第7話 「血の代償」
戦の翌朝は、現実が容赦なく続いた。
死体の処理がある。
これが俺には予想以上に堪えた。実際にそれをやることと、頭で分かっていることの間には、越えられない差があった。
丘の斜面に転がった男の死体を、本隊の足軽数名で運んだ。
男は二十代だった。顔を確認したとき、まだ若い、と思った。着物が粗末で、手のひらに農作業のたこがある。農民が槍を持たされた、ただの足軽だ。俺と同じだ。
どこかに家族がいるだろう。
その考えは、意識的に頭から追い出した。追い出さないと、仕事ができない。
運んだ死体は、林の外れに並べた。三田側の者は後で相手方が引き取りに来る。桑田側には死者が出なかった。重傷者が二名出たが、命に別状はなかった。
俺も軽い傷を負っていた。
右の前腕に、浅い切り傷だ。戦闘中は気づかなかったが、落ち着いてから血が滲んでいるのに気づいた。矢傷ではなく、誰かの槍の穂先が掠ったのだろう。
自分で陣屋の焼酎で洗い、麻布を巻いた。傷が深くないことを確認してから、少し息をついた。化膿しなければ問題ない。
重傷者の手当ても俺が担った。一人は腕に深い刺し傷を負っていた。酒で洗って縫い、巻いた。もう一人は脇腹を掠られていた。出血量は多かったが、深くはない。これも洗って縫った。
二人とも三日後には膿みが出ていなかった。
竜之介が来て、俺の傷を見た。
「大丈夫ですか」
「問題ない。お前は」
「無傷です。橘殿が言ってた通り、体を低くして端を走りました」
「よかった」
竜之介の顔に、安堵と何か別のものが混ざっていた。
「俺、一人刺しました」
静かに言った。
「足軽が倒れているところに行ったら、まだ生きてて、起き上がろうとして。反射的に突きました」
「腹か」
「胸です」
俺は竜之介の顔を見た。青白い。唇が乾いている。
「死んだか」
「分からないです。そのまま走りました」
竜之介は自分の手を見た。槍を握っていた右手だ。
「慣れるんですか、これ」
「慣れる者と、慣れない者がいる。どちらがいいかは分からない。ただ慣れなくても戦える。今はそれで動くしかない」
「橘殿は慣れましたか」
「まだだ」
正直に言った。竜之介は少し黙ってから、「そうですか」と言った。それ以上は言わなかった。
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岡部が引き上げる前に、鎌田と話し合いがあった。俺はその場には呼ばれなかったが、後から伊助が教えてくれた。
「岡部様がお前を褒めていたらしい。地形を読んで先行したことと、三人で数十人を抑えたことを」
「そうですか」
「本城に話が行くかもしれない」
「どっちに転ぶか分かりませんね」
「どっちに転んでも、お前はやることは変わらないだろう」
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陣屋に戻って三日後、俺の体に予想外の変化が起きた。
朝の素振りをしていると、槍の重さが昨日と違った。
軽い。
昨日まで感じていた重さが、三割ほど消えた感覚だ。同じ槍、同じ体重。しかし明らかに体の動きが変わっていた。関節の動きが滑らかになったような、体の芯の力が上がったような。
伊助が見ていた。
「体が変わったな」
「合戦の後から少し」
「戦を一度経験すると、体の動き方が変わることがある。本番で使う筋と普段使う筋が違うからだ。本番で使い切ることで、そっちが覚醒する」
伊助はそれだけ言って、稽古に戻った。
戦略眼も、昨日から精度が上がっている気がした。合戦中、極度の集中状態で使い続けた。今は離れた場所の地形も、以前より細部まで捉えられる。
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合戦から七日後、珍しい来客があった。
行商の男だった。五十代くらいで、大きな荷を背負って陣屋に入ってきた。鎌田と顔なじみらしく、荷の中身を広げて見せ始めた。武具の類いだ。鎧の部品、刀の鞘、矢の束。それと、薬の類いも持っていた。
俺は薬に目が行った。
「それは何ですか」
行商に聞くと、男は愛想よく説明してくれた。
「金瘡薬でございますよ。傷に塗るもので」
「値段は」
「銭三十文でございます」
月給の三割だ。高い。しかし傷に塗る薬があるとないとでは、命が助かる見込みが変わる。
「二つ買います」
行商が目を丸くした。まとめ買いが珍しかったのだろう。
「ありがたい。そちらの若い方も、一つどうですか」
竜之介が俺を見た。竜之介の月給では三十文は苦しい。俺は行商に言った。
「一つは俺が出します。こいつの分も」
竜之介が「いいです」と言いかけたが、俺は遮った。
「戦場で傷を塗る薬だ。惜しむな」
竜之介は黙った。
金瘡薬の小瓶を三つ、懐に仕舞った。一つは自分用、一つは竜之介用、もう一つは伊助への礼に渡した。伊助は受け取らなかったが、翌日、竜之介の弁当に干し魚が余分に入っていた。伊助なりの返礼だろう。
行商が他の品物を広げているとき、薬草の包みを一つ見つけた。
「これは」
「よもぎの乾燥でございます。傷の止血に」
「他にこういった薬草は持っておられますか」
「葛根と、柿の葉、それに生姜少々ならば」
「柿の葉を全部いただけますか」
「銭五文でございますが……そんなものを何に」
「茶として飲みます。体の力になります」
行商は首をかしげながらも、包みごと渡してくれた。帰り道に伊助に柿の葉茶の作り方と使い道を話すと、伊助は黙って聞いた後、「試してみろ」とだけ言った。
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その夜、源三郎が俺に話しかけてきた。
珍しいことだった。源三郎から話しかけてくることはほとんどない。
「お前、合戦の前に岡部殿に進言していたな」
「はい」
「足軽が上の侍に進言するのは、普通やらない。失礼と取られることもある」
「そうですね」
「しかしお前は堂々としていた。怖くなかったか」
「怖かったです。ただ言わないより言った方がいいと判断しました。外れれば怒られるだけで、当たれば役に立てる。得失で考えました」
源三郎は俺を見た。
「得失」
「うまくいく場合とそうでない場合を比べる癖があります」
「面白い物の考え方だ」
短く言って、少し間があった。
「お前はどこで育った」
「遠いところです」
「遠いところとは何処か、聞かせてもらえないか」
源三郎の目が、いつもと少し違った。単純な好奇心ではなく、何かを探るような目だ。
「……話すと長くなります」
「時間はある」
俺は源三郎を見た。悪意のある目ではない。しかしまだ、どこまで信用できるか判断できない。
「いつかまた機会があれば」
源三郎は少しの間、俺を見てから、「そうか」と言って自分の場所に戻った。
源三郎がどこから来た人間かは、まだ分からない。ただ、戦場での動き方、人の観察の仕方、言葉の選び方。どれも普通の浪人とは違う。
それだけは確かだった。




