5-2 覗き経験と作戦
小部屋に籠もったリンディとフィリスは、もう一度、端末で例の「加速痴漢」の情報を集めてみたものの、先に見た以上のものを得ることができない。そればかりか、消息がロストしている。隣町を出て、こちらへ向かっていたはずなのだが……戻ったという知らせもない。おそらく、痴漢についての情報など、相当悪質でない限り、情報筋も気に留めていないのだろう。回数はともあれ、せいぜい「覗き」程度のこの痴漢など、思いっきりスルーされていると思われる。
基本的に街を中心とする単位で活動する警察は、広域の犯罪に対しては、組織犯罪や重大犯罪の場合などでなければ、相互に連携をとることはあまりない。移動する犯罪者に関しては、むしろ、バウンティハンターのネットワークのほうが柔軟に対応できる点で優れているのだが、痴漢が一般バウンティハンター向けの賞金首になることは、まずないと見ていい。よほどのことでなければたいした賞金は出ないし、明白な暴力犯罪者などと違って、手荒な対応はできず、荒くれ者が多い賞金稼ぎたちが怪我でもさせれば、後で逆に訴えられることにもなりかねないからだ。いずれにせよ、「移動する覗き魔」なんぞは、捕物筋からすれば、問題外である。したがって、奴がこの街で覗き行為に耽り、誰かに目撃されるまでは、誰も動くことはないだろう。
セデイターがそう話したところ、助手はご立腹だ。
「なんですか、それ。それじゃ、黙って見てろってことですか?」
「まぁ、今回は都合よくセデイト対象になってるから……」本当に都合いいな……。「あたしたちが動くことになるわけ」
「やりましょう、マスター! 打倒、覗き魔!」フィリスが拳を上げる。「倒せ! 女の敵!」
「ああ……うん」なんか、気合入ってるんですけど……。「で……どうすればいいんだろ?」
マスターが見るからにノープランで、助手はがっくり。
「どうすればって……わからないんですか?」
「だって、やったことないもん」覗き魔を捕まえるなんてのは、セデイターの仕事ではない。もしかして、フィリスはあるのだろうか? 「……ないよね?」
「……え」低い声を出し、一瞬固まる。「な……ないです」
なんだか、ありそうな雰囲気が……。
「ほんとに、ないの? 寮生活してたときとか、なかった?」
リンディも短期間だけ経験があるが、学生時代のフィリスは寮住まいが長かったそうだ。
「……あります……すみません」
「そう。それじゃ……」
なんか参考になるかな……。その先を聞こうとしたところ、参考人が声を上げる。
「でも! あれは……わたしの意志ではなく……友だちが……」
「友だちの作戦なの?」
「……作戦っていうか、友だちが……見られるって言うから……」
話が見えないセデイター。
「……なにを?」
「きん……ま……」
参考人の声が小さくて、聞き取れない。
「え?」
「筋肉です! マッチョです!」
フィリスが突然叫んだ。またこのパターン……。でも、リンディには意味がまったくわからない。
「……は?」
「だって……筋肉がどうたらこうたらって言ってきて、ついて行ったら……穴があって……」
「……」
話の方向性をロストした聞き手は無言。
「覗いたら、男子更衣室で……」
「……あ」やっとわかった。「つまり、あんたが覗きをやったって話?」
覗きを捕まえる話ではないと。
「はい……だって、知らなかったんです」
「あー、はいはい」
もうなんでもいい……面倒。マスターのおざなりな相槌を疑念と捉えた助手は、あっさり自供する。
「……嘘です……穴を見たときには、気づきました……どういうことか……。でも、穴ですよ! あったら覗くでしょうが!」
「まぁ……ねぇ……」
ものによる。
「リンディさんだって、覗きます! 絶対!」
「……あたしは別に、マッチョ好きじゃないから」
筋肉のなにがおもしろい?
