コンヒサン
「……オリバー?」
「……」
大神官殿、祈りの部屋。チェレーゼ、ピグトニャ、そしてオリバーにだけ許された、イグノジー家の子どもたち用の、小さな礼拝室である。
「……ピグトニャが、行ってもいいって言ったから。でも、先客がいるんなら後にするわ。ここ狭いし」
「いえ……あの、オリバー」
チェレーゼは去ろうとするオリバーを引き留め、ポータルから、祈りのための道具を取り出した。
「回心の秘蹟を……しませんか?」
オリバーはそれを睨みつけ、ぶっきらぼうに答える。
「告解か? 身内の神官に罪の告白をするバカ誰だよ、気まずいだろ」
「何も言わずとも構いません。……十分です。ピグトニャから、ここに来ることを許された……その事実だけで、あなたは赦されたという宣言に足ります」
「……」
オリバーは用意された椅子に座る。
「了承した……ということでいいですか?」
「……その前に。アンタはなんで来てたの」
「なんでというと」
「何を祈りに来た?」
チェレーゼも、音を立てずに隣に座り、目の前の神のシンボルを見つめた。
「……ヴェーラのことです。私も告解をせねばなりません。罪の懺悔と……彼女の幸福を、祈っていました」
「……そう」
「……」
そうしてしばらく二人は、会話もせずに、ただ前を見ていた。大きな四つ角の星。ごくシンプルな記号のプレート……それはすべらかに研磨された木材でできており、荘厳な、と言うよりは、もっと落ち着いた空間を演出する。元々ここは、オリバーのために作られた部屋だった。いつしかチェレーゼとピグトニャが入り浸るようになってはいたが、元は彼を拾ったばかりのエイリムが、子どもにはひとりで祈れる場所が必要だ、この子が大きくなった時のために、そう言って用意した部屋だった。
オリバーは、物心つく前、エイリムに連れられては祈っていたことを思い出す。祈りの言葉は定型文で、「そういうもの」だと軽薄に受け入れていた。だからこそ、強く、自然に身につき、ひとときも忘れたことはない。
彼は利き腕の袖を捲って、人生で初めて入れた刺青を眺めた。それは、四つ角の星であった。聖セレンゼの聖像を破壊し、聖典を破り散らかして家を出た自分が、なぜ、命の次に大事な利き腕に、こんなものを入れたのか。それは自分でもわからなかったが、昔から……これを眺めていると、落ち着いた。それは、彼にとって数少ない、温かい親との交流の記憶、その象徴であったのかもしれない。
「……するわ、回心の秘蹟」
「……!」
チェレーゼは立ち上がり、オリバーの前に立った。オリバーはおとなしく、頭を下げる。その頭に両手を翳して、チェレーゼは目を閉じ、呟いた。
「唯一の神に心を開き、悔い改めを祈りなさい」
「……唯一の神よ、慈しみとあわれみ深い方。どうかわたしを清めてください」
「……私は、栄えある聖典と唯一の神のみ名によって、あなたの罪を赦します」
「かくあれかし……」
懺悔を飛ばした略式ではあるが、これでオリバーは赦された。愛する人の敵であった、憎い女の取り次ぎによって。しかし、この女は……愛する人の守護者でもあった。自分の元に訪れる前の、苦しい緩衝地帯での暮らしで、ずっと身代わりをしていたのだから。
「……ありがとう」
その言葉を発したのは、ふたり、まったく同時であった。目が合う。
「……子どもの頃のヴェーラを守ってくれて、ありがとう」
「……こちらこそ。私が忘れていた間……ヴェーラを想ってくれて、ありがとう」
そしてチェレーゼはまた椅子に座り、へらりと笑った。その笑い方は、ヴェーラとは全く違う。そりゃソメヤちゃんにもすぐバレるよなぁ、なんて懐かしく考えた。そう、もはやオリバーにとって、あの襲撃は懐かしい出来事と感じるほど……ここ最近の時間は、濃密であった。
