第23話 「7月上旬の日常」2
■ 古屋雄太
風だ。風が吹いている。街に、そして僕の心に。
自由って何だろう? 鎖につながれているわけでもないのに、僕は今、引きずられている。
放課後、わざわざ駅前の商店街にまで来て、ブラブラしている連中がいる。そして僕は、その連中の背中を眺めながら、ぼんやり歩いている。
「帰宅部には二種類のスタイルがある」今枝が言う。「一つは帰宅までの速さを競うもの。そしてもう一つは帰宅までの豊かさを競うものだ。オレたちはどっちだ?」
「決まってる」長峰が受ける。「帰宅までの豊かさ。これこそ、俺たちの追い求めているものだ」
「そーだね」最後に末松が続く。「でも間食ばっかだと太っちゃう」
「とにかく、オレたちは帰宅までの道のりで何かを見つける。人生を豊かにするための何かをね」話をまとめる今枝。「そしてオレたちには顧問もいる。イインチョだ」
三人が僕を振り返った。こういうとき、どういう顔をするべきなのか、いまだに分からない。
「ところで……」と長峰が言う。「今枝、なんでお前、今日そんなにテンション高いんだよ? なんかイイコトあった?」
今の今まで、今枝のノリに乗っていた長峰が、急に素に戻っている。
「決まってるじゃあん!」と末松。「今朝、ふんわりいい匂いのするシュウちゃんの青春代表『とーこちゃん』に『おはよ……』って言われたからだよ!」
「え? それだけで? とーこちゃんヤバいな。アップ系のクスリかよ……」
「うるせーぞフトシィ! あと大地ィ、人様を違法ドラッグに例えんのやめろ!」
あ~、なんだろう。死にたい。
そういえば昨日、父親が歌舞伎役者のドキュメンタリー番組を見ていた。
『舞台の上にいる自分と、それを観客席から見ている自分。ようやく最近、そういうことができるようになったかな、と』
だったら僕はどうだろう? あの曲がり角のところにもう一人の僕が立っているとして。きっとその僕はこんな光景を見ている。
それぞれの高校の制服を着た大小さまざまの集団が、商店街の通りを流れてゆく。そしてその中に新百合ヶ丘高校の制服を着た四人組がいる。中学生のように騒がしく、中学生のように小柄な男、今枝。のほほんとしてそうな小太りだが、言葉にときおり毒が混じる男、末松。真顔だとマジメそうだが、表情が常に軽薄な男、長峰。そして、そんな三人の持つ見えない鎖に引きずられて、散歩を嫌がる犬みたいになっている、僕。
やがて頭上から七夕飾りが垂れ下がり、笹の枝に色とりどりの短冊がぶら下がっている一角にたどりついた。そういえば、今日は七夕だった。短冊には、どこかの幼稚園や小学校の児童が、たどたどしい文字で願い事を書いている。向こうに願い事を書くコーナーが見えた。細長い机の上に、短冊と筆ペンとが置かれているようだ。と、そこで願い事を書いている人たちの中に……よく見知った顔を見つけた。いや、見つけてしまった。
今日も学校では、ポニーテールを揺らして、さっそうと歩いていた神山が、今は書き上げた願い事を自分の胸に隠すように抱いて、おどおどと周りを見回し、そして、迷いながら戸惑いながら笹の枝に短冊を結び付けようとしていた。
目をそらすべきだとわかっていた。でも、その表情の特異さがひっかかっていた。
やがて結び終えた神山が、知り合いがいないのを確かめるようにきょろきょろと周囲を見回して、そしてなぜか、よりにもよって、こっちに向かって歩いてくる。
「どしたの~?」
僕の歩みが遅くなっていたのか、遅れた僕のところに末松がやってくる。そして僕の視線の先を見た。
「あれ? あれってしらゆきちゃんじゃない?」
「お」
「ほんとだ」
にやけた笑みを交換し、連中は小走りで神山との距離を詰めていく。そしてそれを……僕も追いかけるハメになる。
