37. 復讐の味は蜜の味?(1)
皺だらけの顔に白髪の生えた頭、曲がった腰で杖をつき向かう先はテバイの街。かつてカドモスがカドメイアと名付けたあの場所です。
カドモスとハルモニアは2男4女の子宝に恵まれました。その内の一人、セメレと言う娘の所へ行く所です。
何故その娘の所へわたくしが向かっているのか気になるでしょう?
それは先日の事。夜遅い時間、気持ちのいい眠りについている所へ、ドアの向こう側からイリスが誰かを大声で呼ぶ声が聞こえました。
『イリス、こんな夜遅い時間にどうしたのです?』
眠たい目を擦りながらドアを開けると、イリスが「申し訳ありません、起こしてしまいましたか」と近寄ってきました。
『ゼウス様に急いで伝えたい事があり寝所へ行ったのですが、いらっしゃらなかったので探していたのですが……。ヘラ様の所へ行っていた訳では無いのですね』
『ええ、今日はいらしてないわ。そんなに急ぎの用件なの?』
『はい、以前に頼まれていた事でして。神殿の中にはいらっしゃらないようなので、外を探して参ります』
神殿の中に居ない?
こんな夜遅くに??
女の勘が警鐘を鳴らします。
『待って、わたくしも探しに行きますわ』
イリスと一緒に神殿の外へ出ると、急ぎ足で下界へと続く門の方へと向かいます。
もし、もしですよ、ゼウス様が浮気をするとしたらこれまでの傾向から天界に住む誰かではなく、下界で暮らす女です。それも最近では人間の女でした。
なので下界へと降りる為に門を通るハズです。
『待ってイリス、誰か居るわ』
門のすぐ近く、白銀の長い髪をした男性がキョロキョロと周囲を伺っています。
『ゼウス様……』
『声を掛けましょうか?』
『いいえ、後をつけるわ』
今声をかけたら、ただの散歩とでも言われて終わってしまいます。愛人に会いに行くのだとしたら、誰なのか突き止めなければ。
ゼウス様が門を潜ったのを確認すると、こっそりとその後に続きます。
門を潜ったその先にゼウス様はもう居ません。空を見上げれば隼が飛んでいきます。
隼の活動時間は昼間。この時間に飛んでいるのはおかしい。つまり、あれはゼウス様!!
わたくしも鳥の姿に変身して後をつけるべきかしら。でも空の上で後をつけたら隠れる場所なんてない。こっそりとバレないようにするのは難しいわね。それなら地上から?
どうしようかと悩んでいる内に、あっという間に隼の姿が遠くへと飛んでいってしまいました。
『後をつけるのは諦めるしかなさそうね』
ため息混じりにイリスに言うと、『大丈夫です』とわたくしを横抱きにしました。
『イリス?! ちょっと……っ?!』
イリスはわたくしを抱き抱えたまま猛スピードで地上と空中の間スレスレを飛んで行きます。
前にも言いましたが、イリスは数いる神の中でも最速クラス。陸や水の中だけでなく、空中をも走り抜けることが出来るのです。だからと言ってまさかイリスにお姫様抱っこされる日が来るとは思いませんでした。見かけによらず力持ち。
やはり目的地があるのでしょう。隼ことゼウス様は迷わず真っ直ぐに飛んで行きます。そして降り立った所はテーバイの街。隼から元の姿に戻るのかと思えば、金髪の見知らぬ男の姿へと形を変えました。
暫くすると、ゼウス様が入って行った舘の窓のひとつに、ほんのりと明かりが灯りました。
心臓がバクバクと音を立て、血が流れる潮騒の様な音が身体に響き渡ります。
見ない方が良いかもしれない。
夫が他の女と体を重ねる所なんて見た日には、わたくし不老不死を捨てて死んでしまいます。
『ヘラ様……私が確認して参りましょうか』
『…………自分で見てきますわ』
イリスをその場において、そろりと窓から中を覗きます。なんて惨めな気分なんでしょう。わたくし、最高女神ですのに。ゼウス様の妻ですのに。まるでこそ泥みたいです。
窓の端からでは2人の姿まで見えません。でも壁にはロウソクの灯りで映し出されたふたつの人影。話し声が聞こえないかと耳を当てると、楽しげに話す声が聞こえてきました。
『お腹が少し膨らんできたね。順調そうで何よりだ』
『はい。ゼウス様の子ですから、大切に大切に育てます』
男性の問いに、甘ったるい声で返ってきた女の声。ハッと口元にあてた手の指先が、ガタガタと震えます。
ゼウス様の子を妊娠……。
涙で霞む視界の先で、横顔の影が重なりました。
もう、見ていられません!!!!
乗り込もうと窓枠にぐっと手を掛けた所で、自分の中の冷静な部分が声を掛けてきました。
もし現場に乗り込んだら、ゼウス様はあの女を庇うのでしょうか。
そんなのは見たくありません。だって、わたくしよりも大事だと言われている様なものです。
今見たものよりも、きっとずっと自分が傷付きます。
『イリス、帰りましょう』
こぼれ落ちる涙を、イリスが静かに拭いてくれました。
赦さない、絶対に。
あの女も、ゼウス様も――。




