第107話 スナック異世界
――精神と時の空間。
訓練施設の一角にある休憩所。
普段は訓練生たちが水を飲んだり、軽食を取ったり、疲れた身体を休ませたりするための、ごく普通の場所だった。
ただし――。
ごく稀に。
何の予告もなく。
その休憩所は、別の店になる。
入口に、手書きの看板が掛けられていた。
『本日限定 スナック異世界』
「……また始まった」
休憩所の前を通りかかった深雪が、呆れた顔で看板を見上げた。
扉を開ける。
「いらっしゃいませー!」
カウンターの向こうから、バーテンダーの衣装を着たパンダが元気よく手を振った。
「なんでお前がママなんだよ」
「似合うから」
「自分で言うな」
店内は、いつもの休憩所と大して変わらない。
違うのは、カウンターの透明な冷蔵庫の中に大量の酒の缶が並んでいること。
ビール。
ハイボール。
チューハイ。
カクテル。
果実酒。
ノンアルコール。
種類だけなら、そこらの居酒屋より遥かに多い。
「今日は百二十種類あるにゃ」
「増えてんじゃねえか」
「一本目は無料」
「二本目から?」
「有料」
「商売する気はあるんだな」
「当然だにゃ」
そして、つまみも一品だけ無料。
ただし。
「……おい」
深雪がカウンターに並んでいる皿を見て眉をひそめた。
「これ、俺が昨日まきから差し入れで貰った、デパ地下で買ったローストビーフじゃねえか」
「今日までだったからにゃ」
「俺が今日食う予定だったんだよ!」
隣ではバーテンダーの衣装を着たミカエラが既に一枚食べていた。
「美味しいわよ、深雪」
「感想聞いてねえ!」
同じくバーテンダーの衣装を着たポルガンが、小さな皿に盛られただし巻き卵を丁寧に客へ差し出した。
「こちら、本日のお通しになります」
「ポルガン」
「はい?」
「そんな高級ホテルみたいな接客いらにゃい」
「ですが、お客様に失礼があってはいけませんので」
同じくバーテンダーの衣装を着た五十嵐が、缶ビールを一本取り出しながら溜息をつく。
「もう諦めた方がいいですよ。ポルガン様、こういう時だけ妙に真面目ですから」
「なんで領主と魔法使いがホストやってんだよ」
「社会勉強」
「便利な言葉だな、それ!」
深雪は呆れながら席をたった。
「俺、トイレ行ってくる」
「行ってらっしゃーい」
深雪が店を出て、数分後。
休憩所の扉が静かに開いた。
「……まだ、やってます?」
高橋だった。
撮影スタッフ用の機材を肩から下ろし、何となく落ち着かない様子で中へ入ってくる。
「いらっしゃい。一本無料だにゃ」
「じゃあ……これで」
高橋は弱めの缶チューハイを選び、カウンター席へ座った。
しかし、缶を開けても口をつけない。
パンダが首を傾げる。
「どうしたにゃ?」
「いや……ちょっと、相談が」
「恋愛?」
「なんで分かるんですか」
「顔」
「そんなに出てます?」
「かなり」
高橋はしばらく黙った。
それから、小さな声で言った。
「俺……実は、三角ディレクターを見ると、いつもドキドキするんです」
パンダが瞬きをした。
五十嵐の手が止まった。
ポルガンは意味が分からず首を傾げた。
そして。
ミカエラだけが。
「…………」
ピクリと肩を揺らした。
高橋は俯いた。
「別にどうこうしたいとかじゃないんです。ただ……あの人、この前までずっと、あの衣装じゃないですか」
「あー」
パンダが納得した。
「薄いし、身体の線めちゃくちゃ出るやつ」
「はい……」
高橋は両手で顔を覆った。
「俺、最低ですよね」
「なんで?」
「男が男見て、ドキドキしてるんですよ。嫌ですよね?気持ち悪いですよね?」
「別にドキドキくらい勝手にしろにゃ」
「でも……」
その横で。
ミカエラが無言で一本の缶を取った。
プシュッ。
パンダが横を見る。
