第27話 「川を守る」
本体が動き出した。
対岸の林から三十名以上が姿を現した。旗は浅野の家紋だ。先頭の者が川を見て、渡河点に向かって号令をかけている。声は川の音に消えたが、動きで分かった。
中流の渡河点に向かっている。
俺は十二名を動かした。
「物見台の後方に全員集合。渡河点の手前で迎え撃つ」
走った。渡河点は物見台から南に五十間ほどの場所だ。川岸に葦が密生していて、相手が上陸しようとする場所は限られている。
戦略眼で地形を読んだ。
渡河点の上陸口は幅が三間ほどしかない。両側は葦と泥濘で、槍を持った兵が自由に動けない。三間の幅なら、三人から四人が並んで守れる。百名が来ても、一度に渡れるのは五名以下だ。数の差を無効にできる地形を、半年前に選んで準備していた。
「桝田さん、渡河点の左側の葦の後ろに四名を伏せてください。上陸した者が広がろうとした瞬間に出てください」
「分かった」
「竜之介は俺の右横についてて動くな」
「分かりました」
「源三郎さんは」
「俺が判断する。お前は守りに集中しろ」
源三郎は単独で動く。了解した。あの男の動きを縛るより、自由に動かせた方が力を発揮する。
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対岸で仮橋の架設が始まった。
杭のせいで難航していた。二間おきに打った杭が、橋の材料を通さない。対岸の足軽たちが材木を担いで川に入ろうとするが、流れが速く足場が悪い。杭の間をくぐろうとした者が流れに足を取られ、横に流れた。
(効いている)
しかし相手は、架設だけをやっているのではなかった。
対岸の葦の際に、三名が横に並んだ。弓だ。
最初の一矢は、俺の足元の土に刺さった。二矢目が物見台の柱に当たった。三矢目で、見張りが頭を引っ込めた。
「土嚢の後ろに入れ。頭を出すな」
十二名が伏せた。
あの三人は、当てるつもりで射っていない。こちらが頭を出せなくするために射っている。橋を架ける者を守る射ち方だ。
「橘。石はどうする」
桝田が、伏せたまま言った。
「投げます。川原に石はいくらでもあります」
「弓に勝てるか」
「勝てません」
川幅は二十間ある。石は届く。当たらない。矢は届いて、当たる。
それでも投げさせた。投げなければ、対岸は安心して橋を架ける。
投げる者と、その者の頭を隠す者を組にした。二人で一組、六組。頭を出すのは一息だけにさせた。
こちらの石で、材を担いだ者が二度、川に落ちた。落とした材が流れていった。
その代わり、石を投げた者の一人が、肩に矢を受けた。桝田だった。
「桝田さん」
「抜けとらん。刺さっただけだ。構わん」
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上流から、別の三名が川に入った。
流れが速い場所だ。渡り切れる保証はない。それでも入った。
弓で押さえ、橋を架け、離れた場所からも渡る。三つを同時にやっている。三十名を持っている側の戦い方だった。
「上流、三名渡ってきます」
物見台の見張りが、柱の陰から叫んだ。
俺は二名を上流に向けた。
三名のうち一名が流れに押されて倒れた。残り二名が対岸に上がろうとした瞬間、待機していた二名が槍で突いた。一名が川に落ちた。もう一名は腕に傷を受けながら上陸し、叫び声を上げて走り出した。
竜之介が追いかけて、背中から体当たりした。男が地面に顔を打った。竜之介が馬乗りになって、槍の柄で頭を打った。男が動かなくなった。
殺していない。気を失っているだけだ。竜之介がそれを確認して俺を見た。俺は頷いた。
竜之介は立ち上がり、腕の傷を袖で押さえながら渡河点に戻ってきた。顔が青白いが、目が据わっている。足が止まっていない。
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中流の渡河点で、橋が架かりそうになった。
杭を避けて斜めに材を組んで、幅一間ほどの足場ができた。一人ずつなら渡れる。
「橘。今なら落とせる」
桝田が、土嚢の陰で言った。肩の矢を折って、折った先を布で巻いたままだった。
「落とせます」
「では」
「落としません」
「なぜだ」
俺は、上流の方を見た。
半年かけて杭を打ったのは、ここだけだ。上流二町のところに、もう一つ渡れる瀬がある。あそこに杭はない。葦もない。上陸できる岸の幅が、十間以上ある。
「ここを諦めさせると、上の瀬へ回られます」
「何町だ」
「二町です。あちらが走れば、こちらが追いついた頃には渡り終えております。十間の岸を、十二名では塞げません」
「では、どうする」
「架けさせます。架けて、渡らせて、いちばん高くついたところで落とします」
桝田は、しばらく黙っていた。
「お前は、そういうことを考えるのか」
「半年、この川ばかり見ておりました」
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俺は渡河点の正面に出た。
槍を構える。竜之介が右横につく。桝田の四名が左の葦に伏せている。
最初の一人が橋を渡り始めた。
足場が細い。槍を持って渡るには体を横にしなければならない。向こう側から渡ってくる男の足が橋の上でぐらついている。
渡り切った瞬間を狙う。
男が上陸した。俺は踏み込んで槍を突いた。男が横に飛んで避けた。足場の悪い泥濘に着地して、膝まで沈んだ。男が身動きできなくなったところに、竜之介が槍の柄で肩を打った。男が崩れた。
二人目も、同じことになった。上陸した瞬間を突く。泥濘に誘い込む。地形が味方をしている。準備していた地形だ。
三人目は、渡ってこなかった。
対岸が、やり方を変えた。
材を足して、足場の幅を広げ始めた。一間半になった。それから、先頭に板を持った者を立てた。戸板だ。どこかの家から外してきたらしい。
