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楽園への追放

「ユーシャ!」


 ヴェーラは目の前の男に駆け寄り、抱きしめたい気持ちになったが、そこまではできずに立ち止まった。何もない無機質な空間で、彼は無表情に立っていた。


「……チェレーゼ?」


 彼女はどう説明していいものか惑った。このままチェレーゼに成り代わって、彼に愛されることも可能なのだ。けれど、自分は自分だと、『名無し』なんかとは違うのだと、教えたい気もする……。そうして迷っているうちに、背後から物音が聞こえた。


「……なんでいるの!?」


 現れたのは、ソメヤ・イストゥール。何を考えているのかよくわからない、不気味な異界人の女。


「……どちら様ですか? チェレーゼの友達?」


 ユーシャも困惑し、たずねる。ヴェーラが何かを答える前に、ソメヤは笑って返答した。


「……もしもし、こちらは無事ですが」

「!」


 なぜそれを、と二人して同じ表情になる。


「特に問題ありません……だっけ。ユーシャ、あなたから教えてもらったんだよ。私はソメヤ・イストゥール。ここはあなたの精神世界……私はあなたと、合計して12回ほどは話してる」

「……一体、何が起きてる?」

「そしてそこにいる子はヴェーラ。チェレーゼの第二の人格だよ」

「ちょっと!」


 ヴェーラは勝手に言うなとばかりに怒ったが、ソメヤは我関せず、つかつかとユーシャに近づいていく。


「単刀直入に言うね。ヴェーラをここに住まわせてあげて欲しい」

「えっと……ヴェーラ……?」

「チェレーゼは二重人格なの。ユーシャ……あなたが好きになったチェレーゼは、こっち。見張り番の交代時にうとうとしながら微笑んでたのも、子供の頃の肝試しであなたの腕に縋り付いたのも、プロポーズに応えたのも……全部この子。もう一人のチェレーゼ……名前はヴェーラ。覚えてあげて」

「……なに、恋のキューピッド気取り?」


 ソメヤはからからと笑い、ユーシャに椅子とテーブルをイメージするよう要求する。彼は戸惑いながらも指示に従い、やっと3人は座って話せる体制となった。それにより、ユーシャはここが精神世界であり、自分の心次第でなんでもできる場所だと心得たようだった。


「ユーシャ。あなたが追い出そうと思わない限り、私たちはここから出られない。そこで、私だけ追い出して、ヴェーラをここにおいてほしいの」

「……えっと、それは……ヴェーラさん? にとって不都合なんじゃ? 軟禁状態みたいなものだろう?」

「ヴェーラとチェレーゼはひとつの肉体を共有してる……ヴェーラはすでに、チェレーゼの体に軟禁されてるようなものなの。むしろ、それを解放して、ここに連れてきてあげたってわけ……ねえヴェーラ、ここでユーシャと暮らすの、嫌?」


 ヴェーラは一瞬戸惑った。本来の作戦に戻り……この世界から出て、ソメヤの体、あるいは本体の体に帰るべきなのではないか、と。しかし、結局、自分の心に嘘はつけなかった。これ以上心を誤魔化すことは……しかも、好きな男の前で誤魔化すことは……彼女にはもう、耐え難い苦痛であったのだ。それに……この沈黙が、あなたと暮らすのが嫌だ、というメッセージになってしまうのも困る。


「い、嫌じゃないわ。嫌じゃない……! あ、あの……ユーシャと、ふたりなら」


 ヴェーラはもじもじと手をいじり、上目遣いでユーシャを見る。


「……でも、さん付けだけは嫌だわ。ヴェーラ、って、呼んで欲しい」


 それは、ヴェーラがヴェーラとして、自分を認められた瞬間であった。今までは、「本物のチェレーゼ」を名乗り、チェレーゼに成り代わろうとしていた……しかし、彼女はヴェーラであった。自分はヴェーラ、名無しとは……チェレーゼとは違う、別の女。


「……ヴェーラ。それが、君の名前か」

「ええ……ええ! 久しぶり……ユーシャ。あなたは私を知らないけれど……私は時々、あなたと話してたの」

「……僕も、なんとなく分かってたよ。いつものチェレーゼと違うなって……。それで好きになったんだけど、二重人格か……そんなカラクリがあったなんてね」


 ユーシャの顔つきは優しい。男が好きな女に向ける顔というのは、胸焼けがするほど蕩けている。ヴェーラはそれを眺め、至福に満たされていた。そうか、そうか。愛されていたのは……実は、自分だったのか。その満足感が、感動が、胸を満たしていく。二人はしばし見つめ合い、通じ合った。


「わかった。ここで一緒に暮らそう。分霊の僕でもよかったら」


 ヴェーラはぱあっと明るい顔つきになり、ついには涙を流し始めた。


「ああ……こんな方法があったなんて……!」


 ソメヤは安堵しつつ、椅子から降りてユーシャに耳打ちをする。


「悪いけど……今後、彼女がここを出たいと言っても、絶対に出さないで欲しい」

「……何故?」

「まず、ここから出すということは、あなたの消滅を意味する。一時外出はできない。もうひとつは……彼女が帰ってくると、チェレーゼとピグトニャの身が危険なの。なんなら、ピグイタン全土の危機と言っていい」

「……!」

「彼女はあなたを手に入れるため、どんなことにも手を染めてしまう……染めてきた。これ以上罪を重ねないように……あなたがヴェーラを守ってあげて。これはオリジナルにはできない……あなただけの仕事なの」


 ユーシャは頷き、無言で肯定する。


「話が済んだなら、早くどっかいってよ。邪魔」

「ごめんて。じゃあ二人とも……お幸せに」

「ソメヤさん……よくわからないけど、ありがとう。あの合言葉を知ってるということは、相当僕から信頼を得たんだろ」

「そうだと思うよ」

「じゃあ、僕もあなたを信じてみよう。だから最後に、チェレーゼとピグトニャに伝言をお願いしてもいいかな」

「いいよ。あ、最後の手紙の場所はわかってるから、それ以外なら」


 ユーシャは笑った。自分は毎回、手紙を託しているのか。あの小っ恥ずかしい手紙を。どれほどこの人を信頼しているんだろう。他の自分たちが信頼した……それだけで、今ここにいる自分も、彼女を信頼する理由になる。


「じゃあ……チェレーゼだけでいい。手紙で、『愛している』って書いたのを……『愛していた』に、訂正させて欲しいんだ。僕はチェレーゼのことも、ヴェーラのことも、まだ、何も知らないらしい。僕は知りたい……ヴェーラ、君のことを。その結果、僕の気持ちがどう転ぶかは、全くわからないことだからね」


 ヴェーラは顔を真っ赤に染め、ソメヤは呆れたように微笑む。


「本当にロマンチストだよね……わかった。しっかり伝えるよ」

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