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ノック

 なんでここに私が必要なんだ、という気持ちでピグトニャの様子をみると、彼は耳まで真っ赤にして固まっていた。小さな声で、ボソボソと抗議する。


「あの、いいけど、人前でそういう、湿っぽい発言は……」


 それはピグトニャが言えたことではない。


「あら、人前じゃなければ何をしてもいいんですか?」

「いやっそうじゃなくて……姉さん! いい加減に……」

「ふふふ……あら」


 まるで初々しいカップルの如きやりとりを楽しんでいたチェレーゼの動きが、突然、ぴたりと止まった。眉間に皺を寄せ、両手に力がグッと入る。異変を察知したピグトニャは、ゆっくり椅子をずらし、チェレーゼの頭の方まで近づいて、解放されている方の手で頭を撫ではじめた。大丈夫かと問いかけると、応答できないチェレーゼの代わりに、「頭痛がしてるんだ……撫でると和らぐらしい」と返してくる。しばらくそれを見守っていると、徐々にチェレーゼの顔が緩んでいき、じわじわと瞼が開いた。


「……ヴェーラですね。あの子、こちらのこと見えてますから。私が楽しそうにしていると、気に食わないのか、ノックするんです。しかも、わざと痛くするんです!」

「私たちと話してることは全部筒抜けなの?」

「ええ。防ぎようはありません……私が認知したことが、全部共有されてるみたいで。こっちは向こうのことわからないのに、生まれた時からいるからってズルいですよね。基本人格特権ですよ。なのであんまり暇なときは、ヴェーラが嫌がりそうなことを考えてます。主人格特権です」


 どんな内容なのか少し気になる。


「自分の別人格が敵だと、そんな子どもじみたバトルになるんだ」

「ええ。でも、この貴重な面会時間をそんなしょうもないことに消費するのは、嫌ですね」


 チェレーゼは口承でなにやら呟き、10秒ほど経ってから、はぁ、とため息をついた。


「これでしばらくはいいでしょう……キーボードも没収されてるんです。おかげで口承しかできません。ソラージル式口承を少し習ってて良かった……便利です、これ」

「そんなに便利なの?」

「ピグイタン式と違って、口承だけで高度な魔法が完結しますからね。裸でも戦えるのが、ソラージル式口承のいいところです。国の振る舞いはいただけませんが、このシンプルな詠唱法を頂きに向かわせる……そんな人の営みには、感嘆します」

「私もやろうかな〜」

「やめとけ。俺やソメヤみたいな感覚派には向いてない。複数の詠唱法を組み合わせるのは、姉さんみたいな理論派の方が上手い。俺らからしたら肌触りが違いすぎるが、姉さんからしたら、同じ魔法という理論で動く以上は組み合わせが可能なパズル……才能の種類が違う」


 なるほどねえ、と頷く。私からすれば二人とも大天才に見えるが、中身はまるっきり違うのだ。そして自分が、少なくとも片方……ピグトニャの上位互換だと本人から言われていることが、やはりいまだに信じ難い。思いを巡らせていると、「話は変わるのですが」とチェレーゼに声をかけられた。


「宣言しておきたいことがあります……ヴェーラにはどうせ聞かれていますから、この肉声で……伝えたい」


 どうしたの、と問いかけると、彼女はゆっくりと時計を確認する。面会時間は残り5分に迫っていた。最後がこんな話題ですみません……、と、チェレーゼはつぶやく。その顔があまりに憂鬱そうだったので、休みのたびにくるよ、大丈夫だよ、明日も来れる……そう言ったけれど、弱々しく目を逸らし、話させてくれ、という意思表示をされた。


「ソメヤ様。本当に……こんなことになって、すみません。愚かでした」

「いいよ、そんなこと。誰も愚かなんて思ってない」

「いいえ、愚かでした……ヴェーラと心中しようとするなんて。一種の錯乱状態だった」


 そこに至るには、私の狂言自殺だって影響を与えているに違いないのに。あなたひとりの責任ではない、ひとりでは背負えないのに。お前らのせいだと罵ったって構わないのに。でも、私は押し黙り、チェレーゼがいなくならないように、見つめる。


「今は私、この体を渡したくありません。……あなたたちを、失いたくありません」


 そうして彼女もゆっくりと、私たちふたりの顔を、交互に見つめる。愛おしげに。


「私は戦います。もう慈悲はかけません。あのときの甘さが……この結果を産んだのだから」


 あのとき、とはなんだろう。オリバーを拷問しようとしていたときのような、仄暗い覚悟が感じられる。きっと良くないことだ──直感的にそう思ったが、肝心の中身がわからないので否定もできない。彼女の長いまつ毛が、塞ぎ込むように瞳を縁取り、その陰鬱さの中には、あのときのナイフのようなきらめきが瞬いていた。思わず、ピグトニャの手を包み込む彼女の両手に、私も手のひらを重ねる。


「私は今度こそ……今度こそヴェーラを、」


 病人らしい目が、大きく見開く。痩せて筋張った手に力が入り、ますます骨の硬さを感じる。私たちは待った。時計の針はついに1分前に迫り、秒針が回り始めた──。


「──殺してみせます」

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