38. 復讐の味は蜜の味?(2)
と言う事で、セメレの住む舘へと変装をしてやってきたのですわ。
どうして老女の姿に化けているのかと言えば、うふふ、それは後ほど。
舘から出てきた使用人はわたくしの姿を認めると、直ぐに中へと通してくれました。
「セメレ様、ベロエがいらっしゃいました」
「通してちょうだい」
部屋の中へと案内されると、ゆったりと椅子に腰掛け、満ち足りた表情をする女性が座っています。
「お久しぶりです、セメレ様」
「堅苦しい挨拶はいいわ。さあ、こちらへ座って。今お茶を用意しますね」
進められるがままに席へと付きお茶を啜ると、セメレが嬉しそうにペラペラと喋りだしました。
何故この女がこんなにも気を許しているのかと言えば、わたくしが化けているベロエと言う老女はかつてセメレの乳母だったから。
しょうもない話に相づちをうって話しをどんどんと促して行くと、やがてセメレは自分が妊娠している事を打ち明けました。
「ゼウス様の子ですって? それは本当ですか、セメレ様」
「ええ。だって御本人がそう仰っていたもの。金髪の、凄くハンサムな方なのよ」
「左様でございますか。ですがゼウス様にはヘラ様と言うお妃がいらっしゃるではありませんか。お嬢様がしている事は浮気という事ですよ」
大神ゼウスに妃がいる事くらい、誰でも知っていること。作戦を決行する前に、この女がどう思っているのか本心を聞いておきましょう。
「そうね。お母様に聞いた事があるけれど、とてもお美しい方だそうよ。でもね、ベロエ。どんなに綺麗でも何百年、何千年と夫婦をしていたら飽きるというものでしょう? ヘラ様なんてただ正妻と言う椅子にしがみついているだけの飾りだわ。今ゼウス様が夢中になっているのは私。妊娠した今でも、しょっちゅう会いにいらっしゃるんだから」
この女は、わたくしがゼウス様に愛されていないと言いたいようです。メラメラと燃える何かを押さえ付けて、無理矢理に笑顔を作ります。
「お嬢様、その言葉がかの女神のお耳に入ったりでもしたら大変ですよ。何せ結婚を司る神様ですからね」
「ふっ、そうね。夫婦の内実がどうであれ、結婚の神が離婚なんてみっともないものね。だからゼウス様も哀れんで離縁を切り出さないのだわ。お可愛そうに」
――――!!!
やはりこの女、赦せません。ただ殺すだけで済むと思ったら大間違いですわ。
「それにしてもセメレお嬢様。婆やは心配でなりません。そのゼウス様だと名乗る男は本当にゼウス様なのですか? 近頃では神の名を語って女を誑かすような輩も居ると聞きました。もしその様な不届きな男の子供など身篭ってしまっていたらと思うと……」
「そ、そうなの? でもどうやってあの方が本物のゼウス様だって確かめれば良いのかしら」
「ハルモニア様は元々は女神様でらっしゃるでしょう? 奥様ならゼウス様の姿を知っていらっしゃるはず。どんな方なのか聞いていませんか?」
「どんな方なのか……。そうね、小さい頃に聞いた事がある様な気がするわ……。あっ」
しばらく思い出そうと考え込んでいたセメレが、パンっと手を叩きました。
「何か思い出しましたか?」
「白銀の髪に稲光のような黄金の瞳だと言っていたわ!……でも、私が会っていた方は金髪だったしブルーの瞳だった……そんなっ!!!」
青ざめた顔をしたセメレのそばに寄り、慰めるような振りをして肩に手を回します。
「そんなに落ち込まないでください。もしかしたら仮の姿でいらっしゃっていると言う可能性もあるかもしれません。なにせゼウス様は変身が得意な神だと聞いております」
「という事は……?」
「真実の姿を見せて欲しいとゼウス様にお願いしてみてはいかがでしょう。ステュクス川に誓わせてね」
「ステュクス川に?」
ステュクスはオケアノスとテテュスの子。冥界で死者と生者とを分ける川の女神です。
彼女はティタノマキアの際、父オケアノスの勧めに従って、子供たちと共にいち早くゼウス様に味方したのです。その功績が認められて彼女には「ステュクス川にした誓いは破ることは出来ない」と言う特別な権限を与えられました。
ですからいくら最高神のゼウス様と言えども、ステュクス川への誓いは絶対に違えることはできません。
「何でも神々は、ステュクス川への誓いは破る事が出来ないそうですよ」
「そうなの?! ベロエは物知りね。次にゼウス様だと言うあの男性が来たらお願いしてみるわ」
「ええ、是非そうして下さいな。お嬢様と、そしてそのお腹の子の為にも。ね」
復讐は蜜よりも甘いと言ったのは誰かしら?
表面だけ甘くて、舐めれば舐めるほどに苦いです。それでもゼウス様がこの女を愛しているというのなら、一枚噛んでもらいましょう。
その結果、ゼウス様がわたくしの事を嫌いになったとしても。




