第11話 「城主との謁見」
本城へ向かう朝は、霧が出ていた。
田んぼの向こうに白い霧が立ち込め、遠くの山が霞んで見えた。草鞋で踏む土が湿って重い。俺は陣屋で一番まともな着物を着て、胴丸は外し、腰に小刀だけを差して出た。
城まで歩いて一刻ほどかかった。
道すがら、頭の中で何を聞かれるかを整理した。出自、経歴、授かった力のこと。どこまで話すか、どう話すか。鎌田には「正直に話せ」と言われたが、詳しい出自は言えない。遠い国の出という建前で通す。
それより先に考えておくべきことがある。
桑田がどういう人物か、何を求めているか。ただ戦える足軽がほしいのか、それとも別の使い方を想定しているのか。用意する答えは相手次第で変わる。会う前に相手の意図を読む。
桑田城は、想像よりずっと小さかった。
近づくにつれて、霧の中に輪郭が浮かび上がってきた。塀の上に槍の柄が見えた。見張りがいる。俺が近づくのを確認して、動かなかった。
天守閣などなく、土と木で作られた主郭の周りに空堀を巡らせただけの、簡素な山城だ。しかし高台にあるため、周囲を見渡せる。守りの要を押さえた実用的な構えだった。
戦略眼が自然に働いた。
城の東側に大きな死角がある。西側の登り口は広いが、そこを攻めれば側面から弓矢を浴びる。本丸への道は一本だけで、狭い。籠城すれば少ない兵でも長く守れる設計だ。桑田は金がなくとも、守りを知っている。
石渡が門前で待っていた。
「来たか。中に入れ」
通されたのは、主郭内の小さな部屋だった。床に薄い畳が敷いてある。飾りは何もない。鎧掛けだけが隅に置かれていて、古びた鎧が無造作にかかっていた。
俺は入り口近くに座って待った。
しばらくして、男が入ってきた。
五十代前半だろうか。痩せた体つきで、目が細く、全体的に地味な印象だ。着物は上等だが派手ではない。腰に差した刀も、よく見れば上質だが装飾がない。質素だが、おろそかにしていない。金をかける場所を知っている男の装いだった。
桑田勝信。
この地の領主だ。
「橘蓮か」
「はい」
「岡部から話は聞いた。丘の合戦でよく働いたと。地形を読んで先行し、足軽三人で守ったと聞いた」
「過分なお言葉です」
「過分ではない。事実を言っている」
桑田は俺の顔をじっと見た。品定めするような目だったが、敵意はない。何かを測っている。感情をほとんど出さない目だ。
「出はどこだ」
「遠い国の出でございます」
「遠い国とはどこか」
「南の方の、あまり知られていない土地で」
「そこで誰に師事した」
「特定の師はおりません。旅をしながら様々な者に学びました」
桑田はしばらく俺を見ていた。俺は視線を逸らさなかった。
「嘘をついているか」
直接的な問いだった。
一拍置いた。
「詳しく話せない事情があります。しかし桑田様の敵ではありません。お役に立てる力はあります」
桑田は少し考えてから、「そうか」と言った。
沈黙が続いた。壁の外から風の音がした。桑田は何も言わなかった。ただ俺を見ていた。
俺は視線を受け止めたまま、動かなかった。
風の音が続いた。時が止まったように感じた。外で誰かが咳をした。それだけが動いていた。
「詳しく話せないことのある者は多い。出自を明かせない浪人などいくらでもいる」
桑田はようやく口を開いた。
「ただ、俺の下に置く者には一つだけ約束してほしい」
「何でしょうか」
「俺の敵に手を貸すな。それだけでいい」
「誓います」
桑田は頷いた。短い頷きだったが、それが彼の承認の仕方なのだと分かった。
「春の合戦に出る。今回は三田と本格的に決着をつける。お前を岡部の配下に入れる。異存はあるか」
「ありません。必ずお役に立ちます」
「期待している」
桑田は立ち上がった。話は終わりだ。俺も立ち上がって頭を下げた。
部屋を出ようとしたとき、桑田が後ろから言った。
「橘」
「はい」
「字が読めると聞いた。文書の仕事もできるか」
「多少は」
「合戦が終わったら、また呼ぶ」
俺は頭を下げて部屋を出た。
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本城からの帰り道、石渡が隣を歩いた。
「桑田様はああ見えて人を見る目がある」
「そうなのですか」
「何年も仕えているが、人を見誤ったことがない。信用した者は裏切らない。切った者も後で正しかったことが分かる」
石渡は感情なく言ったが、俺への警告でもあると受け取った。桑田は俺を信用した。その信用を裏切るな。
「石渡様は、俺をどう見ますか」
直接聞いてみた。石渡が少し意外そうな顔をした。
「面白い奴だと思う。足軽がそういうことを聞いてくるのは珍しい」
「参考にしたくて」
「俺の見方か。まだ判断できない。ただ戦場では信じられる男だと思う。それで今は十分だ」
石渡の言葉は率直だった。外に出す言葉と内に持つものが別にある人間だ。
城門の前で石渡と別れ、俺は一人で陣屋への道を歩いた。
霧が晴れて、春の日差しが出ていた。
桑田に会った。名前を覚えてもらった。次の合戦が終わったら文書仕事の話がある。
霧の中に消えていく桑田城の輪郭を振り返った。小さいが、守りを知っている城だ。あの目を持つ男が治めている城だ。
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陣屋に戻ると、竜之介が待っていた。
「どうでしたか」
「無事だった」
「怒られなかったですか」
「むしろ次の合戦に岡部殿の配下として使ってもらえることになった」
竜之介が目を丸くした。
「それって、出世じゃないですか」
「まだ足軽だ。ただ名前を覚えてもらった」
「すごいですね。俺より一年早く入ったやつで、名前を覚えてもらった奴なんていませんよ」
伊助も聞いていた。
「桑田様に直接会ったか」
「はい」
「どんな方だ」
「静かで、目が鋭い方でした」
伊助は少し考えてから「そうか」と言った。それ以上は聞かなかった。
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その夜、俺は次の合戦の準備に入った。
胴丸の紐を確認し、鉢金の固定を調整した。槍の穂先を砥石で研いだ。干し飯を仕込んだ。
春の虫が鳴いていた。
合戦まで、あと五日。




