第14話 「文書仕事と、もう一つの戦」
合戦から半月後、桑田城から石渡が来た。
「桑田様がお呼びだ。文書の仕事がある」
鎌田に断りを入れて、城へ向かった。前回と同じ道だが、今日は霧も雨もない。初夏の日差しが出ていた。
城に着くと案内されたのは、前回とは別の部屋だった。文書が山になっている。帳面と書状の束、折り畳まれた図面のようなもの。
「これを整理してほしい」
入ってきたのは桑田ではなく、四十代の侍だった。広瀬という、桑田家の勘定を束ねる家老格の人物らしい。
「領内の村々の年貢の記録と今年の見込みを整理しろ。字が読めるなら分かるはずだ」
広瀬は俺に一瞥くれただけで、部屋を出た。愛想はない。足軽に文書仕事を頼む自分が気に入らないのかもしれなかった。
帳面を開いた。
村名、田畑の面積、昨年の収穫量、年貢の量。村ごとにまとめてある。字は癖があるが読める。
整理を始めた。全村を書き出し、面積と収穫量の比率を確認する。すぐに気づいた。平均より収量が明らかに低い村が、三つある。
(なぜだ)
帳面をさらに読み込んだ。その三村は同じ川の下流にある。昨年の旱魃で上流の水量が減り、下流に水が届かなかったのだ。
水利の問題だった。
三田との水利争いが起きた背景に、桑田領内でも水の問題があった。根が同じだ。
整理した内容に加えて、見立てを書き添えた。水利が解決すれば下流三村の収量が回復するという算勘と、上流の用水路を補修する提案だ。費用の見積もりと、工事に必要な人手の概算も付けた。
広瀬が戻ってきたのは夕方だった。帳面と書き添えた見立てを読んだ。しばらく沈黙があった。
「……これはお前が書いたのか」
「はい」
「足軽が」
「はい」
「水路の補修まで書いた理由は」
「帳面を読んでいたら、収量が低い村の共通点が見えたので」
広瀬が俺を見た。最初の一瞥とは全く違う目だった。
「桑田様に見せる」
それだけ言って、出ていった。
---
しばらくして桑田が来た。俺の書いた見立てを手に持っていた。
「面白い。用水路の補修は以前から課題だったが、手が回らないでいた。お前の算勘が合っているなら、補修で二割の収量増が見込める」
「大まかな見立てですが、そのくらいは回復するかと」
桑田は俺の前に座った。
「一つ聞く。お前は何をしたいのだ」
「城を持てるくらいの力をつけたいと思っています」
「正直だな」
「出すぎたことを」
「いや、正直な方がいい。野心があっても隠す者は多い。お前は隠さない」
桑田は少し考えた。
「今はまだ足軽だ。すぐに身分は変えられない。しかし俺の下で仕事をしろ。合戦のときは岡部の配下として動け。平時はこういう文書仕事もこなせ。実績を積めば道はある」
「ありがとうございます」
「礼は後でいい。結果を出せ」
---
陣屋に戻ると竜之介が待っていた。
「どのくらいいたんですか」
「一日仕事になった」
「何をやってたんですか」
「帳面の整理と、見立てを少し」
竜之介が首をひねった。
「槍より帳面の方が得意なのですか」
「帳面も武器の一種だ」
「よく分かりませんが、すごいですね」
伊助も聞いていた。
「桑田様に気に入られたか」
「少し仕事をもらえることになった」
「そうか」
短い返事だったが、その目は複雑だった。
「伊助さん、何か気になることがありますか」
直接聞いた。伊助は少し驚いた顔をしてから言った。
「お前が伸びていくのは分かる。それはいい。ただ、足元をすくわれないように注意しろ」
「足元を」
「出る杭は打たれる。今は誰も敵視していない。しかしお前が上がれば上がるほど、面白くない者が出てくる。それだけだ」
「ありがとうございます。気をつけます」
---
伊助の言葉が早速意味を持ったのは、翌日だった。
訓練の後、足軽仲間の一人が声をかけてきた。藤兵衛という、三十代半ばの古参だ。在番組では別の組の組頭に近い男で、これまでほとんど話したことはなかった。
「橘よ、最近城に呼ばれているそうだな」
「文書の仕事を少し」
「へえ。足軽が文書仕事か。珍しいこともある」
言葉は穏やかだ。しかし目が笑っていない。俺は一歩、半分だけ後ろに引いた。
「ちょっとした縁でして」
「縁か。俺は七年この在番組にいるが、城に呼ばれたことは一度もないぞ。お前は一年で呼ばれた。なぜだと思う」
「運が良かっただけです」
「運か」
藤兵衛は薄く笑った。
「まあ、精々頑張れ。落ちてくるなよ」
去っていく背中を見ながら、俺は一度だけ深呼吸した。
伊助が後ろで見ていた。
「今のが、打たれる杭の話だ」
「早かったですね」
「藤兵衛は勘が早い。用心しておけ」
「何をしてきますか」
「邪魔をする気があれば手はいくらでもある。仕事の足を引っ張る、悪い噂を流す、上の者に讒言する。直接の暴力は少ない。この規模の陣屋では、表立った揉め事は誰にも得にならない」
---
夕食の席で、俺は動き方を少し変えることにした。
藤兵衛に対して敵意を示さない。むしろ積極的に話しかけ、経験を引き出す姿勢を見せる。七年の在番経験は本物の財産だ。敵に回すより、中立に持ち込む方が得策だった。
「藤兵衛さん、少し聞かせてください。七年でここにいた中で、一番危なかった合戦はいつですか」
夕食の場で声をかけた。藤兵衛は意外そうな顔をしたが、昔話には乗りやすかった。
「七年前の、北の境での戦だな。あのときは本当に危なかった……」
話が始まった。
竜之介が俺の隣で目を丸くしている。
俺は真剣に聞いた。うなずき、質問し、詳細を引き出した。藤兵衛の経験には、局地戦での細かい知恵がいくつか含まれていた。本当に勉強になる話だ。
食事が終わる頃、藤兵衛の表情が変わっていた。
「お前、意外と話しやすいな」
「先輩から教わることが多いです」
「まあ、若いうちはな」
機嫌よく去った。
竜之介が小声で言った。
「さっきまで睨んでましたよね」
「話せば変わる」
「なんでそんな発想になるんですか」
「最初から敵にする必要はない、ということだ」
俺は自分の飯を食った。薄い麦飯だったが、今日は悪くない味がした。




