第15話
もっと大きな建物を想像していた。十字架が掲げられ、長椅子が並ぶような、映画で見る教会のような場所を。
隣の美月も同じことを考えていたのだろう。私と目が合うと、少し困ったように笑った。
その時、助手席のサミラさんがこちらを振り返り、優しく微笑んだ。
「着きました。どうぞ」
車を降りると、乾いた午後の風が頬を撫でた。
サミラさんが玄関のチャイムを鳴らす。
しばらくして扉が開き、一人の男性が満面の笑みで私たちを迎え入れてくれた。
「Welcome!」
流暢ではない英語だったが、その声には驚くほど温かさがあった。
玄関は、ごく普通の家だった。
靴を脱ぎ、案内されるまま奥へ進む。
そしてリビングへ入った瞬間、私は思わず目を見開いた。
二十畳ほどはありそうな広い部屋。
そこに、小さな子どもから年配の人まで、十五人ほどの人たちが集まっていた。
おそらく、みんなエジプト人だ。
けれど、誰もが驚くほど柔らかい笑顔を向けてくる。
女性たちは順番に私たちを抱きしめた。
「Welcome」 「Nice to meet you」
英語とアラビア語が入り混じる。
少し香水の香りがした。
その抱擁は、日本ではあまり経験したことのない距離感だったのに、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、胸の奥が温かくなる。
人数は決して多くなかった。
けれど、一人一人の清潔な服装と穏やかな笑顔が、とても印象的だった。
一通り紹介が終わると、サミラさんが少し申し訳なさそうに笑った。
「ごめんなさいね。前もって話そうと思ったんだけど、急に決まって……。教会みたいな場所を想像していたでしょう?」
「正直、はい……」
美月が少し照れながら答えた。
「あっ、でも、みんな笑顔で迎えてくださって……。それに、聖書をどんな風に学んでいるのか知りたかったので」
私はその言葉に何度も頷いた。
すると、サミラさんは静かに言った。
「実はね。エジプトでは、私たちの公の活動は禁止されているの」
「えっ……?」
思わず声が漏れた。
「世界中には私たちの仲間がたくさんいるわ。でも、国によっては自由に活動できない場所もあるの」
「そうなんですね……」
私は小さく呟いた。
美月も驚いた顔をしていた。
たぶん、私たちは本当に何も知らなかった。
その時、神代さんが穏やかな声で続けた。
「心配かけてごめんなさいね。公の活動が禁じられているので、大きな建物も建てられないし、外で自由に聖書について話すこともできないんです」
「でも……」
美月が周囲を見回した。
「それでも、こうして集まって勉強してるって……すごいですね」
私はその言葉に強く同意した。
私たちは、日本で大きな校舎に通い、整った環境の中で、ただ与えられるように授業を受けていた。
恵まれていた。
でも、何も知らなかった。
こんな小さな子どもも、年配の人も、危険や不自由がある中で、それでも聖書を学ぶために集まっている。
――すごいな。
私は素直にそう思った。
やがて、一人の女性がタブレットを貸してくれた。
あるサイトを開き、日本語のページを表示してくれる。
「世界中の仲間は、このサイトを使って勉強しているの」
サミラさんが説明した。
私は画面を見つめた。
普通の家。
でも、ここから世界中と繋がっている。
国も言葉も違う人たちが、同じページを見て学んでいる。
その光景が、なんだか不思議だった。
私は思わず美月と顔を見合わせた。
美月も「すごい……」と小さく呟いていた。
やがて集まりが始まった。
最初は歌だった。
みんなが穏やかな表情で歌っている。
そのあと祈りが行われた。
今日は特別に、神代さんが日本語で祈り、その横でサミラさんがアラビア語に通訳していた。
――私たちのために。
そう思うと、胸が少し熱くなった。
続いて三十分ほどの話が始まった。
神代さんが日本語で話し、サミラさんが通訳する。
今日のテーマは――
『人をもてなすことに努める』
だった。
へぇ……。
私は少し意外だった。
もっと難しい宗教の話を想像していたからだ。
でも、話を聞いているうちに、私は自然と引き込まれていった。
まさに今、私たちは“もてなされて”いる。
そう気づいた瞬間、私は美月と顔を見合わせた。
二人同時に、ふっと笑ってしまう。
時々、双子なんじゃないかと思うくらい、美月とは同じタイミングで同じ反応をする。
私はふと思った。
――これからも、ずっと親友でいたいな。
神代さんは続けた。
神様は、すでに沢山の“もてなし”をしてくれているのだと。
宇宙。
地球。
自然。
動物。
果物や野菜。
綺麗な花。
それら全部が、人への贈り物なのだと。
私は静かに考えた。
もし本当にそうなら――。
少しぐらい、人に優しくなれる気がする。
話のあとにはディスカッションの時間があった。
みんな積極的に手を挙げ、自分の考えを話している。
小さな子どもまで、ちゃんと発言していた。
すごい。
私は思った。
ミッションスクールに通っていたのに、私はこんなに積極的じゃなかった。
少しだけ、自分が恥ずかしくなった。
集まりが終わると、お茶とお菓子が配られた。
神代さんとサミラさんの通訳を通して、いろんな人と話した。
たどたどしい英語。
片言の日本語。
笑顔。
笑い声。
全部が温かかった。
本当に、楽しかった。
帰る時間になると、みんながまた熱烈に抱きしめてくれた。
「また来てね」 「God bless you」
その声に、美月はまた泣いていた。
車に乗り込む直前、美月が涙を拭きながら笑った。
「近年まれに見る楽しさだったね」
私は吹き出しそうになりながら頷いた。
――まさに、その言葉がぴったりだった。
夕方、私たちは再び神代さんの家へ戻った。
ルクソールの乾いた空気が少しずつ夜の涼しさに変わり始めていた。玄関の扉を開けると不思議と心がほっとした。
しばらくして、玄関の外から勢いよく足音が聞こえた。
「ただいま!」
昭人くんだった。
王家の谷から帰ってきたばかりの彼は、さすがに少し疲れた様子だったが、その顔には隠しきれない興奮と満足感が浮かんでいた。
その表情を見た瞬間、私は美月と顔を見合わせた。
「どうだったか、聞かなくても分かるね。」
「うん。最高だった顔してる。」
昭人くんは照れくさそうに笑いながら、スマートフォンを取り出した。
「写真、送りますね。」
すぐに私たちのLINEに何枚もの写真が届いた。
ツタンカーメンの墓。 ラムセスの墓。 色鮮やかな壁画。 そして――なぜか見知らぬ外国人と肩を組み、満面の笑みで写っている昭人くんの自撮り写真。
「誰、この人?」
美月が吹き出した。
「知らない人です。」
「知らない人とこんなに仲良くなれるの?」
「なんか、向こうから来てくれました。」
そのあまりに自然な笑顔に、私も美月も声を上げて笑った。
本当に楽しんできたのだろう。
テレビのロケ隊に遭遇したことばかりが印象に残っていたけれど、昭人くんには昭人くんで、どうしても自分の目で見たかった景色があったのだと、その写真を見てよく分かった。




