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第2話

私は自然と、隣の昭人くんに視線を向けた。


「昭人くんは?」


彼は少しだけ考えてから、口を開いた。


「僕はヨーロッパがいいと思うけど。あとは日数と予算かなと思います。」


落ち着いている。


無駄がない。


その言葉に、私は思わず美月と目を合わせた。


(同じだ)


私たちも、なんとなくヨーロッパを考えていた。


私はバッグからメモを取り出した。


「一応……予算はこれくらいで、って前に決めてて」


昭人くんはそれを見ながら、眼鏡を指で押し上げる。


「なるほど。これなら――イギリス、フランス、イタリアは問題なく回れるね」


(やっぱり、ちゃんとしてる)


そう思った、その時だった。


「あと……エジプトも行けると思う」


「……エジプト?」


思わず聞き返す。


「ピラミッドとか、面白いよ」


その言い方に、少しだけ違和感を覚えた。


(なんか……この人の趣味じゃない?)


彼の頭の中には、もう“行きたい場所”があるように見えた。


私は軽く笑って、美月の方を見た。


「最初の三か国で十分じゃない?」


そう言うと、美月は一瞬だけ考えて――


そして、言った。


「……エジプト、行きたい」


「え?」


思わず声が出た。


「私が行きたいの」


まっすぐな目だった。


「この前の小説……『ヤハの灯を継ぎし者』。あれ、たぶんヨーロッパっぽいけど……でも」


少しだけ言葉を探してから、続ける。


「なんとなく、エジプトって感じがして」


意味は、完全には分からなかった。


でも――


「ヤハ」という言葉が、頭の奥でかすかに引っかかる。


エジプト。


旧約聖書。


モーセ。


海を分ける奇跡。


授業で習った断片が、ぼんやりと浮かぶ。


(……まあ、話のネタにはなるか)


それくらいの感覚だった。


私は軽く息をついて、言った。


「じゃあ……エジプトも回ろうか」


美月の表情が、少し明るくなる。


「だったら、どれくらいの日数いるの?」


私は昭人くんに向き直った。


「十日あればいけると思う」


即答だった。


計算されている。


「ところで、昭人くんは日程とか大丈夫なの?」


私が聞くより先に、美月が答えた。


「この人のお父さん、外交官なんだって。お金持ち」


一瞬の沈黙。


昭人くんは、否定しなかった。


ただ、少しだけ眼鏡を直した。


――その仕草が、なぜか印象に残った。


この時の私は、まだ気づいていなかった。


この選択が。


この「エジプト」という一言が。


私の人生を、大きく動かすことになるなんて。


家に着いた、ちょうどその時だった。


スマホが震える。


画面を見ると、美月からのメッセージだった。


――今、話せる?


短い一文。


私は少しだけ間を置いてから、電話をかけた。


「もしもし?」


『あ、奈々?』


少し安心したような声だった。


『今日はごめんね。突然、昭人くん連れてきちゃって』


「全然いいよ」


そう答えながら、私はバッグをソファに置いた。


『よかった……。ちゃんと相談してなかったからさ』


美月は少し言いづらそうに続ける。


『帰り際に、同じ学部の子たちと卒業旅行の話してたら、急に紹介されて。あんな感じの人だから、逆に安心かなって思って』


「ああ……うん、それは分かる」


正直な感想だった。


悪い人ではなさそうだし、むしろ真面目そうだ。


それに、知識もある。


父が言っていた「安心できる人」という意味では、かなり理想に近いのかもしれない。


でも――


「たださ」


私は少しだけ言葉を選んだ。


「昭人くんが一緒ってなると……なんか、卒業旅行って感じしなくない?」


一瞬の沈黙。


そして――


『……私も』


思わず、二人で笑った。


「だよね」


『どうする?』


美月の声が少しだけ真剣になる。


私は答えを探そうとして、言葉に詰まった。


正直なところ、どちらでもいいような、よくないような。


そんな曖昧な気持ちだった。


すると、美月が言った。


『ねえ、くじ引きで決めない?』


「……くじ?」


思わず聞き返す。


もう少し話し合えばいいんじゃないか――


そう言いかけて、やめた。


(……くじの方が、諦めがつくかも)


自分でそう思って、少しだけおかしくなる。


何に対する“諦め”なのかは、よく分からなかった。


「……うん、いいよ」


そう答えると、美月がすぐに続けた。


『あ、でも電話じゃできないね』


「たしかに」


『明日、サイコロ持っていく』


「わかった」


電話を切ったあと、私はふっと笑った。


(丁半博打じゃないんだから……)


少しだけ、古い気がした。


翌日。


授業が終わると、私たちは一階のエントランスの隅に集まった。


人の流れが少し落ち着いた、静かな場所だった。


そこに――


なぜか、昭人くんもいた。


「……なんでいるの?」


思わず小声で美月に聞く。


「立ち会い」


さらっと言われて、私は苦笑した。


(いや、当事者なんだけど……)


そう思いながらも、何も言わなかった。


美月は小さなサイコロを取り出した。


「でもさ、美月」


私はふと気になって聞いた。


「なんで、くじ引きにしようって思ったの?」


美月は少しだけ考えてから、答えた。


「聖書でさ、公正に決めるときって、くじを引いてたでしょ?」


――ああ、そうか。


私はなんとなく頷いた。


(やっぱり、美月の方が“知ってる”な)


前から感じていたことだった。


私よりも、少しだけ聖書に近い。


「だから、これは――神様の決定ってことで」


そう言って、美月は昭人くんを見る。


「昭人くんも、それでいいよね?」


「はい」


迷いのない返事だった。


私はふと、違和感を覚えた。


(……これって)


本人を目の前にして、


「一緒に行くかどうか」を決める。


少し、残酷じゃないか。


でも――


昭人くんは、まったく表情を変えなかった。


動じる様子もない。


(……どっちでもいいってこと?)

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