5-3 罪と筋肉
リンディとフィリスが小部屋を出たところ、九課内にサンドラの姿はない。早速、「おとり」作戦のセッティング交渉へ向かったのだろうか? 課内を見回しているリンディへ、秘書のミレットが声をかける。
「課長は作戦の調整に出られました」
「あたしたちのやつ?」
確認してきたセデイターに、課長秘書がうなずく。
「はい。覗き犯関連のです」
「それじゃ、そっちは任せて……あたしたちは外へ……」
リンディが動き出そうとすると、ミレットから補足が。
「今日は、ユーカさんを連れていっていただけますか?」
「え?」
見を見開いたフィリス。動くのをやめて、セデイターは尋ねる。
「ユーカを? どうして?」
「サンドラ課長からの要請です」
秘書の言う「要請」というよりは……。近寄ってきたナユカ本人が話す。
「暇ならついていったら、と」
そういうことだ。
「駄目です。危険……」
毎度おなじみ、健康管理責任者による駄目出し。そして、それへの異世界人の抵抗。
「今回は危険はないって」
「まぁ、覗き魔だしね……あまりなさそう」
リンディが口にした知らない単語を、異邦人が聞き返す。
「『ノゾキマ』?」
「でも……」
いつもどおり渋る医師へ、秘書が課長の意を伝える。
「セデイト時の警護も、研修のうちだとおっしゃっていました」
「そういうケースも……」ナユカを護衛しながらセデイトした時のことを、リンディは思い出す。「あったなぁ」
「危なくなったら逃げます。トレーニング済みです」
ここのところ暇なので、元陸上部はよく走っている──主に魔法省の敷地内を。
「……だってさ」
今度はマスターに食い下がる助手。
「相手は加速使いですよ。逃げられません」
「出くわしたらすぐに、ユーカを逃がせばいいじゃん。……ていうか、向こうが逃げるでしょ。所詮、やってることは覗きなんだし」
泥棒ならともかく、居直る覗き魔っていないよな……いくらセデイト対象者でも。
「あの……『ノゾキ』ってなんですか?」
ナユカはまだ、このセレンディー語の単語の意味を、リンディに答えてもらっていない。
「ああ、それね……」助手をちらっと見る。「フィリスに説明してもらって。……詳しいから」
「う」
経験者は、絶句。その隙にナユカを出口へと促したリンディは、ミレットに声をかける。
「それじゃ、ユーカは連れてくね」
「お願いします」
秘書の声を背に受け、研修用の護衛対象とセデイターは、先に出口へ向かう。
フィリスによる「敵失」のおかげで、セデイトに同行することができたナユカは、今回のミッション、すなわちターゲットであるセデイト対象者について説明を受け、その過程でセレンディー語の「覗き魔」という単語の意味を知った。
「許せませんね……。やりましょう! 打倒、覗き魔!」往来を歩きながら、ナユカが気勢を上げる。「倒せ! 女の敵!」
「ああ、うん。そうだね……」
隣を歩くリンディがうなずく……どこかで聞いた気合の入り方だ。一方、フィリスは、単語の説明をしたせいで、過去に自分の犯した罪が再び念頭に浮かんだのか、後方を歩きながら、どことなく恐縮して黙っている。
「それで、これからどうするんですか?」
やる気満々だが、この異世界人は護衛対象扱いなので、何かをやらせるつもりは、セデイターにはない。
「まぁ、とりあえず見回りに……そうだ」せっかくだから、使えそうな異世界の知恵を出してもらおう。「そっちの世界にも覗き魔はいるよね?」
「いますよ。残念ながら」
「どんな感じ?」
「どんなって……覗き魔に会ったことなんて」
そこでピタッと言葉を止めたナユカは、視線を前方に据えて、眉をひそめる。
「まぁ、そうだよね……。基本的にあっちは隠れてるわけだから、出くわすことはあまり……」
リンディの発言をさえぎるかのように、ナユカが低い声を発する。
「ありました」
伏目がちだったフィリスが、顔を上げる。
「え」
「あるの?」
目を丸くしたリンディに、ナユカが苦々しく答える。
「ええ。そいつはクラスメートでしたから」
つまり、「会った」わけだ。
「うわ……」それはいやだな……。眉をひそめるリンディ。「覗かれた?」
「女子更衣室を覗いていたそうで……わたしはいなかったんですけど……。でも、覗いたのがその時だけかは……」
