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新百合ヶ丘高校文芸部☆  作者: m8eht
小さな夏の迷路編
71/71

第23話 「7月上旬の日常」3

▼ 高原莉香子


 人は人? それとも壁? 冷たく固いものに囲まれて、だから私の心はいつも凍えている。

 何かあると思っていた。でも、何もなかった。そんなことばかり。私を嫌うのにも理由があると思っていた。でも、なかった。それらしいモノは並べられた。でも、それは自分の生理的嫌悪感にそれっぽい理屈をつけただけのものだった。私は寛容な女だから、豚とうまくやれないこともない。でもそれも、もしその豚が自分の母親でさえなければの話。関係性を作ろうとする試みはすべてゴミ箱の中。私だってもう、うんざりしている。

 ――エレーナ。

 演劇部でやる『ワーニャおじさん』。舞台の上の私は『エレーナ』と呼ばれている。でもエレーナはまだ私から遠い。それを感じる。憧れの終わり。そしてその後に続く、干からびるまでの灰色。冷たく乾いた倦怠感。最後に残った埋火も終幕の直前に消え、その余韻はソーニャの独白にかき消されてしまう。面白くない。うんざりする。

 そして私はこんなとき……しらゆきを想う。

 しらゆきはどうして私の胸を、こんなにもときめかせる?

 その秘密は、そう、しらゆきのやわらかさ。笑顔やカラダだけじゃない。しらゆきは心まで柔らかい。粘土のように。ううん、それこそ降り積もったばかりの白雪のように。それは他者に、容易にその痕跡を残すことをゆるすから、だから誰にとってもしらゆきのとなりにいるのは楽しい。自分がしらゆきのとなりにいるって、たしかに実感できるから。

 ……じゃあ、その先は?

 しらゆきは優しい。だから人の罪をゆるすことができる。そんなしらゆきに……そんなしらゆきに消えない跡を残すには? そのために私は何をすればいい?

 カラオケでのこと――私が大地の前で泣いてみせた――あのことがあった後で、初めてしらゆきに会ったとき、しらゆきの表情の中に陰りや戸惑いはなかった。私がしらゆきの表情を読み違えるわけがない。だから分かった。

 大地はまだ、しらゆきに伝えてない。

 ――今日のこと、誰にも言わないでね。

 そう口止めした。

 ――特にしらゆきには絶対に言わないでね! 絶対だよ!!

 口ではそう言った。でも、私にはわかる。大地はしらゆきに……しらゆきには絶対に言う。いつか大地の中で、違和感が明確な形になったときに。

 それはきっと最初のきっかけになる。流れが変わる、その最初のきっかけに。そして、ほんの少しだけ変えられた流れは、いつか運命に合流して、そしてその大きな流れはしらゆきを私のところに連れてきてくれる。だから……だから私は待つ。待っている。しらゆきを、歓喜の瞬間を、ふたりが結ばれる日を、そして甘美な日々を。

 ねえ、しらゆき。今度はもう怖くないよね? 気持ちよくなろうね? ふたりでちゃんと気持ちよくなろうね……?

 ――エレーナ。

 灰色の未来を思い描いて、灰色の未来を引き寄せた女。いつも汗ばんで肌がべとべとする、そんな気候の下でうごめく連中に絡めとられた女。でも私は、そんなふうにはならない。私は強く願い、私はこの足で歩く。そして自分の欲しいものに手を伸ばす。

 ――エレーナ。

 私はこの女とは違う。田舎の一軒家に住まないといけないなら、それでもいい。私はそこを、しらゆきとの愛の巣にする。繰り返す毎日を、私は単調なものにはしない。私は演じる。私はしらゆきのために演じる。愛することも、傷つけることも。しらゆきが退屈しないために必要なすべてを。頭の中で繰り返し繰り返し思い描けば、それは確信となり、そして私が演じることによって現実となる。一幕一幕のつながり。全体の流れの中の、途切れない愛の、終わることのない時間。私がしらゆきと共有するのは、そういったもの。

「……さん」

 しらゆきとともに歩むその歩幅こそ、私がこの世界を測る単位……。

「高原さん」

 雑音がはっきりと聞こえるようになり、私は現実に還ってくる。考え事が終わるときは、いつもこんな感じ。今日は区切りのいいところまで来ていてよかった。そうでないと私、いら立ちを抑えられない。

「……」

 やっとピントが合う。先生が黒板を指して、私に何か答えさせようとしている。どういうつもりか知らないけれど、関係ないのに絡んでこないでほしい。私は立ち上がって、クラスメイトの視線を集める。髪を払った。

「わかりません」

 一瞬の沈黙。

「いやもう、分からんくても女優やねん!」

 どっかのバカの一言でクラスが沸く。教室の中心に私は立っている。観客席にいない人のことを想っている。


■ 古屋雄太


 帰宅部。今、その言葉が汚染されている。早く帰るのではなく、帰宅までの道のりを豊かにするべきなどという異端の教理によって。

 それは違う、と僕は言う。早く帰る。そのためならなんだってやる。それこそが帰宅部の本懐であると信じる。


 昼休み、遠くでセミが鳴いているのを頭の隅で感じながら、僕はクラス名簿を参照しつつ、書き物をしていた。早く帰る、そのために。

「よう、ゆうた。調子はどうだ?」

 一人の男子が僕に話しかけてきた。与田よだたすく。中学時代も同じクラスだったやつ。与田は何とも言いようのない顔をしている。今は高校の制服を着ているから高校生に見えるが、もし仮に背広を着せたなら、今度は社会人にも見えるだろう。