板の後ろに、四人が続いた。
五人が、続けて橋に乗った。
板に槍は通らない。突いても押し返される。五人が渡り切れば、三間の上陸口に五本の槍が並ぶ。そうなれば、こちらの三人では止まらない。
俺は、橋の下に目を落とした。
真ん中の材が、五人の重みで撓んでいた。水面につきそうになっている。
その下に、源三郎がいた。
いつ川に入ったのかは、俺には分からなかった。上流の杭を伝って下りたのだと、後で聞いた。杭に掴まって流れに堪えながら、橋の下まで来ていた。
橋の下は、対岸の弓からは見えない。橋そのものが陰になる。
源三郎が、撓んだ材の下に肩を入れた。
外へ押した。
橋が、真ん中から折れた。
五人が川に落ちた。戸板が水に叩きつけられて、下流へ流れていった。
二人が流された。三人が泳いで対岸へ戻った。
対岸の弓が、三本続けて射た。矢は橋の残骸に刺さった。源三郎は、崩れた材の下から出てこなかった。
「石だ。当てなくていい。頭を下げさせろ」
六組が、一斉に投げた。
その間に、源三郎が下流の葦から上がってきた。全身が濡れていた。刀を口にくわえていた。
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崩れた材が、川に浮いていた。
「拾え。全部だ」
「橘」
「あれを流れに任せると、下流で拾われて、また使われます」
鉤をつけた縄で引き寄せた。長いものから順に岸へ上げた。十四本上がった。二本は流れていった。
上げた材は、渡河点から離して、葦の奥へ積ませた。
「本体の動きが止まります。今のうちに物見台に上がって、対岸を見てください」
桝田が物見台に走った。
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すぐに、桝田が叫んだ。
「対岸が下がっている。全員が林に戻った」
俺は対岸を見た。
確かに動きが止まっていた。橋を失い、先行の七名を無力化された。浅野の東の牽制は、ここで足踏みをしている。
源三郎が来た。濡れた袖を絞りながら、西を指した。
「煙が上がっている」
俺は西の方を見た。遠く、桑田城の方角から白い煙が二本上がっていた。緊急の合図ではない。普通の戦の狼煙だ。西でも戦が始まっている。
「煙は見えます。ですが、旗は見えません」
「土手か」
「土手です。こちらは川面と同じ高さにおります。西の野は、土手の向こうです」
源三郎が、対岸の林を顎で示した。
「あちらは高い」
「三丈は上がっております。西の野が見えているのは、向こうだけです」
煙の出方までは、こちらからも読める。旗の動きは読めない。読めない側と読める側が、同じ川を挟んで向き合っている。
「こちらはどうしますか」
「このまま守りを続ける。対岸が再び動いたらまた止める。体力を温存しろ」
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それから一刻、対岸はじりじりと動いた。
材を岸へ上げたから、対岸はすぐには橋を架けられなかった。林の奥で木を切り出している音が、川越しに聞こえていた。
その間に、上流からの渡河を二度試みられた。二度とも押さえた。完全には防げない。こちらにも消耗が出始めていた。
竜之介の腕の傷が広がっていた。戦闘中に動かしたせいで、血が滲み出している。
「手当てをしろ」
「まだ動けます」
「動けなくなってからでは遅い」
竜之介を一時後退させて、随行していた者に傷を縛らせた。傷口に金瘡薬を塗った。竜之介が顔をしかめた。
「沁みますね」
「それが仕事をしている証拠だ」
桝田の肩の矢も、そのときに抜いた。折った鏃が肉に残っていたが、骨には届いていなかった。抜くあいだ、この男は物見台の柱を握って黙っていた。抜いてから、こう言った。
「橘。石を投げろと言われたときに、俺は最初に頭を出した」
「見ておりました」
「次からは、二番目に出る」
俺自身も、右のふくらはぎに傷があった。いつ食らったか分からなかった。痛みは戦闘中には感じなかったが、止まった今になって鈍く疼き始めた。ふくらはぎに触れると、指先が濡れた。
深くはない。動ける。
金瘡薬を自分で塗って、布を巻いた。
傷を縛りながら、俺は川を見ていた。対岸の林は静かだ。しかし静かな林ほど、動く前の沈黙だ。読めない。
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転機は昼過ぎに来た。
西の方角から、人が走ってきた。
岡部の使いだった。
「西の合戦、桑田側の勝ちです。浅野の本隊が退き始めました。岡部様が東に向かいます」
俺は槍を持ったまま、一度だけ目を閉じた。
西が片付いた。
源三郎が対岸を見た。
「あちらも知った」
対岸の動きが変わっていた。引き始めている。あの林からは西の野が見える。旗が退いたのを、こちらより先に見たはずだ。
対岸の三十名が、静かに北の林に消えていった。
川に残るのは、打ち込んだままの杭と、水に突き出た折れ材の切り口だった。引き上げた十四本は、葦の奥に積んである。
桝田が言った。
「終わったか」
「終わりました」
十二名が全員生きていた。
重傷者はいない。竜之介の腕と、桝田の肩と、俺のふくらはぎ。ほかに二名が打撲を受けていた。死んだ者は、一人もいない。
俺は川を見た。
増水した水が勢いよく流れている。さっきまで人が死にかけた川だ。しかし今は何事もなかったように流れている。
竜之介が隣に来て、川を見た。二人で並んで、しばらく何も言わなかった。
春の日差しが水面で跳ねていた。
(続く)
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