「ヘイ、カノジョォ!」
長峰に声をかけられた神山は、一瞬あきらかにギクリとしていた。
「今ひとりぃ?」
「え~、なんですか~?」しかし、瞬時に立ち直る。「ナンパ? 困るぅ~」
そしていつもの茶番が展開される。
「てか、あんたら何してんの? 帰宅部でしょ?」
「ちがうよね」末松も話に入っていく。「逆に帰宅部だからだよ」
「そういうこと」今枝がなぜかスカした感じになっている。「刻々と移り行くこのまちの印象を心に刻み込んでんだ。だってよ……オレたち、ずっとこのまちで生きてくんだから……」
「さっすがシュウちゃん。なぜかポエミーだね」
「なぜか言うな」
「で? しらゆきは何してんの? 部活は?」
「今日はお休み! だからあたし、ちょっと旅に出てみたんだ!」
「旅ぃ?」
「そ! ちょっと『遠距離恋愛』な気分になりたくてさ!」
「んだそりゃ?」
「ねえねえ、とりあえずさぁ」末松が言う。「モッシュバーガー行っとかなぁい?」
「え!? おごり!? おごりだよね!?」
神山がわかりやすく媚びをふりまく。
「あったりまえじゃ~ん!」末松が今枝の肩を叩いた。「ね、シュウちゃん!」
「え、オレ!?」
◇ 今枝修一
なんつーか……何気に初めてなんだが? 女子といっしょにモッシュするの。ちょうど五人掛けの席が空いてて、イインチョはもちろん、議長席。オレとふとしがとなり同士、そしてその向かいに神山と大地が並んで座る。なんとなくでオレが神山の真向かいの席になっちまったぞ!? いや、別に? 別に意識してるわけじゃねーからな!? あ、そうそう! このオニオンリング!! これがモッシュなんだよな!!
「で、最近どーよ?」
大地が神山に話ふってる。女子相手でもまったくビビらない。それが大地のスゲーとこなんだ。
「うわ、ざっつ! 話のフリ、めっちゃ雑じゃぁん! ま、フツーだけど?」
「そーいえば、ボクらこのまえ、とーこちゃんと文芸部の先輩と一緒に『お茶』したんだけど」
いや、なにげにふとしもビビらねーんだよな……。
「あ~、聞いてる聞いてる! ひなた先輩でしょ?」
「そ。文芸部の甘々先輩」
「あ、甘々先輩? いや、まあ、そー呼ばれてもしょうがないけど……」
「イインチョは『大臣くん』ってあだ名つけられてたな、そーいや」
「あはっ、よかったじゃんっ! じゃあいつか登場しちゃうかもね、ルルック王国に!」
「よかったね、委員長っ! あ、シュウちゃん、もしかしてうらやましい?」
「なに言ってんだよ、ふとし……」
「それ、俺がいなかったときじゃん」そういや大地、バイトだったよな。「文芸部の甘々先輩って?」
説明? そんなものは一言ですむ。
「その人がしゃべるとよ、オレたちの口から砂糖が吹き出る。そういう御方だよ」
「わけわかんねえんだが? おい、しらゆき、文芸部だろ? 俺にもイメージ作れるように『描写』してみてくれよ」
「え~と、ん~、栗色の髪にぃ、優しげなひとみ、ゆめみるような口もと……」
「なんだ? 天使か何かか?」
「つーか、文芸部の部誌の表紙に、全員分の似顔絵、あったよな?」
そっちで説明したほうが早え。たしか持ってたよな。カバンの中から文芸部の部誌を取り出してテーブルに置いた。表紙に描かれた五人分の似顔絵。いや、三毛猫も一匹まぎれこんでるけど。で、その中から甘々先輩の似顔絵を指さす。
「この人が牧野ひなた先輩。通称『甘々先輩』だな」
……ん? あれ? なんだ? なんでシーンとしてんだ? え、なんかオレ、引かれてる? ドン引かれてる?
「ごめんね、しらゆきちゃん。シュウちゃんてば、ほんとに文芸部のファンだからさ~。あんまりドン引かないであげてね」
もしかして……ここで文芸部の部誌を取り出せるオレ、ヤバい?
