3
カガミが家に帰った後。
まさかココナッツジュースが晩ご飯になるとは思わなかったレイとシルハの顔に、一気に影が落ちる。特に、自分の持ち物を盗賊にさらわれたシルハの目には、落胆の色が宿っていた。事の顛末を話した時、彼が近くに置いていた赤いマントを反射的に握ったのを、カガミは見逃さなかった。
「すまない、シルハ王子……」
「……」
何を、どう言うべきなのか。迷っているのだろう。いや、迷っていてほしかった。
気にするな、僕は大丈夫だ、それより今日の晩ご飯のことを考えよう――そう言おうとしてほしかった。
幻滅してほしくなかった。見限ってほしくなかった。
自分が犯した失態の結果、もし家を出て行かれたら――という不安が、カガミの中でむくむくと膨らんでいく。
初めは「厄介者二人」と思っていたが、家の中が賑やかになったことが、思いのほかカガミの心に灯りをともしていたらしい。今となっては彼らは、自分の残りの人生に必要不可欠な存在なのだと、カガミは妄信していた。
孤独は、もう嫌だ。
寂しい気持ちになるのは、もうたくさんなのだ――と。
その気持ちは、隕石をどうにかしてくれなかった国王と王子に対する憤りを、はるかに超越するものだった。人間、どんな時であれ一人は寂しい。きっと孤独に耐えられないよう、あらかじめ操作されているのだ。
逆に、「例え両親の死を引き留めることのできなかった人たちであれ、今の自分を満たしてくれる存在であれば、何の抵抗もなく、自分は受け入れる――カガミはそう思うまでに、既に憔悴しきっていた」とも言える。
「か、必ず犯人を見つける。だから……っ」
「それは、無駄だろう。父上がすぐに裏市場を取り締まれなかったことも、あの場が有象無象の奴らのたまり場だったからだ。逃げ道や裏ルートを探り切れていない。穴は、いくらでも開いている。つまり追いかけることは不可能だ」
「そ、それなら……」
何か代替案はないか。何か別の方法はないか、シルハとダムをここへ引きとどまらせることのできる、とっておきの策は――
カガミがグルグルと思考を巡らせていると、今の今まで寡黙を貫いていたレイが、ゆっくりと人差し指を自分の口に当てる。
「二人とも、静かに。何か、音がしない?」
「音、だって?」
「そういえば……」
レイの緑色の瞳がスッと細められた。真剣な表情……の割には、口元に弧が描かれている。楽しがっているのだろうか。さっきから慌てふためくカガミとは、正反対だ。
「シルハ、こっちにおいで」
「……よかろう」
玄関扉、その両脇に、レイとシルハが中腰で構える。もちろん手には、いつ取り出したか分からない刀をそれぞれ握っている。
危ない者が迫っているのか――そう判断したカガミは、ダムの元へ行った。この場で身動きできないのはダム一人だけだ。他の者は、何かあれば自力で逃げるだろう。だけど彼だけは――
そう思い、ダムを担ぐ。そうして隣の台所へ移動し、カパッと床に備わっていた扉を開けた。扉といっても、そこには物を入れる地下スペースがあるだけだ。それでも、ダム一人は優に隠せるほどの大きさがある。
カガミはダムをずるりとそこへ置き、再びドアを閉める。そうして近くにあった大きな風呂敷をバサリと広げ、その扉の存在を隠した。一部始終を見ていたシルハは「父上っ」と零したが、カガミが手のひらを見せる。
「だ、大丈夫だ。一時的に避難させているだけだから。ここは密封ではない。ちゃんと外の空気が入るようになっている。地下だから風通しも良くて涼しい。間違っても『体が腐る』なんてことはない」
このカガミの言葉に、瞳孔を開いて「へぇ」と興味を示したのはレイだった。
「そこに入れれば、食べ物は腐らないの?」
「腐らない。この辺に住む者は昔、冷蔵庫を持っていなかった。代わりに使っていたのが、この地下収納だ。氷を別個にいれるスペースもあり、そうすれば更に長期に渡り保存することができた」
「それは、興味深いね」
「? そうか」
