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海の沖から少し離れた、誰かの者か分からない家の裏。その影に身を潜めるように座る二人組は、白髪の成人男性と、金髪の青年。
そう、このルゲーニ王国のダム国王と、その息子シルハ王子だ。
「父上、大丈夫ですか?」
「うぅん……」
ダムの手に、赤い布をギッチリと押さえつけるように巻くシルハ。何のための布かと言うと、先ほど海辺を通っていた際、魔物に襲われた。その時にダムが受傷したため、応急処置で止血しているのだ。
その魔物は地中に埋まり、息を潜めていたらしい。そして突然、二人を襲った。
俊敏だった。
あまりに早い動きだった。馬二頭はさらわれ、地中に引きずり込まれた。ダムも対応できず、傷を負った。シルハは若いだけあって見切ったらしい。腰に構えた剣を抜き出し、何とか攻撃を防いだ。
「まさか、こんな海に近い地中に魔物がいるなんて」
ダムの止血を行いながら、シルハはさっきの出来事を思い出す。対峙した時、固い、金属同士がぶつかった音が響いた。そして一瞬だったが毛も見えた。
もしかして魔物の前足で攻撃されたのか?
剣で弾いた金属音の正体は、まさか爪?
「もしあれが前足なら、本体は相当な大きさだ。そんな物が存在したなんて……」
想像し難い巨体に生える前足、そこに備わる強靭な爪――本来、ルゲーニ王国はあまり魔物がいない国だ。
だからこそ、もし地中に巨大な魔物がいるとすれば、必ず父が教えたはず。一国民として知っておくことはもちろんのこと、一国の王子が「把握していない」なんて、とんだ赤っ恥だ。
「うぅ……」
「あ……父上、大丈夫ですか?」
脳の奥深くまで沈んでいた思考が、ダムの唸り声で現実に引き戻される。
父はあの魔物を知っているのか、いないのか――と考えていたが、とりあえず今はダムの手当に集中することにする。あんな巨体とやりあって、これだけの擦り傷で済んだのはむしろ奇跡なのだ。せっかく助かった命。失血死、なんてことは絶対にあってはならない。
「父にはまだ生きてもらわないと困る。今まで貰った恩を、何も返せていないのだから」
今まで苦労した分、せめて隕石に潰される僅かな時間だけでも幸せに。
そう願いながら赤い布を締め直したシルハ。その瞳には、赤い布ではない鮮血の色が、じわじわと広がっていくのが映っていた。
「父上っ……、ん?」
シルハは鼻をヒクヒク動かした。何か香るのだ。磯っぽいような、油っぽいような。それに混じって温かい空気と共に、味噌の香りまで辺りに漂う。
懐かしいな――と思ったのは、シルハも、そしてダムも同じだった。
「味噌汁か。城でたまに出てきたな」
「そうですね、僕は豆腐が浮かぶ味噌汁が好きでした」
「そうか、わたしもだ」
ハハと笑ったダムの顔色が、少しずつ悪くなっている……ように思う。心配しすぎたシルハの考えすぎかもしれないし、本当に血が出すぎているのかもしれない。
「味噌汁……それを作っている人がいるってことだな。もしかしたら包帯も持っているかも」
ルゲーニ王国は魔物がほとんどいないせいか、あまり術者がいない国だ。だからこそ治癒魔法が使える魔法使いを、はなからあてにしていない。そんな物に一途の希望を見出すくらいなら、最初から包帯を探す方がダムが助かる確率は高い。
シルハはチャキッと音を立て、腰につけた刀の柄に触れる。
「もし抵抗されたら……致し方ない。
これも父を助けるためだ」