「いいように見えるか?」

「おっと、委員長って呼ばないとご機嫌ナナメになるんだったな」

「なるわけないし、そもそもお前が押し付けたんだろ?」

 最初のホームルームで、僕を委員長に推薦した男。中学時代も同じポジションにいたという、ただそれだけの理由で。

「ところで何してんだ?」与田が僕の手元を覗き込む。「チーム分け?」

「球技の日のチーム分けだよ。明後日だろ?」

「これ、本決まり?」

「いや、議論のたたき台のつもりだけど」

「さっすがマジメだな……」

 僕の真横にぴったりと立って、与田はチーム分けの表を見始めた。割合に真剣な表情で、なんなら人差し指を表の上で滑らせるまでした。

「フムフム、どうやらクラスに馴染んでるみたいで安心したぜ」

「そうか?」

「さすがゆうただ。よく見えてんな」

「余計なお世話だ。それより何だ?」

「思い出すよな、中学のころ。ゆうたが『ここじゃない場所に行く』とか言い出してよ。おれたちマジでビビッてたんだ。こいつ自殺する気かよって。まぁ、ネトゲのことだったわけだが」

「自殺なんてするかよ……ただ平穏に暮らしたいだけだ……」

「意外に健全な見解が聞けてよかったよ。じゃ、がんばれよぉ」

 そう言い残して、与田は教室を出ていった。おそらくPCルームに行くんだろう。与田は基本的にソロで動く。

 そんな与田の背中を見送った僕の目の端に、こちらの様子をうかがう三人組の姿が入ってくるけど、とりあえず作業を再開する。

 足音がして、誰かの近づいてくる気配がした。

「あの~……」顔を上げると坊主頭の男子が「ちょっといいすか?」

 陣内学。ウチのクラスの野球部系男子。陣内は敬語を使う。敬語を使う人間は『周りと必要以上に距離を詰めたくない人』という観察もあり得るが、陣内のそれはべつにそういうわけではなく、単にそういうキャラのようだ。あるいは常に自分を下に置いて、その場所を心地よく感じているという、そういう可能性もある。

「委員長さんは今、なにをしてらっしゃるんでしょうか……?」

「球技の日のチーム分け、だけど」

「ほぅ」

 感嘆とも相槌ともつかない声をあげて、陣内はじーっと名前の書かれた表を見始める。

「これって、もう決定なんすか?」

「いいや、これは一応、議論のたたき台のつもり」

「なるほろ」一瞬、何かを思案して「じゃ、変えることもできるんすね?」

「まぁ……」

「その話し合いって、いつするんすか?」

「今日の帰りのホームルームになるかな」

「あ、そっすよね! あざしたっ!」

 そう言って陣内は戻っていく。おそらくは僕らの話の内容が気になっていたであろう二人のもとへ。その二人――伊庭と垂水――は戻ってきた陣内を挟み込んで何かを――おそらくは僕が話したことを――聞き出している。

 なんなんだ? いや、知らなくていい。わざわざ知る必要はない。僕はこの名簿にある名前を並び替えて『球技の日のチーム分け』という意味を作る。ただそれだけ。それによく考えたら三人は野球部だ。ソフトボールに振り分けられたどうかが気になっただけだろう。それにしては話し合いが長引いているが。

「ハイ、ヨイショォ!!」

 教室中に無遠慮な声が響き、学食に昼食を食べに行っていた一団が戻ってきた。長峰、今枝、末松、藤沢、井上、狭間、神山、文村。何気のこのクラスの最大派閥、通称『馬鹿連合』だ。僕もここに加わっていると見る向きもあるが、それは全くの誤解で、事実はそれとは異なる。そしてなぜか連中は僕の席のまわりにどやどやとやってきた。

「よう、委員長。いい知らせだ。クリームたっぷりのパンが残ってたぞ」と今枝。「委員長、好きだろ?」

 クリームパンが僕の目の前に置かれる。

「僕からは」と末松。「これね」

 今度は紙パックのカフェオレが。こういうふうに気を遣われるのは正直しんどい。借りを作ったみたいな気持ちになる。

「さっすが委員長!」チーム分けの表を覗き込んだ末松が「もろもろ、うまいことやってくれるよね!」

「チキショウ!」と今枝。「オレたちの委員長をうまいことこき使いやがって!」

 場を回すためにテキトーなことでもとりあえず言っておく。それがこの連中の特徴だ。

「あんたたちだけの委員長じゃないでしょ」と藤沢。「私たちの委員長でもあるわけでしょ?」

 藤沢――藤沢ゆかりはいつも豊かすぎる黒髪を振り回し、この馬鹿連合の中心に居座っている女子だ。なお本人にその自覚はないだろうが、その笑顔はいつもなぜか小狡そうに見える。

「そうそう!」と井上。「わたしたちの!委員長だよね~」

 井上――井上美月は小4以来、藤沢の相方であるらしい。女子小学生がやってそうな幼い印象のおさげ髪で、「しょうがないなぁ」とでも言いたげな笑顔が特徴だ。

「委員長、かんばってねー!」と藤沢。「いつかご褒美に、カノジョ紹介してあげるね!」

「んもぉ~」と井上。「ゆっかりん、なに言ってんのぉ~?」

「ふるやんは紳士だもんね~」神山も話に加わってくる。「だから逆にどーゆーデートするかとか、逆に興味ある!」

 逆にって、なんで二回言った?

