第29話 「源三郎の話」
合戦から三日後、源三郎が俺を訪ねてきた。
夜の稽古が終わった後、長屋の外に呼ばれた。
竜之介は腕の傷の治りを優先して部屋に残っていた。権蔵はすでに眠っていた。俺と源三郎だけが、月明かりの下に出た。
「話す」
源三郎は短く言った。
俺は頷いた。
「俺が浅野を離れた本当の理由を話す」
源三郎は遠くを見た。城壁の向こう、山の稜線が月に浮かんでいる。
「浅野には、俺が仕えていた頃から腐った部分があった。侍組頭の一人が、隣領との密かな取引をしていた。兵の動きを売っていた。それが原因で、ある合戦で多くの者が死んだ」
「内通ですか」
「そうだ。俺はそれを知った。証拠もあった。しかし訴えても動かなかった。侍組頭は浅野の一族に近い者で、主君も知っていて見て見ぬふりをしていた」
源三郎の声は淡々としていた。怒りを押し込んで固めた、そういう声だ。長い時間をかけて固まったものは、そう簡単に揺れない。
「仕えられなくなった」
「それで離れたのですか」
「離れる前に、証拠の写しを取った。内通の記録だ。売った情報の内容、受け取った銭の記録、相手方との文のやり取り。それを持って出た」
俺は少し身を乗り出した。
「その証拠を、今どこかに提出しようとしている?」
「そうだ。浅野は今回の合戦で負けた。桑田が退けた。そのことで、浅野の中の力のつり合いが変わる。内通者を守っていた側が弱くなる可能性がある」
「それを突く、ということですか」
「浅野の中に、内通者を除きたいと思っている者がいる。その者に証拠を渡せば、動いてくれる」
俺はしばらく考えた。
合戦での敗退が、浅野内部の権力構造を揺さぶる。その隙に、源三郎は長年抱えてきた証拠を動かす。一度機会を逃せば、また何年も待たなければならないかもしれない。今がその機だ、と源三郎は判断している。
「つまり源三郎さんが桑田に来たのは、桑田と戦わせることで浅野の力を削ぎ、その隙に浅野内部の動きを起こす、という計算もあったということですか」
源三郎は俺を見た。
「正確だな」
「桑田は利用されたと言えますか」
「そうとも言える。しかし実際に桑田に侵攻が来るのは時間の問題だった。俺が来たから侵攻が来たわけではない。時期が少し早まっただけだ」
「そして桑田が勝つかどうかは、俺たち次第だった」
「お前たちが勝ったから、俺の計算が成り立つ。負けていれば別の話になっていた」
源三郎は都合よく話を丸めなかった。利用した部分があると認め、嘘もついていないと言い、言い訳も自己弁護もなく、ただ事実を並べた。
「今、なぜそれを話すんですか」
「お前に知らせておいた方がいいと判断した」
「なぜ俺に」
源三郎は少し間を置いた。
「お前はいずれ大きくなる。その時に、俺との関係が清算されていない状態では困る。今のうちに話しておく方が、後でお互いに動きやすい」
先を読んでいる。俺の将来を計算に入れて、本音を話している。月明かりの下に連れ出したのも、そういう判断があったからだろう。
「浅野の内通者の件、桑田に話しますか」
「まだだ。俺が内部の者と連絡を取れてから話す。桑田が知りすぎると動きが変わる。それまではお前の中に留めておいてほしい」
「分かりました」
俺は少し考えてから言った。
「源三郎さんは最終的に何を目指していますか」
源三郎は長い沈黙の後に答えた。
「仕えられる主君を見つけることだ」
「浅野ではなかった」
「そうだ。腐った場所には仕えられない。俺が信じられる者のところで働きたい」
源三郎の目に、俺が初めて見る色があった。疲れた色だ。長い時間、信じられる場所を探してきた人間の目だ。戦場での冷静さとは別の、もっと古い疲れ方をしている。
「桑田様はどうですか」
源三郎は少し考えた。
「まだ分からない。しかし悪くない」
それだけだった。しかしその短い答えに、この男なりの重さがあった。
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翌朝、俺は石渡に話した。
源三郎が浅野を離れた経緯と内通者の件は伏せた上で、源三郎が桑田への奉公を本格的に希望していると伝えた。
石渡は俺の話を聞いて言った。
「源三郎殿のことは、すでに桑田様も評価している。今回の東の戦でも貢献した。正式な召し抱えの話は時期を見て出ると思う」
「俺から話したことは、源三郎さんには言わないでください」
「お前が話したとは言わない。ただ自然に動く」
石渡はそれだけ言った。必要以上のことを言わない。それがかえって信頼できる。
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城倉から再び文が来たのは、合戦から五日後だった。
今度は文だけでなく、使いの者が城倉の言葉を直接伝えた。
「先生が、東の守りの話を聞いた。よくやったと言っていました。それと、次の稽古はいつにするかと聞いてくれとのことです」
俺は笑った。
城倉は生きている。合戦が終わった後の稽古を、もう考えている。
「七日後にうかがいます、と伝えてください」
「分かりました」
使いの者が去った後、俺は懐に入れていた城倉の文を取り出した。「体は戻った。この戦が終わったら稽古を再開する」という言葉が書いてある。
この春の戦は終わった。
生き残った。
約束通り、稽古が再開できる。
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夜、竜之介が包帯を替えながら言った。
「傷、だいぶよくなってきましたよ」
「縫ったからだ。化膿しなかったのは幸いだった」
「橘殿が薬を塗ってくれたからです」
「運もある」
「縫い方、どこで覚えたのですか」
「旅の途中で」
「また旅ですか」
竜之介は苦笑した。
「橘殿の旅は何でもありですね。薬草から縫い傷から地形の読み方まで」
「なかなかの旅だったもので」
「俺も同じくらい旅したいです」
「今やっていることがその旅だ」
竜之介は少し考えて、「そうですか」と言った。
「今日、桝田さんに褒められました。あの場面での動きがよかったって」
「それは本当のことだ。お前は成長している」
「橘殿に言われると実感がありますね」
「なぜだ」
「褒めない人間に褒められると信用できます」
俺は苦笑した。
「俺はそんなに褒めないか」
「ほとんど褒めません。だからたまに言われると本物だと思います」
竜之介は傷の包帯を縛り直して横になった。
「明日から稽古再開していいですか」
「腕の傷が完全に塞がるまで待て。あと三日だ」
「長いですね」
「傷を開くな。傷を開くと余計に長くなる」
「分かりました」
竜之介は横になったまま、帳面を手元に引き寄せた。包帯を縛り直したばかりの手で、筆を持とうとしている。
「帳面は明日でいい」
「少し気になることがあって」
俺は何も言わなかった。
部屋に静かな時間が流れた。
(続く)