「あ、そ、そっかぁ! てか別にドン引いてないけどっ!? ちょっとびっくりしただけっ! あ、でも、ねえ、もしかして……」
「ん?」
「あ、いーや、なんでもない……」
なんでもなくないだろ、何かあるなら言えよ……。
「甘々先輩に部活勧誘されて、ちょっとその気になっちゃったんだよね、シュウちゃんっ」
「なってねえよ!」
「ほんとにぃ?」神山がかばんからケータイを取り出す。「よかったら美夜子部長に電話してあげよっか?」
「せんでいいッ!」
「えっへっへ。まあ、あたしたちとお近づきになりたくなったら、いつでも言ってね」
「『お近づき』!? それ甘々先輩と同じこと言ってるゥ!」
「え、そう? まぁこう見えて、あたしはひなた先輩の弟子!だからねっ!」
「おいおい、じゃあ、おまえも、いつか『あんなふう』になっちまうのかよ?」
「『あんなふう』言うなっ!」
「てか文芸部っていま何してんの? 読書して? ハナシ書いて?」
「あと議論もしてるよっ!」
「ギロン?」
「そっ! たとえば、昨日は七夕イブだったでしょ? だから遠距離恋愛について議論したんだよね」
「なんそれ、くわしく」
「遠距離恋愛する人の気持ちってどんな感じだろ~とか、もし自分が遠距離恋愛することになったらどうしよう~とか」
「ヤバ……録画した?」
「してないけど?」
「じゃあ、とーこちゃんはなんて言ってた?」
「大地コラ、下心しかないでしょ? いーい? そーゆーのは言えないの! 議論の内容はね、部室の外に出さないって決まりなんだから!」そこらへんしっかりしてんな。「どうしても知りたいなら、入部するしかないよっ? ねっ、修一!」
「あ、シュウちゃん、入る?」
「入んねーーよ!!」
「じゃあさぁ、おまえ、とーこちゃんの好きなタイプとか知らねえの?」
「と、とーこの好きなタイプぅ? えっと……」
え? それは言えんのか?
「ま、まあ、あんまりそうゆうハナシしたことないけど……。でも『しらゆきが男の子だったらな~』みたいなことは……」
「言われたんか!?」
「言われたってゆうか……まあ、なんてゆうか、話の流れでそれっぽいカンジのことは……」
神山……なんでそんな嬉しそうなんだ? いや、当たり前か。友だちにそういうこと言われたらな。
「どーなってんだ? お前、リカコとも仲いいし、新百合ヶ丘一年・二大美女に挟まれてんのかよ……」
「挟まれるってなんだよ!?」
「両手に花?」
「いや、あのさあ、そうゆう格付け?するのってダメだかんね? 女子はドン引きよ?」
「悲しいよね~。でもそれが男なんだよ。ついでに言っとくと、純情な恋心とドス黒い肉欲が両立したりもする……」
「こら武ィ!! あたし!! おんな!! なんであたしの前でそんな話できんのっ!?」
「いやあ、知っといて欲しかったからさ~、男の現実ってヤツをね」
「そうゆうこと。お前もそろそろ、そういうの知っとかねえとな」
「お前ら……。あ~あ、言ってやろ! みぃんなに言ってやろ! あいつらそ~ゆ~話してるって!」
「やめてね? 教室に居場所がなくなっちゃう!」
「ちなみにとーこがさぁ、付き合ったらすることって聞かれて、なんて答えたか、知ってんの?」
「『結婚』だろ? 藤沢に聞いた」
「そうそれっ! とーこはさ、ちょっと高校時代の思い出が作りたいって人には向かないかもね~」
「さっすがピュアピュアちゃんだね」
「ほら、お姉さんが高校時代から付き合ってる人と婚約したからさ……って、あ」
「あ、そ~ゆ~ことなんだ?」
「ちょ、ちょっと待って! い、いい、今のナシっ! わ、忘れてっ!」
「なんで?」
「だってほら、あ、あたしがこういう感じで話していいことじゃない、し……」
なんだ? もしかして神山、ショック受けてんのか? 自分がしゃべっちまったことに?
