第34話 「浅野からの使者」
七月の初め、浅野から使者が来た。
城門に現れたのは正午過ぎだった。浅野の家紋の旗を持った侍が一名、供が二名。戦の使者ではなく、交渉の使者だ。刀を見せずに旗を掲げて来るのが、この時代の不戦の作法だ。
石渡が取り次いで、桑田が面会した。
俺はその場にいなかった。しかし夕方に石渡から呼ばれて、経緯を聞かされた。
「浅野が条件を持ってきた。今春の合戦の決着として、桑田領への不可侵を三年認める。その代わり、東の川の境界を浅野側に一里ほど引き込む、という内容だ」
「川の境界を、ということは東の村が浅野領に入るということですか」
「そうだ」
「それは呑めない条件では」
「桑田様もそう判断した。断った」
「浅野はそれを了承しましたか」
「使者は持ち帰った。来月また回答を持ってくるという」
俺は少し考えた。
「浅野が態度を変えてきた理由が気になります。今春の合戦後、しばらく静かだったのに」
「どう見る」
「内部で何かが動いたのかもしれません。浅野の中で、桑田への強硬な姿勢を続けることに異論が出ているのでは」
石渡が俺を見た。
「なぜそう思う」
「今春の合戦で、浅野は細川との連携が取れませんでした。東の牽制も失敗した。強硬派の力が落ちていれば、交渉派が前に出てくる。その結果として使者が来た、という可能性があります。それと——」
俺は少し間を置いた。
「源三郎さんの動きと、繋がっているかもしれません」
石渡が俺を見た。目が細くなった。
「源三郎の件を知っているか」
「何も知らないわけではない、という程度のことはお伝えできます。少し詳しく聞きますか」
「聞く」
石渡には話すべきだ。使者が来た今、情報は一か所に集める必要がある。源三郎に無断になるが、事後に理由を伝えれば分かってもらえると判断した。
「源三郎さんから直接聞いた話です。石渡様には話してもいいと思います。ただ、今後源三郎さんに話した経緯を聞かれたとき、俺から話したとは言わないでもらえますか」
「分かった」
俺は源三郎から聞いた経緯を大筋で話した。浅野での内通者の話、証拠を持ち出したこと、浅野内部の繋ぎに証拠を渡したこと。
石渡は黙って聞いた。途中で口を挟まない。全部を聞いてから、少し考えた。
「それが浅野の態度変化に繋がっている可能性がある。内通者が失脚すれば、その者に近い強硬派も力を失う」
「そうなります」
「桑田様に話す」
「それが正しいと思います。ただ源三郎さんにも先に知らせてください。事後で伝えた方がいい」
「お前が話してくれ。俺から言うより自然だ」
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その夜、源三郎に話した。
源三郎は俺の話を聞いて、少しの間だけ目を細めた。
「石渡殿に話したか」
「はい。状況を考えて、必要と判断しました。事後の報告になって申し訳ありません」
「謝るな。俺が一番のことを言えば、お前の判断は正しい。ただ確認させてくれ」
「何でしょうか」
「俺が浅野を騙す側で動いているとも取れる。その点で、桑田への不誠実さはないと思っているか」
「あなたは最初から、浅野の侵攻を桑田に知らせました。結果として桑田が勝ちました。内部の証拠を動かしたことで、桑田への圧力が減っています。桑田の利益になっています」
「利用していた部分がある、という話は俺がしたはずだが」
「はい。ただ最終的に桑田の側に立って動いているのは事実です。桑田様はそれを見ていると思います」
源三郎は長い沈黙の後に言った。
「お前は俺を庇っているのか」
「事実を言っています」
「そうか」
源三郎は外を見た。夜の空に、薄い月があった。夏の月は白く、遠かった。
「桑田殿に話してもらって構わない。隠す理由はない。ただ、内通者が失脚したかどうかはまだ確認が取れていない。その点だけ留保してほしい」
「石渡様にそう伝えます」
源三郎は月を見たまま、少しの間だけ黙っていた。
「橘」
「はい」
「俺がこの地に来たのは、城倉殿に教わったからだ」
「知っています。城倉先生から聞きました」
「あの人は面白い人間を放っておけない性分だ。お前を見てどう思っているか、俺には分かる」
「どう思っていますか」
「誇りに思っている。そういう顔をする人間だ、城倉殿は」
源三郎はそれだけ言って、立ち去った。
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翌日、桑田が石渡と源三郎と俺を呼んだ。
部屋には岡部もいた。
桑田が源三郎に言った。
「全部話せ」
源三郎は一通り話した。浅野での内通者の件から、証拠を持ち出したこと、内部の繋ぎに渡したことまで。俺が石渡に話した内容と同じだが、重みが違った。本人の口から語られる言葉は、別の人間を経由してくるものとは違う。
桑田は最後まで黙って聞いていた。
「誰のために動いている」
源三郎は少し間を置いた。
「正直に申します。最初は浅野の内通者を潰すために動いていました。仕えられない主君への怒りと、裏切りで死んだ仲間への義理です。ただ今は、桑田様の下で働くことを望んでいます」
「理由は」
「桑田様は正直な方だと思っています。俺が知っている限り、こちらに嘘をついたことがない。今も直接話せと言った。そういう主君に仕えたいと思っています」
桑田は少し考えた。
「お前を侍として正式に召し抱える。給金は月に銭二百文と米一斗異存あるか」
「ありません。ありがとうございます」
部屋の空気が少し緩んだ。
岡部が俺に目を向けた。言葉ではなく、目だけで何かを伝えていた。俺はそれを受け取って、目だけで返した。
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帰り際に桑田が俺を呼んだ。
他の者が部屋を出た後、二人になった。
「橘、今回の件はお前が動いたか」
「石渡様を通しました。俺が直接動いたわけではありません」
「しかし起点はお前だ」
「源三郎さんと話す機会があったので」
「そういうことにしておいてやる」
桑田は少し笑った。
「お前は面白い動き方をする。自分が動いたと言わず、他の者を立てる。それが城の中では長く生きる方法だ」
「そういう計算はしていませんでした」
「本当か」
「半分は計算です。半分は、石渡様や源三郎さんの方が俺より動ける立場だったので」
桑田は頷いた。
「正直だな。それがいい」
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部屋を出ると、廊下に竜之介が待っていた。
「どうでしたか」
「源三郎さんが正式に召し抱えられた」
「よかったです。それで橘殿の顔が少し楽になりましたね」
「そうか」
「城倉先生みたいな顔をしていましたよ。心配事を抱えているときの」
「観察が細かくなったな」
「橘殿の真似をしているんです」
俺は歩き出した。竜之介がついてきた。
七月の夕暮れが城壁を赤く染めていた。
歩きながら、体の中で何かが少し静まるのを感じた。源三郎が、仕えられる場所を見つけた。




