魔法なんてなくても
「あーめちゃくちゃ楽しかった……ありがとう……」
「……そんなに楽しかった?」
「楽しかったよ、すっごく」
「ふーん。じゃあ、またやってあげてもいいけど」
「うん。またバトルしよう」
少年は負けたというのに、悔しいというより、憑き物が取れたような顔をしていた。プロだし仕方ないか、という気持ちもあるのかもしれないし、この強いプロに一度は攻撃を通したんだ、という自負もあるのかもしれない。なんにせよ、良い勝負だった。これは間違いなく共通認識であり、言葉を交わす必要などなかった。
「次のバトルまでに、もっと練習しといて、タイピング。また戦いたいから」
「……まあ、仕方ないからやってあげてもいいよ」
「本当!? めっちゃ嬉しい! タイピングってさ……最高だから」
「……それな!」
会話が一段落したところで、ジュースを飲み干し、椅子を引いて立ち上がる。なにやら家事をしていたらしい依頼人が、席を立ったことに気がつき、ジュースのグラスを受け取ろうとこちらへ来た。
「ごめんなさいね、少し話してもらうだけのつもりだったのに、しっかり遊んでもらっちゃって」
「いえ、こちらこそすみません。遅くまでお邪魔してしまって」
「帰りの足はある? 暗くなってきたし、駅まで車乗る?」
「いや、大丈夫です。実はさっき身内に連絡してて、そろそろ迎えが来るはずなので」
「そう? それならいいんだけど」
そうなのだ。ピグトニャからもらったスマートフォンで、ピグトニャに迎えを頼んである。
『一人で、が原則だから行きは無理だけど、帰りはギルドに報告の上迎えに行けるから』
『わかった! 絶対来てもらうね! あ、ジムの車、においがちょっと苦手で酔っちゃうから、ピグトニャの車で来てもらえる?』
『日に日に図太くなっていってないか? この国にも随分慣れたようだな』
おっしゃるとおりだいぶ慣れてきた、と思っていたけれど、今日初めて知ったことがあった。初めてクマを捌く様子を見たし、初めて魔法のない戦いをした。そして初めて……この世界の子どもと……それも、魔法適性のない子どもと、会話をした。
「あ、ついたみたいです。お邪魔しました」
「ありがとうございました。ほら、あんたも」
「またバトルするから! 忘れんなよ!」
忘れないよ、と手を振って応える。ずっとここにはいられないから……また戦う、は、できないかもしれないけれど。でも、君が、すべての子どもたちが、タイピングを続けるきっかけになれたら……それほど嬉しいことはない。
ピグトニャの車が目の前に現れ、私は助手席に座る。窓を開け、車窓から顔を出して彼らの方を見ていた。車は静かに動き出す。少年の姿が豆粒より小さくなって何も見えなくなるまで、私はひらひら、ひらひらと、手を振り続けていた。