「まぁ、それはさ」と藤沢。「そのときに聞けばいいんじゃない? ふるPとデートしちゃった誰かにさ」

 井上が藤沢の肩を連打し始める。ちょっと静かにしてほしい。でもそれが口に出せるような僕なら、こんな苦労はしない。

「ゆっかりんさぁ……」無駄にもじもじしながら長峰が「情報、持ってない?」

「なんの?」

「いや……」頬をかく長峰。「俺のことが、さ」

「ないです」

「じゃあ、どーよ!?」と今枝。「このふとしのことが、さ」

「う~ん、どうかなぁ……?」

 何の話か分からない。とにかく書いてしまおう。止めていた手を動かそうとすると、チーム割の表をさっとさらわれた。

「たいへんだね」狭間が立ったままチーム分けの表に目を走らせている。「ウチのクラスって女子の運動部が少ないから」

 狭間――狭間景はバレー部所属の高身長女子。清潔感ある中性的な顔立ちも相まって、大人の落ち着いた常識人だと思われている。ただ、神山しらゆきを接点として馬鹿連合に加わってしまった以上、これからどうなるのかはわかったもんじゃない。

「決めるの大変になってるの~?」と井上。「あっ、じゃあ、ゆっかりんバスケにしていーよ! 中学のとき、やってたから!」

 またひとつ無駄な知識が……。

「ほんとに中学んときだけ、だけどね~」と藤沢。「ちょっとやってみよ~くらいの気持ちだったんだけどさ、ガチ勢の中にエンジョイ勢がまぎれこんだみたいになってたから」

「あ~……」と狭間。「わかる気がする」

「でもわたしから見たら」と井上。「すっごく上手だったんだけどな~」

「そうそう」と末松。「体育のときとか、動けてるイメージあるよね~」

 ところで……この間、僕の左隣からは物音ひとつしない。でもたしかに文村がそこにいるってわかる。なぜなら今枝が定期的にちらちら見てるから。本当にわかりやすい男だ。そうとしか言えない。

 その後、僕が球技の日のチーム分けをしているというウワサがクラスに広がって、だれかれとなくチーム表を見に来る。

「ふーん」

 そう一言だけつぶやくヤツもいれば、無言で来て無言で帰っていくやつもいる。

「ほら、こういう天気じゃん?」僕の周りでは引き続き雑談が行われ、その中の神山の一言が耳に入ってきた。「なんだか、はしゃぎたくなるよね~!」

 晴れの日の光が窓から差し込む教室。そのなかに在るそわそわとした感じ。それはクラスの人間関係がまた一歩前へ進むことの期待感によるものだと推察できる。本当に……胸が押しつぶされそうになる。


 帰りのホームルーム。話をする稗田先生の後ろで、磁石付きのネームプレートを黒板にバチバチ張り付けていく。そしてその上にソフトA、ソフトB、バスケA、バスケBと書いて、みんなの方へ向き直った。

「明後日は『球技の日』です」と稗田先生。「グラウンドではソフトボール、体育館ではバスケットボールがあります」

 稗田先生――稗田ひえだ日登志ひとし先生は四十代半ばの、背は高くなく、やや横に広い、温厚で知られる担任兼体育教師。額から頭頂部にかけて、禿げあがっているわけではないが……平方センチ当たりの髪の毛の本数が平均を大きく下回って、地肌が見えている。何もないのに、人の髪の毛が抜けるわけない。おそらくそれ相応に、何かを背負ってきたんだろう。

「今から、参加する競技とそのチームを決めるから」稗田先生が僕の方を見て「それじゃあ、古屋くん、お願いね」

 その言葉に、みんなの視線が稗田先生から僕に移った。クラスメイトが僕に注目しているというこの状況にも、もうだいぶ慣れてしまった。ついでに『委員長』という役職名も、今やただのあだ名のようになりつつある。

「ええと……」半身になって、後ろの黒板への注目を促す。「僕の方で、だいたいこんな感じかなってものを作ってみた。本決まりというわけじゃないから、何かあったら言ってほしいんだけど……どうかな?」

 クラスメイトを見回す。ないよな? ないな? それじゃあ、みんな、早く帰ろう。そもそも一日限りの『球技の日』とかいうイベントに、そんな時間を取る必要もないはずだ。

「うん! いいと思う!」

 井上の声が響いた。とりあえず沈黙を埋めてくれたことに加え、発言の内容も僕の思惑と一致している。ありがたいこと、この上ない。

「まあ、よくね?」

「うん、いいんじゃない?」

 そして僕と同じ想いを抱いているであろう者たちの声も聞こえてくる。それでいい、それでいいんだ。でも、若干遠慮がちなのはどうなんだ。もっと大きく、はっきりした声で言ってほしい。そうでないと……。

「いいかな?」

 荒木――荒木優香が手を挙げた。ソフトボール部に所属するポニテ系女子。同じポニテ系女子である神山との違いは、神山が「楽」であるのに対して、荒木は「熱」であることか。今も勝気なまなざしで、僕をまっすぐに見ている。

「男子と女子で分けてるのに、チーム名がAとBなのはどうして?」

 どうして? どうしてそんなことが気になる?

「男子と女子で分けないといけない、というわけじゃないから……」

「えっと、まずさぁ」と藤沢。「どういうコンセプトで分けたのか、聞いてみない?」

 そんなもの、昼休みのときに個人的に聞いてくれればよかったのに。話題を出すタイミングを見計らう。僕がコミュ強者を苦手に思う理由の一つだ。

「コンセプトって言えるようなものは別にないけど。基本的には、部活が運動部かそうでないかで考えてて、男子はわりとバランスよく振り分けたけど、女子は運動部と非運動部の比率が3対12なので、そういう状況にかんがみて、定員九名のソフトには主に非運動部を、定員六名のバスケに主に運動部を配置してみた」

 ついでに、普段仲のいい奴らはなるべく固めてある。これは僕からの心遣いだ。

「あ~ん、おとっち~!!」沢崎が足をバタバタさせた。「アタシたち、はなればなれになっちゃったよぉ~!」

 沢崎――沢崎星乃はハーフかクォーターか知らないが、金髪ストレートなピアニスト系女子。やや奔放なところはあるものの、普段は話の通じる相手だ。ただし『おとっち』が絡むと、途端に言動が幼くなる。

