交渉
「……」
固唾を飲んで見守っていると、10秒ほど経ってから、チェレーゼの瞼がぴくりと動いた。いや、もうチェレーゼではないのだ……。
「ご機嫌よう……皆様。私はヴェーラと呼ばれる人格……本物のチェレーゼ・イグノジーです」
「死ね……」
ピグトニャがごく小さな声で呟いた。恐らく聞こえていたようで、ヴェーラはちらりとピグトニャを見たが、興味なさげにまた視線を戻した。
「ヴェーラ!? 本当にヴェーラ!?」
「ええ、本当にヴェーラよ、可愛いオリバー。ソメヤさん……オリバーを離してあげてくれませんこと? 拘束具を外せとは言いません、椅子に座らせてあげてほしいのです」
「……わかった」
私はオリバーを解放し、椅子に座らせてやる。オリバーは嬉しそうにベッドの近くまで椅子を滑らせ、その手をぎゅっと握りしめた。ピグトニャがかなり複雑そうな顔をする。嫉妬するべきなのか、そうではないのか、判断に迷っているのだろう。
「あっちの顔がいい? ごめんね、魔力がないから変身はできないの」
「いいよ、いい。どっちの顔も可愛いよ、ヴェーラ」
「ふふ、面白い。それでオリバー、どうして来たの? ソメヤさんを仲間にする計画の続きでもしてた? 上手くいってはなさそうに見えるけど?」
「あっ……いや、あのね、違くて。俺、とにかくヴェーラに会って、指示をもらわなきゃって……」
「あはは、だとしても、こんな敵だらけの場所では、何も話せないわ」
「……ヴェーラ……」
私は不審に思ったが、指摘するわけにはいかなかった。ヴェーラがオリバーに乗り移る……それが理想系なのだ。「乗り移れば良いだけじゃないか」、なんて指摘してしまったら、ぜひ乗り移ってください、と言ってるようなもの。不審も不審。
私たちが来ている時点で苦しいが、オリバーを一人でここに置いていくわけにはいかないのだから、あとは賭けるしかなかった。私たちはできるだけ、この状況を自然に見せかける必要があった。天啓の詳細は知らないフリ、口を突っ込みたくても基本はオリバー任せ。とにかくオリバーに頑張ってもらう。だからここは我慢だ。どんなに疑問が膨らんでも、ぐっと堪える。
「……ヴェーラ、俺が防音魔法を使うよ。それならいいでしょ?」
「あら、そんなことお許しいただけるの? この人たちに?」
ヴェーラがこちらを見つめてくる。私はなんと答えるべきか悩んだが、ピグトニャが対応してくれた。
「……認めたくはない。が、認めよう」
「……どうして?」
「俺らも膠着状態は苦しい。このままだと、姉さんごとお前を封印するしかない。それよりは、お前らがなんかして状況が変わる方が、まだマシだ。おかしいか?」
「ふふ、それでオリバーを連れて来てくれたのね。舐められたものね、私たち」
「最長15分だろ。面会時間から少しはみ出るが、延長は交渉してやる。さっさと話したほうがいいんじゃないか?」
「ふふふ……では、ご厚意に甘えるわ」
心の中で、ふう、と息をつく。ピグトニャの機転で、不自然に思われず乗り切れた気がする。だがここで私は気がついた。オリバーは今、魔法が使えない!
「オリバー」
「はいっ、ヴェーラ! えと……キーボード……あ、キーボード忘れた」
「……相変わらず、少しおバカさんね。私も無いわ」
「……私の使う? だいふくっていうの。大事にしてね」
「マジ!? ありがとう!」
オリバーは気づいてるのかいないのかわからないが、ピグトニャは流石に気づいていた。私がポータルからキーボードを取り出す隙に、私たちに指示を出してくれる。
[オリバーは詠唱したフリをしろ。ソメヤはその詠唱に合わせ、俺たちを含めた防音魔法を展開しろ。目で見てわかる魔法じゃないから、高確率でバレない]
[了解]
[俺はほぼ同時に、ソメヤと俺に<ポーカーフェイス>をかける。同時にだ。ソメヤ、合図しろよ。それで魔力の動きをカモフラージュする]
[了解]
<ポーカーフェイス>は変身魔法の一種で、表情の変化が鈍くなっているように見せかける魔法だ。これで、話を聞いて多少驚いたり、動揺したりしてもバレにくくなる。工作員などがよく使う魔法らしい。
オリバーがカタカタとだいふくを打ち、それに合わせ、私とピグトニャがわずかな指の動きで詠唱、同時にEnterを押下して起動する。ちらりとヴェーラを見たが、彼女はオリバーを見つめている。緊張の数秒……おそらくは、上手くいったはず。するとヴェーラは、なぜかこちらを見つめてきた。
「私、あなたたちのしてること、ぜーんぶわかってるわよ。バレバレなお芝居お疲れ様」
「……」
私とピグトニャは反応しない。ハッタリだ、ハッタリだ……。そうは思っても、心臓はバクバクと動く。ピグトニャが、大丈夫だ、とテレパシーしてくれていなければ、もっと酷かったかもしれない。彼女は私たちをじっと見続ける。
「めっちゃ見てくるけど……なんだろ?」
「さあ……」
私とピグトニャは目を合わせて怪訝そうな顔をして、また彼らの監視に戻った。そうしてやっと不信感が拭えたのか、ヴェーラはオリバーを見る。
「……大丈夫そうね。ちゃんと効いてる」
「俺ちゃんとできた!?」
「できたできた。いい子ね」
やっと私は安堵した。ここからは、オリバーにかかっている。




