第5話 「合戦前夜」
五ヶ月目の終わり、本格的な戦の話が出た。
鎌田が全員を集めて話した。隣領の三田という小領主が、桑田領への侵攻を企てているらしい。水利問題での小競り合いが続いていたが、三田の側が兵を集め始めたという報告が入った。桑田の本城から増援が来ることになり、俺たちの在番組は合戦に加わることになった。
日程は十日後。
陣屋の中が重くなった。
竜之介は飯を半分残した。伊助は黙って槍の手入れを始めた。源三郎は表情一つ変えなかった。
俺は自分の腹の中を確認した。
恐怖はある。これは消えない。しかし以前のような、思考を乱す種類の恐怖ではなくなっていた。五ヶ月で体を作り、地形の読み方を磨き、槍を体に馴染ませた。できることはやった、という感覚がある。
それでも死ぬかもしれない。
その事実は変わらない。ただ生き残るために何をすべきかは分かっている。それが今の俺の全部だった。
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十日間、準備に費やした。
まず武装の確認だ。俺の装備は着込みと槍だけだったが、鎌田から革の籠手を支給された。前腕を覆う革の帯状のもので、刀の斬り上げや矢の直撃をある程度防ぐ。あるとないとでは全く違う。
伊助は追加で頬当てを着けていた。顔の側面を金属板で覆うものだ。
「顔を斬られると死ぬ。見た目より実用品だ」
俺も手持ちの銭を使って、革の頬当てを作れないか考えた。鎌田に頼むと、陣屋の隅に残っていた革の切れ端を使っていいと言われた。革を切って縫い合わせ、紐で頭に固定できる簡単な頬当てを作った。不格好だったが、機能は果たした。
源三郎がそれを見て、「器用だな」と言った。
「なんでも自分でやるのか」
「やれることはやります」
「そういう奴は戦場で生き残る確率が上がる」
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食事の準備についても、この十日間で学んだことがある。
遠征する際の兵糧は、基本的に各自で持参する。陣屋から支給されるのは味噌と塩だけで、主食は自分で用意しなければならない。干し飯が主力だ。炊いた米や麦飯を乾燥させたもので、水に戻すか、そのままかじって食べる。軽くて日持ちがし、戦場での携行食として最適だ。
竜之介と二人で干し飯を作った。麦飯を平らに広げて日に干し、二日かけて乾燥させる。完成した干し飯を布袋に詰めると、ずっしりと重くなった。
「これを食い続けるんですか」
竜之介が干し飯をかじってみて、顔をしかめた。
「硬いですね。歯が折れそうです」
「水に浸けてから食うんだ。薄い粥みたいになる」
「それだけですか」
「戦場では贅沢は言えない」
竜之介はもう一度かじって、諦めたように袋に戻した。
味噌は重要な戦場食だ。塩と大豆の栄養を同時に補給できる。体を動かし続けると塩分が失われる。塩切れは体が動かなくなり、判断力が落ちる。俺は小さな竹筒に味噌を詰めて腰に下げ、さらに干し梅を数粒、別の小袋に入れて隣に提げた。酸味が食欲を刺激し、疲労感を和らげる。源三郎に見せると「よく知っている」と言われた。
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出陣三日前の夜、竜之介が来た。
囲炉裏の前に座って、火をぼんやり見ていた。俺が隣に座ると、しばらく黙っていた。
「橘殿」
「何だ」
「死ぬのって、痛いですか」
十六歳の少年が、初めての本格的な合戦を前にして考えていること。それが、これだった。
「痛い場合もある。痛くない場合もある。どっちかは分からない」
「そうですか」
「怖いか」
「めちゃくちゃ怖いです」
竜之介は正直だった。俺も正直に返した。
「俺も怖い」
「嘘でしょ。橘殿が怖いとか思えないです」
「本当だ。ただ怖さに慣れてきた、というか。怖いのは当たり前だと思い始めた」
竜之介は火を見たまま、少し黙った。
「死にたくないです」
「死ぬな。体を低くして、無茶な突撃はするな。俺の近くにいろ」
「頼りにしていいですか」
「いい」
言い切った。
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出陣前日、鎌田から作戦の説明があった。
桑田本城からの増援と合流し、合計五十人ほどで三田領との境界にある丘を占領する。丘を押さえれば三田側は攻め込みにくくなる。守りの陣取り合戦だ。
俺は説明を聞きながら、戦略眼で地形を思い浮かべた。問題の丘は東側が急斜面で、西側が緩い登りになっている。緩い側から登るのが普通だが、そこを守れば守りやすい。しかし急斜面の東側に少人数の先回りを送れば、相手が予期しない角度から圧力をかけられる。
さらに考えを進めた。敵が西側から攻める場合、斜面の中腹で一度止まって態勢を整えてから突撃してくるはずだ。その停止地点に戦略眼を当ててみると、岩陰の位置が分かる。そこを先に押さえれば、敵の一時的な拠点を奪える。
鎌田に手を挙げた。
「東側の急斜面に数人先行させることはできますか」
鎌田が振り向いた。全員が俺を見た。
「根拠は」
「東側は守りにくいと相手も思っているはずです。そこに数人先行させれば、守備の目が二方向に割れます。本隊が西から押せば、守る側は判断に迷います」
鎌田は少し黙った。
「丘の東側を本当に登れると思うか」
「急ではありますが、三間ほどの幅の岩伝いの道があります。地形を確認済みです」
実際には戦略眼で見えた情報だ。しかし鎌田には「確認済み」と言った。
「……増援の組頭に話してみる」
鎌田は言った。全員を解散させてから、俺を呼んだ。
「お前、いつ東側の地形を確認した」
「三日前、見回りの帰りに少し見ました」
「一人でか」
「はい」
鎌田は俺を見た。長い沈黙があった。
「明日の戦、お前を東側の先行組に入れる。伊助と源三郎と三人だ。異存はあるか」
鼓動が上がった。最前線だ。しかし断る理由もなかった。
「ありません」
「生き残れ」
短い一言だった。感情のない声だったが、その言葉に何かが込められている気がした。
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その夜、眠れなかった。
横になって目を閉じると、戦略眼が勝手に明日の丘を映し出した。東側の急斜面、岩の位置、足場の悪い箇所。本隊が西から来たとき、敵はどう動くか。俺たち三人はどこに立てば最も圧力をかけられるか。
脳が働き続けていた。
眠りに落ちたのは、夜が白み始める頃だった。短い夢を見た。見知らぬ道を歩いている夢だ。どこかの知らない場所で、ただ足を動かしている。
目が覚めたとき、麦藁の上に横になっていた。
今日が合戦の日だと思い出した。
起き上がる。体を動かす。深呼吸を一つ。
行くしかない。
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