「……」

 その沢崎の前の席に座っている『おとっち』こと市川音は、渋い顔のまま、じっと前を見ている。小柄で目つきが悪く、強気でふてぶてしいが、沢崎だけはどうにもならないらしい。沢崎星乃と市川音。ここは仲がいいのか悪いのか、いまだによく分からない。沢崎が市川に一方的に執着しているようにも見える。

「まぁ、要するに……」スルーして続ける。「男子はわりとバランスよく割り振って、女子はソフトにエンジョイ勢を、バスケにガチ勢を持ってきた、と。そういう感じかな?」

「ねえ、待って、たしかさ~」沢崎が足をバタバタさせながら「藤沢さんって手芸部じゃなかった?」

「いや、でも」と僕。「中学時代はバスケ部……」

「はぁ!?」急に市川が大声を出す。「そこまで調べてやってんの!? キモ!!」

 キモ? 僕がキモ……? そしてこの拒否反応、何か知られたくない過去でもあるのか?

「あ、それ、ちがくて~!」と井上。「わたしが委員長に教えたの~」

「いいんちょ! ハイハイ!」山脇が真顔で手を挙げた。「あたしの部活はなんでしょ~~か!?」

「……料理研究部」

「おお~……」

「……」

 沈黙がニュートリノのように、すばやく教室をすり抜けていった。

 山脇――山脇やまわき千波ちなみは一言でいえば『イカレたヤツ』だ。言ってはならないことを笑顔で言い、やってはならないことを真顔でやる。全体的に細く薄い体つきだが、胆だけはおそろしく太い。

「ちょっと、ちなちゃんっ!」と矢野。「委員長さんの邪魔しちゃだめだよ……」

「邪魔か、これ?」と山脇。「当然聞くべきことを聞いだだけだぞ?」

「え、そうなの?」

 そんなわけない。矢野はいつも山脇にこういう懐柔のされ方をする。

 矢野――矢野翠はおとなしい系の女子。入学当初はずっと自分の席で本を読んでいた。僕は彼女こそ文芸部に入ると思っていた。しかし実際には、前の席の山脇に絡めとられるように料理研究部に入部していた。

 どうもウチのクラスには、最初に近くの席のやつと仲良くなり、それを維持しつつ交流関係を広げていくという、そういう傾向があるようだ。

「あのさ!!」だいぶ待っていた荒木が「ソフトボールはエンジョイ勢?」

「い、いや……」え? 失言だった?「ソフトはピッチャーとキャッチャーが機能しないと、最低限ゲームが成立しないから、そこは厳密にそういう意味ではなくて……」

「じゃあ、いいかな?」と荒木。「わたし、Aチームに行きたい」

「え?」

「トレードしてほしいってことなんだけど……いい?」

「ト、トレード?」

「うおお!」と今枝。「なんかマジっぽいワード出てるぅ!」

「あ! じゃあじゃあ!」と伊庭。「ウチからは垂水を放出しよう! 野球部! 一年ピッチャー! ちゃんと釣り合ってるだろ?」

 伊庭――伊庭一郎は声も体もとにかく大きい野球部系男子。一度はしゃぎ始めるとなかなか止まれないという難点を持っている。ウザい伊庭、略して『ウザイバ』と呼ばれることもある。

「ちょっとまて」と長峰。「それだと垂水が女子に囲まれることになりゃしねえか!?」

「それ! 何の問題すか!?」と陣内。「長峰くんじゃないんすよ!!」

「ハイハイ! 俺ハイ!」と伊庭。「俺も野球部! キャッチャーは俺がやるよ!!」

「おい、待てよ」と長峰。「野球部を二人失うのは痛い。ここは帰宅部の俺がいく。しょうがない、チームのためだ」

「まって!」と藤沢。「キャッチャーなら委員長でいいじゃん! メガネかけてるし、キャッチャーっぽい!」

 藤沢が謎の理屈を持ち出す。それはつまり……どういうことなんだ?

「あ、いいと思いま~す!」と与田。「古屋くんはフツーにキャッチボールできるし、キャッチャー務まると思いま~す!」

 一番後ろの席にいて、きっかけを見つけたら誘導を始める。それが与田という男だ。

「あーね」

「う~ん、まぁ……」

 そしてあっさり訪れる「ま、それでいっか」という空気。自分でやったチーム分けだけど、時には教えてほしい。僕は必要とされているのか、それとも、されていないのか。

「じゃあ」と伊庭。「ソフBからもう一人、こっち来てくれよ」

「しらゆきでいいだろ」と長峰。「百メートル走で全国中学校体育大会ゼンチューに出場……する寸前までいった女だ」

「え!? あたし!?」

「ちなみに」と長峰が続ける。「しらゆきが二塁打うっても意味ないぞ。曲がれないからな!」

「聞いたことある……」と一万田。「猪突猛進の神山……」

 一万田――一万田いちまたしげるは陸上部所属の高校デビュー系男子。よく日に焼けた浅黒い肌で、髪の毛をオールバックにしているが、気弱そうな印象は全く拭い去れていないし、存在感が空気になりがちだ。家庭科の授業で作ったチャーハンがうますぎて一応キャラは確立したが、普段は相変わらず空気だ。

「あいつ意外とビビりだから」と長峰。「盗塁とかも無理だぞ」

「おいい!」と神山。「誰がビビりだ!!」

「まって」と荒木。「ソフトって盗塁ないから。リードした時点でアウトだよ」

 実際、一万田の一言は、話の流れの中にまぎれて消えた。

「トレードがアリならさ~」と末松。「バスケもいじっちゃう?」

 この一言で一年四組は僕のコントロール下から完全に離脱した。ここで「静かに!」といえる度胸は、僕にはない。そして稗田先生にも。必然、ただ眺めるだけになる。

 各自の自由な発言が飛び交う中、沢崎は前の席へ手を伸ばして市川の髪をもてあそんでいるし、その市川は早く帰りたそうにじりじりしている。一万田は隣の席の笛木――笛木有紗と話していた。おそらく、さっきの一言を拾ってもらったんだろう。

