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3/9

「お味噌汁にワカメを入れたいんだけど、コレって使えるの?」


 そう言って肩まである銀髪を一つ括りにしたレイが持ち上げたのは、茶色のワカメだった。フリルのようにビロンと伸びていたり、ギャザーが入っているように波打っていたり。広げると、男性の下着くらいはあるだろうか。ワカメにしては、とにかく大きい。

 それを見ながら、短い黒髪をしたカガミは頷く。


「海の中で、よく広げて擦っておいてくれ。砂や、泥のようなエビ粉がよくついてるんだ」

「なるほど。うわぁ、ぬるぬるだね。それに緑色のワカメはないの?」


「あまり茶色は食べる気がしないなぁ」と碧眼を細めるレイに、カガミはため息にも似た息を吐く。


「茹でると鮮やかな緑色になる。たまに、火を通しても茶色をしたままのワカメもあるが……そういうのは鮮度が低いから食べなくていい」


「ワカメはいくらでもあるから、選り好みすればいいしな」と、カガミは雄大な海を一望する。

 真上に昇る太陽が、二人をチリチリと照らす。その光はもちろん海にも届いており、海面に星屑が落ちているように光っている。

 眩しくはないのだろうか。海鳥が水面を見ながら低空飛行している。どうやら魚を狙っているようだ。つまり海鳥の下に、魚の群れがいるということ。


「なぁ、あんた」

「レイって呼んでよ」

「……レイは、海に潜ったことがあるか?」

「ないなぁ。俺は海とは無縁の場所に住んでいたから」


 カガミは「なるほど」と頷きながら、何となくそんな予想は立っていた。色白の肌、本来のワカメの色を知らない無知さ――それらからカガミは「もしかしたらレイは、海と全く接触のない国の者かもしれない」と薄々勘づいていたのだ。


「一定の限られた期間とはいえ、海の近くに住むのであれば泳ぎ方・潜り方くらいは知っておかないと、生活に支障をきたす」

「そうかなぁ?」

「もし海が荒れたらどうする。足がもつれて海に引きずり込まれたら――そんな場面を想定しておくべきだ。少なくとも、この海の周りに住む者は、自分の子供に必ず泳ぎ方を教える。一番初めに『海と友達になるように』とな」

「海と友達に……」


 レイが反復したのを聞いて、「そういえばこの男は友達百人作っているんだったな」とカガミは思い出す。


 ――俺と友達になりませんか? あと99人必要なんです。


「必要……」


 友達が必要って、なんだろうか。

 ただの個人的願望?

 それとも百人集めたら何かが起こるのか?

 ……なんて。そんなことあるわけないか。

 忘れてはいけない。このレイという男は、頭のネジが一本抜けているのだと。初めて会った時に、カガミはそう確信したのだ。人が死にゆく国で、こんな朗らかな笑みを浮かべているなんて……絶対にまともじゃない。

 だからレイのことを深く考えることはよそう。何のために友達を作っているのかなんて、考える必要もない。だって発狂寸前の奴が考えることなんて、ただの夢物語にすぎない。深く追究したって、何の意味もないのだから――


 長考の末に顔を上げたカガミは、自分の前を横歩きするカニを見つける。小柄なカニだ。これくらいなら天ぷらで丸揚げにできる。


「しかし手間がかかる……」


 純粋に「手間だな」と思ったカガミは、カニを捕まえようと伸ばした手を引っ込めた。動きがなくなったのを不思議に思ってか、レイが声をかける。


「どうしたの?」


 そう問うた瞬間、レイの腹が盛大にうなりを上げた。「もう我慢の限界だ、飯をくれ」と訴えているようだ。

 レイは腹をさすりながら「はは、ごめんね」と若干照れたように笑う。


「……レイは、カニの天ぷらを食べたことがあるか?」

「んー、ないかな。ボイルでなら食べたことあるけど」

「そうか」


 そう言って、カガミはヒョイとカニを捕まえる。そうかと思えば向きを変え、次いで二匹目を捕まえた。その光景を眼前で見ていたレイの目が、日光が反射した海よりも輝いている。カニと、カガミ。彼が声を掛けるまで、レイは何度も視線を交互に送った。