自供によれば、それっきりらしいが、はたしてどうだろうか……。自分も被害者かもしれないと思うと、本当に気分が悪い。その姿が目に入り、フィリスがつぶやく。
「更衣室……」
「クラスの男子三人です」
異世界人が拳を握り締めるて、視線を落とす……。その姿を見て、慰めようとするリンディ。どこの世界でもそういうバカはいる。
「ユーカ……」
「……あったま来ますね!」
いきなり顔を上げて声を荒げたナユカに、リンディはびっくり。
「わ」
「穴があったから、覗いたとか……ふざけんじゃねぇってんですよ! 自制しろっての!」
怒りの言葉は、フィリスにヒットした。
「ぐ」
「穴を見つけた奴が、他の二人に教えたらしいんですけど、そういうときは、止めろよ! 友だちだろうが!」
友だちに悪事をさせるなという趣旨だが、大概はそうはならず、片棒を担ぐことになる。その例であるフィリスに、またもダメージ。
「うっ」
「のこのこついてった二人は、見つけた奴のせいにして、もう最悪! お前ら同罪だろ! 人として最低!」
「ぐふぉ」
クリティカルヒット! フィリスはがっくり。すでに脚に来ており、歩みが止まった。前を行くナユカの怒りは継続中。
「ったく、ああいうのはボッコボコにしてやりたい!」
こっちもまたボッコボコか……。なだめるリンディ。
「いや、それはちょっと……」
このスポーツ娘の身体能力だと、かなりひどいことになりそう。
「わかってます。でも……」ナユカは斜め後ろを振り返る「ねぇ、フィリ……あれ?」
フィリスがいない。
「逃げた?」
リンディも後ろを振り向く。今までのナユカの話……というか、怒りを耳にすれば、逃げたくもなるか……。
「あ」道端にある花壇のブロックにフィリスが腰を預け、うなだれている……。発見したナユカが小走りで向かう。「どうしたの? 具合悪いの?」
「……」
黙ったまま首を振る助手のもとへ、マスターが歩いて近づいてきた。
「ちょっとしたメンタルブロウってやつ? 精神攻撃を受けたからね」
「え? 攻撃されたんですか? いつ? どこで? 魔法ですよね?」
結果的に攻撃した張本人に、その認識はない。
「魔法はありえないんだけど……」横の異世界人を見て、にやっと笑う。「まぁ、すぐ治るよ」
「そうなんですか? ならいい……」
ほっとしかけたナユカに、リンディから悪いお知らせ。
「でも、もしかすると長引くかも。下手すると一生……」
「ええ! どうするんですか、どうしましょう。お医者……は、本人か。薬は……」
あたふたする異世界人を治めるべく、穴があったら入りたい気分を抑えて、医師が声を絞り出す。
「大丈夫……今、解決する……」
「え?」
聞き返したナユカを、フィリスが見上げる。
「ごめんなさい、わたしが覗き魔です」
「は?」
意味がわからない。そんなナユカを見つめるフィリス。
「わたしをボッコボコにして……気が済むまで……」
「おかしいですよ、やっぱり」
ナユカに耳打ちされたリンディがうなずく。
「おかしいよね、いろんな意味で」
「他のお医者さん、呼びましょう……魔法省に戻って。オイシャノ先生とか……」その妙な名前の医師は、フィリス不在時のナユカ担当医師。成り行きで、彼女に魔法が効かないことまで知っており、それなりに信頼できる。「ターシャさんとか」
「いや、あれは医者じゃないでしょ」リンディの苦手な科学者の名前を出されては、傍観して楽しんでいるわけにもいかない。「説明するよ。実は……」
「あ、ちょっと! ちょっと待ってください」罪人本人が腰を上げた。「わたしが……自分で……」
「あ、そう? じゃ、どうぞ」
リンディからあっさりと譲られた。もう少し粘ってくれてもよかったのに……。告白者の心の準備はまだ。
「えーと……ちょっと待ってくださいね……ちょっと……」
しばし待つ……さらに待つ……追加して待つ……始まらない。リンディは焦れた。
「じゃ、行こうか」
歩き出したので、ナユカが後を追う。
「……いいんですか?」
「……ちょっと、待って」先へ進んでゆくふたりを呼び止めながら、フィリスは小走りで追いつき、追い越して前に立ちはだかる。「今、話すから」
「……別に、話したくないなら無理しないでいいよ」
実際、ナユカはそう思っているが、罪人は疑っている。
「でも、リンディさんから聞くでしょ?」
「……だったら?」