「ミカエラ、それストロング9!結構強いやつだにゃ」
「…………」
ゴク。
ゴク。
ゴク。
ゴク。
「おいおいおい」
一本。
ほぼ一気に飲み干した。
空になった缶をカウンターへ置く。
数分後。
「……そうらのよ」
「ん?」
「アタシが悪いのよぉぉぉ……!」
「早いな!」
ミカエラの目から、ぼろぼろと涙が落ち始めた。
高橋が驚いて顔を上げる。
「え?」
「あんな、えっちな衣装ぉぉ……深雪に四六時中着るように指示出したからぁぁ……!」
「ミカエラ、落ち着け」
「魔力の伸びが高いからってぇぇ……後先考えなかったアタシがわりゅいのよぉぉぉ!」
「どうどうだにゃ、ミカエラ」
パンダが背中を撫でる。
「うぇぇぇぇん!」
完全に酔っぱらっていた。
五十嵐が呆然とする。
「……こんなに酒弱かったんですか?」
「強い酒を一気に飲んだからだにゃ」
ポルガンが心配そうに水を差し出す。
「ミカエラ様、お水を」
「ポルガン君いい子ぉぉぉ!」
抱きつかれた。
「えっ」
「うぇぇぇん!」
「た、助けてください!」
その時。
扉が開いた。
「戻ったぞー」
深雪が入ってくる。
そして止まった。
泣きじゃくるミカエラ。
抱きつかれて固まるポルガン。
顔を真っ赤にしている高橋。
ニヤニヤしているパンダ。
「……何があった?」
ミカエラが振り返る。
「深雪ぃぃぃ!」
「うわっ!」
「ごめんなざぁぁぁい!」
「何が!?」
パンダが隣の椅子を叩いた。
「まあ座れ」
「その言い方怖えよ!」
深雪が警戒しながら座る。
高橋は完全に俯いた。
パンダは笑いながら缶を一本差し出した。
「一本無料だにゃ」
「知ってるよ」
プシュッ。
深雪が一口飲む。
「そういやさ」
「ん?」
「俺の知り合いに、変な奴がいて」
「お前の知り合い、大体変だにゃ」
「お前に言われたくねえよ」
深雪は缶を置いた。
「本命の女がいるんだけど、その女に重くなり過ぎないように、他にも女作った方がいいとか言ってんの」
「ほう」
「それ聞いたソイツの彼女がさ」
深雪が笑う。
「『じゃあヤリチン倶楽部でもすれば?』って言ったらしくてさ」
パンダが吹き出した。
「ギャハハハハハ!」
ミカエラも泣きながら笑う。
「ヤリチン倶楽部ぅぅ?」
「ギャハハハ!」
五十嵐まで顔を背けて笑っている。
ポルガンだけが真面目な顔をしていた。
「ヤリチン倶楽部とは、どのような組織なのですか?」
「ポルガン様は知らなくていいです」
「そうなのですか?」
「はい」
深雪は続ける。
「ところが、その男がそれ聞いてブチギレたらしくてさ。怒鳴るわ暴れるわ、彼女を追い出すわ」
パンダの笑いが少し止まった。
「……なんで?」
「知らね」
「ヤリチン倶楽部、面白いじゃん」
「お前なぁ」
「何?」
深雪がパンダを見る。
そして、呆れたように言った。
「鈍いよな、コイツ」
「は?」
「いや、いい」
「何がだよ」
「渋さしか感じなかったワインが、最近美味いと感じるようになったってさ。感謝してるらしいぜ。自分で考えろ」
「??感じ悪いにゃ深雪!」
その後も、スナック異世界には訓練を終えた人間が次々とやってきた。
パンダは缶を渡し。
ミカエラは水を飲みながら泣き。
ポルガンは律儀に接客している。
「最近、訓練はいかがですか?」
「いやー、精密制御が難しくてさ」
「焦る必要はありません。昨日より少しでも上達していれば、それで十分ですよ」
「ポルガン様って、ほんと聞き上手ですよね」
「そうでしょうか?」
「悩みとかないんですか?」
「俺ですか?」
ポルガンは少し考えた。
「あります」
「へえ。どんな?」
「真央さんとリリー。どちらも大好きで困っています」
「…………」
いつの間にか、客が聞く側になっていた。
「えーっと……どういう意味で?」
