分霊の願い
「……ソメヤ様」
「チェレーゼ! 会いにきたよ」
「……ヴェーラではないですね。どうやってここに……いや。私はオリジナルではない……ここはいつもの場所じゃない。そうですね?」
「そう。私の固有魔法であなたを呼んだ……造った? ……多分」
チェレーゼは精神世界というものに慣れているらしく、驚きもせずに空間をちぎって、粘土みたいに遊んでみせた。病院のベッドで寝ている本物よりも、いくらかふくよかで元気そうに見える。
「ヴェーラについて考えても……頭が痛くない。通常の精神世界同様……ヴェーラと私は引き離されていますか?」
「可能性はあるね。君はチェレーゼの分霊……チェレーゼ・イグノジーの記憶だけを持った、ただの霊だから」
「都合の良いことです。流石ソメヤ様」
チェレーゼは少し目を閉じた。すると、見慣れたテーブルと椅子、ティーポットやコースター、暖かい日差しが、場に現れた。神官用宿舎……私とチェレーゼが、少し前まで暮らしていた場所だ。もう懐かしい。
「慣れてるね」
「眠っているとき……私とヴェーラは対話しています。激しい戦いになる日もあれば、穏やかな会話をする日もあります。おかげでずいぶん、霊界というものに慣れました」
「霊界……」
「霊というのは、幽霊のことじゃないですよ。人の魂が在る場所です。もっとも、その所在地が、物理的にどこなのかは未だ不明です。どうぞ、おかけになってください」
「うん」
私は腰掛けた。彼女はお茶を淹れるが、自分の分だけだ。
「霊界のものは飲まない方が良いですよ。私は飲みますが」
「そうなんだ」
「ヴェーラの天啓の話でしたね。あくまで推測であるということを前提に聞いてください。気絶する前話したように……彼女の天啓はおそらく、自身を愛する者に乗り移る力、です。だから、誰彼構わず乗り移ったりはしないし……ソメヤ様の前にも姿を現した」
「そっか……自分を知ってもらわないと、乗り移れないから……」
「そう。土台にさえ立てない。リスクを冒してでも、あなたが欲しかった」
チェレーゼはお茶を啜る。私には香りさえわからない。私はここの住人ではないからだろう。
「実際、正しいかも……私はヴェーラに、一種の同情を持ってる。ずっと。ピグトニャに怒られたよ」
「ふふ。じゃあ、いくら話しても危険度はさして変わらないですね」
「多分ね。だから情報が欲しいかな」
「じゃあ、遠慮なく。夜な夜な語り合う時……あの子が言うのは、いつも恨み言です。まだ子どもなんです……私に人生を奪われたから。だから、子どもの頃の恋心を、ずっと抱えている」
私は、ヴェーラのステータス、その備考欄を思い出した。
「……ユーシャのこと?」
「そうです。……ヴェーラにとってのジレンマは……彼が好きなのは私であって、ヴェーラではないということです。自惚れではないですよ。昔、プロポーズされたんです。だから、私の体が必要……自分の体である以上に、私の体であることへの執着がある。出ていくことはないでしょう。……ユーシャにはもう、会えないだろうに」
「……」
「私を倒して、寝かせるだけでは足りません。それではいつか、私が目覚めるかもしれない。彼女は完璧な勝利を……私という人格の破壊、死、そしてユーシャからの愛を求めています。ユーシャは目覚めない、そう言ったところで、聞く耳を持ちません……何か、手立てがあるのかもしれませんし、未熟さ故に受け入れられないのかもしれません。そこまではわかりません」
「……」
「ただ、間違いなく、ハムストリの箱……あれで何かをしようとしています。箱そのものの概要は、ピグトニャに聞いてください。あれには、莫大な魔力が詰まっている……ソメヤ様での実験は……自分の管理下に、ハムストリの箱をおいておきたいだけ。なにか理由をつけて外部へ持ち出すために、仕方なくやってたんでしょう。どう説得したかは知りません。拷問しても、何も吐き出しません。今、自分の手元にないことに、イライラしてる様子です」
「なるほどね」
チェレーゼの指は、ティーカップに触れたまま、そこで止まる。
「ヴェーラを殺す方法をずっと考えているのですが……精神世界で何度殺しても、死なないんです。意味がない。眠りさえしない……。しかも、彼女は今……私に、天啓が使えます」
「それは、つまり……」
「ええ……私は彼女を、愛しています。当然です……私は、彼女のために生まれたのだから」
そうして、その手はテーブルの下に落ちてゆく。顔もわずかに俯く。チェレーゼ本人の影とティーカップの影が溶け合い、ひとつになる。
「彼女を思い出したことで、私は弱くなりました。彼女の付け入る隙を与えた……今までは夜、しかもごく短時間しか動けなかった彼女が、私の精神に直接打撃を加えられるようになった。だから……ヴェーラも、この機を逃すまいと、必死になっています。日に日に……。私を昏睡させるなら、二度と起こしてはいけない。そのとき、私はきっと負けている。私は第二の人格……基本人格は殺せない。けれど、基本人格側は……私を殺せるかもしれない。固有魔法もある。8時間……8時間やり過ごすだけでも、なかなか難しい。この8時間、私の心の支えは、あなたたちです。でも……面会もできない、二度と会えないかもしれない、そんな状態では……どこかで、私は折れてしまう」
「……」
「私が分霊ということは……オリジナルに、ソメヤ様と話した時の記憶は伝わらない。この魔法を通じて、オリジナルの精神状態を安定させることはできない。昏睡状態では、普通の精神魔法は効かない。一度昏睡させれば、オリジナルにも、ヴェーラにも、接触する手立てはありません」
「……」
「だから……起こしてはいけません。そこまでするなら……いっそ殺してください。そうすれば少なくとも、国難は去る。私たちは……敗北した。そう見るべきです」
私は顎に手をついて考えた。国難……そこまで大きいことなのだろうか。私が問いかける前に、まるで心を読んだかのように、チェレーゼが答えた。
「ヴェーラは、別に世界を壊したいわけではありません。ですが、浅はかで幼稚……人生経験のない子どもが、私と同じ権力や知識を得たら……待つのは、破滅のみ。最悪……世界が壊れてしまうこともありえる。ソメヤ様がジムを壊したように、うっかりと」
「……でもね、チェレーゼ。私たち……世界とかより、あなたのためにヴェーラと戦ってるの。世界なんかどうでも……よくはないけど、あなたがいないと意味がない。殺す選択肢は取れないよ」
「……」
「生きていて……死なないで。全部終わったら、ユーシャとピグトニャとチェレーゼの……3人の夢を果たしに行こう」
チェレーゼは少し驚いて、「ピグトニャはそこまで、ソメヤ様を信頼しているのですね」と言った。そうらしい、と答えると、彼女はくすくすと笑った。オリジナルには、できるだけ情報を与えたくないから、新しいことは何も言えてない……けれど、これから死にゆく分霊にだけは、こんなに仲良くなったのだと、そう自慢したっていいだろう。
「ソメヤ様。私はこのまま消えるのでしょう?」
「……うん」
「それなら……消えゆく私だけに……ひとつ、教えてほしいことがあります。オリジナルには言わないで……もしかしたらオリジナルは、わからないまま死ぬのかも。そう思いたい。私は知った。オリジナルに勝った。それが慰めになります」
彼女は、二人きりだというのに、何かから隠れるようにヒソヒソと耳打ちした。それがおかしくて、私も、同じくらい小さな声で答えた。それを聞いたチェレーゼの分霊は、ゆっくりと頷いた。そして、満足したように、私を追い出し……つまり、消滅した。




