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第1話

私は、一ノ瀬奈々。


ミッション系の大学に通う四年生だ。卒業は、もうすぐそこまで来ている。


そもそも、この大学を選んだ理由は単純だった。


高校からの内部進学というのもあったけれど、一番は父の一言だ。


――これから世界に出るなら、語学とキリスト教くらいは知っておけ。


父は外資系の企業に勤めていて、海外出張も多い人だった。


文化や価値観の違いに触れてきたからこそ、そう言ったのだろう。


確かに、国が違えば考え方も違う。


それは分かる。


でも――


だからといって、信仰に興味が湧くかといえば、話は別だった。


礼拝の時間。


みんなが当たり前のように「アーメン」と言う中で、私はいつも、心のどこかで引っかかっていた。


(……アーメン、って何に対して?)


口には出す。


でも、思ったことは一度もない。


そんな、どこか距離を置いたままの大学生活だった。


私には、高校の頃からの親友がいる。


森下美月。


何でも話せる、唯一無二の存在だ。


二人でお茶をしたり、買い物に行ったり。


たまにゲームをして、どうでもいいことで笑い合う。


そんな時間が、当たり前のように続いてきた。


最近、私たちの中で一つだけ共通の“ブーム”があった。


Web小説だ。


きっかけは、美月だった。


「これ、ちょっと面白いかも」


そう言って見せてくれた一作が、不思議と心に残った。


それから、二人で同じ作品を読むようになった。


――その小説が、私たちの運命を変えることになるなんて。


その時は、思ってもいなかった。


タイトルは、


『ヤハの灯を継ぎし者』。


正直に言えば、最初は軽い興味だった。


「ヤハ」という言葉が出てきたとき、少しだけ引っかかった。


聞いたことはある。確か――ヤハウェ。旧約聖書の神の名前。


授業でも何度か出てきた。


でも、それだけだ。


知識として知っているだけで、意味を考えたことはなかった。


読み進めると、そこには一人の少年がいた。


クリス。


旅を続ける中で、彼は何度も「ヤハの導き」を口にする。


祈り、信じ、そして進む。


時には“使い”――おそらく天使のような存在まで現れる。


正直、現実離れしていると思った。


それでも――


どこか、引き込まれた。


「クリスって、純粋だよね」


ある日、カフェで美月が言った。


「うん……私たち、ちょっとは見習わないとね」


そう返しながら、私は苦笑した。


だって、現実の私たちは――


「ねえ、礼拝のとき何考えてる?」


「……別に」


「私も」


顔を見合わせて、笑う。


信仰心なんて、どこにもない。


ただの“知識”としてそこにあるだけ。


それなのに。


あの物語の中の、クリスのまっすぐさだけが、


なぜか胸の奥に残っていた。


気づけば、もうすぐ二月だった。


授業もほとんど終わり、大学に通う理由も少なくなってくる頃。


私たちは、卒業旅行の計画を立てていた。


もちろん、美月と二人で。


実は――


私たちは、同じ外資系企業に内定していた。


偶然にしては、出来すぎている。


「こんなこと、ある?」


「ね、ちょっと運命感じるよね」


そう言って、私たちは軽くハグをした。


海外でよくある、あの挨拶の真似だ。


「練習ってことで」


「ははは」


笑いながら、少しだけ未来を先取りする。


本当は、最初はもう少し大人数で行く予定だった。


仲のいい友達を集めて、四人か五人で。


でも父が言った。


――英語ができる男の子もいた方がいい。海外は日本ほど安全じゃない。


現実的な理由だった。


経験からくる言葉だということも、分かっていた。


「じゃあ、誰誘う?」


そんな話をしながら、私は家を出た。


今日は、美月と会う約束をしている。


旅行の計画を詰めるために。


――この時の私は、まだ知らなかった。


あの小説が。


あの出会いが。


私の人生を、大きく変えることになるなんて。


いつものカフェに着いた。


ガラス越しに中を見渡す。


まだ美月の姿はない。


(珍しいな)


そう思いながら、先にコーヒーを頼んだ。


卒業旅行――


行き先は、まだ決まっていない。


というより、決めていなかった。


きっと、美月と話しているうちに自然と決まる。


そんな、いつもの感じでいいと思っていた。


カップから立ちのぼる湯気をぼんやり眺めていると、


入口のベルが鳴った。


顔を上げる。


「あれ?」


美月が入ってきた。


――ただ、一人じゃなかった。


隣に、男の人がいる。


一瞬、時間が止まる。


(え……彼氏?)


そんな言葉が頭をよぎる。


美月はすぐに私に気づいて、軽く手を振った。


「ごめーん、ちょっと遅くなった!」


「う、ううん……」


それよりも、隣の男性から目が離せなかった。


席に着くなり、美月が言う。


「紹介するね。同じ学部の昭人くん。語学堪能で、海外も慣れてるの」


「高坂昭人です。よろしくお願いします」


落ち着いた声だった。


「こ、こちらこそ。一ノ瀬菜々です」


私は少し慌てて、ぺこりと頭を下げた。


正直に言えば――


第一印象は、少し意外だった。


丸みのある体型に、ずれかけた眼鏡。


どこか、いかにも“勉強が得意そう”という雰囲気。


(この人が……?)


思わずそんな疑問が浮かぶ。


美月が、少し申し訳なさそうに続けた。


「勝手に連れてきてごめんね。この前さ、男の人もいた方がいいって言ってたでしょ?私もそう思って」


「……ああ、うん」


父の言葉が頭をよぎる。


――海外は日本ほど安全じゃない。


そう言われれば、納得はできる。


話を聞くと、昭人くんは三か国語を話せるらしい。


英語、フランス語、イタリア語。


地理にも詳しくて、海外経験もある。


(……確かに、父は喜びそう)


理想的な“同行者”かもしれない。


でも――


どこか、しっくりこなかった。


卒業旅行。


その言葉から思い浮かべていた空気と、少し違う。


それに、彼がどんな人なのかも、まだ分からない。


(やっぱり、女子だけの方がよかったかな……)


そんな気持ちが一瞬よぎる。


でも、私はそれを押し込めた。


今は、旅行の話だ。


「で、どこ行く?」


美月がメニューを閉じながら言った。


「美月は?」


「ほぼノープラン」


やっぱり、そうだ。

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