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恋姫天衝 ~対極の御遣い~  作者: 雀護
 ・~西涼への帰路~
42/44

言葉に出来ない言葉






 ++異邦者の帰還、それは冬風を伴いて++




 


 

 長い道のりだった。

 色々思い返す事も、思い返したくない事もある旅路だった。

 一人になってからこんな道程を歩んだのは初めてだ。

 いや、思えば一人でいた時間はとても僅かだった気がする。

 

  心が少し浮いたような、落ち着かない感覚だ


 けれど、少しだけ懐かしいこの感覚。

 

  ん~~~、安心・・・ってのとは違うか?


 言葉にするには難しい感覚を持ちながら程なく見えてだろう町の方を眺める。

 行く道と違い多くの荷を運んでの帰路だ。

 以前にこの道を昇竜と歩んだ時に比べて現状を把握でき、ヴリトラとも合流できた。

 この旅だけでそれを果たせるとは思っていなかったが・・・

 

  余分な荷物が・・・増えたな

 

 手土産と言うには面白い内容ばかりでないのが憂鬱ではある。 

 だがようやく胸の内を吐き出せる相手と会えるのは本当に助かる。

 

  それに・・・


 「翠達は俺がいない間どうしてたかな・・・」

 

 

 

 ・・・



 ・・・・・・




 久しぶりの西平の町。

 なんというか、二ヶ月程度だったのだが随分長いこと離れていたように感じる。

 軽く久しぶりの町の空気を吸い込んでみる。

 「ねぇ、お兄さん」

 町並みを見ながらなんとも言い難い感慨に浸っていると背後から何か尋ねたそうなヴリトラの声。 

 「ん、どうした?」

 「ここがお兄さんが最初に落ちたところなんだよね?」

 「落ち・・・そうだな、落ちたのはもう少し東側だったが最初に来たのはこの町だ」

 久しぶりになんというかここに来た時の非常識なファーストコンタクトを思い出してしまった、地面との接吻の味が口元に広がる。

 思えばだが、あの時無傷だったのはヴリトラと体が混じった影響だったのかもしれない。

 思考が巡る、可能性に渦が巻き始めようとしているとヴリトラは続けて俺に首を傾げながら問い掛ける。

 「確かお兄さんの、妹?と、お姉さん?がいるんだよね」

 「あぁ、そうだここでの家族だ。みんな優しい人ばかりだ、きっとヴリトラも気に入る」

 「それは嬉しい、んだけど・・・家族?ってやつは言葉では聞いた事あるんだけどどんな人達なのかな」

 問われて言葉に困った。

 「え、っと・・・うぅぅ~ん。大切な人達・・・ってだけじゃ説明になってないよな」   

 「うん、なってない!」

 力強い頷きで答えられた。

 けれど俺も言葉に出来るほどの理解はない。

 

  これを説くのは中々に難しい・・・


 俺も”普通な家族”という環境ではない。

 一先ずはわかるところから言葉にしてみる。

 「・・・一般的に男と女が結婚して夫婦、それで子が生まれて家庭が作られて、そんな血の連なりが家族って奴になるんだが」

 「ん~?お兄さんはここの人じゃないから、血の繋がった人っていないよね?」


  ・・・なんというかな


 「そうだな。だが、家族と言うのはもう一つの連なりでもある、と思う・・・俺はそちらの枠組みの家族だ」

 「もう一つ?」

 「心の連なり・・・多分だが、俺はこっちの方が大切だと思う。血の繋がりを重要視する奴もいるが、そこに心が無ければきっと・・・そこに居場所、帰る事の出来る”家”はないからさ」

 これはあくまで自論だ、時として血の繋がりには勝てないんだろうけれど俺にとっての家族に血の繋がりは無かった。

 少しだけ、少しだけあの時の感覚が俺をくすぐっているような感じがした。

 そんな俺を見ていたヴリトラは静かに俺に聞く。

 「・・・・・・家族と相棒って違うのかな?僕とお兄さんって相棒だけど家族じゃないんだよね?」

 「確かに・・・家族って感じじゃないな。相棒って言うのは傍にいて助け合い支え合う存在だ、だから俺はお前の、お前は俺の傍にいる」

 ヴリトラはコクリと頷く。

 「家族って言うのは・・・ん~~、帰る場所になる存在だって俺は思う」

 「帰る場所・・・それがあるのって嬉しいのかな」

 「嬉しい?」

 「ん、お兄さんさっき・・・ここが見えた時からなんだか嬉しそう・・・」

 ヴリトラはそう呟くように言って少し顔を俯かせた。

  

  ・・・そうか


 急に問われた事だったがこの反応で何故と言う事に解が生まれた。

 その答えに俯いた頭に手を載せる。

 「そんな顔をするな」

 「えっ・・・」

 ヴリトラは少し驚いた表情で俺を見つめる。

 乗せていた手でヴリトラの頭を軽く撫でて笑いかける。

 


 「俺が帰る場所はヴリトラの帰る場所だ」






 ・・・



 ・・・・・・





 少し町の様子を窺いながら家にやってきた。

 なんというかこれは予感だが、町に入った瞬間に紫庵辺りに捕まるかと覚悟していたがあまり人とすれ違わなかった。

 警邏中の顔見知りの兵士に話しかけると俺の姿に驚かれたものの町で声を掛けたのはそれ位。

 この姿ではしょうがないのかと、この身体の変化に一時は助けられているが既に顔を合わせている人達に対しては不便だ。

 一先ず、屋敷の敷地を覗いてみるが・・・。

 「・・・やけに静かだな」

 「そうだね~、でもあっちの方に誰かいるみたいだけど」

 俺の呟きに答えるヴリトラは厩舎の方を指差す。

 時間は昼を少し過ぎた辺り、この時間なら厩舎にいるのは李台だろう。

 長旅だった事もある、昇竜が引いてくれている馬車を置くにしてもまずはそこへ向かった方がいいだろうと厩舎へ向かった。

 


 ヴリトラの言葉の通り厩舎の中には李台の背中が見え、俺は一応以前と変わらない態度で声をかけた。

 「相変わらず大変そうだな、李台」

 「・・・?えっ、その声は、馬龍様・・・?」

 俺の声に振り返った李台は俺の姿を見て驚きで声を途中で止めて首を傾げた。

 これで何度目か、そろそろ俺が俺だと証明する札でも欲しくなってきた。

 「あぁ、色々あってな少し背が伸びた」

 「少し、どころではないと思いますが、そちらにいるのは昇竜ですしその口調は馬龍様で間違いないようです・・・しかしそれほどまで逞しいお姿になられているとは。幽州へ向かわれる中で何があったのです?それにそちらの方は?」