低い声が返ってきた。本当に、自分から聞くつもりはないのだろう……。同居している友人を信用しなかったことを、フィリスは反省。
「……ごめんなさい……本当に、今から話します」
三人は手近にあった公園へ移動し、ベンチに腰をかける。
放っておくとこのセデイト研修に差し障るので、助手が自分から話さなければ、マスターが勝手に研修時の護衛対象に話していたが、今度こそ本人が、件の罪状をしっかり自供し始めた。その間、ナユカは黙って耳を傾けていたため、どちらかというと笑い話という認識だったリンディも、さすがに空気の重さを感じ、話が終わる直前で割って入る。
「まぁ、そんなわけだから、ボッコボコにするのは許してあげたら?」
覗きの被害者だったかもしれない筋力女子が、口を開く。
「ボッコボコになんてしませんよ」
「じゃ、ボコボコにするんだ?」
「……どこか違うんですか? それ」
異世界人には微妙過ぎるニュアンスの違いだ。
「でも、ボコるんでしょ? 言ったじゃない」
覗きクラスメートに言及したときの、あの握り締められた拳が、リンディの目に焼きついている。
「言いましたけど……しませんって」
「ポコくらいはするでしょ?」
「ま、そのくらいはしてもいいですけど」
間に挟まれて針のむしろに座っているその対象に、リンディが声をかける。
「よかったね、フィリス。ポコで済むって」
「ていうか、なにもしません」
ナユカは完全否定した。
「ふーん……心が広いんだ?」
本人がフィリスに覗かれたわけじゃないしな……まぁ、その場合は女同士だから、別に覗かれてもいいか……。
「いえ……実は、そういうわけではなく……」
「え」心が広くないのなら……。リンディは、おののく振り。「まさか……もっとひどい制裁を……」
「違います」ナユカは言下に否定。「その……」
なぜか、言いよどんでいるので、悪乗りするリンディ。
「なに? もしかして、これから一生ちくちくと精神攻撃するとか?」
「!」
黙ったままうなだれていたフィリスは顔を上げ、隣のナユカに向く。
「しません。ていうか、できませんよ。魔法でしょう?」
魔法を無効化する異世界人に、魔導士が答える。
「魔法? いや、そうじゃなくて……物理」
「物理?」
異邦人もこの単語は知っているが……。精神攻撃なのに?
「口と舌を使った物理攻撃ね。つまり、言葉責め」物理による精神攻撃だ。「事あるごとに、ねちねちと皮肉や嫌味を言うとか、何度も何度も蒸し返すとか……」
リンディの説明を聞いている間、フィリスの顔色は青ざめ、その口は少し開いたまま凍りつく。まだボコられたほうがいい……。一時的な肉体的損傷はヒーリングで癒せるが、長期に渡って精神的にいたぶられるのは……きつ過ぎる……。
「わたしが、そんなに陰湿に見えますか?」
同居人とマスターの間で、目線を落としたまま黙って首を振る助手。
「……」
「全然見えないよねぇ」
言った本人のとぼけた口調で、ナユカは脱力し、仕切りなおす。
「……実はですね……話を聞いて……」もう、ここは思い切る。「わたしもやっちゃったんじゃないかと、思って」
早口で言い切った。……なんのこっちゃ。リンディの思考はいったん停止。
「……は?」
「……!」
フィリスの視線は再び上がり、隣へ。
「つまり……穴から……」
そこで、ナユカは次の言葉をためらう……。それでも、リンディにはようやくわかった。
「覗いた?」
「ええ……」声を張り上げるスポーツ女子。「だって、筋肉ですよ! 見たいでしょうが!」
「!」
黙したまま、フィリスは大きくうなずいた。
「……はぁ」筋肉はどうでもいい残りの一名は、ため息。なんで、こいつらはこんなに筋肉にこだわる? 筋肉がらみなら何でも許されるとでも? 自分にはわからない……。「もう、勝手にして……。でもね!」
きっと視線を向けられて、居住まいを正す筋肉好きふたり。
「はい」
「やったら、あたしが捕まえるからね!」
このマスターらしからぬ強めの口調に、助手は頭を垂れる。
「そのときは、ご厄介になります……」
「わたしも……」
まじめなナユカも追随したので、リンディは呆れる……。そういうことじゃないでしょ、やるなって意味だってば。面倒だから、いちいちそんな説明はしないけど……わかってるはずだよね……たぶん。一抹の不安を残しつつも、号令を掛ける。
