痴話喧嘩
オリバーはアワアワしながらも、引き続き自分の脳内に来て欲しいと説得しているが、とりつく島もない。
「……言ったでしょ、大事な体から離れるわけにはいかないの」
「昏睡してたら元も子もねえじゃん! それに……体が欲しいってだけで、本当にここまでやる必要あんの? ハムストリの箱とクラッチの箱……あれで、何がしたいのか……俺よく聞いてないし」
ヴェーラは不機嫌そうに黙っている。
[クラッチの箱……]
[聞いたことがないな……。ハムストリの箱に匹敵する魔道具なら、科学省かどこかの研究チームが存在を知ってるはずだ。後で調べよう]
なんとか落ち着いたピグトニャは、なんでもないように語っているが、その元気がいつもの3割減なことには、彼とある程度親しい者なら誰でも気がつく。しかし、今は慰めるよりも、目の前の会話を聞くことが大事である。オリバーの不満はまだ続く。
「昔から大事なことは話してくれない……。資金が必要だって言うからみんなで犯罪してたら、尻尾掴まれて……誰かが自首しなきゃいけなかった、あの時も。なんで他の誰でもなく、俺にしたの? みんな、自分が行くって言ってたのに。そりゃ俺は一番金を騙し取ったけど……そんな理由なわけねえ」
「……」
「ムショからみんなに手紙を出そうにも全員ホームレスだし、アジト宛に手紙送るわけにいかねえし、誰とも連絡つかなくて……脱獄してヴェーラに会いにきたら、今度は目的もわからず、よくわかんない作業……無茶な命令……」
「……」
「ヴェーラのためならなんでもする、するけど、それはそれとして今俺さぁ、結構つらいんだよ。みんなにも会いたい。みんなどうしてる……?」
オリバーは数年分の疑念、疑問をヴェーラにぶつけているようだが、ヴェーラは首を振って、それをかわしてしまった。
「……みんなの居場所は、私も知らない」
「なんで!?」
「……だって、オリバーより役に立つ子は、ただのひとりもいなかったんだもの」
「……は?」
きょとんとするオリバーの金髪に、ヴェーラの細い指が絡まる。弄ぶように頭を撫でながら、彼女は語った。
「あの子達はもちろん、資金稼ぎのための組織、目的のための戦力でもあったけど、元々はあなたのために集めたの。私はいつでも一緒にいられるわけじゃないから。おかげで、家出しても困らなかったでしょ? 子どもがひとりでは危ないわ」
「……」
「でも、あなたは捕まってしまったし……私は頻繁に顔を出せるわけじゃない。みんなの統率が取れなくなった。あなたを出迎えられる状態じゃなくなったの……それならいらない。それだけよ。何かおかしい? 私には本来、あなたしか必要なかったの」
あなたしか必要なかった。その甘美な響きは、確かにオリバーに悦びを与える。しかし、同時に疑惑も膨らませてしまう。
「じゃあなんで、俺をムショに……そのいらねえ誰かを使えばよかったのに……」
「ごめんね。みんなちょっと頭が弱いから……芋蔓式に私のことまでバレるのが怖かったの。オリバーを信頼してるから、任せたのよ」
「……」
オリバーは俯いた。その頭の中で、仲間たちと過ごした日々が駆け巡った。人生でほとんど初めて、はっきりとした怒りを、主君であるヴェーラに対して覚えた。今まではもやもやとしていたものに、今、この瞬間、輪郭が描かれた。
「ヴェーラ……」
「ねえ、約束したでしょ?」
しかし、今はまだ、ヴェーラが一枚上手である。オリバーは顔を上げた。
「全部が終わったら……二人で暮らそうって」
オリバーは力無く頷く。忘れるわけのない約束。甘い蜜の如く、べたべたとからみつく至福の罠。幼い自分に与えられた、その時分には唯一だった希望。
「じゃあ、みんなは元々いらなかったじゃない。最後にふたりっきりになれたら、それで十分。そう思わない?」
「……そうだけど……」
オリバーは逡巡した。蘇るのは、バカでアホでザコでなんの役にも立たないけど、一緒に世界のゴミ捨て場みたいな場所で生きてきた、かけがえのない仲間、家族の声。
ある日、ヴェーラから指示を受け、彼は素直に家を出た。行き先は治安が悪いと噂の地域だったが、ためらいはなかった。当時は、ヴェーラが彼のすべて、唯一の主だったからだ。辿り着いたそこは、違法建築の立ち並ぶ異様な区域で、反社か多重債務者の根城だと、一目で分かった。
そこには、胎内にいた頃から酒を飲み、手癖で物を盗みドラッグをやり、文字の読み方さえ知らない、そんな子どもたちが集まっていた。なんだかんだで育ちの良いオリバーは、最初こそためらったものの、次第に強さを認められ、リーダー格となった。
以降は暇があればそこへ行き、好きなように過ごし、好きなように怒り、気づけば仲直りし……本来なら家や学校でやるべき感情体験を、全部その掃き溜めでやり直した。そして14歳になり、ヴェーラの指示で、そこに暮らすようになった。やがて、スマホでたくさん写真を撮って、『仲間』というアルバムを作るほど、かけがえのない存在となった。
想起する。ほんの2年前まで、確かにあった、日常を。
『オリバー! なんかこれ面白いらしいぜ!』
『バカ、文字読めねえのに小説パクるやつがいるかよ』
『気になっちまってよお……』
『……仕方ねえなあ、俺様が読み聞かせてやる……って、長! ふざけんな! 今すぐ国語のドリル盗ってこい! 勉強すんぞ!』