興味を示してくれることは嬉しいが、しかし今、そんなことを話している場合ではないだろう?――そんな気持ちでいると、もう一度レイが「へぇ」と笑った。ダムが納まった地下収納を一瞥した後、再び玄関ドアを見る。どうやら興味の対象が、外にいるだろう訪問者へ戻ったようだ。
レイが「カガミ」と、小声で名を呼ぶ。手招きをしているところを見れば、カガミにドアを開けてほしいのだろう。どうやら家の前に、誰かがいるらしかった。であれば、家主のカガミが出るのは理にかなっている。
本当に、誰かがいるんだ――カガミは新たなドキドキを胸に、震える足を一歩、また一歩と前へやる。そうしてドアの取っ手に指を引っかけ、ガチャリと開けた。
「お初にお目にかかります」
「だ、誰だ……?」
ドアの向こうに立っていたのは小綺麗な軍服を着た、女性。丸いメガネをかけ、黒色の短髪をしている。見方によると男性に見えそうなものだが、パキッとした赤色の紅を引いているので女性だと判別できた。確かに男性よりも華奢な腕をしている。しかもその先には細長い、曲げれば折れそうな、それでいて切っ先が鋭い剣を握っている。
つまり、一般人ではない。軍服を着ているところ見れば、軍人なのだろう。しかも雰囲気からして、そうとう手練れの。
彼女が持つ獲物を、眼前に突き出された時。カガミは遅れて、自分の命の危険を肌で感じる。とはいえカガミがビクリと剣に反応したことなど構っておれないと言わんばかりに、間髪容れず女性は要件を口にする。
「私は城で『最強』の近衛をしております、スローと申します。主であるシルハ王子を探しているのですが」
強調された『最強』という言葉に面食らっていると、ピッと光が動いた気がした。いや、現実には刃が動いており、夕日の光が刀身を走っている。切っ先が、真っすぐカガミの目を狙ってきていた。
しかしキンッと甲高い金属音が響き、迫りくる刃は弾かれた。レイが持つ短刀によって。
「どうして、この家に入ってくる奴らには、揃って礼儀がないのかねぇ」
「……お見事。よく私の剣筋を見切られた」
「どうも」
ひくっと口元を引きつらせながら、レイは短刀を退いた。女性――スローが刀をしまったからだ。カチンと納刀した音を聞き終え、やっとレイはホルスターへ刀を戻す。そうしてスローへ視線を定めたまま、シルハへ尋ねる。
「どうやら君が目当てなようだけど?」
「……そうだな」
シルハが観念したように、目を伏せて立ち上がる。自分から目を離さないスローを見て、グッと下唇を噛んだ。
「僕の行動はお見通し、だったか」
「ずっと、シルハ王子に仕えていましたので。王子の考えそうなことは熟知しております」
「あとは」と、スローがカガミを見る。
「この男の後を追って、確証を掴んだ……というところでしょうか。
不用心ですよ。素人におつかいを頼むなど。――出来もしないのに」
ふんっと鼻を鳴らすスローに、カガミは何も言い返せなかった。その通りだからだ。ただ拳を握りしめ、足元に視線を落とす。自分には何もない。何の才もない。シルハのように権力もなければ、レイのように剣術に長けているわけでもない。自分は盗賊にみすみす物を盗られるような、情けない男だ。
自分には、何も、ないんだ――
「すまなかった」と。カガミがもう一度口にしようとした、その時だった。
「無礼だぞ、スロー。下がれ」
スローを退けたかと思えば、カガミの前にデンと立つ。その堂々とした振る舞いは、カガミを守っているようにも見えた。
「隕石が近づいて来てから、僕はご飯の美味しさなど感じなかった。だけど、ここで食べたカニの天ぷらは……久しぶりに美味と感じた。それを作ったのは、この男、カガミだ。だから見下すな。カガミの作る料理は、どれも美味いのだから」
「シルハ王子……」
グッと鏡の涙腺が緩んだのは言うまでもない。幻滅されているかと思えば、まさかかばってくれた。それだけでなく料理の腕を評価してくれた。見限られていなかったのだと、安堵と申し訳なさとで視界がゆらりと揺れる。大の大人が泣きそうになるなんて、と周りを気にする暇はない。一粒落ちたそれを、レイだけが横目で見ていた。