「じゃ、行くよ」
ベンチから腰を上げ、ようやく、三人は先へ進む。のっけからなんだか疲れが出た一同は、しばらく黙っていたが……やがてナユカが口を開く。
「あの……リンディさんは……」
「なに?」
「筋肉とか、全然興味ないんですか?」
「あのねぇ……」蒸し返さないでくれる? 「ないよ」
非筋肉好きは、にべなく否定した。これで話は終わるだろう。
「では、どこに興味が……?」
終わらない……。筋肉スレンダーが続けてきた。
「どこと聞かれてもね……」
食材の部位なら、あるけど……。というのが、食道楽の脳内。
「ないんですか?」
粘るナユカに、自省として今は少し控えめにしているフィリスが加わる。
「もしかして、体の一部じゃなくて……全体とか……? 太めが好きとか」
食通が思い浮かべるのは、脂の乗った魚……だが、その話じゃないことはわかっている。
「……なんであたしが、そんなの好きなのさ」
「それじゃ、細め」
デブ専ではないと受け取ったスレンダー。いい加減、リンディはうんざり。
「……あのねぇ」
「でも、それだと筋肉になりますよね?」
筋肉スレンダーからの筋肉ごり押し……でも、魔導士はそれでは押されない。
「はあ?」
イケメンマッチョ紳士好きが加わる。
「中間は筋肉……」
「なんでそうなる?」
非筋肉趣味に、筋トレ趣味が確認。
「嫌いですか? 筋肉」
「いや、別に嫌いではないけど」
筋肉無関心を、筋肉長身が引き込もうとする。
「それなら、やっぱり……」
「隠さなくても……。わたしたちも同じですから」
筋肉嗜好医師から同類にされ、非筋肉志向魔導士が反論。
「隠してないし」
「隠してないんですか?」
「隠してないよ」
「ということは……」
スポーツ筋肉が勝どきを上げる。
「やっぱり筋肉好きなんだ!」
「は? いや……」
否定しようとする非スポーツ非筋肉系を、非スポーツ筋肉好きがさえぎる。
「でも……隠してないなら、筋肉好きってことですよね?」
「え? あれ?」
「そうですよ」
筋肉好きヒーラーが押し込んでくる。
「そうなる……?」
なんだか、そんなような気がしてきた……まるで、魔法のよう……いや、やはりロジックがおかしい。非筋肉セデイターは、言葉の論理を整理中。
「ついに、リンディさんが……」
喜びの筋肉結界破壊士がその先を続ける前に、当人は整理終了。これで筋肉から解放される……。
「つまり、あたしは自分が筋肉好きじゃないのを隠してないだけだ」
「……あぁ」ナユカはがっかり。「やっぱり違うみたいですね……」
「初めからそう言ってたはず……」
そんなことで落胆されても……。なんだかこっちが悪いみたいだ。だからといって筋肉好きにはならないけど。
「わかりました……残念ですけど」
「あ……うん」
なんで残念なんだろう? この筋肉スレンダーは。
「一緒にトレーニングできるかな、と思ったんですけど」
あ、そういうこと。……それはない。残念でいい。残念で助かった。
「ほんと、残念だねぇ」
「では、トレーニングはフィリリンと一緒に……」
特訓好きはターゲット変更。
「へ?」
標的のフィリスと、ロックオンしたナユカの筋肉好きは、その方向性がまったく違う。
「サンドラさんが教えてくれるから」
「……ご愁傷様」
リンディは心の中で合掌するのみ。
「いえ、わたしは……見るだけで……」
イケメンマッチョ紳士中毒は、鑑賞専門。それも男のみ。
「見るだけじゃ鍛えられないよ」
スポーツ女子は、つけるほう込みの本格派。前者は逃げる。
「いえ……そういうことじゃなくて……」
「やりなよ。筋肉好きなんでしょ? 見てるだけじゃねぇ……ちょっと……『あいつ』みたいじゃない?」
リンディが伏字で含みを持たせているそれは……なんとなくわかるものの、フィリスはつい聞き返す。
「『あいつ』?」
「これから相手する、覗……」
マスターにそれ以上は言葉にして欲しくない助手が、声を張り上げる。
「や、やります! トレーニングします」
「……ほんとに?」ナユカにとっても、この発言は意外だ。「やったぁ!」
ガッツポーズが出た。……やる気だ、やらせる気だ。
「やるよ。だって、これは……」フィリスはつぶやく。「罰なのだから……」
覗きの代償は高くついた……。その時、筋肉は悲鳴を上げるだろう。