 「道中はまぁ・・・色々とな。こっちのはその中で再会出来た俺の相棒のヴリトラだ」

 「よろしく~」

 「これはまた・・・そちらの方が以前お話されていた馬龍様のお連れの方ですか。私は李台と申します」

 少し驚いた顔をしたけれど温和な笑みでヴリトラの挨拶に返す李台。

 一応ではあるがこのやりとりでほっとしている自身がいる。

 この調子なら姉さんにも受け入れられる、そう感じられたからだ。

 ヴリトラは基本、素直で笑みが似合う、出来ればこいつも皆に家族と認められたらと思う。

 「姉さんに帰宅した旨を伝えたい。姉さんはどこか出ているのか?」 

 俺の姿を説明するには時間がかかるので先に姉さんの居場所を訊ねる。

 すると、李台は首を傾げた。

 「居られないのですか?先程お部屋で食事を取られていたと記憶していますが・・・本日の予定はないですし、鳳凰もこちらにおりますので町の外へは行かれていないはず。あっ・・・もしかしたら庖徳様の所かもしれません」

 

  また、厄介な所に・・・


 久しぶりに聞いた名に溜め息が漏れた。

 そして、二つの視線に見つめられてそれに一度ずつ視線を返してから思考を再開させた。

 「・・・はぁ~~、まぁ早い方が良いと思ったがそこだと話が拗れそうだ。なら、翠達はどこにいるだろうか」

 「馬超様達はお出かけになっております。先程ご親戚の方がお見えになられましたので馬休様と馬鉄様はそちらに。馬超様は朝方より馬騰様の代役として町の集まりに出ているそうです」

 「入れ違いか・・・」

 すれ違いになってしまった事は少々寂しいが、姉さんが翠に代役をさせている事に少し驚き、少し嬉しくも思う。

 そして、気になるのはもう一つ。


  親戚というのは馬岱辺りだろうか。それだと面倒かもしれない・・・


 馬岱とはまだ俺自身面識がない。

 家族として受け入れられているものの姉さんと一緒の時の方が良いだろう。

 それに俺自身の変化も加えれば誤解が生まれるのは想像に易い。

 翠達が戻ってくるまで時間が掛かるのなら選択肢は二つ。

 「・・・ふむ、まぁ戻ったばかりだし少し落ち着いた方がいいか、姉さん達が戻ってくるのを待つとしよう。だが暇を持て余しそうだ・・・李台、何か手が必要な事はないか?」

 「一先ず掃除も食事も終えましたので一息つく所です。道中の色々と言うのが興味惹かれます、宜しければお待ちする間そのお話を聞かせてはいただけませんか?」

 「そうだな。なら、お茶を用意してこよう」 

 「それは私が・・・」

 「部屋に荷物を置いてくるついでだ。土産、というわけじゃないが旅の中で作った茶もある」

 「そう、ですか。では私は昇竜の荷を解いておきますので」

 「じゃあ、僕もそれ手伝うよ」

 ちょっと意外だ、ヴリトラが俺と違う方を選ぶ事に驚いた。

 屋敷の中を案内しようかと思っていたのだが常にヴリトラを引っ付かせているのも良くないだろう。

 「・・・わかった、なら少し待っててくれ」

 



 馬車から部屋に置く荷を持って一先ず自身の部屋へ向かう・・・のだが、ふと俺の鼻をくすぐる香りがした。

 

  ・・・なんだ?人?李台のほかにいたのか


 自室に近づいてようやく気づいたのだが、どうも部屋の中に人がいるらしい。


  感覚からして待ち伏せやら悪意ではないが・・・


 少しずつ近づいていく事にその気配ははっきりと捉えられるようになっていく。

 十メートル位だろうか、ここまで来ないといけないとはどうも鼻の鈍り方が酷くなっている。


  この気配を・・・この距離まで気付けなかったのか。だが、俺はともかく・・・


 ヴリトラは門を超えたあたりで李台の方を指差した、厩舎よりもこちらの方が近い。

 あいつなら両方を指すか近いこちらを指すと思う。


  違和感だが・・・


 俺の鼻はもう今更だ、この感覚に頼れないのを覚悟しておかないといけないらしいがこの原因の正体はなんなのか。

 それにヴリトラが気付かなかったと言うのは何故なのか、俺は少し立ち止まって考えたが後で本人に聞いた方が早そうだとこれは一先ず保留にした。

 俺も優先したい事があったからだ。

 まずは部屋の戸をトントンッと軽く叩いてみる。

 「・・・・・・」 

 だが返事はない。

 もう一度戸を叩いて反応がないので戸を開けた。

 そして、部屋の中にいるのは感じた通りの人物。

 「・・・ん~~、だめだって、るお、それじゃ~~・・・zzz」

 俺の部屋にいた先客は寝台で眠っていた。

 

  くくっ、平和そうな寝顔だな


 なんという感情なのか、込み上げてくる笑いを堪えて静かに部屋の中に足を踏み入れる。

 出掛けているはずで、何故ここで眠っているのか、とか言う疑問は眠るこの顔を見た瞬間どうでも良い事だと思えてしまった。

 「・・・そう、それはあたしの~、zzz」

 寝言のたびに打つ寝返りを少し観察しつつ、起こさないようにと持っている荷を降ろしていく。

 鞄は中身をそのままに机の傍に置いて、腰に挿した剣を倒れないように棚に立て掛け、着ているコートを脱いで椅子の背に掛ける。

 

  さて、さて、どうするかな・・・


 身軽になって少し考える。

 寝台に近づいてその平和そうな顔を眺める。


  ・・・少し大人めいた顔立ちになった・・・背も伸びたか


 見ないうちに大きくなっている、俺の身体ほどの変化ではないが少し前の俺だったら身長が抜かれてるかもしれない。

 もう少しこの寝顔を見ていたい気もするがヴリトラ達を待たせたままだ。

 出来れば言葉を交わしたい、だが起き抜けで今の俺を見てどう思うか、それを考えればこのまま寝かせておくべきだろう。

 今は思わず見れたこの顔で満足しておく事にした。

 そう決めてコートから必要になりそうな物だけを取り出してズボンのポケットに入れる。

 それから入って来た時と同様に音を立てないように戸に手を掛けた。

 「・・・ん?」

 だが、戸を開けようとした所で一つ忘れていたものを思い出した。

 掛けた手を戻して振り返って忘れものを届ける。




 「・・・ただいま、翠」

 




 


 ・・・・・・



 ・・・・・・




 

 先程から町の様子がおかしい気がする。

 「・・・何かあったのでしょうか?」

 「きっと風が吹いているのでしょう」

 「・・・?」

 外の様子が気になってそれを言葉にしたところ馬騰様は微笑で答えてくださいましたが、私では少々理解出来ない答え。

 