「なんだ?」

「や、すごいもんだなと思ってさ! ハサミ持ってるカニを、そんな簡単に捕まえるなんて! 怖くないの?」

「ハサミって、お前の小指もない短さだろ」

「それでも! 俺には怖くてできないよ。すごいなぁ、カガミは」


 頬を紅潮させて、ほぅと感嘆の息を漏らすレイ。そうかと思えば、サッと顔を青くした。


「ねぇカガミ。まさかカニを捕まえる方法も、俺に教えるわけじゃないよね?」

「……」


 カガミは答える代わりに、両肩をヒョイと上げた。するとレイは「教えられるんだ、嫌だ怖い!」と身を縮こまらせた。

 もとよりカニの獲り方を教える気なんてサラサラなかったが、あまりにもレイがびくつくものだから、つい面白くなってしまった。だからカガミはどっちつかずな態度をとってみせたわけだが、レイが短い悲鳴を上げて、大きな体を震わせるものだから面白い。「はは」と、思わず声を上げて笑ってしまった。

 そうして気づいたのだ。自分が笑ったのは、いつぶりだろうと。


 カガミは両親が死んでからは、ただ静寂の中で生きていた。途方もない時間を一人で潰し、気晴らしになるかと街へ出かけてみれば人が砂と化して命の灯を消す瞬間を目撃した。

 この数日間、カガミの耳に入っていたのは「地獄の音」に他ならない。いつ自分が発狂してもおかしくないと、そう思うまでにカガミの心は疲弊していた。

 このレイと会うまでは――


「ん? どうしたのニヤニヤしちゃってさ」

「……いや」


 暇つぶしになればと思っていたけど、レイと一緒にいるのは自分にとって思ったよりもいい効果があるかもしれない。カガミは、尚も上がったままの口角を意識しながら、そんなことを思った。


「っていうかカガミ、ずっとカニを持っておく気?」

「入れ物を持ってきてないから、一度家に戻る」


 バケツがあれば、もっとたくさんのカニが獲れるだろうし――と、カガミは自分の家へ足の向きを変える。しかしレイによって制止せざるを得なくなる。


「これ使えばいいじゃない。なんだかよく分からない布だけど、生地はしっかりしてそうだよ」


 レイが持っていたのは、赤い布きれ。破ったような裂け目がある。本当はもっと大きいのだろう。座布団ほどある赤い布を、カガミはレイから受け取った。

 しかし布に触れた瞬間、カガミは固まる。


「この手触り、すごいな。布なのに重厚さがあるというか……手に吸い付くような感触からして、そうとう上等な布だぞ」

「そう? どこにでもありそうな布だけどな」

「……レイは手の感覚がないのか?」


 カガミが訝し気にレイを見る。「失礼だな~」とおちゃらけるかと思ったが、反してレイは真剣な目つきで布を見つめたまま。そうかと思えば、ある一点を指さした。


「ここを見てごらん。血の跡がある」

「血? 気のせいじゃないか?」

「カガミって目が悪いの?」


 そうは言われても、赤い木の実の汁が少しついたような箇所を見て「これは血だ」とは思わない。むしろ、よくシミがあることに気づいたなと思ったくらいだ。碧眼と黒目の違いだろうか? レイは碧眼、カガミは髪と一緒でまっ黒の瞳。あの透き通る碧眼には、一体どんな色でこの布が映っているのだろう。