「じゃあ……穴の先に高級グルメがあったらどうします? 覗くでしょ?」
「そりゃ覗くけど」
食通なら当然。
「ほら、覗くじゃないですか! ほら、ほら!」
「でも、意味が違うじゃないの。それは別に犯罪じゃないよね?」
フィリスへ一撃が入った。
「……そうですよね……わたしのは犯罪ですよね……わたしは犯罪者です……」うなだれる覗き犯。「でも、出来心だったんです……あんなことしたのは、あれ一回きりで……信じてください!」
あー、やっぱりめんどくさい。
「はいはい」
「……信じてませんね?」
「信じるってば。それに、もう時効だよ」
覗きに詳しくないから知らないけど……たぶん。
「そうでしょうか……」
「まぁ、罪の償いとして、今回、覗き魔を捕まえれば……あ」リンディはポンと手を叩く。「……それで、やる気になってた?」
「いえ……そういうわけではなかったんですが……」そこまで生真面目ではないフィリスだが、事が露見したからには……。「そうします! やります! 罪を償います!」
「……んじゃ、まぁ……本題に入ろうか」その前なのに疲れた……。この話はもう引っ張りたくない。「とりあえず……奴がこの街へ向かっているか、すでに入っているとして……」
このセデイト対象者に関する情報が一時的に途絶えただけだとリンディは仮定し、対策を練ることにする。
「もう街に入っているんですか!」
フィリスの声が上昇。
「前の情報から計算すれば、それも……」
なくはない。
「じゃ、もうやってるかもしれないじゃないですか!」
「まぁ……ね」覗き魔の行動など、さっぱりわからない。「だから……」
「早く捕まえに行きましょう!」
勢い込んで立ち上がる助手に、マスターが尋ねる。
「……どこへ?」
「決まってるじゃないですか。覗き魔が立ち回りそうなところです。公衆浴場とか、更衣室とか……」
「あのねぇ……浴場はともかく、更衣室なんて……どんだけあると思ってんのさ?」
「全部回ります」
「無茶言わないで」
それじゃ、まるでこっちが覗き魔だ。
「でも……」
「とりあえず、浴場には行く」
そんなに軒数はない。
「……まさか、マスターがおとりに?」
完璧ボディがおとりになれば、目を奪われた覗き犯を捕まえられる……などという助手の考えは、本人から真っ向否定される。
「んなわけあるか!」
「でも、わたしでは……たぶん無理……」うなだれて自分の体を見回しながら、フィリスはため息をつく。「はぁ」
「だから、おとりなんていらないでしょうが」風呂には誰か入ってるんだから。「見回りをするだけ」
「なんだ……それだけ……」
助手は不満らしい……。よって、マスターとして、いちおうは説明を付け足しておく。
「あと……浴場の責任者に声を掛けて、事前に注意喚起しておけば、見つけるかもしれないでしょ? なにかあったら、こっちに連絡するように言っておく」
「それから?」
「待つ」
「それで?」
「もうない」
「はあ……そうですか……」
あからさまにがっかりした助手へ、マスターが噛みつく。
「他にあるの? ないでしょ?」
「ですから、マスターをおとりに……」
「怒るよ」
「いえ、マスターでなくてもいいんです……マスターがベストですけど」
「しつこいな」
不機嫌になったリンディ……。なだめるように、フィリスが頼む。
「あの……聞くだけ聞いてもらえますか? お願いします」
「……まぁ、聞くだけなら」
いちおうプランはありそう……たぶん、ろくでもないのが。
「つまりですね……とある時間のとある浴場に、絶世の美女が入りに来るっていう噂を流すんです。そこへまんまと覗きに来たところをボッコボコに……」
ヒーラーの言うことじゃない。
「『ボッコボコに』じゃなくて、セデイトね」
監督責任者がわざわざ訂正したところ、少し間が空く。
「……そうでしたね」イケメン好きの感情としてはボッコボコにしたいが、そうはいかないのはわかっている。「それで、どうでしょう」
「……で、その覗かれる被害者は誰がやるのさ」
リンディの冷ややかな視線と目が合う……前に、その視線が鋭くなるのを感じ、フィリスは目をそらす。
「それは……どうしましょう」