  ・・・風、これは何の比喩なのでしょう


 そう頭の中で呟く。

 すると一つの影が浮かび上がる。

 「・・・っ、もしかしてっ、龍様がお帰りになられたのですか!」

 「少々早いかとも思いましたが、先日の楼杏からの書状から見てちょうどの頃合かもしれません」

 「で、でででぇぇぇはっ、お早くお屋敷にっ!り、龍様がっ龍様~~」

 「紫庵、落ち着きなさい」

 「うぅぅぅ、ですがお帰りになられたらお聞きしたい事が山ほどあったのです~~私は居ても立っても~~」

 もどかしくて狂おしい、即座に行動あるのみと立ち上がるとそれを馬騰様は首を横に振られた。

 「それはそうなのでしょうけれど・・・この国を見た龍はきっと貴方の知恵を必要とするはずです」

 「私をっ、り、龍様がお求めに!?」

 会いに行く事を止められた、けれど馬騰様のお答えは私の体の芯を熱くさせる。 

 「えぇ、おそらくは。ですので先程お伝えした物を揃えてもらえますか?龍の助けになると思います」

 「は、はい!勿論で御座います!はっ、長旅でしたし他にも御入用の物があるのでは?!急ぎ取り揃えねばなりません!」

 「・・・で、ではお願いします。私は先に屋敷に戻って貴方の事を伝えておきます」

 「はいっ!一刻を持って全てを揃えお待ちしております」

 私は店内の物だけでは足りないだろうと町へと赴く準備を始めようと再び腰を上げた。

 けれど・・・。

 「・・・この冷風の中ではその熱が少々羨ましい」

 「えっ?馬騰様、今なんと・・・」

 ぽつりと聴こえたそれを聞き直すと馬騰様は小さく首を横に振られ微笑を私に向けられる。

 「いえ、何も。余り急ぐ事はありません・・・先程の件も含めしばらくは紫庵に任せます」

 「はい・・・承知しました」

 馬騰様は私の思いと裏腹に変わらずの笑みで指示をされる。

 けれど、その微笑を返される前に私は少しだけ寂しげな顔をされたように見えた。




 ・・・



 ・・・・・・


 


 ほっ、と一息。

 いや、ようやく一息というべきか。

 翠の顔が見れたからか、それともここの空気が体を満たし始めたからか、多分は両方だろう。

 ぐるぐると回していた頭の中身がしばらくぶりに落ち着き始めていた。

 

  ・・・の、だが

 

 「に・い・さ・ま・に~~っ、くっつくなぁぁぁ!!そこはあたしの~~っ」

 ヴリトラの体を目一杯に引っ張って翠が声を張り上げる。

 「い・や・だぁぁぁ!!ここは僕のっ!」

 万力の如く腕を締め上げて俺にしがみつくヴリトラ。

 「い、痛っいーーって!ヴリトラ潰れる、腕が潰れる!す、翠も引っ張るな、もっと穏便にっ!千切れっ、腕が取れる!!」

 二人の間には痛みを訴えながら事態の収拾を願う俺がいる。

 ヴリトラを紹介する時はもっと平和な対面が出来ると思っていた。

 だが、李台とヴリトラとお茶を飲んで道中の話をしていた所に息を切らせてやってきた翠。

 俺の姿やらの説明をする前に鉄槌再び、横腹へのタックルを受けた。

 威力の成長を感じながらも俺がそのダメージを回復させている内に翠はヴリトラの存在を指摘して痛みに悶えるのを堪えてそれを説明。

 翠はそれを聞いて一度鼻を鳴らして理解を示したと思った後にこの展開だ。

 「た、頼むから一度落ち着いてくれ!」

 「「うぅぅぅ~~~っ!!」」

 そして、俺の言葉は聞き入れられないのでこの状況が持続している。

 そんな状況に李台の手を借りようと視線を送れば、何も言わずただ苦笑いのまま無理だと言わんばかりに手を振られる。

 痛みの所為で溜め息を吐く事が出来ないまま対策を考えていると、視界に昇竜が映った。

 自身の寝床からゆっくりと俺の方に近づいてくる。

 

  ・・・お前は俺の味か、


 「たァァァァっ?!」

 ガブリと一口、昇竜の歯がおでこにめり込む。

 「なっ?!頭を噛むなっ!割れる、頭蓋が軋んで・・・っ!!」

 俺の言葉は何処吹く風、俺の頭をくわえ込みながら昇竜が唸る。

 「違っ!お前を除け者になんてしてな、いィィっ!べ、別にこれは楽しい事じゃないって!!」 

 昇竜が酷く怒っている。

 ヴリトラと翠が俺に引っ付いて遊んでいる。

 そう誤解して自身が仲間外れにされたと勘違い、これは昇竜なりのしがみ付き方をしているらしい。

 だが、これは痛みが増すばかり、状況が悪化しただけだ。

 これはどうするべきだ、出来れば力に頼りたくはない。

 けれど、そろそろ本格的に脱臼しそうなほどに腕が伸び始めて、肘から先の感覚がなくなりだして、額からゴリゴリと言う音が大きくなっている。

 

  何でこうなる・・・しょうがない、優先事項変更だ


 状況を脱するために全身に勁力を走らせる。

 

  一気、に・・・?


 抜け出ようとしたが・・・俺に取り巻く力がぴたりと止まる。

 噛み付いていた昇竜の歯の感触が離れ、ぐいぐいと引かれ伸びきっていた腕が元の長さに戻された。

 突然に凪が訪れたようで俺はそれを疑問に思い、その思考が勁力を停止させていた。

 「ん・・・」 

 生憎、視界は大凡昇竜の体躯が覆っている所為で状況をそこから知る事は出来なかったが心地良い香りがした。



 「随分と楽しそうですね」



 静かで優しい響きの声。

 視界の端で翠がその声の方を向いて固まっていた。

 昇竜も静かに俺の前から離れて行き次第のその人物の姿が見えるようになっていく。

 


 「翠、はしゃぐ気持ちは理解できますが、あまり困らせてはいけませんよ」

  


 穏やかでそれでいて凛とした空気が流れる。 

 そして、俺の顔を見つめて微笑む。



 「おかえりなさい、龍」


 

 そう言って旅立った時と同じ微笑を俺に向けてくれた。

 俺の心を埋めてくれる言葉。

 それに俺は返すべき言葉と共に笑みを返した。



 ・・・


 ・・・・・・


 

 

