兄
私は吸い込まれるように、他の人の体験談も読んだ。それぞれに様々な事情があったが、皆一様に苦しい過去を送っていた。犯罪者予備軍……不気味な魔女……先の戦争における仇……。10人分ほど読んで気分が悪くなった私は、顔を洗い、洗面所の鏡で自分を見つめた。魔法なんて、魔法なんて──。ある場所では適性者が非適性者を蔑み、ある場所では非適性者が適性者を謗る。円環状の差別構造の中で、私は目の回る思いがした。
これが、チェレーゼたちが戦っていたもの。
ピグイタンはいわば、理想国家なのだ。適性者も非適性者も手を取り合い、互いを尊重し、愛し合うための国──少なくとも、それを目指そうとしている、そういった理念の国なのだ。では私は……ピグイタンに召喚された勇者候補として、何をすべきなのだろう?
「簡単ですよ」
「っチェレーゼ?」
突如声が聞こえて振り向く。チェレーゼはふふふと笑うが、何かがおかしい──笑い方の癖が、いつもと僅かに違う。
「……誰?」
「? チェレーゼですよ。変なことを聞きますね……」
「……簡単って、何が?」
「勇者候補として何をすべきか……という話ですよ」
ごめんなさいね、伝えそびれていて。彼女はそう言って、とんとん、と頭を叩いた。
「テレパシー、私も使えるんです……いまのソメヤ様は、神に無意識に質問を投げかけていた……つまり、受信可能状態だったわけです」
「違う! それはおかしい、テレパシーの使い手でも、相手に伝えるべくイメージされたもの……会話や詠唱なんかじゃないと届かない!」
「……ふふ、おかしなこと言いますね。私は神官です。つまり神の代理人……切なる願いが届くのは当然でしょう」
「……」
否定しない。つまり、原則相手に伝える意思を持たないと届かないのは事実ということだ。私は殻のうちに閉じこもったイメージを持ちながら考える。
こいつは誰だ? ファーザー・エイリムか?
「……チェレーゼは無事?」
「無事も何も、ここにいるではありませんか」
「じゃあ二重人格か何かだね。私の知ってるチェレーゼじゃない」
「もう、強情ですね……ほら、これで信じていただけますか?」
チェレーゼらしき誰かは、少し微笑んで、腕を捲ってみせた。タイピングをしやすいように紐で縛って袖の位置を固定できるようになっているその服は、ぐしゃぐしゃになりながら肩の方に向かい、きゅっと絞められた。チェレーゼの腕に刻まれた荒々しい傷跡が映し出される。私はこれを、チェレーゼの過去を聞いた後、着替えている時に見せてもらった。
『幼い頃は、自分を痛めつけることでしかストレスを発散できなくて……治癒でも傷跡は治らなくて。でも、ファーザー・エイリムに拾われてから、年々薄くなっていくのが……愛おしいんです』
私は思わず詠唱体制に入る。
「チェレーゼに何をした……」
「あれ、これ知らなかったのか。やっべー、ミスったな」
「知ってたわ! その傷を利用するのは許せない」
「……あれ、俺いまヘマしたな」
男みたいな喋り方になった何者かが、ぱちんと指を鳴らした。すると、周囲の光がモヤモヤと移ろい、一人の男が現れた。どうやら、なんらかの魔法で変身していたらしい。髪は女のように長く、目の下にはクマができている。
「はじめまして。俺は」
「殺す!」
「やっべ!」
私の放った純粋な魔力の塊が、防御魔法で完全に防がれる。家を壊さないように出力を抑えていたとはいえ、今のを完全に防いだ……? 私は驚いてしまい、そこに隙が生まれた。彼は私に近づき、押し倒して首筋にナイフを当てる。ひやりと、金属の冷たい感覚が、神経を通って身体中の毛穴を粟立たせた。
「待て待て、敵じゃない」
「どう見ても敵じゃん」
「それは敵をなんと定義するかによる」
ピグトニャが今たまたま受信チャンネルを開いていて、たまたま近くにいて、すぐに助けに来てくれることを願った。その瞬間、男は笑いだす。
「やめた方がいい。俺は特別なんだ……俺以外に向けたテレパシーも読み取れる」
「……それが、あんたの天啓?」
「さあね。ともかく……俺はアンタを助けにきたんだ。チェレーゼ・イグノジーとエイリム・イグノジーに利用されている哀れな勇者候補サマを……さ」
「!」
少しは話を聞く気になったか? そう言いながら、男はナイフを傾けた。私は刃が突き刺さらないよう、必死に首を背ける。
「俺はオリバー・イグノジー。チェレーゼやピグトニャの、いわば兄だよ」