「どちらも、とても大切なのです」
「それは難しいな……」
いつの間にか。
ホストと客の立場が逆転していた。
「まあまあ。今日は飲みましょうよ」
「はい」
「ポルガン様、これ飲んだことあります?」
「ありません」
「美味しいですよ」
プシュッ。
客から勧められた、かなり度数の高い酒。
ポルガンは何の疑いもなく飲んだ。
「美味しいですね」
「でしょう?」
ゴクゴク。
パンダが遠くから振り返った。
「ポルガン、それ強いやつ――誰だよ選んだ奴ー」
遅かった。
◇
店の隅。
スナック異世界の安っぽい缶酒には目もくれず、レオンとランスロットは二人で静かにグラスを傾けていた。
持ち込みのウイスキー、響。
グラスの中では、大きく透き通った天然氷がゆっくりと溶けている。
「やっぱり、いい酒だな」
「ああ」
カラン。
ランスロットがグラスを傾けた、その時だった。
「ランスロット様ぁ」
「ん?」
ポルガンがやってきた。
頬が真っ赤だった。
レオンが嫌な予感を覚える。
「ポルガン、酔ってないか?」
「酔ってません」
「酔っぱらいは大体そう言うんだよ」
ポルガンはランスロットの正面に立った。
そして、深々と頭を下げた。
「俺は、真央さんが大好きです!」
レオンの手が止まった。
「お、おい!」
しかしランスロットは平然とウイスキーを飲んでいる。
「そうか」
「はい!」
「…………」
レオンが二人を交互に見る。
「それだけか?」
「いいえ!」
ポルガンは元気よく答えた。
「リリーのことも大好きです!」
「ポルガン!?」
レオンが立ち上がった。
ランスロットは天然氷をカランと鳴らしただけだった。
「そうか」
「ランスロット!?」
「何だ?」
「何だじゃないだろ! お前の娘だぞ!」
「二人とも好きなのだろう?」
「ああ……まあ……そうだけど」
「なら、本人たちで話せばいい」
「軽いな、お前!」
ポルガンは嬉しそうに頷いた。
「ありがとうございます!」
「我は許可したわけではないぞ」
「はい!」
「聞いてるのか?」
「はい!」
絶対に聞いていなかった。
レオンがポルガンの肩を掴む。
「ほら。もう水飲んで寝ろ」
「レオンさん」
「何だ?」
「俺、パンダさんも大好きです。初恋の人です」
「…………」
レオンの動きが止まった。
ランスロットがウイスキーを一口飲む。
カラン。
「…………」
「…………」
レオンがゆっくりポルガンを見る。
「今、何て言った?」
「パンダさんも大好きです!」
「ポルガァァァン!!」
店中が静まり返った。
カウンターの向こうで、パンダが振り返る。
「呼んだかにゃ?」
「呼んでない!」
「??」
ポルガンは満面の笑顔だった。
「パンダさーん! 大好きです!」
「ありがとにゃー!」
「お前も軽く返事するなぁぁぁ!」
レオンだけが頭を抱えた。
その隣で。
ランスロットは何事もなかったように響を飲んでいた。
「……美味いな」
少し離れたところで缶を飲んでいた深雪が吹き出した。
「お前、ホストだろ! なんで客に恋愛相談してんだよ!」
「ですが、聞いてくださったので」
「素直か!」
パンダがローストビーフをつまみながら笑う。
「ギャハハハ! スナックなんてそんなもんだにゃ!」
「絶対違うだろ!」
五十嵐はいつの間にか、客の仕事相談を真面目に聞いていた。
高橋は深雪と目を合わせられないまま、隅でチューハイを飲んでいる。
パンダも普通に客と話していた。
笑って。
つまみを食べて。
深雪のデパ地下コレクションを勝手に追加で開けて。
「それ俺のだよな!まきの差し入れ!」
「賞味期限近い」
「明日まである!」
「誤差だにゃ」
「返せ!」
そんなことをしながら。
頭の片隅には。
さっき聞いた男の話が、まだ残っていた。
――なんで、そこまで怒った?
