第3話
そう思った。
あるいは――
それ以上の何かか。
「じゃあ、決めるね」
美月が言った。
「昭人くん、偶数と奇数どっち?」
「偶数で」
即答だった。
「オッケー。偶数なら三人で、奇数なら私たち二人」
私はサイコロを手に取る。
ひんやりとした感触。
(これで決まるのか)
美月と目を合わせる。
ほんの一瞬だけ、真剣な空気が流れた。
「いくよ」
「うん」
同時に、サイコロを転がす。
コロコロと乾いた音が、床に響いた。
回る。
回る。
そして――
止まった。
「……」
「……」
数字は、三と五。
合計、八。
――偶数。
私は息を吐いた。
隣で、美月も小さく息をついている。
顔を見合わせる。
ほんの一瞬、複雑な表情が浮かぶ。
でもすぐに、美月は笑った。
「これで決定だね」
そして、昭人くんの方を見て言った。
「神様は、あなたを選んだみたい」
その言葉が、なぜか少しだけ引っかかった。
私は軽く笑って、続ける。
「……よろしくね」
「よろしくお願いします」
昭人くんは、いつも通りの落ち着いた声で答えた。
そのまま、眼鏡を少しだけ押し上げる。
――その仕草が、また印象に残った。
こうして。
私たち三人の卒業旅行が、決まった。
くじ引きで。
――神様の決定、ということらしい。
その時の私は、まだ分かっていなかった。
この“偶然”が。
本当に偶然だったのかどうか。
美月と私は、何人かの女友達に声をかけて回った。
「卒業旅行、一緒に行かない?」
そんな軽いノリで誘ってみたけれど――
返ってくる答えは、どれも似たようなものだった。
「ごめん、ちょっと予定があって」
「バイト外せなくてさ」
「家の都合があって無理かも」
結局、誰も来られなかった。
(まあ、そうだよね)
卒業前のこの時期は、みんなそれぞれ忙しい。
分かってはいた。
それでも――
ほんの少しだけでも人数が増えれば、
“卒業旅行らしさ”が出るんじゃないかと思っていた。
正直に言えば、
昭人くんと三人、という状況に、まだ少し慣れていなかったのかもしれない。
でも。
くじで決まった以上、それも含めて受け入れるしかない。
こうして、私たちの卒業旅行は――
三人で行くことが、正式に決まった。
数日後。
最終の打ち合わせをするために、私たちはファミレスに集まった。
夕方の店内は、どこか落ち着いた空気が流れている。
ドリンクバーのグラスを持って席に戻ると、美月が言った。
「ねえ、奈々。私、イギリスの大英博物館に行きたいんだけど、どう?」
私はほとんど迷わず答えた。
「いいよ。私もロンドン行ってみたかったし」
その言葉に、美月は嬉しそうに笑った。
「あとさ……エジプト」
少しだけ声のトーンが変わる。
「この前言ってたよね?何日くらい考えてるの?」
「うーん……四、五日くらい?」
「えっ?」
思わず声が出た。
「それ、ほぼ半分じゃない?」
全体の日程の中で考えると、かなりの割合だ。
「行けるの?」
そう聞いた瞬間だった。
「行けるよ」
昭人くんが、当たり前のように口を挟んだ。
私と美月が同時に彼の方を見る。
「例えばだけど、直行便が出ている都市を軸に組めばいい。日本からロンドン、そこからローマ。ローマ経由でエジプトに入る。帰りはカイロから日本に直行便がある」
スマホを見るでもなく、さらっと言う。
無駄がない。
(……すごい)
思わず、そう思った。
「ローマって……バチカンあるよね?」
美月が言う。
「うん。バチカン美術館」
「え、でもバチカンって国でしょ?ローマから入れるの?」
私がそう言うと、昭人くんはすぐに答えた。
「地下鉄で行けるよ。普通に入れる」
あっさりしている。
でも、確信がある。
(本当に、何でも知ってるんだ……)
その瞬間、少しだけ見方が変わった気がした。
最初に感じた違和感が、ほんの少しだけ薄れる。
「じゃあ、決まりじゃない?」
美月が言った。
「日本からロンドン、ローマ、でエジプトのカイロ」
その並びを聞いて、私はふと思った。
(なんか……聖書コースみたい)
イギリス。
ローマ。
エジプト。
嫌ではない。
むしろ興味はある。
でも――
頭のどこかで、別の風景が浮かんだ。
エッフェル塔。
凱旋門。
セーヌ川。
「……あのさ」
私は少しだけ遠慮がちに言った。
「フランスって難しい?エッフェル塔とか、ちょっと行ってみたいなって」
一瞬、間が空く。
そして。
「ああ、フランスね」
昭人くんが言った。
「僕は前に行ったことある」
「私も」
美月も続ける。
(……そっか)
その一言で、なんとなく理解した。
この流れでは、フランスは入らない。
私は小さく頷いた。
「じゃあ、このプランでいいよ」
自分でも少し不思議だった。
(なんで、こんなにすんなり引いたんだろ)
――イエスにならって、自己犠牲。
ふと、そんな言葉が頭をよぎる。
(いやいや、何それ)
心の中で自分にツッコミを入れて、少し笑った。
こうして、旅のルートは決まった。
ロンドン。
ローマ。
そして――エジプト。
その日から、それぞれが準備を始めた。
パスポートはすでに手元にある。
あとは細かい荷物や、必要なものを揃えていくだけ。
数日後。
昭人くんから連絡が来た。
「航空券とホテル、全部押さえました」
その一文に、私は思わず画面を二度見した。
(え……もう?)
詳細を見ると、日程も、移動も、宿泊先も、すべてきれいに整っている。
無駄がない。
「すごい……」
思わず声が出た。
「ありがとう」
そう送ると、すぐに返信が来た。
「いえ」
それだけだった。
準備は、整った。
あとは――
体調を整えて、出発の日を待つだけ。
その時の私は、まだ思っていた。
これはただの卒業旅行だと。
少し特別で、少し変わった、
でも結局は思い出になるだけの旅だと。
――そう、思っていた。