 少し間を置いて俺は心の落ち着きを実感した。

 先程も落ち着きそうで落ち着けなかったのはきっととても簡単な事を済ませていなかったからだろう。

 紅姉さんの登場で一先ず混沌としていた俺の周囲が洗い流されるように静まり、俺達は場所を改めて道中の話を語る事になった。

 道中に幾度か途中経過を書簡で送っていたがそれでも自身の口で伝えたい事、それにどのような言葉を返されるのかが気になっていた。

 しかし、それも今は少しずつ違和感を感じ始める。

 「ふふふっ、中々良い旅だったようで」

 姉さんは終始笑みを絶やさなかった。

 それが俺の違和感・・・というよりも想像外の顔だった。

 李台に話したものとは違う、面倒な事もありのままに伝えたのだ。

 宮中に俺を狙う者、利用しようとする者がいる、その事実に姉さんが眉を寄せるのだろうと思っていた。


  ・・・どうして


 姉さんの態度に疑問が、違和感が、疑念を生む。

 「・・・・・・」

 「龍、どうしたのです?」

 姉さんは考え込んでしまった俺に問い掛ける。

 けれど、俺は疑問は言葉に出来なかった、言葉を捜しきれなかった・・・いや、問うべきを見つけられなかった。

 姉さんの疑問符に応えられるのは今の俺の心情。

 そこから一度頭を整理する以外思いつかなかった。

 「帰る事を約束していたとは言え面倒事を持ち帰ってしまった事が、どうしても・・・」

 「私達の名を授けたのです、突如現れた馬姓を持つ貴方を珍しがる者も当然いるでしょう。それに関して貴方が気に病む必要はありませんし貴方がその事で、その者達の所為で帰らぬと言う方が私達にとってはよほど迷惑と言うものです。よく帰って来てくれました」

 姉さんの言葉は素直に受け取れたのなら嬉しいものだった。

 

  けれど・・・


 そう心が否定を始めようとすると姉さんの声がそれを遮る。

 「龍が危惧している事は私も理解出来ます。ですが・・・まだ、問題はありません」

 「まだ・・・?」

 俺が姉さんの言葉に表情を曇らせていると返って来るのは微笑み。

 「えぇ、積もる話はまたにしましょう」

 「いや、だがそれはっ・・・」

 話を切り上げようとしてしまう姉さんに今後の事を相談したいと口を開いたが姉さんの視線に気づいて言葉をとめた。

 「・・・?何、兄様?」

 「いや、なんでもない。ただ・・・今晩の献立は何にしようかと思っただけだ」

 姉さんの視線の先を追掛けると翠と目が合い俺を見て首を傾げた。

 帰って来たばかり、それでまた出立の相談と言うのは些か拙いだろうと無理やりに誤魔化した。

 「っ!!それなら、ころっけが良い!それから角煮とっ、それから・・・ん~~兄様の料理がたべたいっ!!」

 「そうか、なら皆の好物を出来るだけ用意しようか、腕によりを掛けて」 

 そう言って出来るだけの笑顔で翠の頭を撫でた。

 ただその際にちらりと映る姉さんの笑みは少しだけ良い気配ではない気がした。

 まるで・・・俺を見ているようで違う誰を見ている、そんな気がした。



 

 知りたい事は残されていたけれど・・・しょうがない。

 再びここを出るにしても少し時間が必要だと言うのは俺も感じていたところだ。

 小さな俺の相棒がここの空気を内側に入れるくらいの時間、出来ればヴリトラにここが好ましく思えるだけの時間が欲しい。


  と、いう事でその一歩目だな・・・


 俺は一人で夕食の準備を始める。

 昼を過ぎた位だったのでかなり早めの支度だが、腕によりをかけるとも言った。

 時間があれば手を掛けられるものも多い、出汁を取ったり、煮付けなどは兎角仕込みに時間が掛かる。

 俺が料理をしている間に姉さんは鶸と蒼の所へ俺の帰宅を伝えに行くと言う。

 そして、必然的に残されるのが・・・翠とヴリトラ。

 二人とも純粋で真っ直ぐ、反りが合わないという事はないはずだ。

 違う部分で言うなら生きてきた環境だけ、先ほどは色々と困った状況ではあったが姉さんと話している時に二人が争う様子はなく静かだった。

 ならばと俺は敢えて二人だけの状況にしてみた、俺と言う存在を挟んでいるよりもそちらの方が互いに良いと思った。

 だが不安があるのは確か。

 と言うか、外の方から嫌な気配がして覗いてみれば翠は鍛錬用の槍を手に取りとヴリトラと対峙していた。

 それを見た瞬間は頭を抱えた。

 だが、ヴリトラは俺を見て笑い、小さな声で「大丈夫だよ」そう言った。

 俺はその言葉にどうしたものかと考えたが結論としてヴリトラを信じる事にした。

 その後、少し困った事になりはしたが結果良かったと思える形で翠とヴリトラは和解した。

 それからヴリトラは翠が気に入ったのか何度も、うんうんと頷いて笑った。

 翠はその様子に少し戸惑いの色を見せたが自ら手を差し出してヴリトラの手を取った。


  良い一歩目・・・


 そう、俺は思う。

 



 

 ・・・




 ・・・・・・




 

 そろそろ空が赤くなろうとする頃。

 未だ外からはヴリトラと翠の声が聞こえる。

 互いに楽しそうな声、それに混じって昇竜の鳴き声と李台の悲鳴が聞こえたりもしたが、料理をしながら聞くそれは良いものだった。

 料理の方はもう仕上げを残すばかり。

 「・・・ん~、姉さんもそろそろ戻る頃合・・・か?」

 姉さんは日暮れまでには戻ると言ったのでこの辺りで一先ず切り上げようと手を止めると料理の香りとは違う別の香りがした。

 どうやら、姉さんが帰ってきたらしい。

 

  ふむ・・・少し早かったか

 

 まぁ、どうにも安定してくれない鼻に辟易しながら少しこれからの段取りを考える。

 姉さんの帰りを待つまで翠達に混ぜてもらおうと思っていたが丁度良いのか悪いのか、手にした包丁を置くのを迷った。

 とりあえず意識を集中させて嗅覚を研ぎ澄ませて見る。

 少し変化があるようだが蒼と鶸の香りもする、それともう一人。


  これは・・・翠?・・・いや、鶸?蒼?


 なんというか不思議な気配だ、翠や鶸、蒼それを混ぜたような気配がする。

 

  多分、これが馬岱・・・なのか?