「……あの子、わがままだったでしょ。子どもの頃も……闇市で見かけたペンダントが欲しい欲しいって頭の中で騒がれたり、なんか面白いこと言ってって無茶振りしてきたりして……」
「……あったあった。俺の場合、深夜なのにお菓子が食べたいって言われて体を貸したり……なのに太ると怒られたり……」
それは、いまやこの二人にしか分かち合えない感情、ヴェーラへの親しみであった。調子の良い性格をしているオリバーは、そのまま語り続ける。
「あとよくあったのが、たっけえ服やアクセサリーが欲しいって言われるヤツな。毎回おねだり聞いてちゃ、何回詐欺っても強盗しても足りねえっての! 変身魔法で再現して許してもらってたなァ」
変身魔法で再現、にチェレーゼは驚く。彼女は、冷静な声色こそ崩さないものの、驚嘆と尊敬を隠しはしなかった。
「……ほんとに変身魔法の天才ですね、あなた」
「そうなの?」
「そうですよ。ちゃんとその力を活かせる場所に行くべきです。工作員とか……ああ、いや、天啓の脆弱性が高すぎるのでダメですね。パフォーマーとかどうですか? 中々向いてそうじゃありません?」
「俺にできんの? そんなこと。クズの前科者だぜ?」
「何言ってるんですか。残りが3年、脱獄の罪を加えても……せいぜいあと4〜5年でしょう? しばらくしたら、第一王妃殿下の生誕50年ですし……恩赦もあるかも。刑期を終えてもまだピグトニャより若いぐらいなんですから……これから、いくらでも。何にだって、なれますよ」
今度はオリバーが目を丸くした。新規に重ねた罪について、チェレーゼが一切言及しなかったからだ。
「え、な、なんで……」
チェレーゼは狼狽えるオリバーに、神官らしい、優しい声で答える。
「だって……今さっき、あなたを赦したじゃありませんか」
オリバーは椅子から立ち上がり、ゆっくりチェレーゼの前に跪いた。少し困惑している彼女の顔を見つめ、愛しい人の顔を思い出し……そして、弟の言葉を思い出した。
『ヴェーラが嫌がることをしてしまったとして……償いは後だ……! 生きていれば……いくらでもできる……生きて、いれば……!』
そうはならなかった。償いはできない、求められてもいない。なぜなら彼女は……幸せだから。自分のことなど、どうでもいいから。だから……償いをするならば、今生きている人たちに。そんな心境の変化が、彼の中に訪れていた。だからこの心中の謝罪は……自己満足。自分の中で、気持ちに蹴りをつけるためのもの。
──ヴェーラ、ごめん。ヴェーラが嫌いだった人を恨み続けられない、情けない、弱い男でごめん。こんな屑だけど、それでも……本当に君を愛していた。
そうして彼は、そのまま頭を床につけた。鮮やかではない、惨めに震え、もたついた土下座であった。
「ちょ、ちょっと。そんなことしなくていいですよ」
「ごめんなさい」
「はい?」
「今まで、迷惑かけてごめんなさい。本当にありがとうございます」
チェレーゼはしばらく戸惑ってから、その頭を撫でた。これは按手でなく、妹として兄を慈しむ、ただのチェレーゼとしての手であった。
「こちらこそ……ごめんなさい。あなたに随分、酷いことをしました。私を赦してくれますか?」
オリバーは顔を上げる。困ったような顔をした、9歳年上の妹。彼女から下された、爪を剥がれ、指を折られ……言葉にしきれぬほど残虐な、様々な拷問。それが脳内を駆け巡り、本能的な恐怖から、飛び上がって一歩下がった。
「す、すぐには無理。無理だけど……」
そうですよね、と悲しげに微笑む彼女は、自分の罪をすべて自覚しているように見える。それがあるならば……オリバーにはひとまず、十分だった。
「……努力する。何年かかっても」
「……ありがとう。赦してもらえるよう、私も努力します」
そしてチェレーゼも、頭を下げた。