「……まぁ、でも……噂だけ流せばいいのか」
もしかして、作戦採用の方向? 助手は膝を打つ。
「あ、そうです」今さらながら気づいた。「実際にいなくてもいいんです」
「その時間は誰も浴室へ入れないようにして……」問題は……。「浴場が協力してくれるかなぁ……?」
こんなオペレーションに協力するメリットってなんだろう……。こういう交渉はリンディの専門外だ。
「だといいんですけど……。それで、噂ってどうやって流すんですか?」
「はあ?」マスターは、発案者を斜に見る。「自分の案でしょ?」
「いや……やったことないので」
医師の仕事ではない。
「こっちだってないよ」
セデイターの仕事でもない。
「……ですよねぇ」
腕組みしながら視線を落とす発案者。こういう困ったときのリンディの案は……。
「……しょーがないから……サンディに頼めば、なんとかするんじゃない?」
助手が顔を上げる。
「頼んでもらえるんですか?」
「あたしじゃなくて、フィリスがね」
「わたしが頼むより……ここはやっぱり、いつもわがままを聞いてもらえるリンディさんが……」
フィリスにはそう映っていても、本人にそういう自覚はない。
「は? 聞いてもらってないけど」
「いえいえ、そこはそれ……」
頼んで欲しい助手を、リンディは突っぱねる。
「あたしはいや」この罠に乗り気なわけではない。「自分の作戦なら、自分で頼んで」
「そう……ですね……」
課長に採用してもらえるか……フィリスにはあまり自信がない。
「あたしのじゃなくて、研修している当人の策なんだから、なんとかするんじゃない?」
「……そうでしょうか?」
「とりあえず、外に出よう。いるでしょ」
いったん小部屋を出たふたりは、まだ課内にいたサンドラを連れて、また密談室へ戻った。
「じゃ、話して」
マスターに背中を押された助手が、自分の発案を九課課長に説明し、協力を仰ぐ……。
「おもしろそうじゃない。やろう、やろう」
サンドラは乗り気だ……。マジかという表情のリンディ。マスターの気乗りしない反応をこれまで見せられてきた発案者自身にとっても、驚きだ。
「うまくいくでしょうか?」
「さあ? どうだか」
課長の御墨付きなし。聞き返すフィリス。
「え?」
「いいのいいの、おもしろそうだから」
いい加減なサンドラへ、リンディが突っ込む。
「自分の遊びになってるよ。……ミレットに言いつけてやろうかな」
「でも、おとりはやっぱり、リンディに一肌脱い……」
「あのね」
完璧ボディの冷たい目。
「冗談だよ。そんなことはさせないって。……てことで、わたしがやろうか、その『絶世の美女』」
手を挙げた筋肉に、戸惑う発案者。
「いえ……あの……それは……」どう断ろうか……。「サンドラさんは……あー……には、旦那さんがいらっしゃいますし……そういうのはちょっと……」
冗談に本気で返されると、本人としては複雑だ。
「まじめに反応しないでくれる?」
「筋肉好きが覗きに来るよ。ユーカとか」
冗談に乗っかったリンディへ、サンドラは告白。
「ユーカには、よく見られてるよ」
「え」フィリスは絶句。「いつの間にそんな関係に……」
「いや、トレーニングの後だってば。シャワー室で筋肉談義とか」
この筋肉たちは……。リンディは呆れる。
「どんだけ筋肉好きだ」
「……ユーカにも困ったものです」
フィリスは首を横に振っているが……。
「いや、それを……」
あんたが言うかと突っ込みたいリンディだが、やめておく。純粋に筋肉好きなナユカと、イケメンマッチョ紳士好きは違う。どっちが厄介なのか……議論するのは無意味だ。
「ともかく、わたしが脱いでも筋肉好きしか集まらないから……さ」もとより冗談でも、自分で言いながらサンドラは虚しくなる。「最初のプランどおり、おとりはいらないでしょ。来たら捕まえればいいだけ」
「ですよね」
作戦の発案者は、力強くうなずいた。
「で、必要な程度に噂が広まるには、日がかかる。場合によるけど、今回は一週間くらいかなぁ」
誰もが知っているほどまでに広まる必要はない。要は、覗きの常習犯に届けばいい。というのが、九課課長の目算だ。