 色々な気配を感じて来たが、従姉妹というより姉妹と言った方が納得できるほどに酷似した気配だった。

 ひとまず、料理はすぐに食べられるように仕上げてしまう事にした。

 少しすると翠とヴリトラの声に続いて鶸と蒼の声が聞こえる。

 なんだか驚きの声が聞こえたりするがきっと姉さんか翠がヴリトラを紹介してくれているのだろう。

 程なくすると外は静かになって翠達の気配は中庭から浴場の方へと消えていく。

 多分は汚れた手足を洗いに行くのだろう。

 ならばこのまま夕食の流れ、装ってしまっても良いかと棚の皿を出す。

 

  ・・・これが姉さんの、これが翠で、これが鶸、これが蒼だったな


 久々に見る専用茶碗、いやはやこれを手にすると嬉しい・・・と言うかなんだかくすぐったい感じがする。

 それから自身が使っていた物を手にしてふと思う。

 

  ・・・そうだな、あいつのがないしな


 今日はこれを使わず来客用の器を使う事にした。

 一先ず、明日ヴリトラ用に必要な物を用意しに町へ連れて行こう、出来れば翠達も伴って。


  ・・・で、えっと馬岱か


 明日の予定が一つ決まった所でもう一人の事を考える。

 親戚だと言っていたが翠達以外の専用茶碗はないし、多分は来客用で良いとは思うが少し気にしていなかった戸棚を漁ってそれらしいものが無いか探してみた。

 「んーー、やっぱりないか・・・」

 ならばこれで問題ないと改めてもう一つ来客用の茶碗を追加した。

 そんな事をしているうちに火に掛けていた料理も良い頃合。

 

  ・・・そろそろ声、を?


 釜戸の火を落として皆を呼びに行こうとすると戸の向こうで人の影が揺れる。

 「ねぇ、あれが・・・なの?」

 「そ~だよ~、たぶん」

 「たぶん?・・・まぁ、蒼だしね。でもさ、ん~、なんだか聞いてたのとちがう・・・もっと、・・・だと思ったのに・・・」

 そこから聴こえるひそひそと話し声。

 一人は蒼でもう一人の声の主が馬岱という事になるのだろう。

 俺の事を話しているようだが急に声を掛けて驚かせると言うのも悪手かと気づかずのふりのままで調理のふり。

 

  ・・・出来ればちゃんと挨拶できる場の方が良いしな


 俺の事を聞いているのだろうし、気になるから先に顔を見に来たと言うところ。しばらくしたら翠達のいるところへ行くと判断したのだが。

 「五胡を一人でたおしたって言うけど・・・そんなに強い気がしないよ?」

 「龍にぃはすごいよ~」

 「えーーっ?ん~、じゃあさ、試してもだいじょうぶかな?」

 噂ばかり先行している部分があるようだ、観察されるだけならいくらでもと言いたいが何をしようと言うのか俺は聞き耳を立ててその会話に集中した。

 「・・・それって~龍にぃにいじわるするって事?それはだめ、だよ~。龍にぃがけがしたら蒼怒るかも~」

 「だ、だいじょうぶ。大丈夫だよ、たんぽぽは蒼のお兄様に怪我なんてさせないから。ちょっとだけ、ちょっとだけだから」

 なんだかノリが軽い娘だと印象が出会う前についてしまう。

 会話の内容から翠のように真っ直ぐで純粋ではなさそうだし、鶸のように真面目というわけでもなさそうで、だからと蒼のようにのんびりとした感じでもない。

 何と言うかいたずら娘と言う感じだ。

 だが、ここでやめさせる、と言うのはどうだろう。

 これ位の年頃の娘のいたずらを軽く受け流せなくては今後軽く見られてしまい翠達も良い気がしないのではないだろうか。

 

  まぁ、出来る事も限られるだろう・・・


 そう簡単に結論を出して平静を装いながら”ふり”を続けて出方を窺う。

 「これを、ごにょごにょ・・・で、ごにょごにょごにょ・・・とか」

 「ん、んん~、うん、ごにょごにょ・・・くらいしても龍にぃだったら大丈夫だよ~」

 「えっ?!ほんとに?じゃあ、ごにょごにょ・・・」

 「なら、ごにょごにょ・・・だよ」

 謎の単語が聞こえる。

 詳細は不明、だが・・・。


  ・・・蒼、さっき俺を心配してくれてなかったか?


 いつの間にか蒼も混じっていたずらの片棒を担ごうとしている。

 「う~ん、でもそれだとここじゃ出来ないよね。それにここでしたらすぐにバレちゃうし・・・それだとたんぽぽ嫌な子みたいじゃない?変な印象つけちゃいそうだよ~」

 

  いやいや、既に印象は大まかに付き始めてるぞ

 

 心の中でそうツッコんだ、ここでは出来ないほどの大掛かりな事を企んでいる時点で良い子ではないと思う。

 「まっ、いっか。とりあえず蒼が言ったことがほんとか明日試すね」

 「うん、龍にぃだったらだいじょうぶだよ」

 

  えっ、と、二人とも・・・


 少し嫌な汗が背中に流れた。

 この場で出て行っても今更感だが既に気づいている事を告げたほうが良いと体を反転させて二人に声を掛けようとする。

 の、だが二人の気配は振り返る間に戸の前から遠のいていく。

 「あっ・・・と・・・」

 話しかける間を失って大きめな溜め息が漏れる。

 明日の予定をもう一度考え直す必要が生まれてしまった。

 だが、不思議と悪い気はしない。

 「はぁ~~~、しょうがない。まったく・・・退屈しないみたいだな、ここは」

 




 少ししてから夕餉を揃えて皆のところへ向かった。

 色々と色々な事があったり、起こりそうな中でようやく皆の顔が見れた。

 そんな中で一先ずの自己紹介。

 ヴリトラはどうやら既に済ませているようなので俺の名を伝えるとその後に馬岱が口を開く。

 「たんぽぽは馬岱。宜しくね。・・・馬龍”おじ様”」

 

  かは・・・っ?!!


 不意打ちの一撃、一言が俺の心に突き刺さる。

 「・・・?あれ、どうしたの?たんぽぽおかしい事言った、”おじ様”?」 


  うぐ・・・っ!!