 真っ先にトレードの対象になった野球部男子の垂水――垂水湧介は注目を受けたくないのか、じっとうつむいている。垂水は立ち居振る舞いが端正で、ときおり繊細な心遣いも見せるから、僕は評価している。

 垂水の他にこの喧騒に加わっていないのは……四人。手代木、池辺、佐々尾、岩井か。

 手代木――手代木ひかるは美術系女子。いつも窓際の席であることをいいことに、波長が長めの電磁波を反射している窓の外の風景を眺めている。

 池辺――池辺いけべ咲久良さくらは園芸女子。物思いに沈んだような表情で、カバンにつけたキーホルダーをいじっている。

 佐々尾――佐々ささお嘉門かもんは温室育ち然としたテニス部系男子。椅子の背もたれにゆったりと体を預け、この話し合いの終わりをのんびり待つことにしたようだ。

 岩井――岩井いわいおさむは剣道部所属の静寂系男子。座禅を組むかのように背筋を伸ばし、じっと前を見ている。

 ここで与田と目が合った。「わかるよ、大変だな」とでも言いたげにうなずいてみせる。余計なお世話だが。いちばん後ろのいちばん扉に近い席にいて、教室を飛び出す準備は万端のようだ。と、その扉が開いた。すでにこのクラスではおなじみになっている一年一組の高原――高原莉香子が顔をのぞかせた。あたりを見回し、僕の方を見て、まだホームルームが終わっていないことを理解したようだ。しかし、それでもかまわずに入ってくると、教室の後ろをファッションショーのランウェイのように歩きながら、僕のいない僕の席にたどりつくと、机を半円を描くように後ろへとどかして、椅子を手に長峰と神山の間に割って入って座り、神山の方へ顔を近づけて何かささやいている。もしかしたらこういうのを学級崩壊の兆しというのかもしれない。世の先生方のご苦労がしのばれる。

 ところで……その神山の後ろの席には文村がいて、ぼんやりときょとんのちょうど中間の表情で、高原にはぶられた長峰の話し相手になっている。と、高原が神山の肩を撫でて、その手は離れて、そして黒板を一瞥し「そいじゃね~、しらゆき~」とでも言うように、ひらひらと手を振って教室から出ていった。

「よぉ、オレを放出してくれよぉ!」と園田が手を上げる。「バスBの力になりてえんだよォッ!!」

 園田――園田そのだとおるは時々ラッパーみたいな話し方になるバスケ部男子。どぎつい緑色のTシャツが白いワイシャツから透けていて、いかにもやんちゃざかりの高校生といったところだ。

「なぁ~に言ってんだぁッ!?」と今枝。「逃がすわきゃねえッ!! さっさと手を下ろせ!!」

「それじゃあどうだ、狭間とフトシでいっとくか?」と樽崎。「スピード面を補強しときたいだろ?」

 樽崎――樽崎たるさきかなめはがっちりと固太りした体つきのバスケ部男子。その体格からにじみ出るような太い声で、しれっと辛辣なことを言うへきがある。

「要ちゃ~~ん!」現に今も、末松が悲鳴をあげた。

「狭間ァ!」園田が離れた席の狭間に呼びかける。「挑戦しとくかよォ!?」

「やめとく」即答する狭間。

「じゃあ」と園田。「今枝とでもいいよォ!?」

「なんでェ!?」と今枝。

「『高さ』だろ」と樽崎。

「やめろ……」と今枝。「オレの心が死ぬ……」

「じゃあ」と末松。「竹屋くんは、どう?」

「えっ」驚く竹屋。

「だいじょうぶ!」と末松。「バスBにまぎれてもわかんないくらいカワイイ顔してはるし!」

「いや……」まんざらでもなさそうな竹屋。「でも……」

 竹屋――竹屋たけや秀穂しゅうほはたぶん帰宅部の一見おとなしい系男子。その外見を描写しなければならないとき、さらさらした黒髪と透明感のある肌という語句を避けて通ることはできない。

「あの~」湯浅が手を上げる。「どのみちバスBから移ってくる人がいないんだから、これ決めてもイミないんじゃないですカ?」

 湯浅――湯浅ゆあさ周吾しゅうごはおそらく帰宅部の、とらえどころのない系男子。糸のように細い目をして、時に竹屋とつるんだり、一人で動いていたりする。

「周吾……」と竹屋。「これ、ボクのことカワイイって言うながれじゃん……」

「そうだった?」と湯浅。「わからない」

 僕にもわからない。

 この間、竹屋と湯浅に縦に挟まれた岩井は、相変わらず我関せずの姿勢を貫いているように見える。

「つかよ? バスケはもういじらなくてもよくね?」と今枝。「せっかく委員長が仕上げてくれたんだぜ?」

「さんせえ!」と内場。「バスBから絆の磁場、感じるゾ!!」

 内場――内場うちばゆうは『明るい』と『頭のねじが外れてる』のちょうど中間をいく科学部系女子。お団子を二つ載せた髪型で、口癖は「めでてえ!」あるいは「めでてえじゃん!」。

「融、あんまりはしゃがないの」と村田。「制御棒つっこんじゃうよ?」

 村田――村田むらた水歩みほは落ち着いた大人の女性を思わせる科学部系女子。このクラスきっての常識派だが、ときおり言葉遣いが物騒になる。例えば、今のように。

「委員長」今枝が立ち上がった。「オレは委員長のチーム分けに敬意を表するよ。オレたちのことを知って、最高のオーダーを組んでくれた」

 最高のオーダー?