「あーね。でも、俺たちは口が堅い。しゃべるなって言われたことは墓場まで持ってく。だろ?」
「ああ、もちろんだ。だよな、ふとし?」
「うん、そうそう!」
「ほんとだよ!? ちゃんと黙っててよ!?」
めっちゃ詰めてくんな、神山。そんな隠すような話には思えねえけど……。
にしてもよ、付き合ったら結婚かぁ。文村の中では、きっとそれが当たり前なんだ。それはきっと、お姉さんがそうだったから。お姉さんが婚約してる女の子の心の中、文村の心の中にあるものが、ぜんぶぜんぶ、オレにとって神秘のようなもので、いや、でも、だから……なんつーか、惹かれちまうんだろうな。あーあ、オレ、ほんとうに文村のこと……。
「と、とにかく思い出作りがしたいだけのヤツにとーこは渡さないからっ!」
神山、焦りすぎて、なんかヘンなコト言ってんな!?
そんな神山が、ガタンと席を立った。どこにいくんだ? そう聞こうとしてかろうじて思いとどまったオレがいる。セェーフ!!
「お、どこいくんだ?」
堂々と聞いた大地、やばすぎィ!!
「ト・イ・レだ……よッ!」
バシン!
いや、ほんとに仲いいな、神山と大地。オレたちがいなかったら、友だち系カップルに見えてるとこだ。
「やれやれだな」
長峰は神山がテーブルの上に置いていったケータイを見ていた。
「ほんと無防備だよな、こういうとこ」
「おい、やめとけよ?」
ここで紳士代表のオレが止めとく。
「そうだね。でもとーこちゃんのだったら、どーしてたかな?」
「どーもしてねェ~よ!?」
ところで……誰もつっこまねーけど、イインチョはだいじょうぶなのか? なんか目が死んでっし、さっきから何を見てんだ? ……いや、イインチョの視界にだけポップアップしてる何かがあるのかもしれねえ。ま、こうやってツルんでるうちに、いずれオレたちにも見えるようになるだろ……。
『ビリリリリリリリリ!』
「お、誰のだ?」
「しらゆきのだな」
大地が神山のケータイを手に取った。
「『ソーイチロー』」
「だれ? カレシ?」
「いや、弟だ」大地が不敵な笑みを浮かべた。「でも俺、声バレしてるからな~」
大地とふとし、かわした視線。悪寒しかない。
「ようし、ボクが出よう!」
「なに言ってんだオイ! いいわけねえだろ!」
「もしもし。やぁ!」
出やがった! このデブ、出やがった! しかも無駄にかっこいい声出すな!
『あれ? これ、姉ちゃんの携帯じゃ?』
「そう。キミのお姉さんは、いまちょっと席を外していてね。ボクは……」
『えっ、もしかして姉ちゃんのカレシ?』
「……そんなとこだね☆」
そんなわけねえだろ、デブゥ!! 真面目にやれェ!
『あ~、そうだったんだ、やっぱりね!』
「やっぱりって?」
『ゴールデンウィーク前くらいに、姉ちゃんとデートしたでしょ?』
な、なにィ!?
「あ、ああ、うん。そうだねっ」
「あ、あいつぅ、俺たちの知らないとこで何してやがんだぁ!?」
「たらいま~」
ここで戻ってくる神山だが、ふとしが電話してるのに別に違和感ないらしい。もっといろんな可能性を疑うことを覚えねえとな……。
「はいっ、どうぞ!」
「え? な、なんだよ?」
「弟さんからお電話ですっ☆」
「……こ、こらああああ!!!」
ふとしから自分のケータイをひったくり、離れた席までいって電話する神山……。
「だ、だいじょうぶか?」
「だいじょうぶに決まってんだろ? しらゆきだぜ?」
話を終えた神山が戻ってきた。
「よう、なんの電話?」
「たいしたことないよぉ。『帰りに牛乳』レベルの話……」
「ごめんね~。急ぎの用かもって思って~」
ふとし……急ぎでも他人のケータイ出ちゃだめなんだよ!!