ヤリチンと言われたから?
自分を馬鹿にされたから?
それだけで?
怒りの温度が。
何となく合わない。
パンダは別の客と話しながら、ポテトサラダを食べた。
そのまま数分。
いや。
もっと長く。
別のことをしながら考え続ける。
そして。
「…………あ」
突然、パンダの手が止まった。
深雪が振り向く。
「何?」
「分かったかもしれない」
「何が」
「あの男」
「まだ考えてたのかよ!」
「考えてたよ」
「ずっと?」
「うん。パンダ二つまでなら同時進行出来るからね、精度は下がるけど」
「怖っ」
パンダは割り箸を置いた。
「もしかしてさ」
「うん」
「そいつ、自分がヤリチンって言われたから怒ったんじゃないんじゃにゃいか?」
深雪の眉が少し上がる。
「ほう」
「本命の女が、めちゃくちゃ好きだったとするじゃん」
「うん」
「好き過ぎるから重くなりたくない。依存したくない。だから他にも女作るっていう、本人なりの変な理屈があった」
「変なは余計だろ」
「変にゃ。まあパンダも深雪がまきと結婚しなければ、なんか責められてるみたいで嫌だったにゃけど」
「まあな。お前はそう言う女だ」
「でも本人にとっては、その本命への気持ちは本物で大切な物だった」
パンダは少し考える。
「それを彼女に『ヤリチン倶楽部』って笑われた」
深雪が黙る。
「つまり」
パンダは指を一本立てた。
「自分を馬鹿にされたからじゃなくて」
もう一本。
「本命の女への気持ちを、ただの女遊びみたいに扱われたと思った」
深雪が笑った。
「やっとそこまで来たか」
「え?」
「だから鈍いって言ったんだよ」
「は?」
「お前、自分が好かれてる可能性だけ、毎回計算式から抜けんだよ」
「誰がパンダの話だって言った?」
「誰も言ってねえよ」
「じゃあ違うじゃん」
「その反応が鈍いんだよ!」
パンダは腕を組んだ。
「いや。でもまだ仮説だからな」
「そこから疑うのかよ」
「単にプライドが高くてキレただけかもしれん」
「1時間考えて最後そこに戻るな!」
パンダは笑った。
「でもさ」
「ん?」
「もし本当に、本命への気持ちを馬鹿にされたから怒ったなら」
少しだけ真面目な顔になる。
「それなら分かるんだよ」
「何が?」
「あの怒りの温度」
深雪はしばらくパンダを見ていた。
そして溜息をつく。
「頭いいんだか鈍いんだか分かんねえな、お前」
「両方だにゃ」
「自分で言うな」
その横では。
「深雪ぃぃぃ……ごめんなざぁぁぁい……」
まだミカエラが泣いていた。
「お前はいつまで泣いてんだよ!」
「うぇぇぇん!」
パンダはミカエラの背中を撫でる。
「どうどうだにゃ」
精神と時の空間。
訓練生たちの休憩所に、ごく稀に現れる謎の店。
酒は缶。
つまみは深雪のデパ地下コレクション。
一本と一品までは無料。
そして。
頼んでもいない人生相談まで、勝手についてくる。
『スナック異世界』
次にいつ開店するのかは。
誰にも分からない。
ミカエラ「うぇぇぇん! アタシが悪いのよぉぉ! 深雪にあんなえっちな衣装着せたからぁぁ!」
深雪「まだ酔ってんのかよ!」
パンダ「どうどうだにゃ」
ミカエラ「馬じゃないわよぉぉ!」
ポルガン「ところで五十嵐さん」
五十嵐「はい?」
ポルガン「ヤリチン倶楽部とは、結局どのような組織なのですか?」
五十嵐「……忘れてください、ポルガン様」
ポルガン「ですが、倶楽部ということは会員制なのでしょうか?」
五十嵐「そこ掘り下げなくていいです!」
パンダ「ギャハハハハハ!」




