初めての罪
「チェレーゼが二重人格というのは……言われれば、納得いく部分がある。時々、人が変わったように感じることがあった……昔から。夜が多いかな。雰囲気とか、所作、表情が……ちょっと違うんだ。時々ね。
それで、もうひとりの方が、僕のことが好きだと……そっか。じゃあ僕は、とんだ勘違いをしていたんだな。僕は……チェレーゼが好きなんだけど、チェレーゼも僕を好きなんじゃないか、そう思うとき……それはいつでも、あの、人が変わったような感覚と一緒だった。僕に応えてくれたのも……きっとそうだね。だって、普段のチェレーゼは、僕のことなんかまったく眼中になさそうなんだ。なのに時々、あんな顔するから……だから好きになったのに、そういうカラクリだったなんてね。こんなに長い付き合いなのに、いまだに知らないことがある。ミステリアスな子だ……。
いつ頃からいたのか……ずっといたんじゃないかな。話しても、せいぜい二言程度だよ。長い会話はしたことない。だって、大体夜なもんだから……眠いし、すぐ寝なきゃいけない状態。長く話すことはない。悪いことをしてるようには見えなかった。嬉しそうに僕を見るだけ。少し幼い感じがしたかな……無邪気というのかな。もっと話しておけばよかったね。
倒れたときのこと? 覚えてない。チェレーゼに……チェレーゼじゃないのか。ヴェーラ? それが、あの子の名前? ……覚えておくよ。とにかく、受け入れてもらえて、嬉しくて……よかった、と思った、それ以降の記憶はない。あのとき、攻撃を受けた感覚はなかった……そもそも、意識を失ってたということ自体、今こうして起きてみて、初めて気がつく感じ。あまり役に立たなくてごめんね。
ヴェーラ、ヴェーラか……いや、なんか、名残惜しくてさ。覚えておくって言ったけれど……多分覚えておけない。なんとなくわかるんだ。僕はいわゆる分霊……ユーシャ・リリヴェージュの記憶と人格を持った人工的な霊で、多分、本人じゃない。これ、固有魔法でしょう? もう一度使ったら……僕は君に、はじめましてと言うんじゃないかな、多分。意識が連続するのは魔法が継続する間だけ……そんな気がする。
それ以上の情報はないんだけど……ねえ、図々しくもお願いできるなら……ピグトニャに伝えてくれないかな。僕の隠しポータルの中に、手紙があるから読んで欲しいって。パスワードは……」
「それは大丈夫。悪いけど、勝手に読んだ」
「……なんだ。ピグトニャは何か言ってた?」
「……兄さん、って。それだけ」
「そう……ありがとう」
ユーシャの表情は最初と比べてかなり和らいでいた。ふたりの話ができて嬉しい、そんな感情が伝わってきた。
「さっき言ったとおり、僕は分霊だと思うから……もしまた来たときは、面倒だろうけど、僕の信頼を勝ち得るところからやってくれ」
「本当に面倒すぎる」
「ははは。冗談だよ。次来て、もし僕に記憶がなさそうなら、こう言ってくれないか……『もしもし、こちらは無事ですが』って。子どもの頃作って、実戦でも使ってた合言葉なんだ。僕は『特に問題ありません』と答える。あるいは、なんでそれを? みたいな反応をするから、『特に問題ありません』って言ってくれたらいい。信用ならない人には教えない……ピグトニャやチェレーゼもそうだろう。多少楽になると思う」
「ありがとう。助かるよ。……ところで、分霊って……私が魔法を解いたらいなくなるの? それって、死ぬみたいな感じ?」
「まぁ、死と言えば死かもね……生命の定義によるかな。ゴーレムとかに乗り移ればあるいは……、でもそれには、魂に触って移せるような、凄腕霊媒師の力添えがいる。君は霊媒師ではないんだろ? たまたまこの力が分霊を産んだだけなら……諦めるしかないね。それに……生かす意味もない。分霊ってのは道具なんだ。産むたびにその生き死にを気にしてるやつなんか、どこにもいないよ」
「でも、気になっちゃった」
「ありがとう。それで十分」
さよなら、と彼は手を振った。もう話すべきことはないと判断したのだろう。追い出されるように世界が縮んでゆく。弾き出される──。
「──ソメヤ!」
はっ、と目を覚ますと、私はピグトニャに肩を掴まれ、揺さぶられていた。目の前の彼は、泣き腫らした真っ赤な目でこちらを見ている。
「……あー……私、どのぐらい寝てた?」
「知るかッ……俺もさっきおまえの方見て、そしたら……反動かと思ったのに、揺さぶっても気づかないから……驚いて……」
「ごめんね、なんか、新しい魔法が使えるようになったみたいで……」
「おまえまでッ……」
ピグトニャの手の力が強まる。散々泣いたであろうはずなのに、また一筋の涙が流れる。
「今、おまえまで失ったら……!」
以前にしてやったように、その頭を撫でながら、大丈夫だと慰める。ピグトニャの精神も限界だ。壊れかかっている……この9年間、少しずつ壊れていっていたのが、強い刺激で、限界を迎えそうになっている。彼もそれを自覚しているのか、私の胸に頭を預けながら、必死に訴えた。
「俺に<正位置>をかけてくれ……できるだろ……」
「泣きたいときは、泣いた方がいいと思うけど」
「もう十分だ……さっき、たくさん、ユーシャと……兄さんと話したから……おまえなんかのために、泣く分はない」
「ふふ、そっか。それもそうだね」
私は彼に<正位置>をかけた。彼の心の荒れ狂う波が、一点に集中する。上昇した体温も、肩を掴む力も、急速に緩み、彼は無表情へ戻った。
「……取り乱して悪かった。もう出よう。パパと会うつもりだったけど……この顔じゃダメだ。疲れたし」
「……まあ、急ぐことないよ。ゆっくり寝てからでもいい」
「急ぐことはある。あるけど……俺の精神が壊れたら……全部ダメになる」
「<正位置>ってすご、全部冷静に見れるじゃん。どこまでメタ認知できるの?」
「その遊びは無駄で無意味ってのがわかるぐらいまで」
人の心、精神……なんて脆弱なシステム。それでも、彼の中に揺るがない何かを感じる。それが魂なのか、他の何かなのかは、わからない。でも……。
──ピグトニャ、あなたのそれが罪だというならば、私のこれも罪だとしよう。私もユーシャを殺してしまった。多分、あと何回でも、それが必要なら……殺すだろう。殺したくはない、殺さない次善の策を、そんなふうに言っていたのに……こんなにも、あっけなく。だから、私も苦しもう。優しいあなたが9年間、誰にも言わず、苦しんできたように。
最後に、少しだけ、と時間をもらって、もう一度<霊界の読者>を発動させる。
「こんにちは」
「……どちら様ですか?」
「……さようなら。私を追い出せますか?」
ユーシャは怪訝な顔をしながら、ぱちんと指を弾いて、私を追い出した。現実へと帰ってくる。もう、二人殺したことになる。この魔法は……かなり危険だ。自分の意思では閉じれない。分霊の方に私を帰す意思がないと……帰れなくなる。ヴェーラにも……他の者にも、容易には使えない。
「帰ろっか」
「そうしよう……寮まで送ろうか」
「いいよ。まだ明るそうだし、たいして遠くないから」
「わかった」
こうして、私たちはセレンゼ神殿を去った。ユーシャの体内に、ハムストリの箱を残して。




