第一話 亡霊たちの船
雨が降っていた。
海沿いの丘に作られた小さな墓地。
崖の下では荒れた波が黒い岩へ打ち付けている。
空は厚い雲に覆われ、水平線は見えない。
灰色の世界だった。
その一角に並ぶ二つの墓石の前で、一人の青年が立っていた。
レオン・アークライト。
二十二歳。
雨に濡れた黒髪が額に張り付き、青い瞳は墓石を見つめている。
七年前の夜。
彼は父を失った。
母を失った。
そして平穏な人生も失った。
墓石には二つの名前が刻まれている。
エドワード・アークライト。
エミリア・アークライト。
レオンはポケットから小さなデータチップを取り出した。
父が命を懸けて託したもの。
七年間、肌身離さず持ち続けてきたものだった。
「準備は整いました。」
背後から声がした。
振り返る。
そこには一人の女性が立っていた。
イリス・ヴァレンタイン。
三十五歳。
長い金髪を後ろで束ねた長身の女性。
灰色の瞳には強い意志が宿っている。
かつてはアークライト財団保安統括責任者。
エドワード直属の警備責任者だった。
本来なら七年前の船にも乗るはずだった。
だが別任務のため現場を離れていた。
結果として彼女は生き残り、
守るべき人々を失った。
以来、彼女はレオンを守ることを自らの使命としていた。
「全員集まったか。」
「はい。」
「反対する者は。」
イリスはわずかに笑う。
「ここまで来て反対する人間は残っていません。」
レオンは静かに頷いた。
ノヴァ。
国家にも企業にも属さない秘密組織。
だがその実態は、エドワードの死に疑問を抱いた者たちによって作られた巨大な非公式ネットワークだった。
元軍人。
元情報機関員。
技術者。
研究者。
元財団職員。
七年の歳月をかけて仲間を集め続け、
今では二百名を超える組織へ成長していた。
目的はただ一つ。
エドワード・アークライト襲撃事件の真相を暴くこと。
そして黒幕を見つけ出すこと。
「行こう。」
レオンは墓石へ最後の視線を向ける。
そして踵を返した。
墓地の入口には黒いSUVが停まっていた。
防弾仕様の特殊車両。
二人は乗り込み、海岸沿いの道路を走り出す。
やがて車は人気のない貨物港へ到着した。
巨大クレーンが闇の中に並び、無数のコンテナが積み上がっている。
その岸壁に停泊している巨大な貨物船。
ノマド。
全長三百メートルを超える大型貨物船だった。
錆びた船体。
色褪せた塗装。
どこにでもある物流船にしか見えない。
だがそれは偽装だった。
ノマドの正体は、ノヴァ最大の移動基地。
世界中を移動する秘密司令部だった。
レオンはタラップを上る。
船員たちが敬礼する。
その多くは元軍人や元特殊部隊員だった。
船内へ入る。
認証ゲート。
監視システム。
重い隔壁。
貨物船とは思えない設備が続く。
大型エレベーターが停止する。
扉が開いた。
その先に広がっていたのは巨大格納庫だった。
天井高三十メートル。
貨物区画を丸ごと改造した広大な空間。
巨大クレーンが頭上を走り、数十人の整備員が慌ただしく作業している。
弾薬コンテナが運ばれ、
整備班が機体を点検し、
警備班が周囲を巡回していた。
そして中央には七機の鋼鉄の巨人が並んでいた。
ヴァルハラ。
ノヴァの主力兵器。
全高二十メートル。
次世代高出力動力炉を搭載した人型高速機動兵器だった。
七機はそれぞれ異なる装備を持ち、
近接戦闘型、長距離支援型、高機動型など役割が分けられている。
その足元で、一人の青年が機体を見上げていた。
カイル・ローレンス。
二十四歳。
短く刈った茶髪。
日に焼けた肌。
鍛え上げられた身体。
戦争によって家族を失った戦争孤児だった。
かつてアークライト財団に保護され、
その縁でレオンと出会った。
今ではノヴァ最高のパイロットの一人だった。
「ついに始まるな。」
カイルは機体の脚部を軽く叩く。
まるで相棒へ話しかけるように。
少し離れた場所では一人の少女が端末を操作していた。
ミア・ハワード。
二十歳。
肩まで伸びた黒髪。
小柄な体格。
大きな眼鏡。
ノヴァ電子戦班班長。
若くして数十名の電子戦要員を率いている。
「衛星監視網への侵入完了。」
「各国監視システムへ偽装情報送信中。」
「現在、ノマドは北太平洋を航行中というデータになっています。」
カイルが笑う。
「本当に敵に回したくないな。」
「私もです。」
ミアは顔も上げなかった。
格納庫上層。
防弾ガラスで囲まれた管制室。
壁一面に大型モニターが並ぶ。
世界地図。
衛星映像。
レーダー情報。
通信記録。
ここがノヴァの頭脳だった。
レオンは管制室中央の戦術テーブルの前に立つ。
その横にはイリス。
さらに後方には二人の男が立っていた。
一人はグレン・ハーパー。
六十歳。
元アークライト財団副理事長。
そしてエドワードの親友だった男。
もう一人はサミュエル・クロス。
四十五歳。
元特殊部隊隊長。
現在はノヴァ地上戦部隊指揮官だった。
「本当に始まるんだな。」
グレンが呟く。
その視線はヴァルハラではなく、かつての親友の面影を追っていた。
その時。
大型モニターに一人の男の顔が映し出された。
マーカス・ヘイル。
国家安全保障局副長官。
父の資料に何度も登場した男。
七年前の襲撃事件に関与した可能性が高い人物だった。
「本日の目標です。」
イリスが言う。
レオンはモニターを見つめたまま答える。
「生け捕りにする。」
管制室が静まり返る。
「殺さないのですか。」
サミュエルが尋ねた。
「まだ知らないことが多すぎる。」
レオンは静かに答えた。
「真実を聞き出す。」
そのためにここまで来た。
その時。
《輸送隊発進準備。》
格納庫にアナウンスが響く。
三機の大型輸送機がゆっくり浮上する。
その内部にはヴァルハラ一号機から三号機が搭載されていた。
青白い推進光が格納庫を照らした。
カイルはヘルメットを被る。
「行ってくる。」
ミアは端末を見たまま答える。
「撃墜されないでください。」
「善処する。」
格納庫の巨大ハッチが開く。
夜の海。
雨。
強風。
一機、また一機と輸送機が闇の空へ飛び立っていく。
レオンはその光景を見つめていた。
七年間。
全てはこの日のためだった。
ノマドの主機関が低く唸る。
巨大な船体がゆっくりと進路を変える。
亡霊たちを乗せた船は、静かに闇の海へ消えていった。




