タイピングしないと出られない部屋
国際魔法連合軍ピグイタン支部、多国籍軍用執務室。ずらりとパソコンが立ち並び、窓からは日光が差し込んで、標準では節電のために薄暗い室内の光度を上げている……ような、むしろ影を産んで下げているような。隊長席はちょうど全体が見えるよう中央付近に設置され、二つの袖机や背後の書架など、いくら資料が増えても良いですよと言わんばかりの設備が整っている。
もちろん隊員たちの席も悪くない。ガネットおよび各班長には個別のデスクが与えられ、隊員には長机と椅子のフリーデスク。その代わりに貴重品や資料を入れられるロッカーが壁沿いにずらりと並ぶ。そのほかに作業や打ち合わせに使うスペースがあり、不満のひとつもない、現状なんの成果も出していない我々にとって立派すぎるほど立派な事務室である。
「うおお……こんな立派な事務室を……」
「3日前から使っています。組織改変で空いたのだとか……ただ、現状持て余しているので……とりあえず、タイピング練習をさせています」
「……必要?」
「魔法は口承でも構いませんが……ピグイタン王国民として生きる以上、事務でもなんでも、まずタイピングです。最低でもB1にはなってもらわないと。後回しにしていましたが……このような部屋をもらったからには、これが彼らのためです!」
「まぁ妥当か……」
B1は、大体KPM300ぐらいだ。地球人的にはちょっと厳しい気もするが、ピグイタン的には甘すぎるぐらいだろうから黙っておく。
「みんな頑張ってるね〜」
「ソメヤ中尉!」
「お久しぶりです!」
「うんうん」
私は打鍵音が響く中、手の空いた者に挨拶していく。ここ最近、顔は出せても週に一度程度、それも訓練をちょっと視察して帰るぐらいのものだったから、みんなの顔をしっかり見るのは結構久しぶりだ。
「……あれ、コロネやハリスは?」
「B1の壁を超えたものから通常の訓練に入って良いと、ガネット少尉から言われていて……今は他の部隊と合同で訓練していると思います!」
「なるほどね〜。タイピングはどう? 楽しい?」
「……た、楽しいです」
「嘘言わせてごめん……」
リズ軍曹が笑いながら割り込んだ。
「ソラージルでは、文字入力って相当悪しきもの扱いらしいので……まず、その抵抗感を取り払うところからなんですよ。ソメヤ中尉」
「へえ〜……」
「職種によっちゃ、仕方なくタイピングするらしいですが……そんな経験が無い限りは、こっそりピグイタンの音楽聴いてたような不良の方が、成長早いですね。ははは」
「それ俺のことっすか!?」
声を上げたのは確か……ウィニー二等兵。コロネと一緒の班で、顔合わせのときに『こっそり他国の曲を聴いている』『バレたら強制労働』と語っていた男の子だ。
「お前はもっと正確性をあげろ!」
「あとちょっとなのにい〜ッ……」
「今どんな感じなの?」
私がウィニーのところまで行くと、彼は椅子を譲ろうと立ち上がった。こんな低いテーブルで、立ちタイピングは無茶である。座って、と言うと、おとなしく椅子に戻った。
「KPMは330とか出るんスけど……めちゃくちゃミスするからC9なんすよ! 10回連続でB1出さないとこの部屋からは出られないんで、ラッキー狙いはダメで……」
「流石ガネット、容赦ないね……。ちょっと打ってるとこ見せてよ」
「ええっ、緊張する〜!」
「ウィニー! 中尉に口答えするな!」
「はいっ!!!」
私は笑った。出会ったばかりの頃のみんなは、もっとガチガチだったけど、今は柔らかさの中に規律がある。良い空気感の運動部みたいな感じだ。運動部に入ったことないから、完全にイメージだけど。ガネットやリズのように監督する側のみんなも、ウィニーたちのような監督される側のみんなも、手を取り合って頑張ってきたのだろう。
ウィニーは緊張しながらもタイピングを始め、私はそれを眺める。キーボードを見たところで、何を打っているのかはさっぱりわからない。とはいえ、見せてもらったのだからと、いくつか気になった点を挙げてみた。
「……とりあえず、キーボード見る癖直そうか。ホームポジションの感覚を掴みきれてないのを視覚で補ってるから、ある程度打ててしまってる……それが良くない。でも筋は良さそう」
「なるほど……!」
「頻繁にミスするというより、一度ミスすると続くタイプだと思うけど……そのとき、手の座標がズレてる。わかる? そこから戻るとき目で見て戻ってるから……タイムロスが生じてる」
「うおお……確かにそうです!」
「初心者は、まずホームポジションの感覚を掴んで。肌感覚で座標を直せれば、時間の無駄が減る。あと、キーボードを見てると、ワードを見てたらすぐ気づけるミスに気づけない。これで正確性を落とすのは勿体無い」
私がウィニーのタイピングを講評していると、なぜか辺りがしん、と静まり返った。何!? と思って辺りを見渡すと、後ろに控えていたリズが声をかけてくれた。
「……ソメヤ中尉、ソラージル語タイピングのご経験もおありなんですか……!?」
「ううん。全然わかんない。でも、視線とか、手の動きをじっと見てたらなんとなくはわかるよ」
「すげえ……! え、どうしたら手元チラ見しなくなります!?」
「努力しかないね……私は子どもの頃、段ボールで目隠しを作って練習してたよ」
「ソメヤ中尉でもそんな泥臭い努力を……!?」
そのとおりだ。私は約17年間、必死にキーボードを打ち続け、それでも日本一にはなれないような凡人だ。当然、手にした瞬間からキーボードが手に馴染み……といったミラクルはない。ごく普通の努力を、泥臭く続けた、それだけの人間である。
「わ、私も見てくれませんか……!」
「自分も……!」
「ちょ、ちょっと待って。私みんなと母語違うから細かいことはわからなくて……」
「今みたいなのでいいので!」
「お願いします!」
結局その後、タイピングの基本(個人的意見)をざっくり座学で教え、それからどうしても振るわない子たちの悩みに個別で答えていった。しかしキーボードの配列が意味不明なので、全てには答えきれない。タイピングジムのコーチたちはどうしているんだろう? 今度バルを招聘して、1日タイピング講座を開くことはできないだろうか。
一通り希望者への講評を終えると、タイミングをずっと伺っていたらしいガネットが、ひそひそと話しかけてくる。
「すみません……実はご相談が。会議室までいらしてください」