「わかってる。首謀者はコイツだよね?」
「そう見えるか?」
いや、そのデブもけっこうノリノリだったが……と、神山がオレを見た。
「い、いや、急で、ちょっと止められなかったっていうか……」
「ちょっとまて! そんなことより!!」コーラを吸い上げた大地が、決然たる調子で「お前、ゴールデンウィーク前にデートしてたって? 誰とだよ!?」
「え、え~?」
「そういうの、俺が知らねえとか、ありえねえだろ!」
「お前はあたしのなんなんだよぉ! 誰だっていいだろぉ!?」
な、なんでそんなうれしそうなんだ、神山は?
「て、てめえっ! デートの部分を否定しろよ!」
「ん~? だってまあ、そうかな~って」
「うおお!? こいつぅッ! しらゆきのくせにぃッ!」
「あっはっは! でもぉ、あれをデートだと思ってたの、あたしだけかも」
「なんだそれ?」
「なんだ? どういうイミ?」
「向こうはさ、フツーにお出かけだって思ってたんじゃないかなぁ?」
「え? うわ! それ! せつな~っ! それ切ないエピソードじゃんっ!?」
「……あれ、大地? なに? 死んでる?」
「し、信じらんねえ……。しらゆきのくせに……」
大地の存在感が白くなってる……。
「えへへ」
神山、ほんとうれしそうだな。つーか、女子の世界やべえな。教室ではぜんぜんそんな感じしないのに、オレの、オレたちの知らないとこで、そんなカンジのやつがいたのかよ……。
「まあまあ、精進したまえよ、キミたち」
「あれ? まてよ?」
「なに? どしたの?」
「ゴールデンウィーク前? そういや、おまえがとーこちゃんとおでかけして、デートとか言いながら俺がバイトしてるコンビニに寄ったのって、たしかそんくらいだったよな?」
大地の目が輝いた。
「そーだ、そーだろ!? ゴールデンウィーク前だそれ! おい、しらゆき! おまえ、まさか!?」
「あー、あはは……」
神山がちょっと追い詰められた感じになってる。
「とーこちゃんとおでかけしたの、見栄張ってデートとか言ってたんじゃねえだろうなっ!?」
「……あ~もう、うるさいなぁっ! そんなのいちいち気付かなくていいってば!」
「ほ~~っ、あ~~、ほっとしたぜ~~。しらゆきがまだ俺のよく知ってるしらゆきで……」
「そんなことに、いちいち安心すんなぁっ!」
「ふ~~、やれやれ。これで俺も心置きなくバイトにいけるぜ」
「お、コンビニ?」
「そ」
「もうそんな時間か~」
「じゃ、撤収すっか?」
ゾロゾロとゴミ箱まえに並ぶオレたち。
「そういやよ、おまえ、莉香子とはうまくやってんのかよ?」
「おーよ、あったりまえでしょ?」
「最近、いっしょに遊んだりした?」
「したよ! 莉香子がさ~、あたしに大人っぽいブラ、選んでくれたんだぁ~……あ」
「いや、しらゆき。お前ちょっと無防備すぎだぞ」
「うっさい、忘れろ!」
「じゃあ、今も?」
じーっと合った目と目。それから下の方へ……ゲシン!!
