作戦終了
「っ、ぴうおあ……うい……」
「うわああぁっ! ご、ごめん姉さん!」
「……」
チェレーゼは多分、「ピグトニャ、指……」と言っている。ピグトニャは慌ててチェレーゼの舌を押さえていた指を離し、その指をどうすべきかしばらく悩んでから、結局ハンカチで拭いた。
私はそのまましばらく二人を眺めていたが、明らかにチェレーゼが帰ってきていると判断し、腕を離した。代わりにオリバー……いいや、ヴェーラを押さえ込む。
「なんで魔法が使えないの……!?」
「……ヴェーラ。オリバーは無事なの?」
「覗き見てるくせに。わかるのよ」
「……質問に答えて」
「嫌よ」
そう、私は<リーダビリティ>を使っていた。ここにいるのが間違いなくヴェーラであることを、私の固有魔法は証明している。けれど、オリバーの情報は見えない。とはいえ、天啓の作用からすれば……オリバーは眠っているだけ。ほぼ確実に無事だろう。そんなやりとりの中、ようやく意識がはっきりしてきたチェレーゼが、驚きと期待に満ちた顔で、こちらを見た。
「……ヴェーラ? ヴェーラなのですか?」
「名無し……」
「こっちに帰ってこれない? ってことですか?」
「……そうよ! 勝ち誇ったような顔しないで!」
この負け惜しみに、チェレーゼのテンションは頂点に達した。目を輝かせ、口角と声の高さを上げる。
「あ〜生き返ったような気分です! こうなったら早く退院しないと! ヴェーラのことは地下牢に入れといてください」
「死ね……!」
ヴェーラは煽り耐性が低いのか、即座に暴言を吐き捨て、ピグトニャに睨まれた。彼はそのまま蹴り飛ばしそうなほど怒りの形相であったが、ヴェーラが入っているのがオリバーの体だからか、我慢した。さっきは容赦なく殴ってたのに。
「……神官用宿舎に行こう。姉さん、退院手続きは後で……」
「私一人でできますよ。お医者様の許可さえ出れば、すぐ帰りますから。家で待っててください」
「わかった。……じゃあ、帰るか。色々ムカつくし聞きたいことも山ほどあるが、後でだ、後で」
「待って!」
私は叫ぶ。なんか一件落着みたいになっているが、実は今の状況はかなりまずい。
「このままオリバーを乗っ取り続けてたら……魔力切れでオリバーが死んで、しかもヴェーラはチェレーゼに帰るんじゃ!?」
「!」
ピグトニャは戸惑う。オリバーとやっと和解できたばかりなのだから、当然だ。私たちは……頭の中にヴェーラが来るのを想定していた。その状態なら、魔力切れの懸念はなかった。しかし、今の状況……完全な乗っ取りはまずい。私たちの焦りに対し、チェレーゼは完全に落ち着き払っている。
「……大丈夫です。オリバーの魔力回復速度と燃費の良さ……そして、今の私の残存魔力から計算して、これなら……おそらく、ヴェーラは彼を乗っ取り続けることができます。永遠に」
私は完全に悟った。オリバーと私、チェレーゼのふたりの被験者……私たちはヴェーラにとって、安定した体の提供者候補だったのだ。だから、私の魔力について、細々記録を取っていた……オリバーから話を聞いた日の予想が正しかったことを、悟ったのだ。
「……おっしゃるとおり。だから可愛がってきたの。まあでも、こんなもの、本当の目的には足りないわ。あくまでも私のスペアにすぎない」
「貴様……」
「あら、ピグトニャ。どうして今更怒っているの? このブレスレット……私にオリバーを乗っ取らせたの、わざとだったのね? 全然気づかなかった、私って本当バカね……でも、つまりは……そっちも、最初からこうするつもりだった、ってことでしょ? オリバーが死んだとしたら、それは……あなたたちが殺したのよ!」
オリバーの体を借りて、高笑いするヴェーラ。確かに、最初からこうするつもりではあったが……想定していたのは完全な乗っ取りではなく、頭の中での同居であったし……有用な腹心であるオリバーを殺す可能性については、ひとつも考えていなかった。私たちの価値基準では、オリバーほど優秀、かつ、従順な魔法使いを殺すだなんて、愚の骨頂であるからだ。
「オリバーは裏切ったの? それとも、あなたたちに騙されたの? わからないけれど……どっちでもいいわ。もういらないから」
ピグトニャの怒りがピークに達している。貧乏ゆすりをし、歯を食いしばり、拳を握り締め、必死に押さえているが、今にも決壊しそうだ。このままではまずい。
いくら怒ってもヴェーラには手を出せないし、オリバーは死んでない。交渉次第で取り返せるかもしれない。ならばこれ以上空気を悪くするのは悪手だ。向こうの空気に飲まれてしまう。
こういうときは、同調して怒っても、逆に宥めすかしてもいけない。なんというか、パンパンに張り詰めた風船から、すーっ……と空気を抜くような、そういう技術がいる。
私は覚悟を決めて、口を開いた。
「あのねぇ、いらないいらないって……さっきから、人を切り捨てるような言い方ばかり。あまり良くないよ」
「は、はあ? なにアンタ、お説教?」
……そう、おっしゃるとおり、お説教である。
「ぜーったいそのうち気づくから。オリバーみたいに献身的に尽くしてくれる僕が、どれだけありがたいことか……。あと普通に彼氏としてもいい子じゃん? 女は溺愛されるべしとか聞くし……知らんけど」
「な、何言ってんの?」
本来自分にお説教するような立場ではない、想定外の人物からの、多少お節介で、少し温かい、そんなお叱り……これは、実際やられてみると、結構むず痒い。これは、説教する側が、"オカン"という圧倒的優位を手にすることによるものである。彼らは父子家庭だが、オカンとは母親のことではない。我々人類のヒエラルキーにおいて上位に位置する、いわば、概念である。……という持論がある。
事実ヴェーラは困惑しているし……ついでにピグトニャも困惑している。そしてこの場には、このノリに乗っかりそうな人間が、ひとりいる。
「本当ですよ、ヴェーラ。オリバーを失うのはバカです。まあでも、恋愛感情に頼っているようじゃ、まだまだ主力が足りませんね」
「主力って何よ……てか彼氏じゃないし……ちょっと可愛がってあげただけで彼氏ヅラされてこっちも迷惑だっての……」
「あー! お前姉さんの体でッ……! 殺すッ……!」
「まあまあまあ、ナニをしたとか言ってないから、落ち着いて落ち着いて」
「そうですよピグトニャ、私は気にしてないので大丈夫ですよ」
「いや……! 全然大丈夫じゃない……!」
「?」
若干墓穴を掘ったが、多少空気をマシにしてから帰宅することに成功した。帰りの道中、ピグトニャはショックからか大人しかったので、恋愛トークになったのは、結果的に良かったかもしれない。