ダムを純粋に父だと思うシルハに、もう王子の肩書きは残っていない。そんなものは馬に飛び乗った時に、城へ捨ててきた。今はただ父を喜ばせるための親孝行をしている、ただの息子だ。そんな身勝手なシルハの事情を知り、「はい、包帯をどうぞ」と差し出す国民はいないだろう。必ず渋るはずだ。「国の王がこんな所で何をしている。隕石は、国はどうする」と責められるはずだ。
だったら実力行使しかない。
この剣で、何がなんでも包帯を手にするのだ。
「待っていてください父上。僕に、お任せを」
寝てしまったのか、意識を失ってしまったのか。ダムは返事をしなかった。危ない状況かもしれないと、シルハの心臓がドクリと激しく揺れる。
シルハは地獄の縁に立たされたような絶望と共に、味噌汁の匂いを追って駆け出した。
◇
「おぉ、本当に緑になった!鮮やかだなぁ、まるで宝石みたいにキレイだ」
耳に本物の宝石をつけたレイが、ニッと笑みを浮かべる。まるでお菓子を与えられた子供のように無邪気な笑みだ。……ワカメのことで笑っていることは置いといて。
しかし若々しい整った顔つきだと、レイの横顔を見ながら、カガミはひっそり思う。格好を変えれば、女性に見間違われることもありそうだ。こういう顔立ちを「中性的でキレイ」と世の中は言うのだろう。
「お前、結婚は? 好いてる女性はいないのか?」
「はは、なにさ。急に」
「何となくだ。いきなり国に帰れなくなり、不便なことも多いだろう。その不便なことの一つに、帰りを待たせている者がいるのかと……そう思っただけだ」
本当に、ふと何となく思っただけだ。だから意地でも聞きたいわけじゃないし、それこそ聞いたからと言って「へぇ」で終わりだろう。
だが、この何気なく聞いた問いに、レイは意外にも真剣に答えた。
「特に、いないなぁ。一人だからこそ、着の身着のままこうして旅が出来ているわけだし」
「そうか……いや、でも友達がいるのだろう? 一人」
そう言うと、お玉で味噌汁をかき混ぜていたレイの手が、ピタリと止まる。しかしカガミは、気にせず続けた。
「俺が二人目の友達なら、一人目は生まれた国にいるんじゃないか? その友は、さぞお前を心配しているだろう」
「あはは、そんな情の深い友達じゃないよ。たぶん」
たぶん? 友達なのに、その友達のことが分からないのか? それとも何か隠している?
レイの横顔からは、何も察することができない。いつまでも横を向いているわけにはいかないため、カガミは仕方なく顔の向きを正面に戻す。手元に視線を落とすと、既に息絶えたカニたちが、水に満たされたボールの底に沈んでいる。
カニの汚れをとったら充分に水分をふき取り、薄力粉や片栗粉を混ぜた衣に通し、油で揚げる。カニは丸ごと食べられるから無駄がない。手間はかかるが、揚げたてのサクサクとした食感は最高で、調理の苦労を水に流してくれる。
だから、きっとレイも喜ぶに違いない。ワカメの色が変わっただけで、あれほどの笑みを浮かべたのだから。
天ぷらを食べた時のレイがどんな反応をするか。そんなことを考えながら、隣に並ぶ味噌汁の鍋を見る。そこに突っ込まれたままのお玉は、微動だにしていない。手元を辿ると、レイは一点を見つめて固まっている。ドアだ。
「おい、どうした。ドアが気になるのか?」
「違う。――何か来る」
レイがお玉から手を離す。急にバランスを失ったそれは、ジャッと音を立てながら鍋の淵をぐるりと這った。
玄関扉の前で、レイが腰を落とす。そうかと思えば、太ももに手をかけた。サイズオーバーの長ズボンは、どこにポケットがついているやら分かったものじゃない。だけどレイがズボンの奥に手を伸ばすと、確かにチャキッと聞こえた。
まさか短刀でも持ち歩いているのか?