「必ず優勝する! そして一年四組が最強だってわからせてやるぜ!!」

「チーム確定ぇ!!」と内場。「めでてえ! めでてえじゃん!!」

「古屋くん、ありがとうね」と稗田先生。「では皆さん。最近はだいぶ暑くなりましたから、体調には気を付けて……」

 稗田先生が帰りのホームルームを締めはじめた。その後ろで僕は、誰も見ていないけど一応チーム表を完成させるべくネームプレートを移動させる。垂水をBに、荒木をAに。僕をBに、そして神山を……。

 そのとき、誰かの視線を感じた。話す稗田先生の影から、岩井がこっちを見ていた。目が合って、すぐにそらされる。僕はこういう視線がいちばん苦手だ。何気ないようでいて、何かを意味するかのような、そんな視線が。

 そして神山のネームプレートをソフAの欄に貼り付ける。


   ソフトボールA

    荒木優香

    一万田茂

    伊庭一郎

    岩井理

    神山しらゆき

    佐々尾嘉門

    陣内学

    長峰大地

    与田侑


   ソフトボールB

    池辺咲久良

    井上美月

    沢崎星乃

    垂水湧介

    手代木ひかる

    文村冬湖

    古屋雄太

    矢野翠

    山脇千波


   バスケットボールA

    今枝修一

    末松武

    園田亨

    竹屋秀穂

    樽崎要

    湯浅周吾


   バスケットボールB

    市川音

    内場融

    狭間景

    笛木有紗

    藤沢ゆかり

    村田水歩


 あれだけいろいろ話し合って、結果、4人が移動しただけ。それでもおそらく全く違った意味を持ってしまっただろう。叩き台とは言ったけど、本当はけっこう頑張って、僕なりに工夫したつもりだ。平穏な一日のために。そして、その後に来る変わらない日常のために。人間関係は怖ろしい。混沌といていて、最初の条件が少し変わるだけで全く異なる関係性が生まれてしまう。だからこそ、なるべく無難な流れになる組み合わせを考えたのに……。

 僕が考えて形にしたものは、現実と接点を持った瞬間に違う形に変えられ、異なる意味を持たされてしまう。これからもずっとこうなんだろうか? 僕の人生、これからもずっと、こうなんだろうか……?


□ 文村冬湖


 頭の中に、一枚の絵を思い浮かべている。

 二つの台の上に橋渡された板の上。斜めに傾いだ濃い緑色の瓶の周りに林檎たちが集まっている。高く盛った林檎の籠を傾けたら、こぼれるものはこぼれた。そんな跡が見える気がする。でも、不思議と台の下に落ちたものはないようにも思える。それはきっと、不自然なほど深いひだのついたテーブルクロスが引き止めたから。そして、台の端まで転がった一個の林檎。それは、いちばん光を浴びていて、いちばん長い影を曳いていた。

 画面の右上には、白いお皿の上に、積み木のように積まれたビスケットがあって、そんな林檎たちを静かに眺めている。壁紙のつめたい青緑が画面全体に滲んでいて、それでも温かな一体感を持った絵。古い集合写真のような、そんな懐かしい賑やかさのある絵。姉さんの部屋にあったセザンヌさんの画集の中にあった絵。たしか、題名は――。

