が良いのか。
美しかった彼女は一瞬にして焼け焦げた。
ついでに舘の一角も焼けて火の手が上がってしまったのですぐに雨を振らせて消すと、ゆるゆると煙が立ち上る。使用人達は突然の雷鳴と火事に驚いて逃げ出したようだ。
真っ黒になった塊の横にしゃがむと、肉の焼け焦げた匂いが鼻をつく。
「馬鹿だねぇ、セメレ。人間なんかが僕の姿を見て耐えられるわけが無いというのに」
真実の姿。
それは雷を身にまとい、生身の人間では一瞬にして閃光で焼け死んでしまう。
だからこの姿で地上に降りる事などまず無い。
格の低い神の前でだって真の姿にはそうそうならない。
「ヘラに見せる姿で愛を囁いて欲しいって? 欲張るからいけないんだよ」
口からつむぎ出された身の伴わない言葉に騙されるなど愚かだ。
「僕が愛を囁くのは、ヘラにだけだよ。他のはそう、ただの呪文みたいなものかな。僕の虜になる様に、ね」
セメレの腹だった箇所に手を当てれば、まだ中にいる赤子は僅かに動いている。
「ヘルメス、居るんだろう?」
呼び掛けられた男は、舘のすぐ近くの木からぴょんっと飛び降りてこちらへやって来た。
「はーい。お呼びでしょうか」
「腹の中の赤子、お前ならどう生かす」
女の方はどうでも良いが、作った子供の方には用がある。
半神半人なので、ヘラに何かされてもそう簡単に死ぬ事は無いとは踏んでいたが、まだ産まれてくるには早すぎる。誰か他の女の腹にでもいれるか……
「ゼウス様の腹にでも入れたらどうです?」
「はぁ?」
「確実にこの子を生かしておきたいのなら、ゼウス様の腹に入れるのが一番安全かと思いますよ。他の女の腹に入れたことがヘラ様にバレたら、今度こそ腹の子ごと始末されてしまうでしょう」
「お前は本当に突拍子もないことを言うな。だが確かにそれは一理ある。腹では膨らみを誤魔化すのは難しいが、どうするか……」
「全体的に太ってしまえば良いんじゃないですか…………ぃ、痛たたたっ!!!」
無言でヘルメスの頭をグリグリと拳骨で痛め付けていると、頭の中にメティスの声が響いた。
「太腿の中だって? ははっ、メティスよ、お前も中々面白い案を出してくるな」
飲み込んだメティスは、今も身体の中で知恵をさずける。僕の頭脳の一部となって。
「なぁるほど。太腿なら今よりもゆったりとした服をお召しになれば、膨らみを誤魔化せそうですね。それでは早速やりましょう」
ヘルメスはテキパキとセメレの腹から赤子を取り出すと、太腿を切り、その中へと納めて縫い付けていく。
「不格好ですけど、まぁこんな物でしょう」
太腿は大きく膨らんでしまった為、暫くはヘラの前にあまり姿を現さない方が良さそうだ。
「月満ちて取り出すまでは、ヘラとの同衾はお預けという訳か」
深いため息をついて見せれば、ヘルメスは「ご自分で蒔いた種でしょう」とケタケタと笑っている。
「ヘラ様、余程ショックだったんでしょうね。ゼウス様にまで復讐しようとなさる程に」
愛する女を自分の手にかけてしまった。
と、僕に思わせるつもりで仕組んだのだろう。
実際には、セメレが死んだところで僕の心は微動だにしないのだけれど。
どうせ人間など早かれ遅かれ死ぬ。愛する人の手で死ねたと思えば幸せだったくらいだ。ただ困るのは、子どもの母親が居なくなること。それだけだ。
「やることなすこと全てが可愛い妻だよ 」
「あーぁ、ボクはヘラ様に同情しますけどね」
「それでもお前は僕に忠実に従う。そうだろう?」
「ええ、そうですよ。面白いですから」
二ヒヒと悪戯っぽく笑って、ヘルメスは夜の闇の中へと消えて行った。




