殴る!!
なんの慈悲もなくシリル王はイェルサに鉄槌を下す。憎しみに満ちた瞳を隠すことなく、されど憎悪に侵されて我を忘れるような真似はしない。
それが余計に心苦しい。シリル王の言葉を信じるなら王に非などないではないか。ただイェルサ以上に奥様を愛していたから誘いを断った。それがイェルサのプライドを傷つけたのか、身重の奥様を騙して谷に落としたなんて……
『救いようのない馬鹿者……』
性根が腐っていたのか、環境がそうさせたのか。どちらにしろくだらない理由でシリル王の奥様は亡くなり、お腹の中の子供は生まれることは無かった。わかっているのはそれが事実だという事。
その苦しみを抱えて王として国を支え、今日まで来た。王も本来はとっくの昔に輪廻の輪に還っているべきだというのに。
『お前がっお前が私に靡かないから! あんな女の何がいいっていうのよ!!』
『『『!!』』』
消滅したはずのイェルサの声が響く。どこに居るのか辺りを探るが四方八方から反響して位置が特定できない。気配も読めない。
『うっ!?』
『殿下!!?』
突然苦しみだすアデルハイト殿下は膝をついて蹲ってしまった。慌てて駆け寄るが嫌な予感がする。頭を抱えて苦しむ殿下。
『やられた。ここはこのガキの深層部。あのクソ、根を張りやがった……!』
エヴァンの言葉に息を呑む。しまった、私としたことが!
「殺せるものなら殺して御覧なさい。そしたらこの子供も一緒に死ぬけどね」
『お前……! よくもっ殿下を!!』
「ぼーっとしてるからよ、鈍臭い。あの女みたいに何の警戒心もなかったんだから笑っちゃうわ!」
あははははっ
そう笑うのはアデルハイト殿下。殿下を乗っ取った、イェルサ!!
『殿下をっ侮辱するな……!!』
「ふんっ! 馬鹿を馬鹿と言って何が悪いっていうの? あんたこそ、随分な真似をしてくれ……きゃあああぁぁぁ!!?」
殿下の心を乗っ取ったイェルサ。殿下の顔で、声で、殿下を馬鹿にした!!
『早よ出てこいやぁ!! ゴラァァァ!!』
「ちょ、ちょっと! 待って、ぎゃっ!?」
『待てるかクソがぁぁぁ!! 滅する!! 絶対に滅する!! この世界から完全に消去してやる!!』
「きゃああああ!??」
うぅおぉらぁぁぁぁぁっ!!!
形勢逆転とでも思ったか!? 残念だったなぁ! 私はまだお前の魂を手放してねーんだよ!!
『根を張ったくらいでイキがってんじゃねーぞ!! 殿下がお前を素直に受け入れるとでも思ったか!? ボケナスッ!!』
「な、なんで!? う、嘘……! 抵抗されてる!?」
『ったりめーだ!! お前みたいな性悪クソ女と高貴で清廉で可憐な殿下が、釣り合う訳あるかぁぁぁっ!!!』
「きゃああああああ!!?」
私は激しい怒りを感じ、それのまま本能に従った。ここは殿下の深層部。傷でもつければ二度と目を覚まさない可能性が高い。こんなところでの戦闘なんて望んでいなかった。殿下はここにいる誰よりも未来を生きるべきお人だから。
そんな殿下の心を乗っ取ったイェルサは私からすれば自分から死刑囚となったも同然。同情の余地なしで手加減などしてやる覚えなどない。こいつは私の逆鱗に触れたのだ。ただそれは私だけでなく、エヴァンや魔神、王弟殿下、そして何と言ってもシリル王にさえも全くの反省も無しに触れた。ここには誰も止める人はいない。魔王もすでにイェルサの本質を見抜き、手を出すべきではないと判断したようだ。ただ、とても心配そうではあるが。
「や、やめっ! ぐぎゃっ!?」
『やめてほしけりゃさっさと出てけ!! 少しでも痕跡残して見ろや、地獄の苦しみを刻んでやる……!!』
「ひっ!!」
イェルサの生前、魔王から与えられた力によって精霊の力の一部を行使できる。それは魂の姿となった今でも健在で、ほぼ完全な形を取り戻した今ならその力もほぼ使いこなせる状態だという事。それを失念していたがために、殿下の身を危険に晒してしまった。
心にイェルサが干渉した事で強制的に眠りにつかされた殿下と入れ替わるようにして現れたイェルサ。肉体が目覚めたのち、体も精神もイェルサが主導権を握る事となる。殿下が目覚めるには自分でイェルサから支配権をもぎ取るか、イェルサそのものを追い出すか、それこそ根こそぎ消滅させてしまうか。
私は最後の根こそぎ消滅を選択した。永き苦しみを、このクソ女に裁きの鉄槌を! そう思ってすぐに消滅させなかった事が殿下を危険に晒してしまうという失態に繋がってしまった。だから私はキレた。イェルサに。そして自分自身に。
心と精神は切っても切れない関係性。心が死ねば精神は壊れてしまう。他者の魂によって干渉された心を一度精神と切り離しそれから分離し、再度結び直す。手順一つ、小さな小さなミスも許されないがやって見せる。
そうして私はイェルサを殴った。
先程からギャッ、とかグハッとか呻いているのは魂を直接殴っている所為である。魂同士、直接ぶん殴るのは肉体で殴り合うに等しい。ただ魂と肉体では肉体が持つ筋力や遠心力などの力に左右されず、ただ純粋な魂の強度に由来する。つまりどんなにひ弱に見えていても魂が強ければ傷つかず、打ち負けることは無い。
そして何より私がイェルサの魂を握っていることによって、魂が本体に戻る力を利用してぶん殴る事に成功した。まさか殴られるとは思っていなかったイェルサ。アデルハイト殿下の顔が一発ぶん殴ったあとイェルサの顔に戻ったのは魂と精神の分離に成功したという事に他ならない。
一発で済んだのは殿下がイェルサに抵抗し、分離に協力して下さったからだ。必死の拒絶で再度融合しようとするイェルサに反発し、逃げ道を作らせない。本当によく出来たお方だ。
殴る殴る殴る、蹴る。そしてまた殴る。私の魂が触れた瞬間にイェルサの魂が消滅する。向こうも抵抗してくれたおかげで中々完全消滅までに届かないが、着実に減ってる。その事に気を抜かず手を休めることなく殴る殴る殴る!!
