神の存在論証
『私が帰ってきた後は……ピグトニャ、あなたに頼みたいことがある』
『俺……?』
これは作戦立案中のこと。私の発言に戸惑う彼に、テレパシーで頼み事をした。
[前オリバーに使ってた魔法……<敗北者は幸い>を使いたい。チェレーゼの前で話してもいい?]
[……何に使うんだ?]
[ヴェーラに対する負の感情を与えてほしい。それで、私からヴェーラへの愛を打ち消す。ヴェーラが二度と、私に乗り移れないように]
[……! わかった。元々、姉さんには話すつもりだったし問題ない。この場で、俺から話そう]
チェレーゼは私たちがテレパシーでやりとりしているのを察しているのか、特に続きを急かしたりはしない。
『ごめんねチェレーゼ。ちょっと話してた』
『構いませんよ。私がいない間に、2人の秘密のひとつやふたつ……できたって、おかしくはありません』
『いや……2人の秘密にはしない。姉さんに今話してもいいのかって、聞かれてただけだよ。これは3人の秘密だ……姉さん、聞いて欲しい』
3人の秘密、に気分をよくしたらしいチェレーゼは、やわらかい笑顔で、なんでも話してください、と言う。
『実は俺に、固有応用魔法が開花した。名前は……<敗北者は幸い>。俺のものを相手に与える……シンプルな魔法だ』
『!』
『色々試した……対象は主にヒトだが、動物や植物にも、ごく単純なものなら与えられる。与えられるのは、俺の肉体や精神に基づく所有物全般……例えば魔力、体力、知識、感情……。体のパーツの一部もできそうだ。指毛の毛根をマウスに贈与してみたら、ツルツルになった』
『え、羨ましい……私はお金をかけて脱毛したのに……』
『俺もヒゲ脱毛しなきゃよかった……。しばらく様子見てるけど、悪影響なさそうだし』
そういえばチェレーゼは美容医療が好きなんだった。それをいじってたピグトニャも、ちゃっかりヒゲ脱毛してるんだ。スポンサーもいるぐらいだし、容姿も資本なのだろう。色々大変なんだなあ。
『毛を一本贈与したときは、毛根は残ってるのか、また生えてきた。でも、毛根ごと渡すと二度と生えない。感情についても、毛と同じように無限に湧く資源らしく……俺の感覚としては、減った気はしなかった。魔力や体力もそう、いずれ回復する。つまり……水を分け与えてもまた湧いてくるが、井戸そのものを与えてしまえば、水も枯れ果てる。<ルーザー>では、井戸を奪われていたんだな』
『……なるほど。受けるより与える方が幸いである、と言いはしますが……注意が必要ですね。父母に与えず神に与えた者のごとくなってはいけません。あなたの体や心は、あなただけのものではありませんから。下手に失わないように』
ピグトニャの喩え癖は、チェレーゼには慣れたものなのだろうか。それとも、なにか聖典に出てくる言葉なのだろうか。チェレーゼは特に理解に詰まった様子を見せず、なんならそれを受けてピグトニャを戒めている。こうしてやりとりを客観視していると、なんだかすごく、神官っぽい。
『これで、ソメヤに俺の感情を……ヴェーラに対する憎悪を渡す。そうすれば、もう二度と、ヴェーラはソメヤに取り憑けない』
『……なるほど』
私はここで口を挟む。
『ヴェーラがユーシャに追い出されたときどうなるか、2つのパターンが考えられると思う。術者である私に帰るか、本体であるチェレーゼに帰るか。私に帰ってくるとしたら……それを可能とするのは<ハイジャック>の効果。この退路を断てば、ヴェーラは帰れない。閉じ込められる。あちらの世界に』
『……』
『ヴェーラは昔、人から借りた、幽体離脱の天啓を試したことがあるんだって。ヴェーラが幽体離脱中は、元の人が戻ってきて……幽体離脱をやめた瞬間、またヴェーラになった。……って、オリバーが言ってた。それなら、私に帰ってきそうじゃない?』
『……確かに、少なくとも一度は、ソメヤ様に帰ろうとするでしょうね。ただ、ヴェーラは<ハイジャック>の対象が死亡した場合……私に帰ってきます。ソメヤ様を確認できない、それすなわち死亡と見做され、私に帰るという可能性もあります』
私は唸った。チェレーゼに帰ってくるのをなんとか防ぐ手立てがあれば、完璧なんだけど……。そのとき救いになったのは、ピグトニャの言葉だった。