しかし反対に、スローは表情一つ変えない。まるで面白くない大道芸人を見ているかのような、冷え切った目をしている。
「食事、ですが。しかし、それに何の意味がありますか?」
「ではスロー、僕からも聞こう。最近食べたご飯の中で、美味だったものを覚えているか?」
「食事など、生きていく上で必要なもの、というだけです。義務で食べているにすぎません」
スローは姿勢を崩さない。両手を太ももにつけ、天から糸で吊り下げられているようにピシッと立ち、なおかつ一切の体の揺れがない。シルハの言うことなんぞ、全くもって胸に響いちゃいない、という感じだ。
強い、意思を感じる。スローは、何をどんなことを言われようとも、表情を、そして牙城を崩さない。それはつまり、シルハ(そしてダム)を城へ連れ帰る意思を曲げる気はない、ということだ。
話が並行線になっていたところへ、レイが口を挟む。
「真面目一辺倒なのも興ざめだねぇ」と、いくらかの挑発を織り交ぜながら。
「いくら仕事が好きとは言え、ちょっとくらいは『美味しかったご飯』はあるんじゃない? 例えば王子と一緒に食べた物とか。なんかないの? 外で食べたおやつとか、デザートとか」
「シルハ王子と……」
ハッと反応したのは、スローだった。一度天を仰いでから、「そういえば」とゆっくり言葉を紡ぐ。
「昔、まだ王子が小さかった頃。城の外へ行きたいと言われたことがありました」
「その時に二人で城をこっそり抜けだして」と続けたスローを見て、レイは呆れの息を吐き、カガミは何となく理解した。どうしてシルハが、城からの脱出に成功したのか。それは小さい頃にスローから教わっていたからだろう。教わった、というより「見聞きしたことを真似た」という方が正しいだろうが。
「今日と似た暑い日でした。街の市場をこっそり散策していた時、汗が止まらない王子を心配しアイスを買って渡しました。だけど一本しかなかったアイスを見た王子が『ダメだ』と言い、自らアイス屋に走ったのです」
懐古しながらスローは目を伏せる。紅を引いた口は、いつの間にか上向きに弧を描いていた。
「そうしてもう一本、アイスを買ってきてくれました。王子自ら、私に。『お前も暑そうだ』と、私を心配して下さったのです。あの時のアイスの味は……そうですね、何年経っても忘れられません。後にも先にも、あれほど美味なアイスは初めてでした」
若干頬を赤くしたスローの前で、シルハが片手で顔を隠す。「一体いつの話をしているんだ」と言いながらも、話の内容に「あて」はあるらしい。耳まで赤く染まっている。カガミやレイに、自分の子供時代の話を聞かれて恥ずかしいのだろう。
しかしスローは止まらなかった。「私はイチゴ味で、王子がサイダー味で」と、尚も語り続けている。だんだんと声が高くなっているのは気のせいではなく、スローという女性の化けの皮が剝がれているような、そんな不思議なものを見ている感覚になった。
最初に抱いた印象が、ガラガラと崩れていく。
シルハのことを語る彼女は、まるで好きな人の話をしているかのような……そんなことを思ってしまうくらい、彼女は恍惚とした表情を浮かべていた。
「それで、その時シルハ王子は」
「おいスロー。いいから、もうやめろ」
しかし和やかな雰囲気は、不気味な音と共に終わりを迎える。地の底を這うような、ゴゴゴという地響きと共に、各々の体がグラリと揺れた。
「なんだ、地震か⁉」
「王子、私の腕の中へ!」
スローが素早くシルハを捕まえ、その腕の中に閉じ込める。それを「うわー」と呆れた目で見たレイと、この不気味な振動に覚えがあるカガミは、タラリと冷や汗を流す。
「これは……」
「カガミ? 顔色が悪いよ?」
「そりゃ、そうだろう。俺の勘が間違っていなければ、この揺れは……モクイが動き始めた音だ。
モクイが、地上に出てくる!」
その瞬間、家の外で「グアアア!」と獰猛な獣がうなりを上げた声が、不気味に響く。それを目にした者たちの悲鳴が、一斉に空気を裂いた。
「ここにいろ!」