「いでえっ!」
神山が大地のすねを蹴り飛ばす。でもお盆の上の紙コップは微動だにしない。バランス感覚すげーな神山……。
「ああ、もうっ!」
これで付き合ってねえってんだからな。この世界、オレには難しすぎる。
「じゃ、また明日、学校でね!」
店の前で、神山がオレたちに手を振った。後ろ姿をなんとなく見送ってる。
なんつーか……神山、イイヤツだよな。大地はいろいろ言ってっけど、でも、すぐに彼氏ができたって不思議じゃねえ。文村だって、ウチのクラスでいちばん最初に仲良くなったのが神山なんだよな……。
■ 古屋雄太
僕の記憶力はいい方だ。それでよかったと思うこともある。でもそれ以上に、つらい思いをすることが多い。
モッシュバーガーでのおしゃべり。話の流れの中で、言葉になったものやならなかったもの、それらがすべて、僕の脳裏に刻み込まれている。
「じゃ、また明日、学校でね!」
神山を見送った僕たちは、誰かが踏ん切りをつけるのを待つように、少しの間、店に前に突っ立っていた。
「じゃ、ここで解散すっか?」
「おう」
「バイト、がんばれよ」
「じゃ~ね~!」
街の喧騒はまだ続いていた。しかし連中がそれぞれ散っていった途端、僕の周囲は静けさを取り戻していた。
さて、帰ろう。
そう思った瞬間、笹の枝に短冊を結び付けている神山の姿が脳裏をよぎった。どうしてなんだろう? ほんとにこういう、どうでもいいことばかり記憶してしまう。
七夕飾りのある一角へと足を向ける。ほんのついで。自分の記憶力をちょっと確かめてみるだけのこと。そう思って、神山があのとき立っていた場所に立った。視線の角度、腕の位置。その先に見出した水色の短冊。そこには……。
『想いが受け入れられますように。大好きな人といつまでも一緒にいられますように』
……うん、見てない。僕は何も見ていない。ほんのちょっとした出来心。そんなものに、これ以上よくない方へ運ばれてたまるか。今ならまだ引き返すことができるんだ……。
そう思ったとき、僕の視界の外側から腕が伸びてきて、その短冊に触れた。
「なるほど」長峰だった。「これか」
「さすがイインチョだな」今枝の声もする。「やはり『視て』いたか……」
「やっぱり委員長も」そして末松もいるようだ。「興味あるよね、コイバナ☆」
……終わった、何もかも。
「もしかして」と今枝。「事態は思ったより複雑なのか?」
「そうだな、なにしろ」と長峰。「あのしらゆきが俺たちに嘘を吐いた。これは大変なことだぞ」
「高校入学から三ヶ月」と末松。「人間関係ってここまで深められるんだね~」
自分で掘った墓穴なだけに言い訳ができない。つーか、帰ったんじゃなかったのかよ!?
「さーて、今度こそ、心置きなくバイトにいけるぜ」と長峰。「謎は深まったが、いま知らなければいけないことは知れたわけだ」
「そうなるか」と今枝。「いろいろあるんだろうな」
「楽しみだね」と末松。「しあわせカップル眺めて、ほのぼのしなきゃ」
「僕が言うのもなんだけど……」かろうじて声を絞り出した。「ああいうタイプが嘘をついてまで守ろうとする秘密なら、絶対にほじくり返すべきじゃない。おそらく僕たちに背負えるようなシロモノじゃない……」
息が切れそうになる僕に、三人はいい笑顔を作ってサムズアップして、またそれぞれに散っていく。なんだこれ? 悪夢?
訳の分からない衝動にかられた僕は、気が付くと願い事コーナーに向かって、自分の願いを短冊に書きつけていた。
『すべてが僕の知らないところで始まって、僕の知らないところで終わりますように』
短冊を吊るした。吊るした瞬間、それは他の短冊にまぎれた。僕のこの苦しみも、こんなふうに雑多なものにまぎれて、存在感を失くしてしまえばいいのに……。
さて、今度こそ帰ろう。
「委員長も、ほんとに詰めが甘いよね~」
す、末松……。
「なになに~? ふーん、なるほどね~」
僕の願いを読んだ末松が笑った。とても、黒く。
「こうはならないよ。委員長はぜんぶ知ることになるよ。ボクたちが見せてあげるからね~」
見たくない、聞きたくない。でも……記憶してしまう、忘れられない。それが僕なのに?
「十年後、二十年後の同窓会、アテにしてるからね、委員長の記憶力。委員長しか覚えてないこと、たくさんあるだろうし。それ教えてね。ボクらそれで盛り上がるから」
末松がきびすを返した。
「それじゃ、今度こそ本当に『じゃ~ね~』」
僕は立ち尽くし、僕は取り残された。
なんだろう……死にたい。




