二章 敵を交えた猛獣狩り
「今から楽しくない話をしようと思うのだが」
神妙な面持ちで呟くカガミ。その横に座るのはレイ、向かいに座るのがシルハ。そうしてテーブルの横で眠っているのがシルハの父親、ダムだ。
三人は和やかに食事を終えた後(途中、ダムの口にカニの足がささっているのを見たシルハが、犯人であるレイとカニの足で小競り合いを起こしたが、カガミのゲンコツで被害ゼロに終わった)、揃って片づけをして、再びテーブルに戻って来た。
実は片付けの際、シルハが「手伝う」と言い、率先して皿洗いを行った。この姿にカガミは何とも言えないほんのり温かい気持ちを覚えたが、隅に立つ冷蔵庫。その中身を思い出して、今度は一気にひんやりした冷気を覚える。この焦りとも呼べる不安は、一人ではどうにもならないと。食事の片付けが終わって一息つく暇なく、こうして皆をテーブルに呼び戻した次第だ。
「不思議なことだが。一日にして、住人が三人も増えた」
「賑やかになっていいことだね」
「……異論はないが」
レイが飄々と言うものだから、つい笑みを浮かべて頷いてしまう。
元々、この家は父と母とカガミの三人で暮らしていた家だ。両親を失いたった一人きりになった家に、前よりも多い数の住人が来ることになろうとは――数奇な、そして奇妙な縁に、カガミは少しの安らぎを覚える。これからは賑やかになる……いや、なりすぎるだろうなと。そんなことを思いながら。
しかし、住人が増えました。前ほど寂しくならないと思います――というのは、カガミだけの話だ。冷蔵庫の中は違う。むしろ「寂しすぎる」という方が正解だろう。
「圧倒的に食料が足りない。漁に出るにしても、俺しか狩りができない。さすがに、男四人の腹を満たす数の魚を、俺は獲る自信がない」
「つまり食糧難ってこと?」
カガミが頷く。
「元々自給自足のような生活をしていたから、これといって貯金があるわけでもない。それに貯金があったとて、すぐに底を突くだろう。だから、考えないといけない。まずは今日の晩ご飯からだ」
カガミの声を聞いて「なるほどな」と、シルハが呟く。同時に、部屋の中をぐるりと見回した。部屋に入る日光が、シルハの金髪を照らしている。全く痛みのない髪だ。短髪の自分の髪にはないサラサラ感に、カガミはつい目を奪われる。
「城を出る時、色々持って来た。少ししかないけれど。でも、それが役に立つなら喜んで差し出そう」
「売るってこと? でも王族の物だったら、すぐにバレちゃうよ?」
もしシルハとダムが「追われる身」であれば、国民の通報を受けた城の者に逆探知される。そうなると二人は、城へ連れ戻されるだろう。
「というか、そもそもどうして城を出てきたの? 今、ルゲーニ王国で一番安全なのはお城でしょ?」
「例えこの身の安全を保障されても……心が損なわれるのであれば、意味がない」
ポツリと零した王子の言葉に、カガミも、そしてレイも閉口した。やはり王子たちに並々ならぬ事情があるのだと、理解するのに時間はかからなかった。同時に「二人がここにいることは極秘なのだ」と、カガミは心に刻む。
「居場所がバレるのだとしたら、それは、売るべきじゃない……だろうな」
正直、喉から手が出るほどの代物だ。売って資金を稼ぎたい。しかし、そんなことをすれば、二人の居場所を大っぴらにするようなものだ。事情があって逃げてきた者を、簡単に熨斗を付けて返すことは、さすがにできない。
カガミが渋い表情を浮かべていると、シルハは「心配には及ばない」と。家の中から、とある方向を指さした。
「こっちの方向に、街から離れた市場があるのを知っているか?」
「市場? そんな話は聞いたことないが……」
食事中に「畏まらなくていい」と言われたため、カガミは遠慮なくタメ語で話す。シルハがさした方向へ、目を向けながら。
