私にとって
「どんな感じ……っていうと?」
「……」
チェレーゼは気まずそうに俯いた。
「ピグトニャから聞きましたが……ソメヤ様は、初めてのクエストのとき、魔法適性のない子供とタイピングバトルをしたとか。それ以降、ジムやクエストで機会があれば、魔法無しのタイピングをしていると、ピグトニャの他にも、色々な方から耳にしています」
「そんなに噂広まるの!?」
「ソメヤ様は目立ちますし、神官って仕事柄、地域の噂は信徒さん経由でよく聞くんです。噂の出所はどうでもよくて」
当人である私からしたらどうでもよくはないが、大人しく聞く。
「恥ずかしいことですが……私は、タイピングを詠唱手段としてしか見たことがありません。速くなればなるほど、足枷が軽くなるような……そんな喜びはありました。けれど、ピグイタンの多くの……非魔法適性者の方々のような、タイピングそのものへの熱狂を、私は欠いています」
「……」
「私はどうしようもなく魔法が好きです。魔法を知らなかった頃……ファーザー・エイリムの娘になる前の時分に、良い思い出が無いからでしょう。魔法適性者で良かったと、心から思いさえするんです……。そんな私が説教だなんて……そう、思ったら、原稿が進まなくて。でも……地球は、魔法が発展していない星でしょう? そんな中で……深夜に発狂してエナジードリンクを飲むほどタイピングゲームに熱中するなんて……」
「煽られてる?」
とんでもない、敬意ですよ、とチェレーゼは取り繕う。しかし、客観的に様子を伺うと、確かに、どうしてそこまで、と思わせるものがある。私はどうして17年間も、タイピングをし続けたのだろう。17年間も続けて、日本一にさえなれない程度の才能だったのに……勇者とやらが出した『X』は、きっと出せない程度の……凡人なのに。
あの少年や、ピグトニャに語ったことを思い出して、考えた。
タイピングは、魔法なんかなくても、昨日の自分より速く打てたら満足できる。そして翌日には、昨日の記録をまた追い越したくなる。それだけで構わない。ただ文字を打つ、その指先の感覚、目の前で文字が消えてゆくことへの陶酔、打ち切った瞬間の爽快さ、記録が出ないときの悔しさ、出たときの大きな大きな喜び……それだけでいい。何の役にも立たなくたって、構わない。
そうだ、チェレーゼの問いは、実は目新しいものではない。「そんなに速くなってどうするの?」とか、「もう実務的には十分でしょ」と言われることは、地球でもあったじゃないか。そして、そういった質問に、私は毎回こう答えた──
「──楽しい。それだけだよ」
チェレーゼは、私のシンプルな答えに困ったのか、結局メモは取らなかった。ただ、優しく微笑んだ。
「……ソメヤ様は、良い勇者様に……ピグイタンらしい勇者様になるでしょうね」
「それ、ピグトニャにも言われた。どういうこと?」
チェレーゼはメモをしまってキッチンに入ると、お茶を用意し始めた。長い話をするのだろうか。お湯を沸かす彼女の背中はしゃんと伸びていて、この人が努力の人であることを感じさせた。そのまま彼女は語りだす。
「……私たち勇者パーティには、大きな心残りが、ひとつありました。ピグトニャも、勇者様も、きっと共感してくれるはずです」
私はシンクの掃除道具を片付け、リビングへ向かって、椅子に腰掛けた。チェレーゼがお茶を出すときは、そうやって待つのが習慣になっていた。やがて彼女はポットとカップを器用に持って現れ、二人分のお茶を注ぎながら話す。
「このクエストを受けた理由でもある……この世界の歪みのひとつを、魔法差別を……消し去ることができなかった。私たちの勇者様は、そのための力を持っていたのに。私たちはみんな……その憂き目に遭っていたのに」