「早いような、遅いような……」
早く捕らえたいフィリスには、遅く感じる。そんな助手の気が急くと、こっちが落ち着かなくなるので、マスターは適当に言っておく。
「早いんじゃない? ……たぶん」
「わざわざこの街へ覗きをしに来るやつがターゲットだから、早めに情報に食いつくはず」
サンドラの見立ての方は理に適っており、フィリスは納得。
「なるほど……」
「もちろん、その前にセデイトしちゃってもいいけど」
課長の言うそれが、この研修の本旨である。セデイターもそのつもり。
「見つかればね」
「じゃ、準備に行ってくる」
サンドラは腰を上げる。やる気満々で始動。
「まぁ、頼んだ」
リンディは座ったまま見上げ、フィリスは立ち上がる。
「お願いします」
「任せて」
課長は大股で小部屋を後にした。
再び、密談部屋はふたり。立って課長を見送っていた助手は、席に着く。
「詳細を詰めないでいいんでしょうか?」
「いいんじゃない、任せておけば。うまくやるよ」
馴れっこのリンディに、フィリスは微笑む。
「信頼してるんですね」
「……ていうか……うちらの得意分野じゃないから、任せたほうがいいでしょ」
そう簡単にはデレない。
「で……わたしたちはどうします?」
「適当に見回りしながら情報収集」
アバウトだが、そんなとこ。
「それから?」
「……だから、おとり作戦があるでしょ。それを待つ。いいね?」
助手には、もう少し落ち着いてもらいたい。
「……承知しました」
いまひとつ納得をしていない雰囲気なので、リンディは付け加えておく。
「地道なんだよ、この仕事は」
「……思ってたよりも、そうみたいですね」
保健系だとは認識しているものの、フィリスにとってのセデイターは、戦闘職のイメージが強かった。以前、同行していたセデイト対象者の魔導士ニーナに、度々戦闘を仕掛けてくる相手だったのがその原因だろう。リンディ以外は撃退されたが。
「だから、暴走しないでね」
マスターの念頭にあるのは、もちろん、先日のセデイトのことだ。あの時は暴走が役立ったとはいえ、通常、そう都合よくはいかない。
「は……はい……」釘を刺された助手は、自分自身にそれを言い聞かせたい。「わかりました」
「そういえば……もうサンディから大笑いされた?」
今日、リンディより先に、フィリスは九課へ来ていた。
「え?」セデイト時の顛末は、爆笑に値するはず……なのに。「いえ……その話題は特に……。労いの言葉を受けただけで」
挨拶したあとに。
「そうなの? 変だなぁ……」
あの筋肉らしくない……。
「あれ? わたしは、マスターが気を遣って、うまく報告してくれたものとばかり……」
「いや、きっちり書いたよ……詳細を」
笑いながら書いた。面倒な報告書作成にしては、まれな楽しさだった。
「……ひどいです」
「そう言われてもね……」研修の監督をする立場でいい加減な報告をするわけにもいかない……というのが、建前。書くのがおもしろくて筆が乗ったというのが、事実。「まぁ、あっちは気を遣ったのかも」
「そうでしょうか……マスターと違って」
なんか、ちくちく刺してくるな……。
「あー、そうそう……あたしと違ってね。……よかったじゃない?」
「そうですね」
皮肉をそのまま肯定した。「活躍」した時のことがフラッシュバックして、そちらに気を取られていたフィリスは、リンディの発言の最後の部分について同意しただけ。ただ、言われたほうには、そうは聞こえない。
「ああ?」
マスターの気に障っても、助手は上の空。
「……あの件は……できるだけ記憶に留めないようにします」
「……いや、忘れてられても困るんだけど」それだと、学習にならず、また似たようなことをやらかしかねない。少なくともセデイトに同行している間は、あれの繰り返しは御免被りたい。「……研修なんだから」
「大丈夫ですよ、忘れられそうにないですから」
自虐的な笑みをこぼすフィリス……。
「それはよかった……いや、よくないんだろうけど……よかった」リンディにとっては。ともかく、本人の記憶には焼きついているようなので、もう触れないほうがよさそう。「じゃ、まぁ……見回りに出ようか」