 ――そういえば。

 そういえば帰りのホームルームの後で、私たちは球技の日のチームごとに集まっていた。

「えっと、これで全員だっけ?」

 垂水くんが、私たちと黒板のチーム表とを見比べた。

「あれ? 沢崎さんは?」

 そして沢崎さんがいないことに気付く。

「市川さんを追いかけてったけど。たぶんもう、戻らないんじゃない?」

 池辺さんが落ち着いた声で言う。そういえば帰りの挨拶と同時に教室を出ていく市川さんと、その後をぱたぱたと追いかけていく沢崎さんを見たような気もする。

「ホームルームが終わった瞬間に声かけとけよなぁ!? ちんたらすんなっ!」

 山脇さんが腕を組んで胸を反らせる。

「別にちんたらはしてなかったでしょ、ちなちゃん……」

 そして矢野さんが、そんな山脇さんをなだめていた。

「えっと、じゃあ……」

 何かを話し始めようとする垂水くん。野球部の垂水くんがなんとなく私たちのキャプテンみたいな感じになっている。

「なあなあなあ!!」

 そのとき、私たちの後ろの方から伊庭くんの声が聞こえてきた。

「これからバッティングセンター行かねえ!? 俺たちがコツ教えてやるから!!」

 伊庭くんの声がとにかく大きいからか、垂水くんは口をつぐんでいる。

「部活? 休めばいいだろ!?」伊庭くんのその言葉に誰かが反論して「……わかった、しゃあねえ、行けるやつだけでいこうぜ!?」

 伊庭くんが垂水くんのところにやってきた。そして、その肩をばしっと叩く。

「ゆーすけぇ! 俺らバッティングセンター行ってくるからな!」

「ああ」

「監督に、今日、俺ら休むからって伝えといてくれえ!!」

 言いながら伊庭くんは、今度は垂水くんの背中をばしっと叩いた。

「あ~、え~っと、とーこ……」しらゆきがのところにやってきて「とにかくそういう感じでさ、それで……」

「文村さん!」荒木さんがしらゆきの腕を取った。「神山さんのこと、借りてくね!」

「とーこ!」しらゆきは荒木さんに腕を引っ張られながら、伊庭くんたちの背中を追いかけていく。「あ、あたしも今日休む、って伝えといてえっ!!」

 そんな言葉を残して、しらゆきは行ってしまった。

「……」

 伊庭くんたちが行ってしまうと、教室の中がすごく静かになったような、そんな気がする。

「おれたちも……」垂水くんがおずおずと言った。「今日、練習とか、する?」

「むりだな」腕を組んだまま、山脇さんが自信満々に言い切った。

「そうだね~」美月ちゃんも「今日はわたしも、部活休むって伝えてないから~」

「それじゃあ、明日の昼休みとか、放課後に集まろっか?」垂水くんが言う。「ポジションとかも決めなきゃ、だし」

「それなら~」美月ちゃんが私たちを見回して「いいかも~」

「手代木さんも、それでいい?」

 垂水くんが窓の外を見ていた手代木さんに声をかけた。

「あ……」手代木さんは私たちの方を見て「い、いいですよ……」

「ところで……」垂水くんが古屋くんを見る。「委員長? 大丈夫か? 具合でも悪いの?」

「なんで……?」

 古屋くんが垂水くんを見る。

「いや、こう……目が、さ」

 目が死んでるように見える? でも、それがいつもの古屋くんだった。

「目が死んでる? だいじょ~ぶ! これがいつもの委員長だから~!」

 美月ちゃんがちょうど私の思っていたことを、そのまま口にした。

「ねえ、今からでも伊庭くんたちのこと、追いかけてみたらいいんじゃない?」

 池辺さんが垂水くんに言う。垂水くんは苦笑いする。

「いや、やめとくよ。おれも……伝言しなきゃだし」

 そうして私は、部室までの廊下を一人で歩いた。いつもと違うような、なんだか慣れないことをしているような、そんな気がして――。

「しらゆきのこと、考えてる……?」

 茜先輩の言葉に我に返る。目の前には小さなメモ帳があった。ずっと詩をつくるフリをして、思い浮かべたり、思い返したりしていたことを思い出す。茜先輩の方を見ると、茜先輩は笑っていた。楽しい悪戯を思いついた子どものように。

「そういうわけでは、ないんですけど……」

 でも、考えていたことの中に、しらゆきはいて。

「でも……少しだけ、そうです」

「ほうほう……!」

 フクロウの鳴き声みたいな、そんな声を上げる茜先輩。

「バッティングセンターなんて、しらゆきちゃんスゴイな~」ひなた先輩がふわっと両手を合わせる。「わたし、行ったことないから~」

「そうね」美夜子先輩がひなた先輩を見た。「私も」

「まあ、文芸部なんて、みんなひよわじゃけぇ……ふふ」

「そういえば、しらゆきって中学では陸上部だったのよね」

「そうそう! そう言ってたよねっ! よく見るとやっぱり違うってゆうか……こう、がっちりしてるってゆうか! ねっ!?」

 私は思い出している。みんなと一緒にバッティングセンターに行くしらゆきの後ろ姿、その背中、笑っている横顔。荒木さんに引っ張られながら、男の子にも物怖じせずににぎやかに笑い合いながら教室を出ていくしらゆき。もしかしたら、本当はこうだったのかもしれない。そんなふうに思えてしまう。

「とーこちゃん?」ひなた先輩の声がした。「どうしたの~?」

 ふんわりと笑う、ひなた先輩。

「えっと……」

 ずっと、なんとなく思っていたこと。それを今、言葉にできるような、そんな気がして……。

「不思議だな、って、思うんです。しらゆきが……私のとなりにいること」

 部室の中にある静けさが、さっきまでのものとは少し変わったような気がした。でも、もう、言葉に変わるのを止められなくなっている。

「もし、入学式の日、最初の席順で、私がしらゆきの後ろの席じゃなかったら……ほんとはずっと今日みたいだったんじゃないかなって思うんです。しらゆきは文芸部に入ってなくて、今日みたいにみんなと遊んで、きっと陸上だって続けていたと思うんです。中学の頃のように……」

 ぜんぶ言葉にしてみたら、なんだかこっちが本当のことのようにも思えてきて……。

「だから不思議だな、って。本当はまだ少しだけ慣れていないんです。私がいることで、私がいなかったときと何かが違ってしまうこと……」

 こんなこと、言ってよかったのかな? まるで私が……しらゆきと出会ったことを後悔してるみたいな。

「どぉかなぁ……?」

 茜先輩の声がした。いつものように、笑いを含んで。

「これは私のカンだけど……しらゆきはとーこと出会ってたよ。とーこと出会って文芸部にも入ってたよ。入学式の日に出会えなかったら、とーこと出会うために、とーこのこと探して、探し出して、とーこと出会ってたよ。これ、私が請け合うから……」

 しらゆきは……もし入学式の日に私と出会っていなかったら、私と出会うために、私を探していた。なんだかちょっとヘンだなって思う。私と出会っていないのに、私のことを探す、なんて……。

「それじゃあ、こんな詩はどう……?」


    夕暮れどきの星々は

    朝の光が蒔き散らしたものを

    再びもとの場所へと還す

    羊を囲いの中へ

    山羊を柵の中へ

    そして子らを母の腕の中へ


「ついでに『しらゆきをとーこの胸の中へ』……っと」

「それは……?」

「サッフォー、って人の詩、の上田敏訳、を私がちょっといじったヤツ、かな? だってヨシヒコがやってみてもいいじゃんって言ってた気がするし……」

 よしひこ、さん? よしひこさんって誰だろう?