スローと王子を押しのけ、カガミが一番に外へ出る。次にレイ、そうしてなぜかシルハを家に閉じ込めてスローが出てきた。「中にいろと言ったのに」とカガミが苦言を呈そうとしたが、スローは抜刀しており、既に戦闘態勢だ。
「私の王子に危険が及ぶことは、この私が許しません」
「いや、君の王子じゃないでしょ。国民の総意でしょ」
「こほん……。して、あれが、この音の正体ですか」
スローが見つめる先には、丸っこい生き物……いや、一軒の豪邸ほどありそうな巨体な化け物がいる。名はモクイ、モグラに擬態した魔物である。見た目はモグラそっくりで、全体は黒い毛でおおわれ、そこから飛び出る爪は鋭く、そして長い。あれでダムがやられたとなると、今ダムが生きているのが不思議なくらいだ。
「地上に出た姿を初めて見た。伝承より数百倍は凄まじい姿だな。村が壊滅するはずだ。
そうして、あれに襲われ生還したなど、奇跡としかいいようがない。さすがは国王だな……」
「まぁ、生還は、難しかったかもしれないけどね」
レイは自分の赤いピアスを触る。レイの言う「僕の友達」の力を借りてダムの傷が治ったことを、カガミは知らない。
なんだか意味深な笑みをレイが浮かべるものだから、カガミは不思議がる。しかし「どういうことだ?」と問いただすことはできない。なぜならモクイが、こちらを見つめているからだ。
いや、コチラ、というよりは――
「これは念のための確認ですが……あの怪物、私を見つめていませんか?」
「君があまりにも大きな声でキャンキャン話すから、眠りから目覚めちゃったんだよ。無理やり起こされて不快なんだね、可哀想に」
「王子との昔話をして、何が悪いというのです!」
再びスローが声を張り上げた瞬間、再びモクイが咆哮する。そうしてシャカシャカと手を動かし、モグラとはけた違いのスピードで砂浜を移動し、彼女に迫った。どうやらレイの推測などではなく、モクイは、本当にスローの声が気に入らないらしい。モクイの爛々と光る赤い瞳に、スローの姿が鮮明に映し出される。
「と、とりあえず家の中に逃げろ!」
「バカなことを言わないでください。私が逃げたら中にいる王子はどうなります。……そういえば国王の姿が見当たらないですが、ダム国王は一体どこへ?」
「そんな話は後からに、して!」
目の前まで迫るモクイに、レイが砂をバサリとかける。すると目に直撃したらしい、モクイの足がピタリと止まり、何やら呻き始めた。どうやら目に砂が入って痛むのは、人間も魔族も同じらしい。黒い巨体が右へ左へ、バッタンバッタンのたうち回る。
「さぁ、今の間に対策を練らないと、ココは壊滅状態になるんでしょ?」
「だが、何の策を……あ!」
その時、カガミは思い出す。キッチンの端っこに積まれた、酒樽のことを。
「あの酒は度数が高いと、父さんが言っていた。……使えるかもしれない」
カガミの父は酒をよく飲む人だった。故に酒の収集が趣味だった。美味い酒を飲むと体が元気になるのだと、わけのわからない持論を掲げていた。家に積まれた酒樽は、そんな彼の楽しみの一つだった。といっても、嗜む前にこの世を去ってしまったわけが。しかし、故に、残された酒樽には、彼が口にする事のできなかった美酒が、たっぷりと詰まっている。
「酔わせて動きを止める作戦はどうだ? 飲ませるのが難しいなら、頭からふっかけるだけでも効果はあると思う。度数が高ければ、その分、匂いも強い。日ごろ酒なを飲まないモクイが浴びれば、浴びるだけで少しは酔ってくれそうだ」
「へぇ、面白いね。どこかの国でも、頭が七つに分かれた蛇を、酔わせて退治した伝説がある。いいね、やってみようよ!」
「じゃあ持ってくる。その間の足止めは、頼んだぞ」
カガミは一人で家に戻る。残されたレイとスローは、互いに刀を握り直した。そうしている間に、目の痛みから復活したモクイが、正気を取り戻し始めた。言うまでもないが、さっきより怒りに震えている。
「足止めを頼んだ、なんて。簡単に言ってくれるよねぇ」
レイの横顔を汗が流れる。
この短刀で、いったいどこまでやれるやら。