『おい! 交代しろ!!』
『逃がしちゃダメですよ!!』
『ったりめーだ!!』
『ぎっ!? い、いやぁ……!』
指をポキポキ鳴らしながら交代を持ち蹴るエヴァン。悪人も逃げ出す極悪人面を携えてイェルサの魂を渡してバトンタッチ! 渡した魂をうっかり消滅させないように気を付けてよね!! まだまだ殴り足りないんだから!!
『次俺ねー♡』と嬉々として順番待ちするシリル王。この時をどれだけの月日を待っていたのか。奥さんと生まれてくるはずだったお子さんをなくしてからずっと、ずっとこの時を待っていた……。
『あれ? 王がイェルサを惨殺した……? でも時代が……』
シリル王が即位したのはイェルサが死んだ後。どれくらいの年月が経っていたのかは知らないけど、確か王の母君も『黒持ち』だと訊いたことがある。では、ここにいるシリル王と言うのは。
『俺は精霊王……魔王に殺された後転生した。本来なら仲間達と共に魂は魔王に消滅されるところだったんだけどな……』
語りだしたのは魔王となり、イェルサを殺した男達が魔王によって殺された後の話。
魔王となり管理者が不在となった世界には新たに精霊王が誕生した。元精霊王に次ぐ力を持つ者。その者が新たに精霊王として世界の管理者となるはずだった。しかし、多くの力をイェルサに奪われていたその者には力が足りなかった。
そして協力を仰いだのだ。人族の力ある人間に。
それがシリル王の前身である男の妻。子を身籠りながらイェルサに谷から落とされて亡くなった奥様だった。谷から落ちた奥様はまだ息があり、お腹の子供を必死に守ろうと藻掻いていた。そんな中、奥様を殺したと思い込んだイェルサは事実を面白げに語り、激昂した男達によって惨殺された。そして魔王は堕ちたのだ。堕ちた瞬間、力を奪われていたその精霊が奥様に乗り移り肉体を精霊の物へと進化させ精霊女王となって生まれ変わった。お腹の子供は精霊界の神樹に宿らせ誕生を今も待っている。
『乗り移った影響か、子供も精霊として生まれる事になったんだが生まれる気配がない。元はあのまま亡くなっていた子だけど……魂は宿ったまま眠りから覚めないんだ。彼女はその子を護りながら管理者として働いている』
『そんな……』
亡くなれば再び転生し巡り合う事も出来る。しかし魂を宿したままでは巡り合う事も出来ない。そんな我が子を護りながら世界の為に働く精霊女王。
シリル王は仲間と共にどうにか魔王の手から逃れ、転生を果たした。そして前世を思い出し、絶句する。母が憎いイェルサの魂を持っていたのだ。死から逃れ、世界に散った憎い女は母にまで寄生していた事に激しい怒りを持った。そして魔王は未だにイェルサを諦めていない事にも憤りを感じたそうだ。
『元精霊王が理を守らないのなら、俺もそうしようと決めた。神具に私の力を注ぎ、死後その力を持って魔王とイェルサを消し去る為に。そして時が流れ、漸くその時が来た……!』
ごめ、ごめんなざいっと泣きながら謝罪を繰り返すイェルサ。それに全く耳を傾けないエヴァン。酷く重い一撃が、イェルサの鳩尾に決まった。
『ごべぇぇっ!』
ゴホゴホッと咳く姿を見ても哀れにも思わない。
〝自業自得〟
この言葉がお似合いだろう。
這い蹲って許しを乞う姿のなんと惨めな事か。頭を地面に擦り付け懇願する姿の、実に滑稽な事。
何度も『黒持ち』からみた記憶。実際に自分の身に起きた恐怖と痛みと絶望の体験。今のイェルサの姿は過去の私の姿と同じだ。
だけど同情はしない。だってイェルサは自分の行いが返って来ただけで何の不思議もない。でも私達は? 意味も解らず殴られ蹴られ、焼かれ切られ刺されて……。死にたくなるような行為を繰り返されてきた私達は? 結局、私達が何をしたのか。
(こんなの……巻き込まれただけじゃないの……!)
一時はイェルサは被害者なのだと、そう思っていた。だけど事実は違う……!!
イェルサはとんでもない悪女だ。その魂を持つ私達『黒持ち』が迫害されるのも理解できる程、最低な人間だ。
エヴァンに代わり、遂に王がイェルサを殴る。そこに込められたのは怨念。数千年の時を経てようやく復讐が出来る事への歓び。どれだけ痛めつけようと、妻子が戻ってこないという絶望と悲しみ。
……泣き笑いながら殴り続けるシリル王を、直視することは出来なかった。




