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第十七話 撤退

戦闘終了から三十分後。


太平洋上空。


夜。


厚い雲の上を三機の大型輸送機が飛行していた。


ノヴァが独自改修した超大型輸送機。


ヴァルハラ運用専用に再設計された機体だった。


機体表面には無数の傷が残る。


細かな弾痕。


焼け焦げた外装。


だが飛行に支障はない。


貨物区画内部。


固定アームに保持された三機のヴァルハラが静かに立っていた。


二号機。


三号機。


そして一号機。


戦闘を終えた機体たち。


機内には重苦しい空気が漂う。


目標は逃げた。


ヴァイスも取り逃がした。


誰もがその事実を理解していた。


やがて。


水平線の先に巨大な影が現れる。


戦艦ノマド。


黒い海を進む巨大艦。


夜の海に浮かぶ要塞だった。


輸送機隊が高度を下げる。


機体下面の着艦灯が点灯する。


通信が入った。


「輸送機隊へ。」


「着艦シークエンス開始。」


「進入を許可する。」


管制官の声。


三機の輸送機は順番に速度を落とした。


巨大な飛行甲板。


開放された格納庫ハッチ。


その奥へ吸い込まれるように進入していく。


戦艦ノマド。


艦内格納庫。


巨大なハンガーブロックでは整備員たちが慌ただしく動き回っていた。


天井クレーンが唸りを上げる。


整備ドローンが飛び交う。


戦闘で損傷した機体の周囲では火花が散り続けていた。


戦いは終わった。


だが。


その爪痕はまだ消えていない。


格納庫奥。


帰還した輸送機がゆっくりと停止する。


整備員たちが安堵の息を吐いた。


「輸送機一号着艦。」


「二号着艦確認。」


「三号着艦完了。」


次々と報告が飛ぶ。


三機とも帰還した。


機体損失もない。


それだけが今回の救いだった。


貨物区画のハッチが開く。


固定アームが解除される。


最初に搬出されたのは二号機だった。


整備用リフトに誘導されながら格納庫中央へ移動する。


左腕装甲は大きく裂けている。


内部フレームが露出し。


断線したケーブルが垂れ下がっていた。


肩部装甲には無数の弾痕。


白い外装は焼け焦げ。


黒く変色している。


左腕関節部からは油圧オイルが滴り落ちていた。


移動の振動で火花が散る。


整備班が駆け寄った。


「左腕駆動系損傷!」


「関節サーボ応答低下!」


「アクチュエータ停止寸前です!」


「急げ!」


「固定具を持ってこい!」


怒号を飛ばしているのは整備主任のガレスだった。


五十代前半。


筋肉質な体格。


灰色の作業服を着た大男だ。


ノマド創設当初から所属する古参整備士でもある。


機体より頑丈だと噂される男だった。


コックピットが開く。


リディアはヘルメットを外した。


額には汗が滲んでいる。


「最悪。」


機体から降りた瞬間。


思わず壁に手をついた。


戦闘の疲労は想像以上だった。


ガレスはそんな彼女を見上げる。


「帰ってきただけ上出来だ。」


「慰めになってない。」


「腕一本で済んだんだ。」


「贅沢言うな。」


リディアは苦笑した。


確かにその通りだった。


あと少し被弾していれば。


左腕そのものを失っていたかもしれない。


二号機の搬出作業と並行して。


隣では三号機の固定アームも解除される。


マックスの機体だった。


整備用リフトに載せられ、ゆっくりと前へ押し出される。


外見上の損傷は少ない。


だが近くで見ると違う。


右肩装甲は大きく削られている。


胸部には深い擦過痕。


機体各所にも無数の傷。


そして。


コックピット周辺には弾丸が掠めた跡が残っていた。


あと数センチ。


照準がずれていなければ。


操縦席ごと撃ち抜かれていた。


整備員の一人が思わず息を呑む。


「よく帰ってこられましたね……。」


コックピットが開く。


マックスは肩を回しながら降りてきた。


「俺もそう思う。」


冗談めかした口調。


だが笑顔はない。


さらに奥。


一号機も別ブロックで固定アームを解除されていた。


損傷は比較的軽い。


だが装甲には無数の煤と弾痕が残っている。


カイルはコックピットから降りると、真っ直ぐ二人の元へ向かった。


「どうだった?」


聞く前から答えは分かっていた。


だが。


聞かずにはいられなかった。


リディアは肩をすくめた。


「逃げられた。」


カイルは唇を噛んだ。


遠く。


整備中の二号機と三号機を見る。


どちらも満身創痍。


それだけで戦闘の激しさが分かった。


「俺がもっと早く着いていれば……。」


悔しさが滲む。


マックスは首を振った。


「気にするな。」


