タイピング入門
「タイピングはできますか?」
「実はできないんです……入国後に紹介されたジムも辞めてしまい、それ以降触れる機会もなく」
「普段はスマートフォンを使ってらっしゃる?」
「そうですね。もっぱら音声入力です。夫は、働きに出ているので、こちらに来てから覚えたようですが」
ソラージルでは、ピグイタン独立の忌々しい歴史のために、文字入力というものが忌み嫌われている。基本的には音声入力が用いられ、そのための技術も非常に発展している。チェレーゼもそれは知っていたので、驚くこともなく続けた。
「タイピングに抵抗がありますか?」
「い、いや、まさか」
「正直に」
「……あります。勇者様も使っていた技術だとは思っても、こればかりは……。もう、子供の頃から、忌まわしい技術だと習ったものですから」
「そうですよね。ですが、私たちが家族になるなら……まずはここから始めたいと、私はピグイタンの民として思います」
チェレーゼは笑顔を作り、テーブルを挟んで前に座っていたのを、隣へ移動した。危ないので炎は消して、ある程度片付ける。
「まずは、キーボードが家にあることに慣れることからでいいんです。そちらは差し上げます。この練習用のカセットも」
「そんな、いただくなんて」
「いいんです、私がそうしたいんです」
カセットを挿入して起動する様子を見せ、使い方を理解してもらってから、電源を切った。魔道具ではないので電気で動く。このキーボードは魔法は使えない、カセットを入れてゲームをするか、パソコンに繋いで入力機器にするかしかできないものだ、充電を適宜するように、と伝えると、トゥー夫人は少し安心したような素振りを見せた。やはり、ソラージル育ちの魔導士としては、魔法を口承以外で使うことには抵抗があるのだろう。
「そのキーボード、出鱈目でいいので、押してみてください。なんか気持ちよくないですか? できるだけ、押したときの音や感触が気持ちいいものを選んだんです」
「嫌な音が出るものもあるんですか……?」
「嫌かどうかは人によりますが、うるさいキーボードはありますね。いろんな押し心地、いろんな音のものがあるんです。慣れたらぜひ、キーボード屋さんでお好きなものを選んでください」
トゥー夫人は、困惑顔でキーボードを打ち、コトコトと音を立てる。ゲームさえしていない、打鍵ですらない、意味のない動作だが、怪しく忌まわしく得体の知れないモノ、から、自分の手でコトコトと音を鳴らすモノ、ぐらいの認識にはできたのではないかと思う。
「……タイピングのいいところは、魔法適性の有無も、性別も、年齢も関係なく楽しめるところです。この動画は、PTC……ピグイタン・タイピング・チャンピオンシップと呼ばれる、国内最大級の大会の様子です」
スマートフォンで動画サイトを開き、キーボードを不思議そうに触るトゥー夫人に、半ば強制的に画面を見せた。チェレーゼは元々、魔法のない大会にはほとんど関心を持っておらず、ニュースで誰が優勝したとか確認する程度でしかなかった。きっとトゥー夫人もそうだろうと思った。けれど自分は変わった……この数日で。彼女にもそれを追ってほしいと願った。