「その方向は、海しかない。海へと続く、海道だ。だけど、どこと繋がっているわけでもない。道は途中でぶつりと切れ、ただの断崖絶壁だ。そんな場所へ、市場?」
ここへ長く住むカガミが首をひねったのを見て、レイは「ある予想」が脳裏にひらめいた。
「もしかして裏市場?」
「そうだ。正規ルートでは手に入らない物が、秘密裏にやりとりされている市場。その名も裏市場。売る者、買う者の身分は決して明かされず、互いの顔を見ないままに取引が終わる」
「そんな所があったのか……。でも、どうしてそれを? 近くに住む俺でさえ知らなかったのに」
「父上は前から把握していた。どう切り込もうか考えていた矢先に、隕石の問題が上がってな。そこからは裏市場へ構う暇なく、野放しの状態だ」
つまり現在も裏市場では、つつがなく取引が行われている、ということだ。そしてシルハがわざわざこの話題を出すということは――
「僕が持つ王族の物を売ってこよう。そうしたらしばらくはお金に困らないはずだ。その間に、食料問題については考えればいいだろう。これだけ大人がいるんだ。何か策が思い浮かぶはず。それまでの食い扶持は、世話になる僕らが繋ぐ。それでいいか、カガミ殿」
「王子に『殿』ってつけられると、どんな顔をしていいか分からないんだが……。そうしてくれると助かるのが本音だ」
「じゃあ、決まりだな。さっそく荷物を見てくる。用意が出来次第、行って来る」
そうしてシルハは、ダムの隣にまとめておいていた荷物を漁り始める。その小さな背中を見たレイが「『これだけ大人がいる』ねぇ」と苦笑を漏らす。
「その中に自分も入っているんだか、どうなんだか」
「やはり、まだ子供だよな?」
小さな声でカガミが問うと、レイは僅かに頷いた。
「小さな子供ってわけじゃない、成人間近の子供って感じかな。王子として心身ともに鍛えられてきたんだろうね。雰囲気が、もう立派な大人のそれだ」
「……そうだな」
カガミは考える。裏市場は顔を見られることはない、極めて閉鎖的なもの。しかし違法であることは確かで、そんな場所へ子供を向かわせていいものか、と。しばし逡巡した結果、カガミは頭を左右に振る。
行かせられるわけがないのだ。もう、これほどボロボロになった子供に、これ以上の負担は強いられない。
一つの答えが出たところで、シルハが大きな布を担いで戻ってくる。
「金目になりそうな物がいくつかあったから、これを売ってくる。今ならちょうど、市場が開いてる時間だ」
「それは、よかったね……って言いたいけど。カバンとか持ってなかったの? 荷物をくるんでいる、その大きな布は布団でしょ?」
「寝室で『城を出よう』と決めたものでな。カバンどころか、物を入れる物が全くなかったのだ。父上の赤いマントがあったが……あれを、そんな扱いにするのは、さすがに」
そこで言葉を切ったシルハは、まだ横たわるダムをチラリと見る。
マントは、ダムの威厳そのものだ。あのマントをひらめかせながら、何度国民の前に立っただろう。あの赤いマントこそが、ダムを国王たらしめる所以なのだ。
故にカバンの代わりにすることはできなかった。とはいっても、ダムの怪我の手当をするためには率先して使ってしまったが。生地の厚さからして、止血にちょうど良かったのだ。そんな物をどうして手で破ることができたかと言えば、それはもうシルハの火事場の馬鹿力ほかない。
「このマントは破れているが、値はつくだろう。ただ、その……」
シルハは言いにくそうに、左右に目を動かす。その手に持つ荷物を、カガミがヒョイと自分の手に抱えた。
「マントは、この中に入っていないな?」
「まだ……入って、いない」
「それでいい。とりあえず今はこれだけ売れば、何とかなるだろう。万が一、売れもせず魚も獲れず……ということになったら、その時は潔く売ってくれ。いいな?」
「……あぁ、わかった。ありがとう、恩に着る」
