第19話 「秋の鍛錬と、城倉の言葉」
秋になった。
稲が黄金色に実り、農民たちが刈り取りに追われる季節だ。城の中でも年貢の取り立てと記録に忙しくなる。俺の文書仕事も増え、広瀬からの呼び出しが週に何度もあった。
しかし鍛錬は欠かさなかった。
朝は城内の稽古、夜は城倉の元へ通う。本城に移ってからも、城倉の稽古は続けていた。城から城倉の家まで歩いて四半刻ほどかかるが、その道のりも鍛錬の一部だと思っていた。
来春、浅野が来る。
源三郎の情報が正しければ、今の俺には半年しかない。
その日の稽古で、城倉が珍しいことを言い出した。
「槍は今のままでいい。今日から刀を教える」
「刀をですか」
「お前の槍は戦場で使える水準になった。しかし槍が役に立たない間合いというものがある。懐に入られたとき、槍は棒になる。そのときに刀がなければ死ぬ」
「刀を持っていません」
「それは問題だ。しかし今日は木刀で基礎を教える。刀はいずれ手に入れろ」
城倉が木刀を二本持ってきた。一本を俺に渡した。
「まず構えだ。刀は槍と全く違う。槍は間合いを取るが、刀は間合いに入る。その感覚を最初に覚えろ」
木刀を握ると、槍とは全く異なる感触があった。短い。槍の重さが染み付いている体には、木刀は拍子抜けするほど軽く感じた。
「軽いと思っているだろう」
「はい」
「その感覚を捨てろ。刀の重さは腕で感じるものではない。振り切ったときの重さだ」
城倉が木刀を一振りした。
風を切る音がした。老人の一振りとは思えない、鋭い音だ。俺は思わず一歩引いた。空気が変わった。稽古の空気になった。
「見た目の速さではなく、重さを乗せることが大事だ。同じことを槍でも言ったはずだが、刀ではさらに重要だ」
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刀の稽古を始めて気づいたことがある。
槍で培った体の使い方が、刀にも活きる部分があった。重心の移動、腰の回転、足の踏み込み。根本は同じだ。城倉の言う通り、槍の基礎を正しく習っていたことが、刀の習得を早めていた。
しかし違う部分も多い。
槍は体から遠い場所で戦う武器だ。しかし刀は体ごと相手の懐に飛び込む。その心理的な壁が、最初はかなり高かった。前に出ることへの本能的な怖さ。頭では分かっていても、体が一瞬迷う。
城倉に言うと、老人は頷いた。
「それは正しい怖さだ。刀で戦うということは、相手の刀の届く距離に自分から入るということだ。怖くない者の方がおかしい」
「どうやって乗り越えますか」
「乗り越えるものではない。怖いまま前に出る訓練をするだけだ」
その夜、実際に打ち合いをした。
城倉が踏み込んでくるたびに、体が一瞬後ろに引こうとする。それを足で押さえて、前に出る。何度繰り返しても、引く感覚は消えなかった。しかし少しずつ、引き始めるのが遅くなった。
怖いまま前に出る。
槍の稽古でも同じことを言われた。恐怖は消えない。しかし恐怖があっても動ける体を作る。城倉の教えはいつも同じ核から来る。
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稽古の帰り道、城倉が珍しく歩きながら話しかけた。
「来春、浅野が来るか」
城倉の耳にも届いていた。
「先生の耳にも入っていましたか」
「この辺りに長く住んでいれば、風の向きくらいは分かる」
「来ると思っています」
「お前はどうするつもりだ」
「戦います」
「それだけか」
俺は少し考えた。
「生き残って、手柄を立てます。浅野が来た後の桑田がどうなるかは分かりません。ただその戦を通じて価値を示せれば、どちら側になっても生き残る道が開ける可能性があります」
城倉はしばらく黙った。
「冷たい考え方だな」
「現実的だと思っています」
「それを分かった上で、仲間は捨てられるか」
足が止まった。
城倉が振り返らずに続けた。
「竜之介、権蔵、石渡、鎌田。お前の周りには縁のある者が何人かいる。戦で状況が変われば、その者たちとお前の利害が一致しない場面が来るかもしれない。そのときどうする」
俺は答えを探した。しばらく見つからなかった。
「……捨てられません」
「なぜだ」
「捨てたら、俺が俺でなくなる気がします」
城倉が立ち止まった。月明かりの下で、老人の横顔が見えた。
「俺は若い頃、捨てた」
静かな声だった。
「戦で仲間を見捨てた。生き残るためではなく、手柄を立てるために。その者は死んだ。俺は出世した。しかしその後、何のために戦っているか分からなくなった。それが晩年まで続いた」
城倉は空を見た。秋の夜空に、星が多かった。
「お前が今言ったことを覚えておけ。捨てたら俺が俺でなくなる、と言った。その感覚を、どんな場面でも持ち続けられるかどうかが、お前が何者になるかを決める」
返す言葉がなかった。俺は夜道を歩きながら、その言葉を体の中に収めた。
二人で黙ったまま、しばらく夜道を歩いた。
城倉が先を歩いている。その背中が小さく見えた。しかし足取りは乱れていなかった。晩年まで後悔を抱えてきた者が、それでも毎日稽古をつけている。その背中だった。
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城に戻ると、竜之介が起きていた。
「遅かったですね。城倉先生のところですか」
「ああ」
「今日は何を習いましたか」
「刀の基礎と、大事なことを一つ」
「大事なことですか」
俺は少し考えてから言った。
「お前を捨てないということだ」
竜之介が目を丸くした。
「何の話ですか、急に」
「来春、大きな戦になるかもしれない。そのとき、どういう状況になっても俺はお前を捨てない。そう決めた」
竜之介はしばらく俺を見ていた。
「……橘殿は時々、急に真剣になりますね」
「いつも真剣だ」
「そういうところが、よく分かりません」
竜之介は頭をかきながら横になった。それから、ぽつりと言った。
「ま、俺も橘殿を見捨てませんから。お互い様ですよ」
さらりと言われた言葉だったが、軽くなかった。
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その夜、寝床に横になりながら城倉の言葉を反芻した。
捨てたら俺が俺でなくなる。
自分でそう言ったが、本当にそうか。極限の場面で、本当にそうできるか。
答えは出なかった。
しかし答えが出ないまま眠れた。
俺は目を閉じた。
(続く)