「相手が一枚上だった。」


その言葉にカイルは黙る。


否定できなかった。


ヴァイス。


そして逃げ切った大型輸送機。


戦いは終わった。


だが。


何も終わってはいなかった。


「強かったわね。」


リディアが呟く。


マックスは静かに頷く。


「ああ。」


短い返事。


だがその一言に全てが詰まっていた。


白いラインを纏う機体。


異常な加速性能。


そして。


最後にこちらを見つめていたセンサーアイ。


「あれは人間の操縦だったと思う?」


リディアが言う。


マックスは少し考えた。


「分からない。」


「だが普通じゃない。」


「少なくとも今まで戦ったどのパイロットとも違う。」


三人の間に沈黙が落ちる。


ヴァイス。


次に会う時は。


もっと厄介な敵になっている気がした。


三人は格納庫を後にする。


艦内通路。


白い照明が長い廊下を照らしている。


整備員たちが慌ただしく行き交う。


補給班。


医療班。


通信士。


戦闘終了直後のノマドに休息はない。


壁際では士官たちが端末を見ながら報告をまとめていた。


「二号機損傷報告を艦橋へ!」


「弾薬残数確認急げ!」


「回収班は十分後に出発!」


怒号が飛び交う。


カイルは足を止めた。


出撃したのは自分たちだけではない。


戦場にいた全員が戦っていた。


直接武器を持たなくても。


この艦を支える人々がいる。


リディアが横目で見る。


「何よ。」


「いや。」


「英雄みたいな顔してる。」


「してない。」


「してる。」


マックスは呆れたように肩をすくめた。


「元気だな、お前ら。」


三人は再び歩き出す。


通路の先。


大型モニターには先程の戦闘結果が表示されていた。


任務失敗。


その文字が嫌でも目に入る。


カイルは視線を逸らした。


あと少しだった。


あと少しで届いたはずだった。


艦内の展望通路。


強化ガラス越しに夜の海が広がっている。


遠方では回収班の作業灯が瞬いていた。


戦場に残された残骸を回収しているのだ。


カイルは窓の外を見る。


静かな海。


だが胸の内は静かではない。


「気にするな。」


隣でマックスが言った。


「戦争に『あと少し』はない。」


「結果だけだ。」


カイルは小さく息を吐く。


分かっている。


だからこそ悔しかった。


その頃。


艦橋。


レオンは戦闘報告を見つめていた。


ATHENAが淡々と報告する。


《敵大型輸送機、追撃圏外へ離脱。》


《敵指揮機ヴァイス離脱。》


《作戦目標確保失敗。》


静かな声。


しかし結果は重かった。


艦橋にも沈黙が広がる。


レオンは腕を組んだ。


「人的被害は。」


《なし。》


「そうか。」


それだけが救いだった。


ATHENAが新たな情報を表示する。


《敵通信の一部を復元。》


レオンの視線が向く。


モニター。


短い会話。


『対象データは?』


『回収完了です。』


『欠損は?』


『数パーセント確認されています。』


そこで記録は途切れていた。


レオンは眉をひそめる。


「対象データ……。」


何かが引っ掛かった。


説明できない違和感。


ATHENA。


《関連情報不足。》


《解析継続。》


レオンは小さく頷く。


「頼む。」


その頃。


敵巡洋艦。


格納庫。


大型輸送機のハッチが開く。


武装兵たちが降りてくる。


その後ろからマーカスが姿を現した。


部下が報告する。


「データ転送完了しました。」


「欠損率は?」


「推定二・三パーセント。」


マーカスは端末を見る。


膨大な情報量。


だが。


完全ではない。


「不足分の特定を急げ。」


「はっ。」


その時。


通信が入る。


あの声だった。


「報告しろ。」


マーカスは直立する。


「対象データの回収は成功しました。」


「欠損は?」


「二・三パーセント。」


短い沈黙。


やがて。


「問題ない。」


その声には確信があった。


「不足分もいずれ手に入る。」


通信終了。


マーカスは僅かに眉をひそめた。


その言葉の意味を考える。


だが。


答えは与えられなかった。


その頃。


ノマド艦内。


自室。


レオンは引き出しを開く。


そこには小さなデータチップがあった。


七年前。


父から託されたもの。


『絶対に失くすな。』


最後の言葉が蘇る。


レオンは静かにチップを見つめた。


まるで。


何かを訴えるように。


そして。


遠く離れた二つの場所で。


同じデータを巡る戦いが。


静かに動き始めていた。


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