カガミが推察した、その時だった。
扉が勢いよく開き、岩でも投げ込まれたかのように勢いよく何かが部屋の中に入ってくる。驚きで声さえ出ないカガミとは反対に、レイはズボンに伸ばしていた手を体の前に戻した。刹那、キンッと甲高い音がこの場を制圧する。
見ると、片膝立ちのレイと、レイと同じような背丈の立ったままの青年が刀を交えている。青年の髪は透き通った金色で、思わず見入ってしまうほどだ。
そんな彼が持っていたのは、レイとは違う長い刀だ。しかし扱いに長けた様子。その証拠に、青年は「ほぅ」と何食わぬ顔で会話を始めた。
「僕の剣を止めたか。貴様、何者だ」
「随分なご挨拶だね。勝手に家に入ってきて刃物を抜くなんて。まさか盗賊?」
「盗賊」と聞いた瞬間、金髪の青年は苦々しく口を開ける。しかしグッと、何かを堪えるように表情を引き締めた。
「俺が盗賊になるか、ならないか。それはお前の返答次第だ」
「残念ながら、俺は家主じゃない。……盗賊になりたくないのなら、それ相応の態度を示せ。ここの家主は、話せば分かってくれる人だよ」
「!」
レイの言葉に、金髪の青年――シルハは、フッと力を緩める。互いに刀を引っ込め、鞘に戻した。レイはやはり太ももにホルスターでもつけているらしい。シルハは腰に、レイは太ももへ、それぞれ納刀した。
そのタイミングを狙ったかのように、ジューッと油の跳ねる音が室内へ響く。レイとシルハ、合わせて四つの目が、音の元──カガミへ移る。
「まずは、そこへ座れ二人共。天ぷらをしている時に暴れられたら叶わん。火事になるだろうが」
油の海へカニをくぐらせた瞬間。体の色が、鮮やかな赤色に変わっていく。ワカメよりも目を引く色に、レイはまたもや目を輝かせた。その隣にちょこんと腰を下ろすシルハも同じ。だが、彼の場合は「赤」を見てカニではなく別のことを思い出す。
「そうだ、父上っ」
血を流して意識を失っている父、ダムを思い出す。こうしている間に命尽きてしまうのでは?と心配したことがもろに顔へ出た。そんなシルハを、箸でカニを泳がせながら、カガミがチラリと見る。
「王様も連れて来い。王族には狭すぎる部屋だが、そんなことも言ってられないのだろう?」
「え……僕が王子だと気づいていたのか?」
「当たり前だろう。国民なら、王子の顔くらい誰もが知っている。しかも……そんな服装じゃ、自ら身分を明しているようなものだ」
そんな服装――とは言うが、シルハは一応、国民に紛れることが出来るようにと寝室にあるクローゼットの中から平凡そうな服を選んだのだ。長袖長ズボン、色は目立たぬ白色。とはいえ……サテン生地は確かに目を引く。王冠がないだけマシだが、一目瞭然で身分が高い者だと分かる。更には精錬された所作に、言葉遣い。ただ身分が高いだけでは、あぁはならない。昔から躾けられている者の立ち振る舞いだ。そんな人は、この国では王族以外にあり得ない。
「レイ、外にいる王様も連れてきてくれ。王子一人では運べない」
「えぇ……いきなり襲い掛かってくるような奴の手伝いなんて」
不満を表し、唇をブーと尖らせるレイ。しかしカガミが一匹目のカニの天ぷらを完成させたのを見て、すっくと立ちあがる。
「えぇっと王子様、だっけ? さっさと行こう。天ぷらが冷めてしまうから」
「……あ、あぁ」
レイにグイグイと手を引かれ、シルハは再びドアを通る。少しして、家の真裏から「うわぁ、怪我してるじゃん」とレイの声が聞こえた。どうやら負傷しているらしい。カガミの目が「救急箱」へと移る。透明のケースを外から見るに……最低限の応急処置はできそうだ。
「はぁ、急ににぎやかになってきたな」
朝まで一人でボーッとこの家にいたというのに、異国の者に、ルゲーニ王国の王様、そして王子までもがやってきた。一体、何がどうなっているんだか。
ため息を吐きながら、カガミはボールからカニを取り出し、水分をとる。ボールの中には、まだまだカニが沈んでいた。
「カニ、多く獲っておいてよかったな」
とりあえず寝床と食べ物には困らなさそうだ、と。カガミはつかの間の静寂の中、ほっと安堵の息を漏らした。




