第18話 「源三郎、再び」
夏の盛りに、思いがけない再会があった。
城門の前で見張りをしていた昼過ぎ、一人の男が門を叩いた。
見覚えのある背丈。顔の古い刀傷。腰の備前長船。
源三郎だった。
俺は一歩、前に出た。在番組を無断で去ってから、半年以上が経っている。どこへ行ったかも、生きているかどうかも分からなかった男が、ただ門の前に立っていた。
「橘蓮か」
「……源三郎さん」
「生きていたか」
「そちらこそ」
源三郎はさして感慨もなさそうに言った。相変わらず表情が薄い。
「桑田様に用がある。取り次いでくれ」
「理由を聞かせてもらえますか」
「それは桑田様に直接申し上げる」
俺は少し考えた。
見知らぬ浪人が突然現れて領主に会わせろと言う。普通なら門前払いだ。しかし源三郎が何者かを俺は知っている。腕は確かで、在番組に害をなした形跡もない。
「しばらく待ってください」
石渡を呼んだ。石渡に事情を話すと、石渡は源三郎を一瞥してから「中で待たせろ」と言った。
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夕方、石渡が俺を呼んだ。
「あの浪人を知っているか」
「以前、在番組に一時期いました。腕は確かです。素性は分かりません」
「桑田様がお会いになる。お前も同席しろ」
「俺が?」
「桑田様のご指示だ。あの男がお前を知っていると言った。お前がいる場でなければ話せないことがあると」
源三郎が俺を指定した。
俺は黙って頷いた。この男の判断には理由がある。
桑田の部屋に通されると、桑田と石渡、それに源三郎がいた。俺は末席に座った。
桑田が源三郎に言った。
「話せ」
源三郎は静かに口を開いた。
「私は以前、浅野家に仕えておりました」
俺の背筋が伸びた。
浅野。北から桑田に圧力をかけている、あの大名だ。
「仔細あって浅野家を離れ、今は一人で動いております。桑田様にお伝えしたいことがあって参りました」
「浅野の間者か」
桑田の声は平静だったが、室内の空気が変わった。石渡が姿勢を正した。
「違います。むしろ逆です」
桑田の目が細くなった。
「浅野は来春、桑田領への侵攻を計画しております」
部屋が静まり返った。
俺は源三郎の顔を見た。揺れていない。声に力みもない。嘘をついている者の表情ではなかった。
「根拠は」
「私が在番中に聞いた話と、離れてからの動きを見ての判断です。浅野は今年の秋に兵を集め、冬に備えを整え、来春に動く。そのような動きをここ一年かけて確認しました」
「兵数は」
「確かな数は分かりません。ただ、近隣の国人衆に助力を求める書状が出ていると聞いています。二千を超える可能性があります」
桑田家の総兵力は、精々五百だ。正面からぶつかれば話にならない。
石渡が言った。
「なぜそれを桑田に告げる。浅野を離れた理由は何だ」
源三郎は少し間を置いた。
「不義を見た。主君が何をしたかは申せません。ただ、仕えられなくなった。それだけです」
「不義の中身を言えない者の話を、なぜ信じる」
「信じるかどうかは桑田様がお決めになることです。私は伝える義務があると思った。それだけです」
桑田はしばらく黙っていた。
室内の空気が重い。誰も口を開かない。
桑田が俺を見た。
「橘、この者の話、どう見る」
全員の視線が俺に集まった。俺は源三郎を見た。源三郎の目は静かだ。
「在番組にいたとき、源三郎さんは腕と頭の両方がある方でした。嘘をつく理由は今のところ見えません。ただ全てを話しているかどうかは、俺には分かりません」
「続けろ」
「来春の侵攻が本当だとすれば、今から動ける時間はあります。備えを整えつつ、浅野との間で別の手を探すこともできます。話が偽りだったとしても、備えを整えることに損はありません」
桑田は俺を見てから、源三郎を見た。
「もう一夜ここで泊まれ。明日また話を聞く」
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その夜、俺は源三郎と二人になる機会があった。
源三郎が案内された部屋の前を通りかかると、源三郎が戸口から声をかけてきた。
「少しいいか」
中に入ると、源三郎が床に座っていた。
「お前が本城にいるとは思わなかった」
「色々ありまして」
「出世したな」
「まだ足軽です」
源三郎は短く笑った。表情が動いたのを初めて見た気がした。
「浅野の件は本当だ。私が見た動きは間違いない」
「なぜ桑田に知らせようと」
「理由はいくつかある。一つは、お前がここにいると聞いたからだ」
「俺の名前が浅野まで届いていたんですか」
「合戦で岡部殿が活用した足軽の話は、それなりに広まった。橘という名前は覚えていた。桑田にその名があると確認して、ここに来た」
「なぜ俺がいると来る気になったんですか」
源三郎は少し間を置いた。
「お前は面白い人間だ。在番組にいたときから思っていた。何者かは分からなかったが、普通の足軽ではないと分かっていた。そういう人間のいる場所で話をした方が、話が通じると思った」
それ以上は言わなかった。
俺も深追いしなかった。ただ、最後に確かめておきたいことがあった。
「来春の侵攻、本当に来ますか」
「来る。私の読みでは、四月か五月だ。雪解けを待って動く」
「桑田に備えはできますか」
「それを考えるのはお前たちだ」
源三郎は静かに言った。その奥に何かある。在番組にいた頃の、観察する目とは違う。
(何かを賭けた目、とでも言うべきか)
「一つ聞かせてください。浅野の不義というのは、どの程度のものでしたか」
源三郎の目が少し動いた。
「主君が民を殺した。理由のない殺しだ。それだけだ」
短い言葉だった。しかし重かった。
俺は黙って頷いた。
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翌日、桑田が源三郎を召し抱えることにした。
正式な侍としてではなく、当面は情報を出す代わりに禄をもらう形だ。源三郎も異存はないと言った。
石渡が俺に言った。
「あの男を引き連れてきたのは実質的にお前だ。責任の一端はお前にある。源三郎の動きを注視しておけ」
「分かりました」
「それと——」
石渡は少し間を置いた。
「今日の軍議の場での意見、桑田様は評価していた。余計なことは言わず、しかし必要なことを言った。覚えておけ」
石渡は去った。
源三郎が俺の横に来た。
「また同じ屋根の下になったな」
「今度は長くいてください」
「それは保証できない」
相変わらずだった。それでも、在番組の頃とはどこか違う。向けてくる目が変わった。あの頃は観察する目だった。今は何かを共有した者に向ける目に、少し近い。
来春の侵攻まで、半年余り。
(勝てる戦を作るのではなく、戦わずに済む状況を作るか、あるいは戦うなら条件を変えるか)
俺の頭の中で、まだ形のない計算が動き始めていた。
(続く)




