欲望の果実
「来たよ、ユーシャ」
「来ましたよー」
「お邪魔します」
「……」
もう何度か来ている、例の部屋。チェレーゼとピグトニャは、慣れた手つきで彼の体を綺麗にしてやった。それを待つ間、ヴェーラは無言でユーシャを見つめている。
「ヴェーラ」
「……何? 名無し」
「私たちは今みたいに……ユーシャの体を洗い、眉や髭を剃り、髪の毛を編んで、祈りました。あなたは何をしましたか?」
「私は……アンタのせいで何も……」
「では、彼のために祈ったことは? 自分のことでなく、彼の救済のための研究をしようと思ったことは? 私と和解し、二人で彼に尽くす道を考えたことは?」
「……」
「彼に会ったら、あなたがユーシャに与えられるものについて……きちんと考えてみてください。大事なことですよ」
「説教ばっか……」
ヴェーラは嫌そうに椅子に座り、不貞腐れる。私はその隣に座り、ヴェーラに話しかける。
「いい? あなたがその気になったら……このブレスレットの鍵を開ける。チェレーゼのところに帰ったら、私に<ハンティング>を使って。そしたら、こう詠唱して……『<固有応用魔法:霊界の読者>、我に姿を見せよ、ユーシャ・リリヴェージュ』、と」
「……なんの作戦だか知らないけど、自分から情報を曝け出すの、なかなか頭おかしいわよ。せっかく私が知らなかった魔法なのに」
「……あなたのためだけじゃないよ。ユーシャのためでもある」
「ユーシャの?」
ヴェーラは目をまんまるにする。しばらく共に過ごし、わかってきた……この子は、ユーシャのこととなると、単純でわかりやすく、そして、欲に抗えない。考えてみれば当然だ。彼女はユーシャに執着し、ユーシャのためだけにここまでの努力を重ねた、ユーシャのために生きた人格なのだから。
「……分霊は、魔法が続いてる間しか、記憶が続かない。前にユーシャの分霊を作った時……彼はこう言ったの。『ヴェーラ、ヴェーラか、名残惜しい』って。せっかく……自分のことを愛していた女の子の名前を知れたのに、忘れちゃうのは、名残惜しいって」
ヴェーラはひどく狼狽する。今にも泣きそうなほどに。
「……本当に?」
「本当に。どこまで深い話ができるか、それはあなたの振る舞い次第だけど……好きなだけ、話しておいで」
「……」
ヴェーラの動揺が手に取るように分かった。きっと彼女はここに来るまで、絶対に絶対にチェレーゼの元に帰り、そこを出ない、あるいは、ソメヤを乗っ取った段階で脱走する、そう心に定めていたはずだ。しかし今、揺らいでいる。何か罠だ、そうに違いない……と思いながらも、罠でもいい、彼のもとにいきたい、そう叫ぶ心を、抑えられない。
愛する人、ユーシャと、二人きりの精神空間。長く精神体として生きてきた彼女にとって、それはほぼ現実に等しい。その可能性があるのなら……。
……ところで、私たちになぜここまでの自信があるかといえば、私が<霊界の読者>で何度も彼女と接触し、この提案をしたからだ。彼女は最初は反発するが、必ず絆され、オリジナルによろしくと言い残す。10人中10人のヴェーラが、ユーシャに会いたい、ずっとそこにいたい、そう言ったのだ。となれば、現実のヴェーラもおそらくそうするだろう、と算段がつく。ヴェーラに<霊界の読者>を使っただけでも怒られたのに、今度は自分の体を貸すなんていうから、作戦会議中のピグトニャは、可哀想な中間管理職のようになっていた。
『危険な賭けだぞ……!』
『いつもどおりだね』
『おまえの体が奪われたらどうする!』
『そのときは地下牢にでも入れておいて。助けてくれるって信じてるよ』
『簡単に言うけど、今まさにそれで困ってんだろうが……。それに、魔力切れで死んだりしたら……』
『……いえ、ピグトニャ。その点については……ヴェーラとパパの怪しい実験結果を見たのですが……ソメヤ様なら、大丈夫でしょう。オリバーもそうですが、この異常な魔力効率は……魔力素子が薄い星……地球に生きるヒトに、特有のものかもしれません』
チェレーゼはさらに続ける。
『なんなら……<ハンティング>で魔力を奪い切り、ヴェーラを私の体に戻してもいいですね。振り出しに戻ってしまいますが……全員意識は残るわけで、ソメヤ様が完全に眠るよりはマシなので。ソメヤ様ほどの燃費の良さなら……ヴェーラには我慢ならないけれど、ソメヤ様には問題ない……そんな、魔力量の閾値があるはずです。上手く調整してみせます』
『!』
そう……地球には魔法がない。魔法が発展しなかった。それは私たちが野蛮人だからではなく……地球には、この星で魔力素子と呼ばれる資源が少ないから。私たちが、その過酷な環境下で発生し、繁栄した生命だからだ。
オリバーも、私も……地球にいたときは、魔力など持っていなかった。しかし、魔力を貯め込む大きな器と、それを扱う道具……魔法適性は、中身がなくとも持っていた。魔力効率の良さは地球人の特性……その中でもずば抜けて魔力の扱いに長けた私なら、生きて帰って来られるはず。そう、チェレーゼは言った。
『でも……うまくいったとして、ヴェーラは何分そこにいるんだ? 5分? 10分? その間に何ができる?』
『多分だけど、ユーシャから拒否されない限り、出てこないよ。一生』
『一生!?』
私は頷き、今までヴェーラの分霊と話した内容を伝えた。彼女のユーシャへの執着は異常だ……そうそう無くなりはしない。
『とはいえ、ユーシャが拒否する可能性もあるし、確実ではないし、なにより、いきなりヴェーラを押し付けるのは、分霊相手とはいえ不誠実だと感じる……。だから……作戦がうまくいって、ヴェーラがいなくなったらすぐに、私もその世界に入る』
『できるのか?』
『できなければすぐ戻るよ。でも、もし同じ世界に入れたら、ユーシャに事情を説明して、ヴェーラを帰さないように頼む』
『……』
『わかってる、不確定要素が多い賭けだよね。でも、ユーシャの分霊も、10人中10人が、協力を約束してくれたし……ヴェーラという存在に興味を示してた。チェレーゼとヴェーラ……二人への愛は本物だね』
『何度か部屋に行ってると思ったら、そういうことか……』
この固有魔法は、相手の出方、思想を読むのにかなり使える。いわば高精度シミュレーターだ。こんな理由で何人もの分霊を殺していくのは愉快な作業じゃないが、仕方がない。
拳をぎゅっと握る。作戦会議を振り返って、高確率で勝てる賭けだと分かっていても……怖いものは怖い。しかし、賭けるしかない。私とピグトニャ、ふたりの蛇が彼女を唆す。この果実を齧ってくれと……祈るようにヴェーラを見つめる。
「……わかったわ。本体に戻して。オリバーの体も飽きたし」
「……よし。鍵を開けるよ」
ピグトニャが拘置所の偉い人と交渉して手に入れた鍵をかざし、ブレスレットのロックを外す。この瞬間から、ヴェーラは魔法を使えるようになった。そして数秒も経たないうちに、私に固有魔法をかける感覚が襲ってくる。ああ、よかった……やはり彼女は、欲望に抗えなかった。
──いいよ、おいで。私を使って。
私は目を閉じ、受け入れた。そのまま意識は暗転した。