『いや……確認はできるんじゃないか? 天啓の効果がないとしても、かけることはできるはずだ。実は俺も、<ハイジャック>を使われそうになったことがある』
『えっ、それいつですか』
『子どもの頃。今思えば……という感じだが。姉さんから<ハンティング>を使ってもらっているとき、別の固有魔法の感覚に襲われたことがあっただろ? ほら、1回、急に俺がシールドを張ったとき……覚えてない?』
『あ、あ〜! いえ、覚えてますよ! びっくりしたので……。曲者探しって言って練り歩いて、パパに迷惑かけたあの日ですね?』
チェレーゼに手を引かれながら神殿内を練り歩き、曲者! 曲者! って使用人や信徒に声をかけている小さなピグトニャを想像する。かわいい。大きくなってしまった方のピグトニャは、恥ずかしそうに答える。
『……そう。恥ずかしいから、今の今まで忘れてたけど……あれはヴェーラだと思う。そうじゃないと説明がつかない。俺がシールドを解いたタイミングを、正確にとらえて固有魔法を使える……そんな人間、他にいない。多分ヴェーラも、物は試しと使ってみたんだろ』
『確かに。結局気のせいで済ませましたけど、そんな変な気のせいって、あまりないですからね』
『てことは……』
私の希望的観測に基づく浮ついた声に、ピグトニャは頷いた。
『多分、帰るために<ハイジャック>をかけ続ける羽目になる……追い出された後どこに行くのかは知らないが、霊界のどこかで……永遠に』
私はチェレーゼの方を向いた。彼女は難しい顔をしている。
『信仰科学者的には……どう?』
『……そうですね。魔力の動きについては、魔導物理学者のピグトニャの推測の方が正しいと思われます。固有魔法も魔法です』
あんまり魔導物理学がなんなのかわかってないけど、そうなんだ。ちなみに信仰科学のことも、何もわかっていない。
『となれば……他に心配することは、固有応用魔法の開花ぐらいでしょう。これは滅多にないことです……しかも、原初魔法の覚醒と同様、基本的には強い信仰があればこそ可能になります。ヴェーラから信仰は感じられません』
『え、私2個も固有応用魔法あるけど』
『異界人はデータが少ないのでちょっとよくわかりません……が、むしろ素直に"そういうもの"として受け入れやすいから……かもしれませんね。ある種軽薄で、だからこそ強いといいますか。あと才能の要素もあります』
『な、なるほど。いいのかなそれ……まあ、便利だしいいか。……でも、じゃあ、ピグトニャは……?』
『……』
ピグトニャは俯いている。が、チェレーゼが身を乗り出して、彼の頭上に四つ角の星を描いた。
『……おかえりなさい。信じていましたよ』
ピグトニャは居心地が悪そうに横目になり、それから、ゆっくり、ゆっくりと、チェレーゼを見つめた。
『……まだ、ただいまとは言えない。俺は……神は在ると、言いきれない。テレパシーが覚醒した頃、神官を目指したあの頃とは違う……、でも……』
そしてピグトニャも、チェレーゼに、四つ角の星を切る……その手は、彼の声と同じように、震えている。
『……信じてみたく、なった。それだけの価値は、あるかもしれないと……。だからこれから、追いかける』
『追いかける……?』
『そう。神は依然、不可知のベールに包まれている。エイリム・イグノジーは、神の沈黙を破ってなんかいない……神官が聖典を読み解く過程で、科学を飛躍的に進めた……それだけ。その態度は、変わってない』
『ピグトニャ……』
チェレーゼは悲しそうに呟く。エイリムのことを、エデンの言語を作った人だ、神の沈黙を破った人だ、誇らしい……自慢の父だと、そう語っていた彼女にとって、溺愛する弟のこの発言には、耐え難いものがあるのだろう。
しかし、彼の発言は、これで終わり……ではなかった。
『だから俺が……この、ピグトニャ・イグノジーが……、』
彼は力強く、愛しの姉を見据える。そして、服で隠れていた首元から、ネックレスを引っ張り出す。それはシンプルな、四つ角の星のメダイ……唯一の主を信仰する者のみが身につける、敬虔な信徒のしるし。その像がチェレーゼの瞳孔にきらりと反射し、やがて滴り落ちていく。同時に彼は宣言した──
『──神の存在を、証明する』