 

 久々だがこの響きは何か受け入れられない俺がいる。

 「ねぇ、お・じ・さ・まーー」


  うぅうぅ~~~・・・っ


 間違いではない、決して間違ってはいない。

 翠にとって従姉妹に当たるのならば馬岱にとって俺は・・・お、叔父に当たる。

 「たんぽぽ、確かに貴方にとって龍は叔父に当たりますが翠達の兄でもあります。貴方も龍を兄だと思って良いのですよ?ですね、龍」

 「あ、あぁ・・・姉さんの言う通りで頼む。馬岱が良ければだが・・・」

 言い得ないこの感情に姉さんからの助け舟を受けてようやく言葉に出来たが。

 「ん~~、お姉様のお兄様だから、たんぽぽのお兄様って事?」

 「今まで龍は親類の集まりに顔を出せなかったですから急に受け入れるのは難しいかもしれません。ですので一先ず”馬龍さん”と呼ぶ事しましょうか」

 「伯母様が言うなら・・・じゃあ、馬龍さん、改めてたんぽぽは馬岱だよ。鶸と蒼から聞いたんだけどたんぽぽにもすごいところ見せて欲しいな~」

 「・・・えっと、まぁ、その期待を裏切らないようにしたい所だが・・・お手柔らかに頼むよ、馬岱」

 




 ・・・



 ・・・・・・




 鎮まる事のない騒がしい宴のような夕食だった。

 自身食事を取る暇がないほどの騒ぎようで、てんてこ舞いな状況でもこの時ばかりはこれまでの色々な事を忘れていた。

 普段であれば姉さんがそれを治めるところだが今日ばかりはただその光景を見て微笑んでいるだけだった。

 やはり、俺はここが気に入っている。

 こんなにも笑みを見せてくれる人達が、妹達がいる場所を俺は気に入っている。

 以前の世界で枯れていた俺は、”楽しい”なんて思いもしなかった。

 ヴリトラはどうだろうかと翠達に纏わり付かれながらその表情を窺って見るがその必要もないように見えた。

 何故なら、ヴリトラも翠達と一緒になって俺にくっついてくるからだ、無論満面の笑顔で。

 少しずつ、ゆっくりで良いと思っていたけれどこの様子ならすぐにここにも馴染んでいくだろうと思える良い夕食だった。


 

 それから、少し経つ。

 騒ぎ疲れて眠ってしまった翠達を寝所に運ぶと俺は姉さんの元へと向かった。

 すると、部屋の前で姉さんが俺を待っていた。  

 「・・・少し、場所を変えましょう」

 そう言うと姉さんは静かに歩き出す。

 昼の頃は翠がいると言う手前、ならばここもそうなるかもしれないという事だろう。

 俺は姉さんの言葉に頷いてその後に続いていくと姉さんは外へ、中庭辺りへ行くのかと思っているとそのまま屋敷の門を抜ける。

 少し疑問に思いつつも姉さんの後に続いて町へ足を踏み出す。

 月の明かりが町を照らしていた。

 けれど、まだそれほど遅い時間ではない、町を歩いているとちらほらと家の中から明かりが漏れている。

 家々の近くを通ると中から声がするし、少し遅めの夕餉の香りも立ち上らせている家もある。

 姉さんのゆっくりとした歩調に合わせて少し夜の町並みを観察していると先の方にある飲み屋では親父達が上機嫌に酒を酌み交わしている声がする。

 静寂すぎない夜、けれどお祭り騒ぎというわけではない、とても好ましい風景だった。


  と・・・っ?


 そんな光景に気を取られていると姉さんは大きめの路地で足先の方向を変えて路地を右手に曲がる。

 町を見ながらも町に出た理由をいくつか考えていた。

 最初は紫庵の所かと思ったが随分最初の方でそちらへ向かう道を外れ、どこか静かな店にでも行くのかとか思ってみれば先にある明かりを避けるように曲がる。


  先にあるのは町の東門くらいだが・・・


 疑問符が大きくなる。

 周辺を見渡しても立ち並ぶのは民家、誰かの家に行くのかと思いながらも姉さんの足はそのまま町の外へ向かっていた。

 これからする話はたしかに誰にでも出来る話ではない。

 けれど、町の外まで来るものかと思っていると姉さんの歩みが止まる。

 「・・・さて、どこまで行きましょうか?」

 「えっ・・・?」

 急にそう投げかけられて驚く。

 そんな驚いた表情を姉さんに肩越しで見られた。

 「ふふっ、冗談です。もう少しですから」

 「・・・?」  

 「許してください、たまには貴方の困った顔や驚いた顔も見たい、という姉の小さな望みです」

 そう言って微笑み、再びゆっくりとした歩調で歩き出す。

 



 姉さんの言葉の通り少しだけ歩くと小さな丘。

 丘の中腹辺りで振り返ると町からそれほど離れた場所ではないようで町の小さな明かりが見える。

 暗がりで少し解かりづらかったがここは俺も来た事がある場所。

 丘の上にはこぶの様にぽこぽこと地面が膨らみ、その先々に大き目の石が置かれている。

 「・・・・・・」

 軽くあたりを見渡して立ち止まった姉さんの横に並ぶと姉さんは深く目蓋を閉じてほんの少し俯くように頭を下げていた。

 それから再び目蓋を開くと頭上に広がる空と月を眺めた。

 「・・・有り難う御座います」

 静寂に凛とした声で姉さんは俺に向き直りそう言った。

 「改めて、皆を弔ってくれた事に感謝を」

 それから姉さんは深々と頭を俺に下げる。 

 ここはこの町の墓所だ、そして姉さんの言うのは俺が助けられなかった騎馬隊の事だ。

 「姉さん、頭を下げないでくれ。俺は・・・、俺にはそれしか出来なかった。俺は救えず、救われた側なんだ」

 「いえ、もし貴方がいなければここで眠る者達も報われず弔われる事もなかったでしょう」

 俺がもっと早く動いていれば救えたかもしれない命。

 俺に出来たのはただ失われた命に手を合わせるだけだった。

 「だが、俺は・・・っ」

 俺は姉さんの言葉を受け取る資格はないと口にしようとすると頭を上げた姉さんの瞳に言葉を止めさせられた。

 「酷いですね、貴方は。私では出来ない事を容易にしてしまう」

 「・・・・・・」

 哀しげな瞳、自身を咎める者がする瞳に俺はただ言葉を飲み込む。

 いつだって俺たちに微笑んでいた姉さんが初めて見せる表情、そんな顔をするとは思いもしていなかった。

 「以前、貴方が弔ってくれた事は報告されていました。ですが、貴方が旅路に出た後の事です。命を落とした騎兵隊の一人、その家族が私の元へ来ました」

 姉さんはその時の事を俺に伝える。

 俺が町を出て半月後に遺族が俺への取次ぎを求めた。

 そして、こう言ったらしい。

 

 『この子の名をつけていただきたいのです』


 生まれたばかりの子を抱きかかえ、母親は姉さんに頭を下げた。

 俺もその人と会っていたのを思い出した。

 その時はまだ身重で、墓前で涙を流していた。

 流せる涙を羨ましく、流れる涙が俺を苦しめた。

 そして、ただ哀しみに飲まれるその姿が嫌だった。

 だから俺は自分勝手に慰め、自身を慰める言い訳を彼女に告げた。


  『貴方の夫は最期まで皆を守るため勇敢に戦った』

  『あの奮戦が無ければ敵に街を蹂躙されていた』

 