泣きそうになった顔を隠すように、シルハは顔を下げた。目の前に立つカガミは、まるで子供を持ったかのような心持ちでいた。といっても、これほど出来た子供なんて、自分から生まれることはないのだろうが。
「じゃあ俺が、これからすぐに裏市場に行ってくる。この家は、基本誰も来ない。もし来たとしても居留守を使ってくれ。どうしても用事がある時は、近場まで。……そうだ、レイ」
「なに?」
「モクイの話は覚えているな? 王子たちが近づくことがないよう、それだけ気を付けてあげてくれ」
「はいはーい」
なんだかんだ言ってお人好しなんだから、という小言をレイから受けた後。カガミは袋を抱えて、家を出る。その時、レイから「おーい」と再び、声をかけられる。
「いってらっしゃい、カガミ。気を付けてね」
「……いって、きます」
カガミは拙い挨拶を返して、家を出た。薄いサンダルを履いているから、地面の暑さがすぐ足裏に届く。「暑いな」と零していると、家の中からレイの笑い声が聞こえた。
「なんとまぁ、賑やかなことだな」
カガミの口角が自然と上がる。そうして笑い声を背に、裏市場へと一歩を踏み出した。
ここから教えてくれた裏市場まで、歩いて30分というところだろう。結構離れている……だが逆に言えば「距離をとることが出来ている」ともいえる。
お忍び二人を抱えた「いわくつき一家」だ。人目につかない場所でひっそりと暮らしている方が、性に合う。
「さて、金に換えた後……晩ご飯は、何を作ろうか」
ジリジリと照り付ける太陽。その日差しが、刻一刻と暑く、鋭いものになっていく。しかしカガミの心は涼やかなものだった。
こうして晩ご飯に何を作ろうかと悩むこと。家を出る時に「いってらっしゃい」と声をかけられること。そして自分以外の誰かが家にいて声が漏れて聞こえること――このどれもが、一度はカガミが失ってしまったものである。それがまさか、再び戻って来ようとは。
「いわくつき一家、上等だ。一人で最期を迎えるより、こうして賑やかなまま終える方が満たされる。満足に、人生を終えることができる。父さん母さん、俺は笑顔で、そっちにいけそうです」
穏やかな顔で呟くカガミ。その心は、とっぷりと溜まった平穏の中に沈んでいた。
しかし――カガミは知らなかった。
彼が歩く、その後ろで。
剣を携えた何者かが、ひっそりと後を追っていることを――
◇
カガミが家を出た直後。
手持ち無沙汰になったレイは、同じく手持ち無沙汰になっていたシルハにこう尋ねた。
「さっき砂浜を散歩していたら、血がついた布が落ちていた。あそこは、さっきカガミが言った『モクイ』という魔物がいる場所に近い。上等な赤い布に、深い傷を負った王様――ねぇ王子様、モクイに近づいたね?」
「モクイ……。あの怪物は、モクイというのか?」
「アハハ! やっぱり知らなかったんだね。国の王様、王子様とあろうものがね」
「ち、父上は、今は正気ではない。知っておられても、魔物にまで心を配れない時だってある。僕は……確かに、知らなかったが」
モクイとはやはり有名な奴で、やはり王子であれば知っておくべき存在だったのだ。レイからの冷笑を浴びたシルハの顔色が、ザッと悪くなる。
だけどレイはやめなかった。「やっぱり」とニヒルな笑みを浮かべる。
「カガミが言うには、相当に大きいらしい。穏やかな性格だが、テリトリーに入られると手がつけられず、村が壊滅したことがあったのだとか。それほど大きかったの? 君は、モクイの姿を見た?」
「わずかだが……。そうはいっても、あまりの速さに一部しか見えなかった」
「どんな奴?」
「腕一本をとっても大きな奴だった。毛が見えた。あとは鋭い爪。父上は、それにやられた。僕達は馬に乗っていたが、その馬も……。穴まで引きずられて、姿が見えなくなった。きっと食われたのだろう」
「へぇ。だとしたらモクイは肉食かぁ」
