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素朴な楽しみ

「ソメヤ・イストゥール!? 本物!?」

「本物だよ、こんにちは」

「すっげえ! 母ちゃんなんで呼んでくれなかったの!」

「バーベキューするって言ったじゃない! 後で食べるって言ったのは自分でしょうよ」


 少年は呆れ気味な母親を無視して、サインちょーだい、とペンを渡してくる。サインなんか書いたことがないし、日本語だとまずいかなと思って困惑する。


「えーっと……国外出身で、ここの字書けないんだ。絵とかでもいい?」

「じゃあ俺が教えてあげる! えっとねー、テレビではこう書いてあったよ」

「あんた人に見せる字は丁寧に……」

「うるせー!」


 少年が書いた字は、おそらく綺麗ではないのだろうが、ちゃんと読むことができた。ソメヤ・イストゥール。こう書くのか。何度か練習してから色紙にサインしてやると、少年は心の底から嬉しそうにしていた。可愛らしい。そのまま二人でテーブルについて、依頼人が用意してくれたジュースを飲みながら談笑する。


「じゃああのクマ倒したんだ! 魔法で?」

「うん、魔法でズバッと、ビーム出す感じ」

「すっげえ〜!」


 少年は討伐談を聞いてひとしきり興奮すると、急におとなしくなって、はあ、とため息をついた。


「いいなあ、魔法。すっげえ楽しそう。魔法出せるなら、俺も真面目にタイピングすんのに」


 そのテンションの落差に悲しくなった。伝えたい。目の前のこの女は、魔法も何もない、こんなにタイピングする人もいない異界で、それでも一心不乱に打ってきた、それだけの人間なのだと。魔法なんかよりずっとずっと、本当はタイピングが好きなのだと。


「……タイピングは嫌い?」

「嫌いじゃない! でもさぁ……どんなに速くても意味ねーじゃんって思うと、やる気なくす」

「そっかあ……でもさ、魔法のため、みたいな意味なんか、いらないんじゃないかな」

「え?」


 少年は訝しげにこちらを見る。


「魔法のために速くしたんじゃねーの?」

「ううん……私は国外出身だから。自分が魔法が得意だとさえ知らなかった」

「えー! 相当やべー国から来たってこと? どこ出身?」

「ないしょ。他の国をやべーとか言わないの」


 ンプァクトにどんな国があるのか詳しくは知らないが、魔法文明が乏しい地域がありそうだというのは聞いているし、地球と同じぐらい多種多様な国がありそうだとはわかっている。適当なことを言っても大丈夫だろう。多分。


「でも、その国でたまたま、タイピングに出会った。魔法を知らなくても、使えなくても、タイピングのことはずっと好きだった。ずっとね」

「魔法が使えなくても……」

「そう、魔法が使えなくても……昨日の自分より速く打てるだけで、楽しかった」


 私はポータルから「take_daifuku」で物理キーボードを取り出して、机に置いた。戦う時は非物理キーボードばかり使いがちだけれど、やっぱりこのスコスコとした打ち心地やしっかり指が沈む感覚が好きで、家では物理キーボードを……『だいふく』をよく使う。私はホームポジションに指を置き、少年の方を向き、できるだけ童心を思い起こしながら、誘った。


「ねえ、タイピングバトルしようよ。魔法無しで!」

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