 そんな嘘、自身の目で見てもいないその様を伝えた。

 実際には違う、俺が感じるそれは・・・無駄死にと言って良いものだった。

 敵の策にかかった有様は自滅に近い、だが、それは俺が最初から前に出ていれば防げた。

 その事実を俺は口に出来なかった・・・だから、俺は嘘を付いた。

 自己嫌悪だ、俺は人を騙した。

 そうして騙す事でしか彼女の涙を止められないと思った。

 けれどやはり彼女の涙を止めることは出来なかった。

 より一層の声で涙を流し、その場に崩れるだけだった。

 そんな彼女が何故、俺に子の名を付けさせたかったのか俺は理解出来ない。

 「貴方はあの女性、その子に生まれる悲しみをを弔ったのです」

 「悲しみを、弔う・・・俺はそんな事・・・」

 出来なかったはずだ。

 ここに来る直前まで数で見ていた兵士の家族に対して俺が何も出来るはずはなかった。

 けれど、姉さんは俺の瞳を見つめ彼女の思いを俺に伝える。

 「流れる涙を貴方が受け止めてくれたのだと、彼女はそう私に言いました」 

 「だが、俺は・・・」

 そんな事をしたつもりではなかった。


  ただ・・・俺は・・・


 「貴方がどう思っていようとその事実は変わりません。貴方は死した皆も、残された者達の思いも弔ってくれたのです」

 そう言って姉さんは再び一つ一つの墓を見つめる。

 俺はその視線を追うように辺りを見渡す。

 「彼女達だけではありません。貴方のその行動ひとつひとつがここに眠る者達に安寧を与えてくれるのです、残された者達が笑みでいられると。・・・おそらく、私の夫もその一人」

 姉さんは前に歩き出す。

 それについて行くと墓所を抜け丘の頂上に辿り着く。

 頂上に生える木の脇に小さな墓標があった。

 「・・・貴方は、どこへ行くのでしょう」

 姉さんは墓標を見つめそう呟いた。

  

  どこへ・・・


 町を出た時と同じような言葉だが、多分それは明確な場所を指さない。

 俺は見えないそれを探すかのように空を扇いだ。

 見えはしない、そこにあるのはただの夜空。 

 視線を空から戻すと姉さんは墓標の脇に座り俺と同じように空を見ていた。

 俺の視線に気づいたのか姉さんと目が合う。

 「龍、少し付き合ってください」

 そう言って取り出すのは小さな酒瓶と盃。

 姉さんの隣に座ると盃を差し出され酒が注がれ、その返しに姉さんの持つ盃に俺も同じように酒を注ぐ。

 互いの盃が満たされると姉さんと一緒に盃に口を付ける。

 口の中を満たしていく芳醇な香り、清水のように滑らかな口当たり、喉に落ちるとそれは火を灯したかのように体を暖める。


  ・・・良い酒だ


 俺が飲んできた物でも極上と言える部類。

 それは少し日本酒に似ているような、なんだか俺の体に馴染む味のような気がした。

 ここからでは町の音は聴こえない、聴こえるのは微風に揺れる草木の音。

 それも二口目を口にする時には風も止んでただ静寂が流れた。

 俺も姉さんも黙り込んで静寂の夜に二人、その光景だけが世界から切り取られてしまったかのようだった。

 「思えば龍と二人だけで盃を交わすのは初めてでしょうか」

 「そうかもしれない」

 不意に口を開く姉さんに俺はただ静かにそう返す。

 「不思議な日々でした、貴方と出会ってからは。・・・ただ、私は朧気ながら貴方が訪れるかもしれないと思っていたのです」

 「・・・それは、どこかの易者から聞いていたと?」

 以前に知り合いに易者がいると言っていたことを思い出す。

 この時代はまだ占いや呪い、仙術やらを信じる時代・・・それならばと思うとそれほど俺の訪れを予見していてもそれほど驚く事ではなかった。

 だが、姉さんは小さく首を横に振る。

 「貴方と出会う前の日、昼頃の事です。私は五胡の侵攻の備えのため幾つかの集落と要の砦を行く事になっていました。出立する間際、鳳凰の背に手を乗せた所、星が流れたのです」

 「星?・・・日中に流れ星と言うのは珍しいと思うけれど・・・それは何を示して」

 「陽の元に落ちる星は吉兆であり、凶事であり・・・ですが、確かな事は何かの前触れ、兆し」

 吉凶あり、それをどう取るかは見る人次第・・・とても都合の良い解釈だと思った。

 だが、それよりも何故それを俺と結びつけるのか俺は気になった。

 「あの星は・・・貴方、ですよね?」

 「え・・・?」

 「翠を送っていただいた後、少し調べさせてもらいました。貴方がやって来た方角は私が見た星の流れた先と同じで、騎馬隊の一人が見つけられたのは星が落ちたであろう窪みと、そこから突如と生まれた足跡・・・まるで人が落ちたようだと言う報を受けました」

 中々に常識外れな所為で自身がここにやって来た方法を忘れようとしていた。

 確かに俺は空から落下して地面を陥没させた。

 だが、やはり自身が流れ星になっていたと言うのは受け入れがたい事実。

 けれど、姉さんは俺の表情からその事実を読み取ったのか少し笑った。

 「ふふっ・・・やはりそうでしたか」

 既に知っていた事を再確認したかのような口ぶり。

 出会いの日を振り返っていた俺はその中に一つ合点がいく事が生まれた。

 「・・・確証はない、だが事実が先にある。だから俺の荒唐無稽な話を呆れず聞いてくれた、って事か」

 「うぅっ、龍はたまに意地悪な言い方をします。けれど、そうなってしまいますね。貴方が嘘をつかないのはあの場で理解できても事実が追いついていなければ、あの時に話を聞いても答える言葉がなかったと思います」

 「しかし、ここでそれを俺に伝える必要はないと思うけれど」

 「旅を経た貴方と再び会えたこの時話すべきと私は思っていました」

 そう言うと姉さんは盃を少し見つめてから軽く口を付け、町の明かりを見つめた。

 「とても楽しい日々、久しぶりに翠達の笑みを見て、五胡の襲撃の後からはその笑みが増えいく。皆が客人であったはずの貴方に向ける笑みはもう家族と認めた物になっていて・・・けれど」

 そう言葉を区切って姉さんは俺に目を向ける。

 「・・・けれど貴方の笑みは変わらない。どこか距離があり、どこか儚い・・・貴方が旅を経て、天意を得たとしても死を求めるのではないかと。貴方の、『馬雲成』と言う名を私に返上する事でその関係を終えようと考えるのではと思いました」