学校も行ったことがない手下たちに、文字を教えた日のこと。
『あの……ヴェーラ姐さんのこと好きになっちゃって……』
『ほぉ〜、俺様を差し置いて? じゃあ今からタイマンな』
『ひっ、負けました』
『……戦ってもねえのに? もうちょっと度胸が必要だな。明日から修行するぞ、みんなで』
『俺らも!?』
戦力外と見做されていた非適性者を含めて、みんなでトレーニングしたこと。
『オリバー!』
こだまする。
『オリバー!』
自分を引き止める声、泣き出しそうな声。
『自分たちの誰かが捕まればいい、だからオリバーは……』
かつて耳を塞いだ叫び。
『行かないで!』
切り捨てた仲間たちの心が。
「……みんなは……いいやつだったよ……」
「……オリバー、わがまま言わないで。もう少しの辛抱なの。もう少し……この体を完全に私のものにできたら、」
オリバーは爆発した。大きな声をあげ、泣き叫ぶように主張した。
「この体である必要ある!? 俺チェレーゼのこと嫌いだよ! いや、さっきどっちの姿でも可愛いとは言ったけどさ……やっぱいつもの姿の方が好きだし……! 他の体を手に入れるんじゃダメなの!?」
「私の天啓で完全に乗っ取るにしても、時間制限がある……知ってるでしょ? チェレーゼの人格を殺す以外方法は……」
「そんなことない! だって精神さえあれば……人形でも乗っ取れるじゃん! 魔力は魔道具とか使えばなんとか……!」
「!」
その場にいる全員が、息を呑んだ。全員の希望……ソメヤの作った人形にヴェーラが入り、大団円で終わるというシナリオ、そこに迫っていくからだ。
「ヴェーラ……俺さ、凄腕の人形遣いを見つけたんだ。いつものヴェーラの顔そっくりに、人形を作ってくれる。だからさ、そこに入って、俺と、二人で……」
「うるさい!」
びく、とオリバーの体が跳ねた。
「アンタ、バカなの? 私が今まで、どうしてそれをしなかったかわからないの? この私に、第二の顔をした人造人間に甘んじろと!? 死後の魂があの顔で固定されたらどうするつもり!? それじゃ意味がない……、他の姿では、愛されない……!」
「何を言って……?」
「せめて私と……チェレーゼとそっくりな見た目じゃないとダメ。そうよ、そんなに凄腕なら……頼んできて。実在の人物の人形や人造人間を作るのは違法だけど……なんとかして。器の現物をこの目で見てからなら、考えてもいいわ」
「俺は第二の顔が好きだよ……ヒーローみたいにかっけえ赤色の髪も、つんと高い鼻も、M字の唇も……」
「どうでもいい!」
可哀想なオリバーは、またびくりと肩を揺らした。ソメヤとピグトニャも目を見張る。
「あーもういい……バカだと思ってたけど本当にバカ……大バカ……。ずっと鬱陶しかったの、あんたもういらない。あんたのことは……食い潰す」
不穏な声が聞こえ、ソメヤとピグトニャはどう出るべきか悩み、テレパシーで相談し合った。オリバーは唇を振るわせながら、ヴェーラを宥めようとする。
「ま、まってヴェーラ。何する気?」
「……」
ヴェーラはぶつぶつと、他には聞こえないように口承しはじめた。作戦中止と判断したピグトニャは、ヴェーラの口に指を突っ込み、物理的に詠唱を止めにかかる。ヴェーラはその指を思い切り齧り、抵抗する。
「いってぇ……容赦ねえコイツ……! 防御せよ……!」
「……! ……!」
舌を押さえつけられたヴェーラは、口承もできずもがき続ける。腕を大きく動かして暴れ回り、低魔力状態の病人とは思えない力であらがう。
「これじゃ姉さんの体に負荷がかかるだろうがッ……! 死ねッ……!」
そう、ヴェーラの体はチェレーゼのものである。迂闊に魔法をかけて、負担になって、挙句心中されては困るのだ。ソメヤもどう動けばいいかわからず、ひとまずオリバーを庇うようにキーボードを構え、前に出た。オリバーはそのソメヤを押し除け、必死にヴェーラに声をかける。
「ね、ねえヴェーラ! ごめん! 変なこと言ってごめん! ヴェーラが俺を見捨てるとしても、俺こんな最後嫌だ……! 最後に聞いてもらう言葉が喧嘩なの嫌だ! だから、だから俺の声聞いて!」
「オリバー! こんなヤツやめとけ!」
「好き! 大好き! 愛してる! 俺に声かけてくれてありがとう! 俺を助けてくれてありがとう! 俺に夢見せてくれてありがとう! えーとえーと、あと、それから……」
「もっといい人がいるって! マジで!」
そのとき、ソメヤは違和感に気づいた。一見意味もなく暴れているだけに見えた腕だが……それにしては不自然だ。何か、規則性がある。
「腕! 詠唱してる!」
そうしてソメヤも腕を押さえにかかった。取り残されたオリバーは、ソメヤに腕を押さえられ、ピグトニャに口を押さえられ、それでも醜い芋虫のように蠢くヴェーラに向かって、最後の願いを口にする。
「幸せに生きて!」
そして、オリバーはしばらく黙った。ヴェーラの抵抗も、ぴたりとおさまった。もしかして時間制限か、チェレーゼが帰ってくるのか、と思い、ソメヤとピグトニャは手を緩める……その時だった。
「あれ……なに、これは……!?」
ソメヤの気づきは、遅かった。押さえたまさにその瞬間、彼女の詠唱は終わっていた。
オリバーの姿をした何者かが、戸惑いの声をあげている。作戦は……成功したのだ。