レイはペロリと舌なめずりをする。その反応に気分を害したのは、もちろんシルハだ。尚も眠るダムを見ながら、怒りで唇をわななかせる。
「あんな魔物に興味を抱いてどうする。どう退治するか、ということを考えるなら、まだしも」
「俺はね、退治なんて考えてないんだよ」
「……は?」
シルハの表情が硬直したのを見て、レイは緑色の瞳をスッと細めた。
「食えるか、食えないか。
俺が気にしているのは、それだけだ」
「そ、それだけって……。魔物を、食おうとしているのか?」
「どうやら巨体らしいし、あれを仕留められたとなったら、何日食いつなげるか興味がある。まぁ解体しないと、どの部位を食えて、どの部分が食えないか、というのは分からないけどね」
「魔物を食うなんて、どうかしている。お前、本当に料理のことしか頭にないんだな」
シルハが苦々しい表情を浮かべた。もちろん、そんな彼を見ても、レイはあっけらかんと笑っているが。
「そうだね。俺がこの国にいるのは『ご飯を知るため』だから。それ以上のこともそれ以下のことも、毛ほども興味がない。陸の孤島であるにも拘わらず、貿易も他国との交流も少ないルゲーニ王国の民が、どうして餓死しないのか。俺は、そこに興味があるんだ」
「お前……」
この時シルハは、レイの中にある使命感と自分の中にあるそれが、同じ重さではないかと感じた。自分だけの興味関心のためだけに、わざわざこんな栄えていない国には来ないだろう。それに、いつ死ぬやも知れぬ日々の中で、ここまでご飯を追究する姿勢も、はたから見れば異常だ。
この男には、何かがある。
それも個人的なものじゃない、とてつもなく大きな背景が――
「あぁ、そうそう。カガミに言うの忘れちゃった」
「え、何をだ?」
シルハの考えを一刀両断するように、いやに大きな声でレイが喋る。そうして、とんでもないことを口にした。
「君らの足取りを追っている兵が、必ずいるでしょ? その兵に気を付けてと、カガミに忠告するのを忘れちゃった。優秀な兵であれば『この辺りに来るだろうなぁ』ってもう目星をつけているか、待ち構えているだろうから」
「……確かにな」
「上手く切り抜けてくれたらいいけどねぇ。それより――三時のおやつは何にする? 近くの木に果物がなっていないかなぁ? あ、アレなんてよさそう! ちょっと見てくるよ!」
光の速さでひょいひょいと外へ出てしまったレイを見送った後。だいぶ容態が安定したダムの傍へ、シルハは寄る。
「あの男、僕に似た野心を持っているように見える。剣の扱いに長けているだけでなく、兵のことについても詳しかった。レイ……あの男は、一体何者なんだろう。父上なら分かるのだろうか……ん?」
この時、ダムの包帯から血が滲んでいるのを確認し、急いでめくってみる。しかし傷は……というか傷痕はキレイさっぱり消えてなくなっており、包帯に血がついているのが不思議なくらいだった。
「いつ、治った? いや、こんな短時間で治るような傷ではなかったし、そもそも傷痕さえキレイサッパリなくなっているのはおかしい。ひょっとして……」
シルハは、窓の外へ目を向ける。そこには高い木を見上げ、何やら笑っているレイの姿がある。手ごろな石を掴んでは投げている様子。そうかと思えば三秒後、大きな果物が、ドンと低い音を立てて地面に落ちた。
「あれは、ココヤシか。確かに、おやつにはぴったりのジュースだ」
その後、いくつかのココヤシの実を抱えて戻ったレイと、その飲み方を知るシルハで、甘い汁を堪能する。もちろんダムにも飲ませると、少しだけ表情が緩んだように見えた。そこでシルハは城を抜け出して初めて、小さな親孝行が一つ出来たような気がした。『美味しいご飯を食べよう』城で父は、それを望んでいたのだから。
「僕は少しだけ、その願いを叶えることができましたか? ねぇ、父上」
まだ大人になりきれない彼は「レイを疑ること」をすっかり忘れ、心からほほ笑んだ。




