↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
城持ちになる ~現代知識で戦国を駆け上がれ~  作者: みぎみみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/36

第31話 「侍の重さ」


侍になって最初に変わったのは、見られ方だった。


 翌朝の稽古に出ると、足軽たちの目が違った。昨日まで同じ長屋で寝ていた仲間が、一歩分の距離を置いて接してくる。悪意ではない。この時代の作法だ。侍と足軽の間には、本来越えられない壁がある。それを意識した距離だ。


 竜之介だけは変わらなかった。


「橘殿、おはようございます」


 いつも通りだった。


「おはよう」


「昨日と全然変わりませんね」


「変わらなくていい」


「そうですか。じゃあ俺も変えません」


 竜之介は素振りを始めた。言い切って、あとは体を動かす。余計なことを考えない。


 権蔵も普段通りだった。ただ朝の挨拶のとき、一瞬だけ目礼をした。以前はしなかった動作だ。それが権蔵なりの区別のつけ方だと分かった。礼儀として、しかし感情は変えずに。七年の経験がある男の、静かな誠実さだ。


 桝田は正直な男で、顔を見るなり「橘殿」と呼んだ。


「今まで通りで構いませんよ」


「そうはいかん。しかしまあ、仕事ではこれまで通り動くから気にするな」


 桝田の言い方は実直だった。形を変えながら中身を変えない。それができる人間は、この城の中でそれほど多くない。


---


 広瀬に挨拶に行ったのは、昇格した翌日だった。


 部屋に入ると、広瀬は文書の山の前に座っていた。俺を見て、少し目を細めた。


「来たか」


「これからよろしくお願いします」


「礼儀は知っているな」


「多少は」


「多少で十分だ。仕事を知っている者の方がいい」


 広瀬は俺の前に文書を置いた。


「覚えておけ。俺の下で動く限り、仕事の成果は俺を通す。お前の名前を出すなとは言わない。ただ序列は守れ。それが城の中の動き方だ」


「以前の件で、一度お断りしました」


「知っている。だから今のことを言っている。今後はそういう形で動けということだ。過去は問わない」


 広瀬は過去を引きずらない。実利的で割り切っている。感情で動かない分、予測がつく。裏切られることが少ない。


「承知しました。ただ一点だけ」


「何だ」


「俺が間違っていると思ったときは、直接申し上げます。従わないということではありません。ただ黙って動くのは俺には難しい」


 広瀬はしばらく俺を見た。何かを計算している目だ。


「それは認めよう。ただし外では言うな。俺との間だけにしておけ」


「承知しました」


 それで終わりだった。広瀬は文書に目を戻し、俺は部屋を出た。


 廊下に出て、少し息を吐いた。条件が整った。これで広瀬の管轄の中で、俺の名前が残る仕事ができる。


---


 侍としての最初の仕事は、村回りだった。


 広瀬の指示で、桑田領内の北の三村を回って帳面の内容を確認する。年貢の帳面と実際の田畑の状態が合っているかを目で確かめる。


 馬が使えた。


 侍は馬に乗れる。足軽は基本的に徒歩だ。今日初めて馬に乗った。


 これが大変だった。


 乗り方は見よう見まねで知っているが、実際に乗ると全く違う。馬の背骨の動きが骨盤に直接伝わってくる。歩くだけでも体幹を使い続けなければならない。走ると上下の揺れが激しくなり、鞍にしがみつくので精一杯だ。正直、槍を持ちながら走るなど、今の俺にはとても無理だ。


 竜之介は俺の隣を徒歩でついてきた。俺が馬上で四苦八苦しているのを見て、笑いをこらえているのが分かった。


「笑うな」


「笑っていません」


「笑っている」


「笑っていません」


 顔が完全に笑っていた。


「これから毎日練習する」


「俺も乗れますか」


「侍の身分になれば乗れる」


「じゃあ俺も侍になります」


「なれ」


 竜之介は少し真剣な顔になった。


「本当になれますか」


「実力次第だ。やれることを全部やっていれば、いずれ道が開く」


「橘殿みたいに一年半はかからないと思いますが」


「俺が早すぎただけだ。普通はもっとかかる」


「じゃあ頑張れば二年か三年ですか」


「それも早い方だ」


 竜之介はため息をついたが、足取りは軽かった。


---


 北の三村を回って、俺は気になることを見つけた。


 三村のうち一村、帳面の面積と実際の田の広さが合わない。帳面より田が広い。意図的に狭く記録している可能性がある。年貢を少なく収めている疑いがある。


 村の長に確認すると、のらりくらりとした答えが返ってきた。昔から大体この広さで、帳面の数字は先代から引き継いだもので、と言う。目が泳いでいた。


 追及しなかった。


 今日の目的は状況の確認だ。決定的な証拠もなく村人を問い詰めても逆効果になる。帳面に「要確認」と書き添えて、広瀬に判断を仰ぐのが正しい手順だ。


 広瀬に報告すると、広瀬は「それは分かっていた」と言った。


「分かっていたんですか」


「三年前から把握している。ただ証明が難しかった。お前が現地で見てきたことを記録として残してくれれば、来年の取り立ての根拠になる」


「なぜ三年間放置していたんですか」


 俺が聞くと、広瀬は少し間を置いた。


「その村の長は、桑田様の遠い縁にあたる。表立って動けなかった。しかし今は浅野も退き、三田との国境も落ち着いている。外が落ち着いた今、内を整える時期だ」


 広瀬は内政の人間だ。外の戦が終わるのを待って、内部の整理に入ろうとしている。今回の村回りは、その準備の一環だった。


「俺は何をすればいいですか」


「帳面を作り直せ。現地で見た数字を全部書き起こして、旧帳面と比較できる形にしろ。証拠になる形で」


「承知しました」


---


 夜、城倉の稽古の帰り道に、城倉が言った。


「侍になったか」


「はい」


「そうか」


 城倉の反応は、それきりだった。褒めも驚きもしない。


「城倉先生は嬉しくないですか」


「嬉しいかどうか、という感情とは違う。ただ、お前が一段上に行ったという事実がある。それを確認した」


「一段上に行くと、何が変わりますか」


「責任が増える。間違いの影響が大きくなる。以前は自分が死ぬだけだった。上に行けば、お前の間違いで別の者が死ぬ」


 俺は返す言葉を探した。


「どうすればいいですか」


「判断の根拠を常に持て。なんとなくではなく、なぜそうするかを言えるようにしておけ。言えない判断はするな」


 俺は頷いた。


「もう一つ。偉くなるほど、孤独になる。それを知っておけ」


「孤独になる理由は」


「正しいことを言っても、聞こえにくくなる。自分より立場の弱い者の声が届きにくくなる。逆に、立場の強い者の声だけが大きく聞こえる。それに流されると、判断が歪む」


 城倉の目が遠くを見ていた。


「俺が若い頃に経験したことだ。何度も流されて、取り返しのつかないことをした。後から後悔しても遅い。お前は早めに知っておけ」


 老人の声には、長い後悔が染み込んでいた。その後悔が長い年月の中で静まって、今は言葉になっている。そういう声だ。


 俺は黙って聞いた。


 夜道を歩きながら、俺は城倉の言葉を懐に入れた。


(続く)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。