 「っ・・・?!!」

 姉さんはまるで俺の心の動きを読みきったかのように言う。


  だが、その通りだ・・・


 俺はそうする事でここに降りかかる不利益を返済しようと考えた。

 『馬雲成』という人物は存在しない、もしくは死んだとする。

 俺はそうしてこの地を離れようと思っていた。

 それで俺に関わる全ては終わる、姉さん達への恩義は馬車に乗せた荷の処分でどうにか釣り合いが取れるだろうと考えていた。

 「これも、やはりですね・・・貴方はとても優しいですから。私達に迷惑になるのならそう言う選択をされると思いました。ですが、先にも言った通り貴方がここからいなくなってしまう事に比べれはその他は些事にすぎません」

 「だが、俺はっ・・・」

 姉さんは俺の言葉を遮り小さく頷く。

 「・・・一つ白状しましょう、貴方が旅の中で悩み、考えを巡らせる事象はみな私の差し金です」

 「っ・・・?!」

 先程から告げられる事は言葉にならない驚きの連続。

 いくつもの思考が巡り・・・けれど、巡って返って来るまでに時間は掛からなかった。

 韓遂が企てたものだと思っていた事もその始まりにいたのは・・・そうであると思えば俺の行動を読むのはそれほど難解とは言えない。

 そうして一人これまでの事に納得を得る。


  姉さんが韓遂に根回しをしていればきっと・・・容易だ


 けれどこのまま口を開いてしまえば、何故、どうして、あれは、これは・・・そう問い始めてしまう。

 

  それは駄目だ・・・きっと勘付かれてしまう


 俺がもう決めてしまっている事を姉さんに気づかれてはいけない。

 だから俺は姉さんの言葉に小さく「そうだったのか」と返して不自然にならない程度の問いを口にする。

 姉さんから返ってくる言葉は先程繋がった線を肯定する言葉。

 俺はそれに相槌を打ち、問うべき・・・問うだろう言葉を再び問いかけ、姉さんはそれに答える。

 しばらくそんな予定調和を繰り返した。

 これは姉さんを騙す行為だというのは承知している。


  けれど・・・俺は・・・


 会話の糸が少し外れたところで小さく息を吐いて盃に口を付ける。

 横目では姉さんが俺の顔を見ていて目があうと小さく微笑む、それから俺に一つの提案をした。

 「今答えたとおり、これまでの貴方の事柄は幾つかの手順さえ済ませてしまえば問題の無い事・・・なので、これからは静かにこの地で暮らしませんか?」 

 姉さんの言葉は俺が望む事だと思う。

 平穏で、それでいて退屈しない家族に囲まれて・・・そんな日々を過ごしたいと言う欲はあった。

 俺は頷きたかった・・・けれど俺はそれに頷けなかった。

 

  嘘でも・・・頷けない


 俺は姉さんから視線を逸らしていた。

 「・・・・・・すげぇ、嬉しいって思う。・・・けど、後悔する」 

 「後悔・・・龍はどのような天意を見たのです?」

 「天意、っていうのとは少し違う。ただ・・・まだ会わないといけない人間がいる」

 するりと抜け出そうなそれを少し飲み込んで俺は言葉を選んだ。

 それはまだ俺以外が知ってはいけない事だからだ。

 知ったところでと言う所もあるけれど、未来を知った者はそれに対してどのような行動を取るだろうか。

 多くは世迷い事と一蹴するだろう、けれど姉さんは信じてしまう。

 それはまだ拙い、式を組み立てる前に答えがある。

 それがどのような経緯を持つのか、どこにどのような数字が、人間が、時間が割り当てられていくのかが見えていない状態での変化させて答えが変わる可能性は低い。

 「董々や盧植さんと約束もある。だからまだするべきことがあると思う」

 言い訳のような言葉だと自身で呆れた。

 けれど姉さんはただ短く「・・・そうですか」と小さく頷く。

 その横顔は少し寂しげで・・・どことなく、誰かに似ている気がした。

 そして、それから酒瓶が空になるまでどちらとも口を開く事無く互いの盃を満たし続け、二人で空を見上げていた。


 


 ただ、静かな夜、忘れられない姉弟だけの酒席だった

   







 ・・・







 ・・・・・・







 ・・・・・・・・・・・



 





  ・・・ただ






 ただ、この時俺の思惑はどこまで姉さんに見通されていたのだろうか。

 

 恐らくは、ほとんどと言って良いのではないだろうか。


 ただ、俺の言葉を待ってくれていたのかもしれない。


 きっと、そうしてくれるだろうと・・・俺なんかを信じて。


  

  だが、・・・堪え切れない思いに・・・


 

 俺は応えられなかった。


 俺は望まれていない答えを追い続けていたから。

 

 俺は笑顔を向けてくれる人たちの望みを裏切ってまで袂を別った。

 


  それでも・・・ 



 それでも、まだ俺は裏切り続けている。


 それでも、まだ夢を見続けている。

 

 それでも、まだ・・・答えを出せないままでいる。



  あの日から・・・



 思えばあの日、交わした酒の席が俺が望まれるまま生きる事が出来る最後の別れ道だったのかもしれない・・・。


 思えばまだ・・・、そう、数年前に交わした会話を思い返し、遂げられなかった想いを噛み責める。


 そして、届けられた手紙を握り締め、外の空気に身を当てた。


 静寂が包む夜はあの日と同じで、違うのは熱を帯びた空気。


 

  ・・・・・・俺の答えは、願いは


  

 ただ、それでも、あの日から、俺は黒い空を見上げ続けた。


 あの日の願いを空に投げるように。


 最悪を、終わりを迎えられるように。



 









 NextScene

 

 ++伴星と主星、それを知る幸++




 ・・・さて、やばい

 少し前に生存報告になりつつあると自身で書きながらこれが本当になってしまいそうな事態。

 まぁ、なんというか肉体面は健康なのですが・・・

 ちょっと転職というか転々職というか転がり続ける職の流れに身を置いてしまったという事態です(超私事です)

 それも順調に行けばこれまでと同じくらいの量を書けるかなと言う所まで回復してきて・・・いるかなというところです。


 さて、やばくなってばかりいられない。

 後ろを振り向いたら何かがやってきているかもしれないので振り向かず、ちょっと今回の話をざっくり。

 

 家族って何?って話。返す言葉を考えてみるとなんだか屁理屈っぽくなるのですがこれは作者が思う答えだったりします。

 

 それから馬岱さんちょっと出てきてもらって面識を


 書きたいけれど書けない姉弟だけの会話、道中でのイレギュラーを仕組んだのは誰だったのか

 

 そんなところです。

 もやっとするかもしれないのですが、もう少し我慢と言う部分です。(大したことじゃないです)

 これから少し端折り始めるので広がりすぎる風呂敷を畳み始める今日この頃。

 さぁ、書こうか、次話だったり、なんだったりを 


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