 カガミと同じく、しばらく何かを考えていたようなレイだったが、「ま」と。カガミが持つカニを指さす。


「これをバケツ代わりにしてさ。もうちょっとカニを獲ろうよ。天ぷらって料理、なんだか美味しそうだからたくさん食べたいんだ」

「意外に食い意地が張ってるんだな」

「言ったでしょ? 空腹なんだ、ものすごく」


 再びグウと鳴る腹をさするレイを見ながら、カガミはわらわらと動くカニたちを布の中心に移動させる。そこから素早く四方を結び、無事に入れ物として機能させた。この入れ物に、新たにカニを入れるのは手を焼くだろうが……なに、もしカニが逃げたら、その時はレイに捕まえる練習をさせればいいか。

 そんなことを考えていると視線を感じた。見ると、レイがジト目でカガミを見つめている。


「そのニヒルな笑顔……。なにかよからぬことを考えているでしょ?」

「……ふっ、なにも」

「もう。そうやってしらばっくれるんだから!」


 怒ったレイに、海の風がぶわりとぶつかる。一つに括った銀色の髪が、ムチを振るように上昇して、勢いよく落ちていった。その際、耳についた細長い赤い色のピアスが、太陽に照らされキラリと光る。小さなピアスだが、すごく眩しい、すごく輝いている。……まさか宝石? でもこの時代、宝石は希少で滅多に手に入らない。それをどうしてレイが持っている? しかも両耳に。


 カガミが熟考していると、既にワカメを洗う作業に戻っていたレイが「あ!」と大きな声を出す。


「いた、カニ! つかまえてよ、カガミ!」

「……はぁ、わかった」


 意外にも逃げ足の速いカニを追いかけていると、さっきまで抱いていた思考はさっぱり頭から抜け落ちてしまった。カガミは砂を蹴り上げながら、必死にご飯のおかずを追いかける。

 自分の足跡が、どんどん砂につく。いっそサンダルなんて脱いで、裸足で走ってしまいたかった。

 しかし自分の足跡の横に、何かの跡があることに気づく。


「これは……ひづめ?」


 ポツリとこぼしたカガミの言葉を肯定するように、布の中にいるカニが動きを激しくする。しっかりした布だからハサミで破って逃亡することはないだろうが。しかし浜辺に馬の蹄の足跡とは。さっき家の窓から見えた二頭の馬は見間違えではなかったのか?

 上等な赤い布に、馬の蹄の足跡。カガミが三十年生きてきて、初めてのことだった。


「捕まえたー? 俺はワカメをキレイに洗えたよ、さっそく味噌汁に入れよう!」


 よほどお腹が空いているらしい。レイは「ご飯だ、ご飯だ」と家を目指して歩き出す。その意外にも逞しい背中と、潮風で揺れる赤いピアスを交互に目に映しながら、カガミは「あ」と声を漏らした。


「そうだ、砂浜が出っ張った部分があるだろ。ほら、あそこ」


 ここからさほど遠くはない場所を、カガミは指をさす。視線を追ったレイも「あぁ」と、件の場所を視認する。


「あの砂浜には近づくな。危険だからな」

「危険? 波が荒いとか?」

「違う。魔物がいる」

「え」


「それはまた厄介な」と言いながら、レイは目をパチパチ瞬く。


「でも危なそうには見えないなぁ。その魔物の姿も全然見えないし」

「潜っているからな。魔物と言っても、生態はモグラに似ている。名をモイクといって、体は豪華客船ほどある。静かな地を好む穏やかな性格だが、自分がいるテリトリーに入られると暴れ回り手がつけられない。過去に何度もここら一帯が壊滅状態になったと、じいちゃんから何度も聞かされた。『あの赤目を怒らせてはいけない』、と」

「赤目……」


 言いながら自分の赤いピアスを触るレイを、これまたカガミも見る。そのピアスのおかげでモイクのことを思い出せたのだから御の字だ。あれを怒らせてしまうと隕石が墜ちるよりも先に死んでしまう。手遅れになる前にレイに伝えられてよかった。


「そのモイクってさ」


 真剣な目をしたレイが、ゴクッと生唾を呑む。


「食べたら美味しいのかな?」

「……知らん」


 さすが頭のネジが外れた奴だと、呆れを通り越したカガミの口から苦笑が漏れた。

 

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