「生まれてくることって、この世界に蒔き散らされること。でも夕方、茜色の空に星々がまたたくとき、かえってくるの。全てがあるべき場所に。しらゆきも、そう。ちゃんと帰ってくる。とーこのところへ。とーこの胸の中へ……なんてね」

「なんでとーこちゃんのときだけ『胸の中へ』って言うんですか~? 茜先輩、またえっちなこと考えてるでしょ~!?」

「そうかな……そうかも」

「そう! そうですよっ!」

 そう言いながら茜先輩に笑いかけるひなた先輩は、いつものひなた先輩だけど、でも……美夜子先輩のあの目はなんだろう? ひなた先輩の横顔をそっと盗み見た、切ないような、それでいて、何かを期待するような……。

「ところで……とーこ、ケータイ持ってる?」

「え、あ、はい」

「しらゆきの声、聞きたくない? しらゆきにかけてみて? バッティングセンターから中継してもらお……?」

「あ、はい……」

 しらゆきに電話をかけた。呼び出し音が何度も繰り返されて、それでも電話はつながらない。きっとバットを振るのに夢中で気付かないのかもしれない。そう思ったとき、呼び出し音が途切れた。

『あれ? もしもし?』長峰くんの声。『とーこ? どーしたんだよ?』

 とーこ? 長峰くんはいつも私のことをとーこちゃんって呼ぶのに、今はただ名前で呼んでいる。

『わるい、俺いま、友だちとバッティングセンター来ててさ~』

 声の後ろから、カァンカァンと乾いた音がする。でも、どうしてそんなこと言うんだろう? さっき、私の目の前で「バッティングセンターに行く」って話してたのに。

『俺たちが付き合ってるってコト、まだナイショにしといた方がいいだろ?』

 付き合ってる? それに、内緒って言ってるのに、長峰くんは言葉の一つ一つをとてもはっきり発音している。まるで舞台の上の俳優さんみたいに。

『あれ? 誰と話してんすか?』

 電話口の後ろから誰かの……たぶん陣内くんの声がする。

『まぁちょっと……カノジョがかけてきちゃってさぁ』

『え!? 長峰くんのカノジョさんすか!? うええ!? ――あ、もしもし? どもっ、長峰くんのカノジョさんすか!? 自分、長峰くんと同じクラスの……』

「陣内、くん?」

『え……ふ、文村さんッ!? え……!? 長峰くんのカノジョさんって、文村さんなんすか!?』

『ああ!?』

 また電話口の後ろから声が……たぶん伊庭くんの声が聞こえた。

『おい、なんだよ!? 何の話してんだ!? ――もしもし! もしもーし!?』

「伊庭、くん?」

『文村さぁぁぁぁん!!? 嘘!? 嘘だよなっ!?』

「えっと……」

『カァ~、バレちまったかァ~』

『おいコラ野球部!! 真面目に練習しろよ!!』

 遠くからしらゆきの声が聞こえてきた。どうしてだろう? なんだか新鮮な感じがする。

『神山ぁ!! 文村さんって長峰と付き合ってんの!?』

『はぁ!? んなわけないでしょ!! ……あれ? ちょっ、それっ……!』

 そして電話の向こうの声がもみ合ってもみくちゃになる。

『これ、あたしのケータイじゃねえかぁ! 返せオラァ!!』

『お前のなわけないだろ!! 文芸部からお上品な電話、かかってきてんだよ!!』

『あたし!! 文芸部!!』

『なに言ってんだ!! お前はどう見ても体育会系だ!!!』

『もしもし!! もしもし、とーこ!?』

「うん」

『ごめんね!! こいつらバカだからさ!! え、なに? 何かあった?』

「ううん、茜先輩がね、ちょっとかけてみたらって」

『くぅ~、これだからな~』

『それで!? それでどうなんだよ神山っ!!』

『だから!! んなわけないでしょって!! とーこはね、あたしと付き合ってんの!!』

『もしもし、文村さ~ん?』急に電話口から荒木さんの声がして。『引き続きしらゆきのこと、借りてるね~』

「あ、うん」

『というわけだからね、とーこ! こいつらの言ってること、ぜんぜん気にしなくていいからね!!』

『おい、岩井ィ! お前もとーこちゃんになんか言え!!』

 しらゆきの声の後ろで、伊庭くんが岩井くんを呼んでいて、電話口が静かになるけど、でも、誰かが近づいてくる気配もする。

『……文村、さん?』

「あ、岩井、くん?」

『お、おつかれです……』

「うん、おつかれ……?」

『……いや、それだけかよ!?』

 しらゆきがツッコミを入れる。でも、少し不思議な感じがした。岩井くんは寡黙で、いつも一人でいることが多いから、こんなふうにみんなとバッティングセンターに行ってるのは、普段の印象と合ってないような気もする。でも……球技の日だから、かな?

『じゃ、じゃあ、その……とーこ』

「うん、練習、がんばってね」

『うん! がんばるね!!』

 そうして電話は切れた。

「ふふ」美夜子先輩が笑う。「とーこのクラスって、面白い感じ、ね?」

「そうそう! なんだか楽しそう~!」

「ふっふっふ……」茜先輩が怪しげに笑う。「とーこってモテるんやね……」

 私が、もてる?

「そんなことないと、思いますけど……」

 そのときふと、いつか姉さんとした会話が頭をよぎった。

 ――姉さんって……もてる?

 ――もててないよ。でも……たっくんにはもててるかも。

「でも……」

「でも?」

「しらゆきには、もててるかもしれないです」

 なぜか部室の中がシンとなった。私はあわてて、

「えっと、あの……冗談、ですけど」

「そ、そーやよね……!?」

 茜先輩の声が裏返っている。ひなた先輩と美夜子先輩も、まじまじと私を見つめていた。だから私は、冗談っぽく見えるように笑顔を浮かべようとするけれど、なんだかうまくいかなくて、ぎこちない感じになる。そして先輩たちは、そんな私を見て、なんだか少し、困ったように笑った。


【元ネタ】青空文庫より


 「夕づつの清光を歌ひて」サッフォー作/上田敏訳


    汝は晨朝あしたの蒔き散したるものをあつむ。

    羊を集め、山羊やぎを集め、

    母の懷に稚兒うなゐごを歸す。



【弁解】

 なんでこんなに時間がかかるんだろうって、それ、作者がいちばん思ってますから……。

 球技の日については11月8日か12月8日に投稿できたらいいなあと思っております……(あてにならない

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